政治家「安倍晋三」は、なぜ期待されるのか?そして、なぜ、狙い撃たれるのか?(じじ放談) | 日本のお姉さん

政治家「安倍晋三」は、なぜ期待されるのか?そして、なぜ、狙い撃たれるのか?(じじ放談)

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▼政治家「安倍晋三」は、なぜ期待されるのか?そして、なぜ、狙い撃たれるのか?(じじ放談)
70%の高い支持率で出発した安倍内閣は、「日中氷解外交」を初め多角外交を展開した。内政面でも、歴代内閣が積み残してきた「憲法改正国民投票法」や「教育基本法・同関連法」等を成立させる等偉大なる成果を上げた。反面、閣僚の相次ぐ不祥事とメディアの集中砲火をあびて内閣支持率が下落、参院選で大敗しネジレ国会を招来した。国際公約であった「テロ特措法」は期限切れ廃案となった。最後は、体調不良で総理職を続けることが困難となり、所信表明演説直後政権を投げ出してしまった。以来6か月経過。安部晋三は自己免疫不全に起因する大腸炎の症状も快癒した。久々に明るい顔を国民に見せてくれた。筆者も密かに「ほっと」しているところである。

安倍晋三関連のスレを見ると「待ってました」と期待する者と「お呼びでない。引っ込んでいろ」という拒絶するものが、喧々諤々意見を戦わせている。スレは賑わっているから、良くも悪くも関心度は高いということだ。安倍晋三は、一昨日「憲法改正超党派議員同盟の顧問」に、昨日は、自民党「クールアース50懇話会の座長」に、そして本日6日、古巣の「清和会(町村派)の相談役」に就任した。それ以前に、HANA(平沼赳夫・麻生太郎・中川昭一・安倍晋三)の勉強会を立ち上げ、自民党国会議員約80人が結集した。安倍晋三には、なぜこれほど多くのグループ・団体から「お声がかかる」のであろうか。安倍晋三が一時的にせよ国民の70%から支持を受けたのはなぜだろうか?

第1.長身で甘いマスク。「真面目な坊ちゃん風」の雰囲気
つまり「母性本能」を呼び覚ます感じだ。言語明瞭・素行優良であるから安心なのだ。言行不一致で、政治的発言を見慣れた国民にとって、政治家らしくない「すがすがしさ」を感じてしまうのだ。

第2.日本の未来のために「不惜身命」の真剣な態度がすがすがしい
田中角栄以来小沢一郎に至るまで「利権屋政治家」に飽き飽きしてきた国民にとって安倍晋三は「私欲を捨て国家のために働く政治家」と見えた。

第3.日本人に「誇りを取り戻してくれる」と感じさせた
贖罪外交を繰り返してきた歴代総理に国民は飽き飽きしている。日本人として「誇り」を持ちたいと思っている。中国や韓国の内政干渉に「断固として反撃してくれる指導者」を求めている。そこで、国民は安倍晋三に期待した。だが、安倍晋三は総理就任直後、国民の期待を裏切り「村山談話・河野談話の継承」と靖国参拝の可否を論じない」という態度に転換した。「非核三原則遵守」ともいった。安倍晋三に対する国民の期待がしぼみ始めた。なぜ、安倍晋三はこれまでの信条を投げ捨て転進したのか?中国側の工作に篭絡されたのか?又は米国務省の圧力があったのか?それともさらに重大な何かがあったのか?について、国民に「事実経過」を説明する義務がある。個人的な信条を投げ捨てるからには、「やむにやまれぬ背景と事情があった」とは思う。だが、政治家は国民との信頼関係を第1とすべきであって、「裏取引」してはならないのだ。国民を裏切るならば、国民から見放されるのは当然である。その後の経緯がこれを証明した。

第4、安倍晋三の視野の大きさと幅の広さ
「省あって国なし」は霞ヶ関官僚の特質であるが、日本の政治家は「閥(グループ)あって党なし」「党あって国なし」を特徴とする。要約すれば「自己中心の利己主義者」ということができる。だから、一般の政治家は、閥務に専念し「閥の法(のり)を超えず」という態度である。派閥に所属しながら「派閥の枠にとらわれない」という議員はほとんどいない。安倍晋三や彼の同志である中川昭一、菅義偉など少数だ。安倍晋三が「派閥の枠を超えている」からこそ、安倍総裁・総理を実現させる主力部隊となった「チャレンジ議連」ができた。派閥選挙ではなく、超派閥選挙ができた。

安倍晋三は、米国でいうと最右翼のブッシュからリベラルのオバマまでと同盟を組める幅の広さを持っていると思う。民主党でいえば、前原誠司・野田佳彦はもちろん、岡田克也・鳩山由紀夫・枝野幸男・仙石由人及び民社協会の面々とは同盟を組める幅の広さを持っていると思う。「政略第1の小沢一郎」とは、同盟が可能であっても、相手としては適当ではない。いつ寝首を掻くか分からない相手は忌避すべきである。安倍晋三が、自民党内の最右翼からリベラルの各グループから期待され「神輿役」を仰せ付かるのも、安倍晋三の「フトコロの深さと広さ」と、先入観で決め付けない資質があるからだろう。

5日、安倍晋三を座長とする「クールアース50懇話会」が発足した。世話人は第1次安倍内閣時代の自民党総務会長であった丹羽雄哉。塩崎恭久元官房長官(以上、古賀派)、世耕弘成(清和会)、事務局長は鈴木俊一(古賀派・麻生太郎の義弟)で計14人の国会議員が参加した。
以下は、「毎日新聞らしい反安倍色が出た編集」ではあるが、参考までに記す。なお毎日新聞社長は福田康夫の縁戚というから、安倍が復活するのに危機感を抱くのはやむをえない)(閣僚経験者談:(安倍は)再び発言力を強める基盤作りに動き始めた。(清和会中堅談):表舞台に出るのは早すぎる。(以上、毎日新聞ウエブサイトより抜粋)

懇話会の席上、安倍座長は「座長を引き受けるのがいいのか、どうか考えたが、(福田総理を支えて)7月のサミットを成功させるのは私の責任でもある」と述べた。参加した閣僚経験者は「(憲法改正など)理念派としての「安倍再始動」よりも、まず、環境問題から手をつけたい」と述べた。(以上、アサヒネットより抜粋)


安倍晋三自身の意向もあろうが、それ以上に「周囲がほおっておかない」という状況であろう。安倍総裁・総理時代一緒に働いた仲間のほとんどは「自宅謹慎・蟄居」の身分で、みじめな境遇にある。このヌカルミから脱出するためにも「神輿」が必要なのだ。「夢よもう一度」ということかもしれぬ。
なお、懇話会のカタカナ文字は安倍第一次内閣の所信表明演説を想起するほど「舶来かぶれ」のニオイがする。塩崎恭久あたりが入れ知恵したのかもしれぬが、どうして「地球環境を綺麗にの50」という日本語を使わないのか。不可解というより「日本の伝統文化復活」を叫ぶ安倍晋三にはふさわしくない。

6日、安倍晋三は「清和会」名誉会長森喜朗の粘り強い説得を受け入れ、古巣の「清和会」に復帰し「相談役」に就任した。安倍晋三は「派閥という枠に縛られる」のを忌避したかったのではあるまいか。派閥に関係なく勉強会を立ち上げ同志を募りたいと考えていたのではあるまいか。超派閥的な「チャレンジ議連」が安倍晋三の志向する道ではなかったか。安倍が志向する「派閥横断型集団の結成」は、派閥の親分にとっては迷惑かつ脅威である。派閥分裂、派閥崩壊を誘発する。という訳で、「派閥第1」の森の立場に立てば「安倍晋三を野に放つ訳にはいかない」という心境であったろう。「安倍晋三を野に放つ」ことについて危惧した理由がもう一つある。麻生太郎・中川昭一・安倍晋三が連合して「反福田」の旗を掲げるかもしれぬ。その旗頭に安倍晋三を担ぐかもしれぬ。清和会内にも「安倍シンパが相当数いる」から「清和会」の混乱は避けられない。

福田政権は「清和会政権」である。安倍を清和会に取り込むことができれば、安倍は「福田政権支持」の姿勢を崩せない。森・福田政権にとって「足元に火がつく」という最大の脅威がなくなる。「清和会」にとって、安倍晋三を派内に抱え込むことは「すべて良し」ということにはならない。「爆弾(安倍)を抱えて大丈夫か?」という幹部の意見もあろう。安部が清和会で中堅・若手を糾合し、派閥を乗っ取ったらどうするのか?」という懸念もあろう。森喜朗は将来の懸念よりも「今日・明日の不安」を解消することを優先したと見てよい。

安倍晋三は、自民党他派閥の中堅・若手との勉強会に参加することを続けながら、清和会内部で影響力を増す戦略に切り替えた。清和会を抑えることができれば、自民党全体を動かすことも可能だ。安倍晋三は、民主党前原誠司副代表とは「酒場で議論できる」間柄という。今後、安倍晋三は、自民党内だけでなく、民主党・国民新党・無所属へもウイングを広げるかもしれぬ。すべては、「保守勢力の結集」と「衆参両院3分の2以上の安定勢力を創り上げる」という大目標の実現に向けて汗をかくはずだ。

日本政治の「宿あ」ともいうべき派閥・政党の枠組に頓着しない安倍晋三のような革命的人間は、旧守派から見ると「既得権を奪う最大の敵」に見える。だから、安倍晋三が動けば動くほど、旧守派は危機感を煽らせる。マスコミを動員して、これを阻止せんと企てる。「戦後レジュームからの脱却」というのは、戦後システムで飯を食ってきた者の既得権を奪うことであるから、「マスコミ」や「官僚組織」が眼前に立ちはだかるのは当然なのだ。敵は強大である。「準備不足で突入すれば」返り討ちにあうことははっきりしている。

織田信長が行った「比叡山焼き討ち」、明治維新の「四民平等・廃刀令」など、既得権を奪う政策を断行すれば無数の犠牲が出る。敵も「生活がかかっているから」必死で反撃してくる。命はいくつあっても足りない。用意周到、軍を整える必要がある。急(せ)いては事を仕損じる。断行できるだけの「体制固め」に99%のエネルギーを注ぐべきだろう。日本国家の変革を希望する議員・団体・個人は、安倍晋三を「熱烈歓迎する」が、他方、既得権を守り安逸な現状を保持したいとする議員・団体・個人は、安倍晋三を「蛇蝎の如く嫌う」という構造だ。

すでに、国民世論を先取りした2チャンネル「安倍スレ」で激論が始まったのだ。安倍晋三が健康を回復して、同志とともに「次の戦」に臨むことを期待する。だか、当面は麻生太郎・中川昭一を前面に立て、これを後方支援する裏方に徹するのが良いと思う。「敵」は安倍晋三を狙い撃ちにせんと、道路脇の木陰から「火縄銃」を構えて待っている。「敵は万人」という警戒心を以って事に当たるべきだるう。「戦後レジュームからの脱却」というのは「遊び」ではない。「戦」なのだ。
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