チベットは中国のコソボだ(第二のチベット動乱)
帝国電網省 by 竹下義朗さん
☆ チベットは中国のコソボだ(第二のチベット動乱)
2008/03/24
中華人民共和国西蔵[チベット]自治区の区都拉薩[ラサ]、
2008(平成20)年3月10日、現地時間午後6時、
1959(昭和34)年3月10日勃発の「チベット動乱」から
49周年のこの日
チベット仏教=ラマ教)僧侶達による、現地警察官に対する
「包囲」から全ては始まりました。
ーーー時を同じくしてこの日、
チベット仏教最高指導者にして「チベット帝国の国家元首」で
あるダライラマ14世率いるチベット亡命政府=北印度・ヒマ
チャルプラデシュ州ダラムサラ所在)の座す印度各地におい
ても、亡命チベット人達が抗議活動を開始。
4日後の3月14日、拉薩市中心部・大昭寺[ジョカン寺]の西、
金谷ホテル付近に展開していた治安部隊の装甲車がデモ隊に
突入。住民100人以上が「轢き殺された」ことがキッカケとなり、
チベット族による大規模な暴動──官公庁や漢族経営商店に
対する襲撃など──へと発展。
抗議運動と襲撃の余波は、西蔵自治区[ウ・ツァン]を越えて
青海省[アムド]、四川省阿[土貝][アバ]、チベット族チャン族
自治州、四川省甘孜チベット族自治州[カム]、甘粛省甘南
チベット族自治州、といったチベット族居住地域──
いわゆる「大チベット」全土──へ次々と波及。
大チベット地図
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北京政府や、チベット族を域内に抱えている省・自治区などの
地方政府は、これを「一部のチベット人暴徒」による騒擾
[そうじょう]事件として扱うつもりのようですが、これはもはや
1959年の「チベット動乱」や1989年3月=チベット動乱
30周年)の大規模な抗議運動に続く、いわば、
「第二のチベット動乱」といっても過言ではない事態といえます。
では何故チベット族がこのような行動に出たのか? 何が
彼らにとって不満なのか?
――――そのことについて、今回は詳しく触れるつもりは
ありません。
チベットが今まで歩んできた歴史や、チベットのおかれている
現状については以前発表した一連の小論を、次回から何回か
に分けて掲載しますので、それをご覧いただくとして、話を
先へ進めたいと思います。
結論から言いますと、チベット族が居住する地域=かつての
「大チベット」は元来「中国の正当な固有の領土」などでは
ありません。「中国=中華人民共和国」は、建国翌年の
1950(昭和25)年10月7日、「チベット解放」を旗印に、人民
解放軍による「チベットへの侵略」を開始。
その後、チベット国民の同意なきまま、チベットに対する占領
統治と社会主義建設を強要。遂には国家元首であるダライ
ラマ14世の身柄確保=拘束軟禁)を図ろうとしたことで怒り
頂点に達したチベット民衆が一斉蜂起。
ダライラマ14世
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動乱の最中、ダライラマ14世はチベットを脱出。「世界の
尾根」と称されるヒマラヤを越え、北印度のダラムサラに亡命
政府を樹立し、今日に至っているわけです。ですから中国が
称すところの「中華人民共和国西蔵自治区」は、
中国が侵略し、今尚占領統治を続けている、元独立国チベット
と呼ぶのがふさわしく、「チベット問題」を「我が国の内政問題」と
うそぶく中国の姿勢は、侵略の事実を正当化し開き直る、詭弁
以外のなにものでもないわけです。
さて、ここからは、日本や欧米先進国を含む世界各国に対し
「苦言」を呈していきます。
ーーー先ずは日本から。
日本は、先の大戦=大東亜戦争)に於ける敗北により米国の
占領統治を受け、その期間中に、左翼や進歩的文化人らが
「世界に誇れる平和憲法」ともち上げる『日本国憲法』が制定
され(実際には、国際法に違反して米国が日本に押し付けた
「対日占領基本法」)いま尚、その憲法を一度も改正すること
なく後生大事にしているわけですが、
その憲法は「非戦」を謳い、二度と日本が他国に対する侵略
(私は「侵略」史観に強い疑義を抱いているが)をせず、国際平
和を希求していく内容となっています。
そのような「尊い憲法」を戴[いただ]く日本が、協調し共存共栄
を図っていく必要性の高い隣国とはいえ、大戦後、他国を
侵略し現地住民に対する武力弾圧を公然と行ってやまない
中国に、何故苦言を呈さないのか?
「過去の侵略」を持ち出して日本を断罪する「現在進行形の
侵略国家」である中国に対し、何故、明確な批判を加えず、
チベットを含む中国による侵略占領地域の独立を要求しない
のか?
国交を回復し、政治・経済面で交流している日本も、黙認と
いう形で中国による侵略を「承認」しているわけで、結果的に
同罪といえますし、いわゆる「親中派」とされる国会議員の
先生方の罪も免れ得ないものと私は考えます。
ひと昔前なら、潔[いさぎよ]く腹を斬れ!と言うところです。
ーーー次に欧米諸国。
日本の関東軍が起こした満州事変の結果誕生した「満州国」に
対し、当時の欧米諸国の多くは、「日本による侵略」と非難
しました。その結果、日本が国際連盟を脱退し、日米交渉も
決裂し大東亜戦争へと突入していったわけですが、
「満州国」を視察した国際連盟が派遣したリットン調査団が
まとめた報告書は日本を一方的に断罪する内容ではなく、
もう一方の当事者である支那に対する批判的考察も明記
されていました。
つまり、100対0で日本が悪いというわけではなかったにも
関わらず、日本が一方的に悪いかの如く扱われたわけです。
それに対して中国によるチベット侵略に対し、欧米諸国の
対応はどうか?
正直いって「余りにも手緩[てぬる]い」の一語に尽きます。
ーーフセイン政権下のイラクが、隣国クウェートを「侵略」した
時の対応はどうであったか?ーーソ連軍がアフガニスタンに
軍事侵攻した時はどうであったか?を思い出してみて下さい。
イラクは、湾岸戦争で、米英を中核とする諸国から制裁を受け、
遂には小ブッシュ政権の米国が起こしたイラク戦争により、
フセイン政権が打倒されるまでに至りましたし、アフガンに
侵攻したソ連も、モスクワ五輪において西側諸国を中心に
多くの参加ボイコットという屈辱を受けました。
にも関わらず、今夏開催予定の北京五輪をボイコットすると明言
した国は一つもありません。その意味で「誤ったシグナル」を
中国に対し送っている欧米諸国も、日本同様、中国による
侵略を「承認」しているに等しく、結果的に同罪といえます。
それにしても、
3月2日の上海公演の際、中国当局の事前許可を得ていな
かった『 Declare Independence (独立宣言)』を歌い、曲中、
「Tibet! Tibet!」と叫んだアイスランド人歌手・ビョークの如き、
気概のある国はないものか?
平素、「人権!人権!」と声高に叫ぶ欧米先進国にしろ、
日本の左翼人権活動家にしろ、中国に対しては尻込みして
いるように見えるのは単に私だけなのだろうか?
最後に、この事だけは、はっきりと言っておきます。
旧ユーゴスラヴィア連邦の構成国の一つ、セルビア共和国内に
あって、アルバニア系住民が人口の多数を占めていた「コソボ
自治州」が、長い紛争の末に自治州内のセルビア系住民や
セルビア共和国の反対を押し切って、一方的に「コソボ
共和国」の独立を宣言したのは、記憶にも新しい今年
(2008年)の2月17日。
その後、日・米・英・仏・独・伊など27ヶ国が承認を表明し、
現在に至っているわけですが、(セルビア・ロシア・スペイン・
ルーマニア・中国などは不承認)チベット問題とはいわば
「中国に於けるコソボ問題」であり「チベット自治区」は
「中国に於けるコソボ自治州」であるわけです。
本国であるセルビアの反対を押し切って独立宣言したコソボ
に対しては独立を承認し、かたや、侵略により強引に併合
され、今尚、人権蹂躙を受け抑圧されているチベットに対し
ては見て見ぬふりをする。これは正直、如何なものか?
私は、日本を含む国際社会が、チベットの独立を積極的に
支援すべきだと思いますし、中国に対し誤ったシグナルを送
り増長させないためにも、今夏の北京五輪を国際社会は
断固ボイコットすべきであると考えます。
それと同時に、皆さん、どうか知っておいて下さい。
1989(平成01)年1月から1992(平成04)年10月迄の
約4年間、チベット自治区中国共産党書記として、多くの
チベット族を虐殺した「胡錦涛」が、
現在の中華人民共和国国家主席であるということを。