チュウゴクは、まだまだ水モノたっぷりの博打社会 ( 超カッコ悪い )
■ 『大陸の風-現地メディアに見る中国社会』 第119回
「“チベット”と“台湾”」
□ ふるまいよしこ :北京在住・フリーランスライター
■ 『大陸の風-現地メディアに見る中国社会』 第119回
「“チベット”と“台湾”」
ブラー、デビッド・ボウイ、エコベリー、クーラシェイカー、
オーシャン・カラー・シーン、ポール・ウェラー、パルプ、
レディオヘッド、スーパーグラス、テキサス……手元にある
オムニバスCD「ロング・ライブ・チベット」に参加したアーティス
トの面々である。1997年発行だから、なかにはちょいと
お懐かしい顔ぶれもあるし、今となってはどんなアーティスト
だったのか、もう思い出せない人もいる。あ、
もちろん、アイスランドの「歌姫」ビョークも参加している。
すでにニュースなどでご存知と思うが、3月2日に上海
国際体育センターで行われたコンサートで、そのビョークが
予定されていなかった「ディクレア・インディペンデンス
(独立を宣言せよ)」を歌い、その中で「チベット、チベット!」
と叫んだのが中国で大騒ぎになっている。
報道によると、その前に行われた日本公演では、彼女は
そこで「コソボ、コソボ!」と呼びかけたらしい。
もちろん、中国当局は大激怒。「中国政府は積極的に中国
と外国文化の交流活動を奨励し、支援し、多くの海外の優秀
な文化製品とサービスの導入に努めてきた。絶対的多数の
外国芸術グループ、アーティストの訪中公演では自覚的に
中国の『商業公演管理条例』の関連規定が守られてきた。
しかし、個別の人物が商業公演を利用して政治『パフォー
マンス』を行うことは、中国の法律法規に反し、中国人民の
感情を傷つけ、一人のパフォーマーとして持つべき職業
道徳に反するものである」と、文化部(文化関連担当の
お役所)のスポークスマンは叱責した。
……やってくれましたねぇ、ビョーク。恥ずかしながら、わたし
がビョークのコンサートがあったのだと知ったのはこのニュース
でだった。3月2日ごろといえば、ちょっと仕事も一息ついて
いたし、中国に来ると知っていたらわたしも行きたかったなぁ、
残念。とはいえ、コンサートは上海のみ。
ビョークは東京と大阪の公演を終えてから、香港に赴き、
首都北京には足を向けずにそのまま上海のコンサートを終えて
疾風のように去って行ったのである。
さらに香港のニュースによると、香港のコンサートのチケット
は480香港ドルと780香港ドル(1香港ドル=約13円)のみ
、しかし上海のチケットはなんと最高1600人民元、学生
チケットを除いて最低でも300人民元(1人民元=約15円)
だったそうだ。香港ドルと人民元のレートはほぼ1対1だから、
上海では良い席を取るには香港の2倍以上のお金を出さな
ければならなかったことになる。基本的な消費水準は香港より
も低い上海での、この金額の高さはお分かりいただけるだろう。
ここのところ、大物洋楽アーティストのコンサートはほぼ
北京を通らずに上海で行われている。
リンキンパークしかり、ローリングストーンズしかり、ビョーク
しかり。
そのたびに北京からごっそりとミュージシャンや文化関連
メディアの友人たちが上海へと押しかけていく。
なぜ、上海なのか?
それはまず、上海には外国人も多く、高額なギャラでやって
くる外国人ミュージシャンのコンサートでも入りが見込まれること。
もちろん、上海が北京より総体的に商業化が進んでいることも
関係している。なんといっても北京は昔っから何かの公演
の際には必ず、主催関係者、関連役所、会場関係者、
もろもろの関係機関に「贈票」と呼ばれる無料チケットを配る
という「習慣」がある。これは社会主義時代の名残だが、
いろいろな意味で政治色の濃い北京では、その「習慣」は
以前よりは薄まってきているとはいえ、まだまだ残っている。
つまり、商業公演にとっては、これは水モノ要因となる。
そして、そんな政治を中心とした社会体制のおかげで、北京
ではお役所関係への許可手続きがいろいろと面倒なことも
理由だろう。たとえば、今年1月初めにコンサートを開いた
中国ロックの雄、崔健(ツイ・ジエン)は、その許可が下りた
のが昨年12月中旬で、チケット発売からコンサート当日まで
わずか20日余りしかなかったと言っていた。
もっと小型の劇場で行われた、ある外国モダンダンスチーム
の公開リハーサルを見に行ったとき、そのリハーサルが
終わった頃にやっと、その晩の本番の公演許可証が届いた
と主催者が汗を拭き拭き、教えてくれた。もちろん、許可証が
なければ、観客を入れての商業公演は行えない。
そんなだから、演目についても厳しいチェックが入る。
今回のビョーク公演は上海ではあったが、「予定されていな
かった」楽曲を演奏したというのは我々にとっては聞きなれ
ない説明だが、決してウソではないはずだ。
「ディクレア・インディペンデンス」なんて、台湾やウィグルや
チベットなどの多くの独立問題を抱える中国では一番に×印
がつけられるはずだ。
実際にローリングストーンズの訪中公演では4曲を演
目からはずすよう具体的な指示があったと聞く
(そして彼らはそれに従った)。
「ぼくらにとって今日、家のまん前で西側ポップスのコンサート
が行われることがどれだけ大変なことか、それが長年の努力
によって勝ち取られたものなのだということなんて、ビョークは
決して知らないだろう。あの一声が一部の指導者の肝を
震わせ、今後のコンサートの開催にまた大変な努力をしな
ければならなくなった。コンサートで『都市管理者の暴力
反対』て程度のことを叫ぶならなんともないってのに、なんで
また『チベット独立』なんだよ」(王小峰ブログ「不許聯想」
・3月7日)
もともと西洋ポップスの評論家だった人気ブロガー、王小峰は
こうつぶやいている。そうなのだ。80年代から90年代にかけて、
王小峰たちをはじめとした、西洋ポップスやロックに目覚めた
若者たちはどれほどその目でローリングストーンズやビート
ルズ(もちろん、その頃にはもうとっくに解散していたけれど)、
マイケル・ジャクソンにマドンナたちのコンサートを見たいと
渇望していたことか。それが21世紀になって、ローリング・
ストーンズは来たし、エリック・クラプトンも来た。飛行機の
チケットを買ってすら見に行ける身分になったことを彼らは素直
に喜んでいるのである。
報道によると、中国当局関係者は「文化部はさらにきちんと
調査し、法に基づいて処理を行うとともに、今後海外からの
訪中公演の文芸グループに厳しい検査を行い、
このような事件が再発するのを防いでいく」と明言している。
つまり、王小峰が言うように、今後、海外アーティストの
コンサート認可審査はもっと厳しくなることが予想される。
それにしても、わたしの頭から疑問が消えない。というのは、
誰がビョークの招聘を許したのか。正式の招聘元は当然プロ
モーターなわけだが、実際に誰がビョークの訪中公演を
「許可した」のか、という点である。ビョークはファンなら誰もが
知っている筋金入りのチベット独立支援者だ。
ファンでなくてもインターネットで調べれば簡単にその事実は
出てくる。
実際のところ、中国はビョークのほかにも人気ロックバンド
U2や俳優のリチャード・ギアなどに対しても、独立支援者、
あるいはダライ・ラマに近いという理由でこれまで訪中を
許していない(というか、本人たちに訪中しようという気がある
かどうかも疑問だが)。
先にダルフールにおける中国政府の態度に抗議してオリン
ピック芸術顧問を降りると宣言したスピルバーグ監督に対し
ては、「監督がオリンピック観戦に来るつもりがあれば拒みは
しない」などと「来てほしい」的なメッセージを送っているが、
強硬なチベット独立支持者にはまだまだそこまで柔軟な
態度を取る準備は出来ていないはずだ。
なのに、ビョークのコンサートは認可が下りた。まさか、
ビョークが誰だか知らずに許可したなんてことはありえない
わけで(もしありえたとしたら、それはそれで内部で
大問題になっているはずだ)、実際にコンサートが開けた
ということは認可申請の時点でビョークの過去に目をつぶっ
た人物がいるということだ。それはなぜなのか。
うっかりなのか、それとも意図的なものなのか。
もう一つ、調べてみると「ビョークがコンサートでチベット独立
を叫んだ」というニュースはコンサートの翌々日4日になって
ニュースとして流れている。その理由として、さまざまな
サイトに、実際にビョークが『チベット、チベット!』と叫んだ際、
「少なくとも半分以上の観客は彼女がなにを言っているのか
聞き取れていなかった。
自分も4日夜になってインターネットで知った」という観客の声
が転載されていた。
一方で、西洋人観客の「それまで盛り上がっていた観客が
『チベット、チベット』で雰囲気ががらりと変わり、途中で席を
立つ客もいた」というまったく逆のコメントもあちこちで紹介
されている。
どちらを信じるかは人それぞれだが、その結果、かつての
サッカーアジアカップのときのように、インターネット上でネット
サーファーたちの怒りの声を引き起こしている。実際にそこに
いたわけではない連中によってネットからネットへと伝わり、
ビョークの行為を分析し、罵り、騒ぎは大きくなった。たぶん
当局関係者もその反応の鈍さからして、きちんと内部で報告を
受けたのではなく、インターネット上の騒ぎでこの事実を
知ったのではないか
(最初にそれを流したのは外電だとも言われている)。
インターネットの世界はすさまじい。ほんの小さなニュースが
あっという間に人々の注意を引く「話題」に変わっていく。
このビョークの「チベット」騒ぎが持ち上がったとほぼ同じ頃に、
今度は日本でも公開中の映画『ラスト、コーション』の主演女優、
湯唯(タン・ウェイ)が出演した化粧品コマーシャルが、テレビ
放送を管理する国家広播電影電視総局(以下、広電局)
によって放送禁止となったという情報が駆け巡った。
『ラスト、コーション』は日中戦争時代の香港、上海を舞台に
した映画で、中国の歴史では「漢奸」と呼ばれる日本軍協力
者と、その暗殺を狙うグループ(最初は学生たちの思いつき、
後に中国抗日戦線機関によるプロフェッショナルなグループ)
から送り込まれた女性工作員の物語である。
ちょうど、その当時を経験した女性作家、張愛玲(チャン・
アイリン)の原作をもとに、『グリーン・デスティニー』『ブローク
バック・マウンテン』でアカデミー賞を獲った、台湾出身の監督、
アン・リー(李安)が脚色した。
わたしも昨年末、台湾で観たが、リー監督は彼のこれまでの
作品にも見られるとおり、「美」と「人の情」をうまく描いていた。
今作はその「美」と「情」の世界で描かれるのが歴史上の悪人
「漢奸」なのだから、華人観客たちの気持ちは穏やかではな
い。さらに、香港の人気俳優トニー・レオン(梁朝偉)と湯唯が
これまでの華人映画には見られないほどの濃厚なベッド
シーンを演じたことで注目された。結局、台湾、香港では成人
映画としてほぼノーカットで上映され、映画レート制がない中国
では性描写を中心に約12分間分がカットされて上映されたが、
「完全版を見よう」と中国国内から香港へ観客が押しかけて、
これもまた話題になった(香港でいまだに上映が続いている
のは、中国国内からの観客のため、と言われている)。
3月7日に中国の新聞「北京晨報」が「湯唯封殺か?」の
ニュースを流すや否や、大騒ぎになった。湯唯は『ラスト、
コーション』以前はまったく知られていなかった新人であり、
海外で新人賞を次々に手にした後も目立った発言はして
おらず、逆に言えば、中国・香港・台湾の優れた映画関係者が
集まった話題作で注目される女優としては物足りない
くらいの発言ばかりだ。だからこそ、当局によるコマーシャル
封殺は自然に『ラスト、コーション』に起因するものであることは
確かと思われた。
一方、マスコミの問い合わせが殺到した広告主のユニリーバ
関係者は最初は「具体的に理由は知らされていないが、
テレビから締め出されたのは事実」と認め、その後1ヶ月ごと
に更新されるテレビコマーシャル契約で、すでに契約したもの
以外の契約更新を各テレビ局に断られ始めていることを明ら
かにした。
「映画『ラスト、コーション』での湯唯の演技は確かに大胆で
度を越しており、エロといわれても仕方がないところもあり、
映画『ラスト、コーション』に対する厳格な審査も正常な範囲
である。しかし、なぜ、映画『ラスト、コーション』が上映され、
話題になっていた頃に手を下さず、ほぼそれが下火になった
頃になって国家広播電影電視総局は振り向きざまに銃を
撃ったのだ? 規定違反の映画あるいは関係者に対す
る制約や封殺は理解できるが、分からないのは映画
『ラスト、コーション』は集団によって生み出されたものであり、
なぜ湯唯一人を封殺するのだ?」(「湯唯のコマーシャル
放映禁止、理由はなんだ」浙江オンライン・3月10日)
もちろん、映画自体の視点や描写に反対を貫く人の中には、
先の香港で起こった人気俳優エディソン・チャン(陳冠希)の
「ベッドイン写真」に写っていた芸能人の全面ボイコットとともに
湯唯も封殺すべき、という声もある。ただ、上述したように、
映画自体を評価しなくても、一介の新人女優に明らかな理由
も語らずに処罰を行う体制に疑問を呈する声も多い。
「全国政治協商委員の(人気映画監督である)馮小剛は、
『ボタンをいくつはずせば、エロなんだ? 法律上の取り決め
がないために、監督たちはぎりぎりのところを手探りし、
一歩間違えば感電することになる。
現在の中国では大型政策映画は市場化に向
かっているが、制度面ではまだまだ計画経済時代にとどまって
いる』と語った。映画のレート分け制度は市場のてこによって
監督の尺度を測るもので、映画市場に最も見合った政策だ。
レート分けのない状態では監督たちの束縛は多く、彼らが
思い切りハリウッドと競争をすることは根本的に不可能
であり、中国映画の勢いにかげりをもたらすものとなっている」(
「湯唯封殺の噂で政協委員に映画ランク制度の声」紅網・
3月10日)
これまで「個人の自由」を理由に同性愛や夫婦スワップ、
風俗ビデオなどについて積極的な意見を発表してきている、
性文化学者の李銀河女史も声を上げている。
「湯唯がどんな間違いを犯したというのだ? 『ラスト、
コーション』を撮っただけではないか? 映画の裸のシーンは
わいせつ品と芸術品の区分にぴったりの例だ。わいせつ品と
芸術品の区分とは、同じような裸のシーンに対して
ストーリーに必要な裸は芸術品であり、ストーリー以外の裸を
わいせつと定義するという違った分類が行われるべきなのだ。
広電局の圧力は不当だ。わたしは抗議の声を上げる。
湯唯は非常に勇敢な人物であり、彼女の芸術に対する
貢献精神は賞賛され、人々の尊重を受けるべきである。
皆が湯唯を支援し、湯唯を守り、湯唯を尊重するべきなのだ」
(「湯唯がなにをした?」李銀河ブログ・3月10日)
さらにビジネスウェブサイトの「アリババ」では広告主の
ユニリーバの声を伝えている。
「湯唯が出演するポンズ化粧品のコマーシャルの内容自体
には決して問題はない。というのも、すでに各関連当局の
認可を受けているからだ。ならば、もし『ラスト、コーション』に
出演したことが問題というのならば、さらに不合理だ。
というのも、湯唯は国内で上映された合法的な映画に出演し
ているのだから……曾錫文(同社グレートチャイナ地区副総裁)
は、『もっと分からないのは、もし[ラスト、コーション]が理由
だというのであれば、トニー・レオンのコマーシャルはなぜ
放送できるのだ?』と憤る。消息筋によると、トニー・レオンは
P&Gのコマーシャルに出演しており、ユニリーバにとって
P&Gはライバル会社なのだ」(「ユニリーバ:なぜトニー・レオン
は無事なのか?」中国経済網・3月11日)
それはただ、映画の性描写と「漢奸」に対する視点の問題
だったのだろうか? 考えてみると深い入り組んだ内実が
そこにあるような気がする。
アン・リー監督はこの作品で華人監督として初めてベネチア
国際映画祭で2冠に輝き、またすでにアカデミー賞の常連客
となっている。間違いなく、現代華人社会を代表するトップ
監督だ。中国政府は国内出身のチャン・イーモウ(張芸謀)
監督をアカデミーにどうにか送り込もうとあの手この手で
躍起になっているが、チャン監督の作品でデビューした
中国出身の女優チャン・ツィイー(章子怡)が海外の
ファッション雑誌の表紙を飾るようになったのは、
リー監督の『グリーン・デスティニー』の功績である。
現状では、チャン監督(彼は北京オリンピックの開会式芸術
監督でもある)の海外における評価はリー監督には
かなわないと言ってもよいだろう。
さらに、リー監督は上述したように台湾出身で現在は
アメリカで活動している。
『ラスト、コーション』は台湾でも大論争を巻き起こしたが、
試写会で温かい拍手で迎えられた彼は「なによりも台湾の
観客に受け入れられるのが一番うれしい」と語っていた。
彼を「華人文化高揚の希望の星」と(無理やり?)見なして
いる中国政府は、それについて何もコメントしなかった。
さらに湯唯の相手役である「漢奸」を演じたトニー・レオン
(梁朝偉)は香港人であり、彼もまた海外各地で注目されている。
湯唯演じた女性スパイがひそかに恋心を抱く同級生かつ
彼女がスパイとなっていく過程で重要な役割を演じる男性は、
アメリカ国籍の台湾系人気ミュージシャン、王力宏
(ワン・リーホン)が演じた。今回の事件は広電局が問題シーン
カットという方法で上映許可を行ったのに、さらに同局内の
別の関係者が懲罰を試みた結果、その「手が届く」範囲が
中国国内出身の湯唯だけだったということではないか。
特に今は台湾総統選挙(3月22日)を控えた大事な時期だ。
ここで、リー監督や広く東南アジアで人気のトニー・レオンを
制裁すれば、華人社会にはショックが走るだろう。
当然、以前中国の軍事威嚇によって大きく「台湾独立派」が
票を伸ばした総統選の二の舞になってはならない。
ビョークは世界的な人気歌手で「チベット!」と叫んでさっさと
去っていった。アン・リーもトニー・レオンも安泰。
そして映画で裸体をさらし、共産党ではなく国民党の工作員
を演じた、大陸出身のおとなしいウサギちゃんがまな板に
載せられた。うがった見方かもしれないが、映画界、
コマーシャル業界、さらには経済界にも通じる分野において、
中国はまだまだ「計画経済」社会どころか、
「水モノたっぷり博打」社会であることが証明された事件となった。
ふるまいよしこ
フリーランスライター。北九州大学外国語学部中国学科卒。1987年から香港在住。
近年は香港と北京を往復しつつ、文化、芸術、庶民生活などの角度から浮かび上がる
中国社会の側面をリポートしている。著書に『香港玉手箱』(石風社)。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4883440397/jmm05-22
個人サイト:<http://wanzee.seesaa.net
>