青海省は歴史的に見れば全域がチベット。
【チベット動乱】相変わらず破廉恥な中国共産党政権
宮本将英
打倒中国共産党
http://dadao.kt.fc2.com/
チベット国民による抗議行動が拡大している。チベット自治区では首都のラサだけでな
く、シガツェでも抗議行動が発生。さらに青海省、四川省、甘粛省でも抗議デモが発生
した。(注:青海省は歴史的に見れば全域がチベットであり、四川省と甘粛省でも抗議デ
モが起きたのはいずれもチベット人自治州である。)
これに対し公安当局は容赦なく発砲し、すでに80人のチベット人が虐殺されたという。
チベット人による暴動よりもはるかにたちが悪い。
これに対し、アメリカ、イギリス、オーストラリア、インド、ネパール、日本など世界
中の中国大使館、領事館前で抗議活動が発生している。
さて、中国政府の対応についてだが、人民日報日本語版に、チベット自治区責任者のコ
メントが掲載されている。以下に前文を引用しよう。
「西蔵(チベット)自治区の責任者は14日、チベットのラサで起こった騒乱について
の質問に対し、次のように答えた。「新華網」が伝えた。
ラサではこのほど、ごく少数の人間が殴る・壊す・奪う・焼くなどの破壊活動を行い、
人民大衆の生命や財産の安全に危害が加えられるという事件が起こった。これがダライ
ラマ集団の組織的で計画的なたくらみであることを示す証拠は十分あり、チベット各民
族の民衆の間でも強い怒りと厳しい非難を引き起こしている。チベットの関連部門は現
在、有効な措置を取り適切に処理を行っている。我々はチベット社会の安定とチベット
各民族の民衆の生命と財産の安全を維持する十分な能力を持っている。チベットの安定
と調和を乱そうとするごく少数の人のたくらみは人々の心をつかむことはできず、失敗
は目に見えている。」
よくもまあこのような恥知らずなコメントを発表できるものだと、ある意味感心してし
まう。例によって騒乱をダライラマの責任にこじつけているが、自らの失敗を他者のせ
いにするのは中国共産党の得意技だ。つい最近も毒ギョーザ事件で自らの過失を認めず
に日本マスコミの報道に問題があると開き直ったのは記憶に新しい。
ところで私は思うのだが、中国政府が国内向けにこのようなコメントを発表するのは
不可解なことではない。13億の中国人民は中国共産党の洗脳カルト教育で真実を見極め
る能力が麻痺しているからだ。だが人民日報日本語版で日本人向けにこのような記事を
載せるのは如何なものか。責任をダライラマになすりつけて日本人が納得すると本気で
思っているのか。日頃靖国参拝を批判したり、60年前の日本の戦争を批判している反日
媚中の日本人でさえ、ダライラマ法王の悪口までは言わない。にもかかわらず外国向け
にこのような破廉恥なコメントを発表する中国共産党など、まさにカルト宗教そのもの
である。
このような自らの過ちを反省しない中国政府に対し、我々外国人がなすべき事は断固た
る抗議を示すことだ。妥協や遠慮は禁物だ。今まで中共政府に妥協して得をしたためし
がない。17日には東京の中国大使館前で抗議行動が予定されている。平日ではあるが、
一人でも多くの参加を期待したい。
【緊急通告!!】
中国大使館へ直接抗議に集合を!シナ・中共はチベット人虐殺を直ちに止めろ!!
<シナ・中共はチベットから出て行け!独裁国家の五輪開催を阻止しよう!>
日時:平成20年3月17日(月)、集合・開始は11時半から
場所:六本木ヒルズ前から中国大使館へ(日章旗を目印に)、地下鉄・六本木下車
※14日、チベットでシナ・中共の侵略に反対を叫ぶ僧侶を始めとしたチベット人が蜂起した。
これに対し、シナ・中共は武装警察(軍隊)を動員して鎮圧、チベット亡命政府が確認したところでは80人のチベット人が虐殺されている。
シナ・中共はチベットを実質的な封鎖状態にしており、通信が情報が遮断されている。「密室」状態でのチベット人虐殺
を許してはならない。
<『語る』運動から『行動する』運動へ> 今のチベットは明日の日本だ。中国大使館へ直接抗議に集合を!
【呼び掛け】
主権回復を目指す会
NPO外国人犯罪追放運動
せと弘幸Blog『日本よ何処へ』
※雨天決行
※プラカードのご持参を歓迎
主権回復を目指す会
代表 西村修平
<『語る』運動から『行動する』運動へ>
http://homepage2.nifty.com/shukenkaifuku/
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【ニューデリー栗田慎一、北京・大谷麻由美】中国チベット自治区ラサで起きた大規模な暴動で、インド北部ダラムサラにあるチベット亡命政府は16日、ラサ市内で少女5人を含む80人の遺体が確認されたと明らかにした。中国当局は国営新華社通信を通じ「犠牲者は10人」と発表している。亡命政府側の主張が事実なら89年のラサ暴動の死者16人を大幅に超える。国際社会が対中批判を強めるのは必至で、胡錦濤指導部は難しい対応を迫られそうだ。
これとは別に、暴動はチベット自治区以外にも拡大。四川省北部アバ・チベット族チャン族自治州では16日、数千人の僧侶らのデモ隊と治安当局が衝突し、治安当局が発砲。この衝突で僧侶を含む8人が死亡したという。
「チベット独立」などを叫びながら行進していた僧侶らに対して、治安部隊が催涙ガス弾を発射した。また、ロイター通信は同州で約200人が警察署に火炎瓶を投げ、抗議したと報じた。
一連の抗議活動でラサ以外で死者が出たとの情報は初めて。四川省の省都・成都の旅行会社で働く男性は毎日新聞の電話取材にアバの状況について「まだ混乱状態のままだ」と語った。
ワシントンに本部を置く国際人権団体もこのデモで参加者4人が射殺されたとの目撃情報を伝えた。デモは青海省でも確認されており、甘粛省のほか今回、四川省でも抗議活動が発生したことで、暴動のさらなる拡大が懸念される。
一方、新華社電によると、北京滞在中のラサのドジェ・ツェジュグ市長は16日、「ラサは平穏だ」と述べ、治安回復を強調した。暴動から2日経過したラサでは、抗議行動や衝突などは起きていない模様だ。
毎日新聞 2008年3月16日 22時43分 (最終更新時間 3月17日 1時33分)
http://mainichi.jp/select/world/asia/news/20080317k0000m030097000c.html
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清国は、モンゴルやチベットや東トルキスタンを
尊重しながら仲良くするという政策をとっていた。
清国の力が衰えていき、チュウゴクは国では
なくなっている状態がずっと続いていた。清国が
無くなったあと、蒋介石はチベットに、チュウゴクに
入れと何度も手紙で要請したが、チベットはそのたびに
はっきりとお断りしていたのだ。
清や中華民国政府が中国大陸を支配していた1940年代までは
チベットは、ちゃんとした独立国家だったのです。
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(以下はウィキ)
1950年に中華人民共和国の軍事侵略を受け、
現在は上記領域の大部分(チベット民族
の伝統的分布範囲とほぼ一致)を中華人民共和国が
占領支配しています。
占領者側は二つの省級の自治体と、隣接する3省に
分属する4つの自治州
などに行政区画し、現在もその統治占領は続いています。
1955年 - 1959年に「中華人民共和国政府による占領、併合」に
抗議するチベット動乱が勃発して十数万人のチベット難民が発生、
チベット亡命政府のもと、異議申し立てが行われています。
チベット独立の運動が中国各地で起きているが、
中国はチベットの独立を認めていないどころか、
世界的に稀に見るような非常に残忍な方法で弾圧を
続けている。(ウィキ)
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チベットは、もともと漢人の国ではなくて、国旗もあり
国王としてのダライ・ラマがいてチベット語をしゃべり、
チベット文化と独特な宗教があるちゃんとした国だった。
でも、漢人はチベットに容赦なく攻め込んだ。
多くの僧侶が殺されて、多くの寺院が焼かれたそうだ。
世界の国々はチベットを助けなかった。
その時から、チュウゴクは、外国がチュウゴクがチベットに対して
ひどいことをしていると非難すると、内政問題だと言って無視
している。侵略してチュウゴクに取り込んだ後は、なんでも
内政問題にしてしまえる。チュウゴク人たちは、その事件を
習っていないようで、チュウゴクは今まで、どの国も
侵略したことはないなどと本気で言っている。
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(以下はウィキ)
近代
1912年の清国の滅亡後、チベットのダライ・ラマ政権は完全な独立を模索し、1913年にはモンゴルとの間で「チベット・モンゴル相互承認条約」を締結、2国が手を携えて漢人の共和政権である「中華民国」に対抗する姿勢をとった。モンゴルに対してはロシア、チベットに対してはイギリスがそれぞれ武器の供与、借款の提供を行うなど、外部の支援も得たが、この2国をふくめ、当時の帝国主義列強諸国の中には、モンゴルとチベットの立場を支持してこの2国を「独立国」として承認する国は現れなかった。
チベットは、辛亥革命の報が伝わった1913年、ラサを占拠していた清国軍を激しい市街戦のすえ駆逐したが、それ以後も、中国国民党などの中華民国の歴代政権とは軍事的な緊張状態にあり、チベット側は、ガンデンポタンの実効支配領域の内部には、いかなる中国の機関も設置を認めなかった。しかし1940年、ダライ・ラマ14世の即位式典に列席した中国国民党の使節団は、式典のちも帰国せず、1948年に強制退去させられるまで、「中華民国蒙蔵委員会駐蔵辧事処」を名乗ってラサにとどまり続けた。
第二次世界大戦中は、連合国の主要国となり日本と対峙した中華民国の協力により、イギリス領インドから移ってきたイギリス軍によってギャンツェ、ラサやカム地方各地に通信基地が建設された。これらの基地は中華人民共和国の人民解放軍によるチベットの武力占領まで、イギリス軍の無線技師によって運営されていた。
現代
清国の滅亡以来、中華民国歴代政権は独立国として存在していたチベットを「中国の一部分」だとする主張を行っていたが、北京政権時代は「軍閥の混戦」、南京国民政府時代は対日戦争への対応におわれ、独立を主張するチベットに対し圧力をかけ続けていたものの、本格的な軍事侵略は行なわなかった。
しかし、1949年に国共内戦に勝利して中華人民共和国を建国し、無宗教の社会主義国家を樹立した中国共産党は、「チベットは中国の一部分」とする中国歴代政権の主張を踏襲し、いよいよチベット全土の「侵略」を目指して1950年に中国人民解放軍による軍事行動を発動しチベットを軍事制圧した。その後、中国共産党政府はチベット国民に対する非常に残忍な弾圧や虐殺を繰り返し行なう事でチベットを抑圧支配し続けており、さらに漢人の移民を故意に実行し現在ではチベットにおける漢人とチベット人の人口比率は逆転していると言われている。
(ウィキ)
中国共産党による支配強化と虐殺
改革開放政策がはじまった1980年代初頭、チベットの惨状に驚愕した胡耀邦総書記の指示により本格的な経済支援が開始され、現在まで継続している。しかし、これは民族問題を封じ込めるための懐柔策だという見方が多い。この支配を進める一環として、2006年7月1日に「青蔵鉄道」(全長1956キロ)が全線開通した。「中華人民共和国チベット自治区」ラサと青海省のゴルムド区間1142キロ。鉄道の最高標高は5072メートル、海抜4000メートルを超える区間が960キロに達した。亡命政府側は同化政策の強化と見ており、批判している。 実際、同年の9月30日に、ネパール国境地帯でヒマラヤ山脈を歩いていた子供を多く含むチベット仏教徒ら数十人に対し、警告も無く人民解放軍兵士が銃撃を加えた。先頭と後方部を歩いていた2名(うち1名は15歳の少年)が死亡、数十名らが行方不明となった。
中華人民共和国政府側はこの事件を彼らに幾度も警告していたものの抵抗したために狙撃したと正当防衛と主張したが、この事件の一部始終の様子をルーマニア人ら登山家が撮影し、インターネット上などに公開。その内容は中華人民共和国政府側の説明と全く異なっており、「まるで狩りをするかのようだ」とこのビデオを撮影した登山家のコメントまで入っている。これが世界中に波紋を呼び、日本では2ちゃんねるのトップページに日本語字幕付きでこの動画が貼られ、国連難民高等弁務官事務所などをはじめとする国際社会も非難の声を上げている。
現在、カイラス山を通る自動車専用道路の建設を中華人民共和国政府は計画しているが、信者は「聖地が破壊される」と主張して中止を求める国際的な運動を展開している。
49周年となる2008年
3月には、3月10日のデプン寺の僧侶によるデモに始まる抗議運動が、3月14日には大規模な暴動に発展し、多くの死傷者を出している。米国の短波放送・自由アジア放送などによると、僧侶や尼僧を含む10人あまりのチベット族がチベットの旗をふり、ビラを配りながら抗議活動を行ったところ、中国政府の武装警察が殴るなど暴力で抗議活動を鎮圧。聖職者への突然の暴力に、パニック状態になったとされる。また、300人の僧侶が参加してデプン寺からジョカン寺までデモ行進する計画があったが、市中心10キロの地点で武装警察に鎮圧され50人以上が連行されたという。なお、この件で中国当局は「ダライ・ラマ14世側による組織的な破壊活動」としており、その「証拠もある」としているが、ダライ・ラマ14世側は否定している。(ウィキ)
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