頂門の一針 第1107号 | 日本のお姉さん

頂門の一針 第1107号

「三猿」中国特派員
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渡部亮次郎

中国にいる日本の特派員は「真実」を取材する

自由がない。知ったことを自由に送信する自由も

無い。常に言動を中国官憲に監視され、牽制さ
れ、26時中、本国送還に怯えている。「見ざる 

言わざる 聞かざる」。

特派員だけれども記者ではない?

実は日中記者交換協定に縛られていて、実際、

国外退去処分を体験しているからである。

殆どの評論家はこのことを知らず「日本のマスコミ

は中国にだらしない」と非難する。

中国からの国外退去処分の具体的な事件としては、

産経新聞の北京支局長・柴田穂氏が、中国の

壁新聞(街頭に張ってある新聞)を翻訳し日本へ

紹介し1967年追放処分を受けた 。

この時期他の新聞社も、朝日新聞を除いて追放

処分を受けている。

80年代に共同通信社の北京特派員であった

辺見秀逸記者が、中国共産党の機密文書を

スクープし、その後処分を受けた。

90年代には読売新聞社の北京特派員記者が、

「1996年以降、中国の国家秘密を違法に報道した

などとして、当局から国外退去処分を通告された
例がある。読売新聞社は、記者の行動は通常の

取材活動の範囲内だったと確信している、

としている。

艱難辛苦。中国語を覚えてなぜマスコミに就職し

たか、と言えば、中国に出かけて報道に携わりた

いからである。しかし、行ってみたら報道の自由が

全く無い。

さりとて協定をかいくぐって「特種」を1度取った

ところで、国外退去となれば2度と再び中国へは

行けなくなる。国内で翻訳係りで一生を終わる
事になりかねない。では冒険を止めるしかない。

いくら批判、非難されてもメシの食い上げは避け

ようとなるのは自然である。

日中記者交換協定は、日中国交再開に先立つ

1964(昭和39)年4月19日、日本と中国の間で取り

交わされた。国交正常化に向けて取材競争を

焦った日本側マスコミ各社が、松村謙三氏ら

自民党親日派をせっついて結んでしまった。

正式名は「日中双方の新聞記者交換に関するメモ」。

(1)日本政府は中国を敵視してはならない
(2)米国に追随して「2つの中国」をつくる陰謀を

弄しない
(3)中日両国関係が正常化の方向に発展するの

を妨げない
すなわち、中国政府(中国共産党)に不利な言動

を行なわない

日中関係の妨げになる言動を行なわない・台湾

(中華民国)独立を肯定しないことが取り決められ

ている。違反すると、記者が中国国内から追放

される。これらの協定により、中国に対する正しい

報道がなされていないと批判がある。

新聞・TV各社がお互いに他社に先んじて中国

(北京、上海など)に自社記者、カメラマンを常駐

させてハナを開かせたいとの競争を展開した

結果、中国側に足元を見られ、屈辱的な協定に

ゴーサインを出してしまったのである。

しかも政府は関与していない。国交が無いから。

1964(昭和39)年4月19日、当時LT貿易を扱って

いた高碕達之助事務所と廖承志(早大出身)事務

所は、その会談において、日中双方の新聞記者交
換と、貿易連絡所の相互設置に関する事項を

取り決めた。

会談の代表者は、松村謙三・衆議院議員と廖承志・中日友好協会会長。
この会談には、日本側から竹山祐太郎、岡崎嘉平太、古井喜実、大久保任晴が参加し、中国側から孫平化、王暁雲が参加した。

1968(昭和43)年3月6日、「日中覚書貿易会談コミュニケ」(日本日中覚書貿易事務所代表・中国中日備忘録貿易弁事処代表の会談コミュニケ)が発表され、LT貿易に替わり覚書貿易が制度化された。

滞中記者の活動については、例の3点の遵守が取り決められただけだった。

当時日本新聞協会と中国新聞工作者協会との間で交渉が進められているにも拘わらず、対中関係を改善しようとする自民党一部親中によって頭越しに決められたという側面があるように見える。しかし実際は承認していた。

日本側は記者を北京に派遣するにあたって、中国の意に反する報道を行わないことを約束したものであり、当時北京に常駐記者をおいていた朝日新聞、読売新聞、毎日新聞、NHKなどと今後北京に常駐を希望する報道各社にもこの文書を承認することが要求された。

以上の条文を厳守しない場合は中国に支社を置き記者を常駐させることを禁じられた。

田中角栄首相による1972年9月29日、「日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明」(日中共同声明)が発表され、日中両国間の国交は正常化した。

1974年1月5日には両国政府間で日中貿易協定が結ばれ、同日には「日中常駐記者交換に関する覚書」(日中常駐記者交換覚書)も交わされた。
しかし日中記者交換協定は全く改善されていない。

対中政策は、以前と異なって中国の大学で中国語を学んだ「チャイナスクール」によって独占されているから、協定を変えようと提案する動きなど出るわけが無い。

かくて現在に至るまで、中国へ不利な記事の報道や対中ODAに関する報道は自粛されている。2008・02・28

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』



共同北京特派員が拘束
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古澤 襄

共同中国総局の記者が河北省政府当局者に拘束されて3時間の取り調べを受けた。釈放されたから大騒ぎする必要はないが、中国での取材の特殊性を知るうえで、検証しておく必要がある。

拘束の理由は共同記者の車から現地で購入した「メタミドホス」の瓶が発見されたことによる。中国側は「中国では07年1月からメタミドホスの農薬としての使用が禁止され、08年1月からは既に輸出契約を結んでいる工場を除き生産や販売、使用、所持、運搬が重大な違法行為だ」と指摘した。

共同側も「取材上の行為が中国の法律に反したことは遺憾だ」とのコメントを発表している。(伊藤編集局長)

しかし外国特派員が違法である「メタミドホス」を簡単に購入できることに問題があるのではないか。中国産の「メタミドホス」と輸入された毒ギョウザの「メタミドホス」を分析比較すれば、中国で「メタミドホス」が混入した有力な証拠となる。

法律違反をいう前に!)「メタミドホス」が野放しになっている現状の改善!)中国産の「メタミドホス」の分析結果を中国側が積極的に公表する・・・ことが必要ではないか。法的に片手落ちの状態で、外国人記者が拘束されるのは不合理と言わねばならぬ。

しかし、これが取材活動の自由 のない中国の実態である。日本など民主主義国では考えられない共産主義国の実情が明らかにされた面で、むしろ共同特派員の行動は、いちがいに非難されるいわれがない。国外追放の措置を受ければ、世界は取材活動の自由がない中国の実態をあらためて認識することになろう。

ここで恐れ入って取材活動の自粛するようでは、何のために北京に駐在記者を派遣しているのか分からなくなる。伊藤修一編集局長の「遺憾」というコメントは、日本語特有の便利な表現である。それ以上の謝罪をする必要がない。役員OBとしては、そう考える。喧嘩をする必要はないが、毅然たる態度が必要ではないか。

<中国製冷凍ギョーザの中毒事件で、中国国家品質監督検査検疫総局の魏伝忠副総局長は28日、北京での記者会見で「日本の記者がメタミドホスを購入、所持し、持ち出そうとした事案を摘発した」と語った。これを受けて共同通信社は同日、中国総局の記者が15日に河北省政府当局者に約3時間拘束されたことを明らかにした。

共同通信によると、ギョーザの製造元「天洋食品」がある河北省から記者が中国総局のある北京に戻る途中、検問で車の後部座席にメタミドホスの瓶があるのを発見され、当局者の事情聴取を受けたという。聴取内容は「取材内容にかかわることで、明らかにできない」としている。

共同通信の伊藤修一編集局長は「河北省の工場周辺でメタミドホスが入手可能か検証するために購入したと聞いている。取材上の行為が中国の法律に反したことは遺憾だ」とのコメントを発表した。

魏副総局長は会見で「中国では07年1月からメタミドホスの農薬としての使用が禁止され、08年1月からは既に輸出契約を結んでいる工場を除き生産や販売、使用、所持、運搬が重大な違法行為だ」と指摘した。(毎日新聞)>
2008.02.29 Friday - 06:49 comments(0) trackbacks(0) by 古沢襄
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