「日本になろう」としている米国
「日本になろう」としている米国
東京財団前会長 日下 公人氏
2008年2月29日↓
http://www.nikkeibp.co.jp/sj/2/column/p/72/index.html
これからの世界情勢に、仮に副題をつけるとすれば「反転する米国」である。米国では今、さまざまな揺り戻しが起きている。
ところが、日本ではいまだに、米国の後を追いかけるのがよいことだと信じている馬鹿なエリートや支配階級がいる。彼らは、米国がグローバル化、合理化を進めてきたのを見て、日本も同じことをすべきだと言っている。
日本がそんなことをしていると、揺り戻しで戻ってくる米国とすれ違うことになる。日本は「米国になろう」として、米国は「日本になろう」としている。
日本のエリートもみんなが馬鹿なわけではないから、米国の真似をせよと言われても、必ずしもすべてそうはならない。むしろ、日本の方が真似をされる時代が始まっている。そうなってくると、米国の考え方の影響をもともと受けなかった日本国民は、だんだんと自信をつけてくる。
日本人が自信を回復することは、「保守回帰」とか「ナショナリズム」とか「日本化」といわれる。学者や言論人、マスコミのほとんどは、そうした傾向を批判するが、彼らはやがて国民に捨てられるだろう。
米国化が原因で米国に捨てられる日本
保守回帰やナショナリズム、日本化を認めようとしない人たちは、国民だけでなく米国にも捨てられる。今、米国の方が日本の従来の考え方に戻ってきているのだから、いくら日本が米国の考え方に基づいて行動しても、褒めてくれないのだ。
今まで米国の考え方に従ってグローバル化し、合理化してきたのに、今度はそれが原因で米国からも捨てられるとは、哀れな国としか言いようがない。
今の日本の支配階級がやろうとしていることの多くは、10年前の米国がやっていたことである。10年前の米国を、今になって一生懸命に真似をして、それで日本が進歩したと思っている人がいるが、果たしてそれが進歩と言えるのだろうか。
そうではなく、今は米国が反転中なのだから、反転してきた新しい米国を見なければいけない。
日本は、ここ10年ほど推し進めてきたことを、これからは元に戻すことになるだろう。つまり、戦後体制回帰の日本になる。福田首相のような年寄りが総理大臣になって、安倍前首相のような若い人は辞めてもらうという現状は、戦後回帰の兆候なのかもしれない。
無策な政府を動かすのは国民
福田首相はあまりにも無策で、何もやらない。民主党の小沢一郎さんも、与党の足を引っ張るだけで、自分からは何も言わない。今の日本では、自分から何かを言うような人はすぐに駆逐されてしまう。それは与党でも野党でも同じである。
それでいいのかとみんなが思うだろう。ところが、もしかすると日本はそれでもうまく回っていく国なのかもしれない、という感想をわたしは持っている。世界が反転中だからである。
とはいえ政府が無策だと、やはり当然、問題が出てくる。政府が何もしないのなら、国民が何かしなければいけない。
国民はやはり自ら何かすべきだ。それから、福田首相にも教えてあげなければいけない。「これをやってほしい」と国民が言えば、福田首相はそれが支持率につながるから、やるだろう。
それを逆手にとって、国民は「自分たちの希望はこれだ」と言えばいい。どちらにしても無策の政府なのだから、それならば国民が希望を表明すればそちらに向かって動くはずだ。
米国の軍事力は民間にあふれ出している
米国はかつての日本の考え方に戻りつつある。ある自衛隊の偉い人にそう言ったら、彼は「それは思い当たる」と答えてくれた。
その人いわく、「自衛隊が今やっていることは10年前の米国だ。日本は10年前の米国を一生懸命真似しようとしているが、もう米国が先に引き返し始めた」という。
米国は、ただ軍事力が強いことを自慢していても始まらないと気付いた。そうではなく、軍事技術の開発に投資したお金については、何とかして元を取らなければいけないが、それには、軍人が民間に移るのがよい。だから、クリントン前大統領もブッシュ現大統領も、優秀な軍人はどんどん首を切ってきた。
クビを切られた軍人たちは、一見すると「かわいそう」と思えるかもしれないが、実際はそうではない。彼らは、民間に移ると金もうけを始めた。彼らが軍で研究開発した暗号技術やハイテク技術は、今、世の中で大活躍している。
米国が強いのは軍事力だけだと思っていてはいけない。軍を強化するなかで培った力が、今になってあふれ出してきている。そして、米国は日本の防衛省から同じようにあふれ出してこないよう、締め付けている。
守屋事務次官があれだけ締め付けられるのを見たら、もう防衛省の中の人は何もしなくなるだろう。やがて防衛省の優秀な人たちは、米国に流出してしまうに違いない。
「中流階級を大事にせよ」とヒラリーは主張している
米国では大統領選挙の候補選びが山場を迎えている。民主党の大統領候補であるヒラリー・クリントンが、全米を巡業しているところをテレビで見ると、彼女は米国の中間階級が貧乏になってやる気がなくなって、中流から下層へ脱落しかけているのを直さなければいけないと主張している。
中流階級を大事にする。それはかつての日本がやっていたことである。
今までの米国は、金持ちは金持ちになれ、貧乏な人は自己責任であきらめろいうシステムを推し進めてきた。それが今、大統領候補に立候補したヒラリーは、中流が大事だと言っている。
もちろん、政治献金をもらっているから、「金持ちを倒せ」とは言わない。しかし、中流を大事にせよという主張は、明らかにかつての日本の真似である。
米国は、かつての日本の考え方に戻ろうとしている。ところが日本は、かつての米国の真似をして規制緩和し、合理化して、貧富の差が拡大しつつある。そんな日本は、反転を始めた米国と実はすれ違っていることを認識しなければいけない。