テロ国家リスト解除? | 日本のお姉さん

テロ国家リスト解除?

テロ国家リスト解除?
No.333 平成20年 3月10日(月)  西 村 眞 悟

去る三月六日、衆議院議員会議室に、アメリカ議会調査局のアジア問題専門官であるラリー・ニクシュ氏が来て、平沼赳夫拉致議連会長を始め我々議連役員と話し合った。畏友の島田洋一福井県立大学教授が通訳をした。このニクシュ氏の最近のレポートに「テロ国家リスト解除?」がある。

昨年の十一月に拉致議連役員がワシントンDCに出向いたとき、私は議会調査局の建物内にあるニクシュ氏の部屋を訪ねて話を聞いたことがある。その時彼は、アメリカのブッシュ政権は、北朝鮮に対するテロ国家リスト解除の方向に動いている、そして、日本政府は、ブッシュ政権のこの動きを知っているはずなのに、何も手を打ってこなかった、と述べた。
彼の部屋の壁にはイギリスの首相チャーチルの写真がかけられていたので、私はその写真を指さして、アメリカのブッシュ大統領が、あのチャーチルのように独裁者と妥協しないことを願う、ブッシュ大統領が北朝鮮の独裁者と融和すれば、彼はチャーチルの前任者のチェンバレンになってしまう、と述べて退出した。
そこで、六日に彼に再会したときに、チャーチルの写真は今も部屋に掛けてあるかと問うと、彼は笑って、掛けてあると答えて、イギリスでその写真を手に入れたいきさつを説明した。
このラリー・ニクシュのアメリカ議会への報告は、アメリカのアジア政策に大きな影響を与える。そして、彼は北朝鮮をテロ国家リストから外そうとするアメリカ国務省のライスとヒルの路線に警告を発している。従って、彼は我が国の拉致被害者救出という国是にとって貴重な人材であるといえる。

さて、ラリー・ニクシュが六日に議員会館で話す際に、オフレコつまり「ここだけの話」にしてほしいと言い、我々も了解したので、ここで彼の話の内容そのものを報告することはできないが、骨子の概略は、以下の通りである。
1,ブッシュ政権の対北朝鮮政策は変更されていない。つまり、アメリカは北朝鮮をテロ国家リストから解除する政策を変更していない。ヒルがシナリオを書き、ライスが承認し、ライスはブッシュのOKを得ている。
2,ライスとヒルを理解するには中国を看なければならない。中国は、ライスとヒルの獲得に成功した。
3,テロ国家リスト解除に関して、アメリカは日本に説明してこなかった。ブッシュ政権には、アメリカの国益のために、日本を無視しても日米関係は大丈夫との考えがある。これも日本無視(パッシング)の例である。

さて、拉致議連は、昨年十一月にワシントンDCを訪問して、アメリカ議会人を中心に、北朝鮮のテロ国家リスト解除の動きに反対の意向を伝えた。またアメリカの上下両院においても議員のテロ国家リスト解除の動きが表面化して、昨年内のリスト解除は見送られ現在に至っている。
昨年十一月の訪問時には、インド洋における海上自衛隊の洋上補給活動は中止されたところで、もちろん再開されていなかったが、本年に入って補給活動が再開されてからは、「日本は我々(アメリカ)に貢献してくれている。我々も日本に貢献しよう」という趣旨の発言をして、テロ国家リスト解除反対の論拠とした議員も現れた。
このように、拉致議連のアメリカ議会に対する行動は確かにアメリカの反応を生み出している。また、アメリカ議会のラリー・ニクシュアジア問題専門調査官の報告もアメリカ議会に大きな影響を与えてきた。
そのニクシュ氏がわざわざ日本に来たのであるから、我々の発言が彼のレポートに反映してアメリカ議会に影響を与えるようにと、議連は次の通り彼に伝えた。
 以下、平沼議連会長の発言骨子。
1,アメリカ政府の日本パッシングは、日本を無視して対中接近をしたキッシンジャーまで遡るが、テロ国家リスト解除に関して日本は決してその時のように同意はできない。
 この問題でアメリカが日本を無視して突っ走るならば、大切な日米関係にひびが入る。日米関係を重視する日本の真の親米派は憂慮している(反米派や親北朝鮮派は喜ぶ)。
2,北朝鮮による拉致は現在進行中のテロである。
3,北朝鮮に対する制裁継続は必要である。

 先の時事通信で、アメリカ国務省のハルとヒルについて書いた。
ハルは一九四一年の日米開戦時のアメリカ国務長官、ヒルは現在のアメリカ国務次官補。
このハルが、ソビエトと中共を束ねるコミンテルンの影響下にあったことは今や周知の事実である。これは、アメリカ人が触れたがらないフランクリン・ルーズベルト政権の暗部だ。
この暗部の存在によってアメリカは国策を誤り、我が国は日米開戦に向かい、コミンテルンの思惑通りにソビエトは勝利し中共は権力を獲得した。そして、その二つの共産権力の下の人民は二〇世紀後半に未曾有の苦しみを味わった。
そこで、現在のアメリカ国務省のヒル(ライス・ヒルとコンビで呼んでもよいだろう)であるが、かつてのハルと同じように、国際反日勢力のコントロール下にあるのかもしれない。この度の、ラリー・ニクシュ氏との懇談で、アメリカ国務省の路線は日米双方にとって、やはり要注意だと改めて思った次第である。

                             (了)

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●『諜報・技術 ~ラインハルト・ゲーレン回顧録~』を読み解く


第二次大戦中、ドイツの対ソ連諜報活動で活躍した男がラインハルト・ゲーレンである。
彼は、ドイツの敗北を早くから察知した。
将来のアメリカが、ソ連と敵対すると確信する。
ゲーレンが作り上げた対ソ情報網をそのまま残し、終戦後、アメリカに協力した。

西ドイツが主権回復後、ゲーレンはドイツ連邦情報局(BND)初代長官となり、対ソ連情報活動の中心となる。

長官退職後、下記の回顧録を書いた。
それは彼が、どのような過程で情報の世界へ入ったか、第二次大戦中、冷戦時の活動、情報活動の心得、将来の世界予測などが緻密に書かれている。

『諜報・技術~ラインハルト・ゲーレン回顧録~』のポイント

・秘密情報任務の本質は、すべてを知る必要を別にすれば、歴史的潮流をフォローし、それを将来に投影する能力である。

・情報機関の組織は、部外者に対してはできるだけ不透明で複雑でなければならない。
しかし、各自が自分に何を期待されているか知っていなければならない。

・「将来の情報機関に関するメモ」(1952年5月21日、ゲーレン記す)

→連邦情報局の役割は、海外におけるあらゆる種類の情報資料の完全な収集である。
イギリス及びアメリカにおける同様、謀略情報その他の資料の収集は、完全に、党派に関係なく、国益をむねとして行われなければならない。

●ラインハルト・ゲーレン紹介

ラインハルト・ゲーレン (1902年~1979) はプロイセン中産階級出身のドイツ軍人。
1938年、第18砲兵連隊・中隊長。

1942年より、対ソ連諜報を担当する陸軍参謀本部第12課「通称:東方外国軍課」の課長を務めた。
これは全東部戦線に責任を持つ情報機関の長である。

ドイツ諜報活動の中心人物の一人である。
ゲーレンはドイツが降伏すると、防水ケース50個に詰め込まれた飛行場、発電所、軍需工場、精油所等のソ連軍事情報を手土産に部下ともにアメリカ軍に投降した。

戦後、米軍情報機関に協力して生き残り、ゲーレン機関を設立した。

ゲーレンは、アメリカと紳士協定を結んだ。
・ソ連情報を渡す代わりに、アメリカから資金提供すること
・ドイツ再建の時は、ゲーレン機関をドイツが引き継ぐ
などであった。

アメリカ軍は、冷戦に備えて対ソ諜報網の重要性を認識し、ゲーレンを手厚く保護、彼が組織したスパイ網を利用した。
ゲーレンはCIAと協力し対ソ諜報戦の中心人物となる。

ゲーレン機関のスパイ網は広くソ連・東欧諸国に張り巡らされた。
1955年に創設された西ドイツの諜報機関であるドイツ連邦情報局(BND)の初代長官を1968年まで務めた

※コメント
ゲーレンは何よりもズタズタになった祖国のことを考えていた。
そして、激しい国際関係の中で「情報」こそが価値を生むと強く認識していた。ゲーレンの回顧録を読みながら、情報の使い方で、状況を良くも悪できると感じた。