周辺情勢を列挙するだけでも「この国はやばい!」と感じる昨今
ようちゃん、おすすめ記事。↓
▼「10代の声」に微かな希望!(佐藤守)
ミニコミ紙から依頼された原稿17枚を書き上げた。タイトルは「仏作って魂入れず・・・戦えぬ武力集団の悲哀」としたが、過去の自衛隊に関する報道などを点検しつつ、現在の防衛庁・自衛隊の問題点を分析したのだが、何と無く「この国は長くはない」と悲観的になった。周辺情勢を列挙するだけでも「この国はやばい!」と感じる昨今だが、そう思っている読者も多いように感じる。
「不安定の弧」の動きはますます危険状態に近づいていて、中近東諸国、イスラエルの状況は非常に気になる。中国の膨張主義からも目を離せない。中国国内も決して安定しているとは言いがたく、全人代では北京五輪の「最大の不安定要素はチベットのダライ・ラマ集団だ」と同地区幹部が記者会見で発言したという。
過去の日中安保対話での「台湾問題」でも、「台湾・・」という表現が次第に「陳水扁一派と台湾独立派」となり“攻撃目標”が明白になったが、今回は彼らにとって、周辺の少数民族に潜む危機に対する“攻撃目標”も明白にされたことになる。そんな中国内では、上海住民がリニア反対で「決起」したという。米国下院もダルフール抑圧に抗議して、米国政府職員の五輪参加を禁止する法案を提出する動きがあるという。インフレとバブル崩壊も危険水域に達しているらしいから、中国の今後の動きからは目が離せない。
インターネット情報には、日本で起きた「毒入りギョーザ事件」の報告が、胡錦濤主席に届いていなかったらしく、主席が激怒したというから、4月の訪日が5月以降にずれ込むという報道の裏には、こんな問題があるのではないか? ギョーザ問題の解決を抜きにして来日したら、日本国民からブーイングが起きることは必至で、福田首相が大好きな「日中友好」が裏目に出ることは確実だから、胡錦濤主席訪日は「大失敗」になり、江沢民主席訪日の轍を踏むことになる。そうなれば政権維持もおぼつかなくなるから、五輪どころではなくなるだろう。
今月22日には、台湾総統選挙が行われるが、この結果も注目に値する。台湾は「熟し柿」のように手に入ると中国政府は予想しているようだが、その結果台湾国内で何が起きるかは予断を許さない。これも見届けるとすれば、訪日は5月以降にずれ込むのは自然であろう。
福田首相のスケジュールの都合で・・・などという理由はありえない。自分の都合を相手に押し付けるのがこの国の外交の基本にある。ロシアのプーチン体制にも動きがあったがこれまた油断できない。英国は、ロシアのスパイ事件が絡んでいて、ロシアとは犬猿の仲になり、戦略上、ロシアの背後の中国と手を結ぼうとしている。そして中国の積極的な外交の成果もあり、フランスと共に対中態度を軟化している。
米国は大統領選挙一色、よほどのことがない限り動きはしないだろう。こんな国際情勢をポーラ図法で読めば、孤立しているのは日本だけだが、その日本では「日銀総裁」の後継問題で国会は空転、駄々っ子たちが視野狭窄症に陥って、世界情勢を見抜けないでいる。
ところが、そんなこんなで「この国は長くはない!」と悲観的になっていた私の目に、嬉しくなる“意見”が飛び込んだ。8日土曜日の産経新聞「談話室」の「10代の声」である。大阪府の高校生・浜根都香紗さん(18)は、「甘えをなくし輝く社会人に」と決意を書き、東京都の中学生・布施伸之君(13)は「厳しさない教育では国滅ぶ」と次のように書いた。短いので全文転載しておこう。
「今、日本では大人も子供もルールを守れない人が増えているような気がします。授業中にガムをかんだり、遊んだりする中学生も一部にいるそうですが、なぜこうなったのでしょう。「ちょっとぐらいいいだろう」と自分に甘く、自分を律することが出来ない人が増えているからだと思いますが、その原因は、今の日本の甘い教育にあるのではないでしょうか。学校や教師に厳しさがないから、厳しさに慣れていないわがままな子供は注意されただけで簡単にキレてしまうのです。このままだと、学校も社会もまとまりがつかなくなり、やがて日本は崩壊する危険さえあると思います。人間にとって最も大事なのは教育です。教師や大人が、子供達への接し方を変えるだけで、生徒も学校も変わると思います。その積み重ねこそ、誰もがルールを守る、すばらしい国になる道だとおもいます。」
今朝のテレビでは、高校校長が昔“付き合っていた”教え子の女性に脅迫くメールを送って逮捕された、と報じられていたが、こんな薄汚い教師たちがいる「学園」に、浜根都さんや布施君のような純粋な子供達が「義務教育」として入れられるから穢れるのである。狼が住む学園に「赤頭巾ちゃん」を送り込むようなもの、これじゃ子供達の犠牲は防げない!
私を含めた「大人たち」の「教えざるの罪」は非常に大きいと思う反面、永田町の“大人たち”の子供っぽい喧嘩騒ぎを、浜根都さんや布施君のような10代の子供達がどう見ているか、少しは意識して行動した方がよいのではないか?と議員諸侯に忠告したくなる。「談話室」の10代の声を読んで、日本の将来に微かな希望を見出した気分になった。今週はまた講演会や研究会、チャンネル桜の収録などで都心に出かける機会が多いが、こんな全うな子供達の将来に、少しでも貢献できるなら、苦労はいとわない。渋谷や竹下通りで見る少年少女以外にも、こんな健全な少年達がいることを胸に我慢して「見て無ぬふり?」してやり過ごそうかと思っている!
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▼ジェノサイド抗議街宣 米国大使館(この国は少し変だよ、。ヨーメン)
米国による日本民族大虐殺 ジェノサイド抗議街宣 米国大使館
>ジェノサイド(英:genocide)は、一つの人種・民族・国家・宗教などの構成員に対する抹消行為をさす。(wiki)
元はナチス・ドイツのユダヤ人虐殺に対して使われたため、一般には計画的大虐殺の意味で使われるが、国外強制退去による国内の民族浄化、あるいは異民族、異文化・異宗教に対する強制的な同化政策による文化抹消、また国家が不要あるいは望ましくないと見なした集団に対する断種手術の強要あるいは隔離行為など、あくまでも特定の集団の抹消行為を指し、その手段が必ずしも殺戮である必要はない。またこれを目的とした行為は集団殺戮行為も含めて国連採択のジェノサイド条約によって人道に対する罪として規定されている。>
正真正銘の大虐殺!(写真あり) >
よーめんは基本的に親米です。しかし「間違った事は間違った事として抗議する時はカチっと抗議する。」と言う姿勢は重要です。共和党・民主党は関係ありません。親米だからと言って黙るのは中国に文句を言えない精神侵略済み政治家と同じです。またオランダ、オーストラリア、カナダも激しく叩かねばなりません。>
「日本は日米安保の親米だから」とか「共和党は東京空襲や原爆に反対していたから」と言う発想で 米国デモをしてはいけないと言う発想は恐ろしくお目出度い。これも「凄まじいまでの精神侵略の壁」ってやつよ。カチっと抗議文を手渡す↓ 詳しくは動画完成後にまた。
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★10日TBSで テレビ放映しました。
無差別爆撃への怒り今も 東京大空襲63年 大法要に400人参列 - 4時間前
米軍の爆撃で推定約10万人の命が奪われた東京大空襲から63年目を迎えた10日、東京都墨田区横網の都慰霊堂で戦災や関東大震災の犠牲者を追悼する「春季慰霊大法要」が開かれ、遺族ら約400人が参列、犠牲者の冥福(めいふく)を祈るとともに平和への誓いを新たにした。
慰霊祭では、都慰霊協会の貫洞哲夫会長が式辞を述べた後、石原慎太郎都知事が「戦火を繰り返さないことを誓い、安心して暮らせる首都東京を創造する。御霊(みたま)の安らかなるご冥福をお祈りする」と述べた。常陸宮ご夫妻が焼香されたほか、遺族代表らが犠牲者を追悼した。
東京大空襲は太平洋戦争末期の昭和20年3月10日未明、米軍のB29爆撃機300機以上が現在の東京都墨田区、江東区、台東区など人口が密集する下町を中心に焼夷弾(しょういだん)を投下した無差別攻撃。東京のほか大阪、名古屋などの大都市や地方都市に対しても行われ、原爆被害と合わせると民間人の犠牲は50万人以上に及ぶ。
米軍の無差別攻撃は、焼夷弾を周囲に落として炎の壁を作った上で逃げまどう人々を狙い撃ちしたもので、猛火の中、全身に大やけどを負ったり、煙にまかれて川に飛び込んだりして死亡する人が相次いだ。
父親を空襲で亡くした品川区の大塚さとさん(86)は「父から『風上に逃げろ』と言われ避難し自分たちは助かった。父は警防団の幹部で避難せず、逃げまどう人であふれかえった言問橋から転落死した」と涙ぐんだ。
同僚を亡くした板橋区の湯山義夫さん(82)は「至る所で焼死体が転がっていた。当時は国民のほとんどがB29や搭乗員に怒りを持った」。折しも名古屋市を爆撃したB29の搭乗員を処刑した罪に問われた岡田資(たすく)中将の法廷闘争から無差別殺人の非人道性などを問うた映画「明日への遺言」(小泉堯史監督)が公開中。世田谷区の河野一郎さん(84)は「(兵役で基地があった)茨城にいたが約60キロ離れた場所からでも東京の空が真っ赤になっているのが見えた。ついに米軍は一般人にも狙いをつけたのかと感じ腹立たしく思った」と当時を振り返って憤った。
東京大空襲(とうきょうだいくうしゅう、英語:Bombing of Tokyo in World War II)は、第二次世界大戦中アメリカ軍により行われた東京に対する一連の大規模な空襲。東京は1944年11月14日以降に106回の空襲を受けたが「東京大空襲」と言った場合、特に、規模が最も大きい1945年(昭和20年)3月10日に行われた空襲を指すことが多い。太平洋戦争に行われた空襲の中でも、とりわけ民間人に大きな被害を与えた空襲として知られている。
3月10日の大空襲は、日本の中小企業が軍需産業の生産拠点となっているとして、市街地と市民そのものを攻撃対象に行なわれた低高度夜間爆撃である。アメリカ軍の参加部隊は第73、第313、第314の三個航空団が投入された。
1945年3月9日から10日に日付が変わった直後に爆撃が開始された。B-29爆撃機325機(うち爆弾投下機279機)による爆撃は、午前0時7分に深川地区へ初弾が投下され、その後、城東地区にも爆撃が開始された。午前0時20分には浅草地区でも爆撃が開始されている。火災の煙は高度7000mまで達し、秒速20mと台風並みの烈風が吹き荒れた。
東京大空襲でB-29は日本の貧弱な防空能力を見越し、殆どの機銃と弾薬を降ろして通常の約2倍、6tの高性能焼夷弾を搭載していた。 投下された爆弾の種類は、この作戦で威力を発揮した集束焼夷弾E46を中心とする油脂焼夷弾、黄燐焼夷弾やエレクトロン焼夷弾などであり、投下弾量は38万1300発、1783tにのぼった。
当夜は低気圧の通過に伴って強い北西風が吹いており、この強風が以下の条件と重なり、大きな被害をもたらした。
警戒用レーダーのアンテナを揺らしたため、確実に編隊を捕捉出来ず空襲警報の発令が極端に遅れた(発令されたのは初弾投下後の3月10日午前0時15分)。
「低空進入」と呼ばれる飛行法を初めて大規模実戦導入した。まず、先行するパス・ファインダー機が超低空でエレクトロン焼夷弾を投弾して閃光で攻撃区域を本隊に示し、爆撃機編隊も通常よりも低空で侵入して、発火点を包囲するかたちで集束焼夷弾E46を投弾した。狙い撃ちの攻撃で、着弾は高高度爆撃よりはるかに精密になった。後続編隊は早い段階で大火災が発生したため、非炎上地域に徐々に爆撃範囲を広げたが、火災による強風で操縦が困難になり、焼夷弾を当初の投下予定地域ではない荒川周辺まで広げた。このため、火災範囲は更に拡がった)。
折からの北西の季節風(空っ風)が火勢を煽り、延焼を拡げた。
東京近郊の飛行場に配備されていた夜間戦闘機隊が迎撃に向かったが、猛火による猛烈な上昇気流と煙により迎撃は困難を極めた。やがて火災の煙と灰で各飛行場は離陸が困難になった。
これら複数の要因が重なり被害が拡大した。
この時使用された焼夷弾は日本家屋を標的にした物であり、ドイツがロンドンを空襲した際に不発弾として回収された物を参考に開発された。当時の平均的な構造とは違う作りをしていた。通常、航空爆弾は瞬発または0.02~0.05秒の遅発信管を取り付けることで、爆発のエネルギーを破壊力の主軸にしている。しかしこれでは木材建築である日本家屋に対してはオーバーキルとなる。そこで爆発力ではなく、燃焼力を主体とした「焼夷弾」が開発され、これが木造を主とする日本家屋を直撃した。
火災から逃れるために、燃えないと思われていた鉄筋コンクリート造の学校などに避難した人もいたが、火災の規模があまりにも大きいため、火災旋風が至る所で発生し、建物に炎が滝のように流れ込み、焼死する人や、炎に酸素を奪われ窒息(ちっそく)死する人も多かった。また、川に逃げ込んだものの、水温が低く凍死する人も多く、翌朝の隅田川は凍死・溺死者で川面が溢れていたという。逆に、東武伊勢崎線沿いに内陸の春日部・草加方面へ脱出し生存した例が散見される。
3月10日は日露戦争の奉天会戦の日であり、陸軍記念日となっていた。日本の戦争継続の気力を削ぐため、敢えてこの記念日が選ばれたと言われている。(ただし、アメリカ側の資料では陸軍記念日を意識していたことは確認出来ていない。)
3月12日には名古屋大空襲が、3月13-14日に大阪大空襲が、それぞれ実行され多数の死傷者を出している。
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小学校のプールに入って避難していたら、
学校の窓から炎が滝のように流れてきて、
プールの中にいた人が全員焼け死んだそうです。
生き残りがテレビで証言していた。
by日本のお姉さん