毛沢東は人口が多すぎるから困っていた。 | 日本のお姉さん

毛沢東は人口が多すぎるから困っていた。

1949年に中華人民共和国が成立した当時

チュウゴクの総人口は5億4千万人だと言われている。
1949年から1953年の間に毛沢東は、チュウゴク人に

たくさん産めと奨励しまくった。

毛沢東は「中国にとって人口は最大の資本である。

人口が多いことは、戦争を行う上でも有利である」と

言ったのだ。

そこで、一家に子供が7、8人いるというのが普通になって

一気にチュウゴク人が増えてしまった。

自然に増えたというよりも、人為的に増やされたのだ。

4、5億と見積もられていた人口が実際は6億1193万人いる

ことが分かり、過剰人口問題解決のため

1954年~1957年には計画出産を奨励しだした。

1953年から1966年の間は大躍進の時代で

1958年から始まった「大躍進」政策では、経済拡大政策が

たたって、1959年から3年連続の自然災害にたたられた。

ソビエト連邦の撤退、政策的・人的な誤りで餓死者が

3000万人以上でた。

農業・工業ともに好ましくない結果に終わった。

そこで、そういう時代に人口抑制をするのは、

人民の飢餓に対する危機感を一層掻き立てることになるとの

政治的判断から、新たな計画出産を行うのは

1962年になってからのことだった。

1966年から1976年は文化大革命の時代。


1965年から1971年までのわずか6年間で、

人口の純増は約1億2691万人に達した。

これは1840年のアヘン戦争から人民共和国成立までの

109年間に匹敵する数字で、あきらかに異常な増え方だ。


 1972年からは、本格的に

農村を含めた計画出産活動が再開された。

1973年には国務院による「計画出産指導小組」が設立されて、

「晩婚、出産、一組の夫婦につき子ども二人まで」が

提唱され、出生率は減少に転じた。

毛沢東がいた時代に死んだチュウゴク人は8000万人以上。

かなりの数のチュウゴク人が毛沢東が無能なせいで

死んでしまったが、毛沢東はもしかしたら、

たくさん死んでくれた方が助かると思っていたのかも。


当時は、都会の優秀な子供たちが親や家族と引き離されて

農村に追いやられて辛い思いをした人たちがいた。

農村でひもじい思いをしたり、農民にレイプされたり、

生きるためにしかたなく農民と結婚したり、なかなか

都会に戻れずに苦労した人もいた。

チュウゴクの都会の子は毛沢東のおかげで酷い目に

あったのだった。そんな子たちも、今は50代後半から

60代。チュウゴク人はしつこいから、共産党がしたことを

忘れていないと思う。でも、今、50代前半から40代の

チュウゴク人は、開放政策のおかげでチュウゴクが

近代化されてきた時代に大学生だったので、傲慢で

どうしようもないそうだ。


天安門事件の後からチュウゴク共産党が反日政策を

採り始めて、6歳の子にも日本兵がチュウゴク人女性を

レイプしたり、裸にして局部に棒を刺している蝋人形で

反日教育をするので、みんな反日になっている。

戦争記念館は、入れば全員が日本を憎むようにできている。

実は、そういうことをしたのは、

チュウゴク人の匪賊(ひぞく)だったのだが、日本軍が

したことになっている。

共産党が過去にした酷い事件の数々はチュウゴク人の頭の中

には無い。教えてもらっていないのだから、仕方が無い

その代わりに、日本軍の記憶を植えつけられている。

日本軍がしていないことまで、したことになっている。

毎日テレビで抗日戦の映画やドラマを見せられているから、

その記憶しかない。


そんなチュウゴク人が、2008年には13億人以上いる。

本当は、14億人とも15億人いるとも言われている。

戸籍の無い「黒子」がたくさんいるからだ。


毛沢東は、1973年の時点で、本当に人口が多すぎて

困っていたようだ。キッシンジャーに言うジョーダンが

本気過ぎて恐い。アメリカに1000万人の余っている

チュウゴク人女性を送って、人口問題を引き起すが

チュウゴクは助かるなどと、言っている。


チュウゴク人は、今のまま一人っ子政策を推し進めて

いれば2030年には、17億人に抑えられると思って

いるようだが、2008年ですでに、14億人、ひょっとしたら

15億人いるとも言われているのに、それは無理でしょう!!

チュウゴクの人口は増えすぎなので、チュウゴクはもはや

食料輸入国に転じている。

金持ちになったチュウゴク人は、贅沢を覚えて

肉も小麦も乳製品もワインもどんどん輸入している。

小麦はオーストラリアで不作だったし、チュウゴク人

やインド人も買うので世界中で取り合いになっている。

日本人が食べる小麦も、4月から30%も値上げされる。

このまま、チュウゴク人やインド人が増えると

地球が生産できる量を超えてしまうだろう。

遺伝子操作で増やした食料を食べるしかない時代は

すぐそこに来ていると思う。

だから、チュウゴク政府が人口を抑制するのは

地球のためにいいことなのだ。でも、実際に子供を産めなくなる

ように、強制的に避妊手術をさせられているのは、少数民族で

金持ちの都会の漢人は、金さえ払えば2人目を産めることに

なっている。だから都会の金持ちには子供が2人いる。

2人目を産むと罰金のように、一人目の出産費用と

教育費を払わねばならないが、金持ちにはなんでもない

金額である。

農村の貧乏な人にも、戸籍のある子供と、戸籍の無い子供が

いる。そうやって、チュウゴク人は今もどんどん増えている。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

【2月14日 AFP】(写真追加)1973年に行われた、中国の毛沢東(Mao Zedong)国家主席(故人)とヘンリー・キッシンジャー(Henry Kissinger)米大統領補佐官(当時)の会談で、毛主席が米国に1000万人の中国人女性を送ると冗談めかして語っていたことがわかった。12日に発表された、1973-76年の米中外交に関する米国務省の外交文書で明らかになった。

 同文書によると、貿易問題に話が及んだ際に毛主席は「(中国は)非常に貧しい国だが、余っているのは女性だ」と語り、笑いを誘ったという。そして、中国人女性1000万人の米国への移住を提案し、そうすることで米中貿易が促進できると指摘する一方で、中国と同様に人口爆発によって米国は「痛手」を被るだろうと語ったという。

 これに対し、キッシンジャー補佐官は、米国には中国人女性の「受け入れ制限」や「関税はない」と応じ、会談は笑いに包まれたという。

 話題が一段落したところで、リチャード・ニクソン(
Richard Nixon)米大統領(当時)の下で国家安全保障を担当していたキッシンジャー補佐官は、ソ連の脅威などの国際問題に話題を移そうとした。

 ところが、毛主席は中国人女性の話題を再び持ち出し、「大量の中国人女性が米国に行ってくれれば、米国の利益は損ねるが、わが国の重荷は軽くなる」と語ったという。さらに、「わが国の女性が多すぎるから、人口も多すぎるのだ」として人口増加への懸念も示したという。

 キッシンジャー補佐官が「あまりに意外な提案なので、検討する必要がある」と答えたところでやっと話題が国際問題に移った。

 会談に同席した中国の外務副大臣が、会談の議事録が公開された場合、「国民の怒りをかう」として懸念を示し、毛主席とキッシンジャー補佐官も議事録の廃棄に同意したという。

 会談後、キッシンジャー補佐官が記者会見でこの話題を持ち出すと冗談を言うと、毛主席は「別に構わんよ」と答えたという。
 
 1973年2月17日に毛主席の自宅で行われたこの会談は、周恩来(
Zhou Enlai)首相(当時)も同席し、深夜までの長時間に及んだ。(c)AFP/P.Parameswaran
http://www.afpbb.com/article/politics/2350553/2640994