古い記事ですが、気になったので、紹介します。 | 日本のお姉さん

古い記事ですが、気になったので、紹介します。

日本のお姉さんの意見は、最後に書いてるので

読んでね。以下の意見には大反対ですから。↓


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英国エコノミスト日本語オンラインサービス

プロモーションリンク版/EIS
The Economist 2007年9月1日号 (Leaders)
西側諸国でのモスク  Mosques in the West
イスラム、米国流の扱い  Islam,the American way

(2007年8月30日)

なぜ米国の方が、「ユーラビア*」に比べてイスラム教徒への対応が公正なのか

ピッツバーグ市では、信心深いが平和的なトルコ人の集団が、公聴会での怒りに満ちた人々の意見を聞いた後、イスラム・センターの建設計画を考え直そうとしている。英国北部の町クリゼロウでは、かつて教会であった建物をモスクに衣替えする計画が、7回も否決された後に、町議会の承認を得ることになった。オーストリアでは、極右のイエルク・ハイダー氏が、彼が知事をしているケルンテン州ではいかなるモスクやミナレット[訳注:イスラム寺院の尖塔]であれ建設は禁止されるとの提案をしてニュースに大きく取り上げられた。テネシー州メンフィス市では、彼らの埋葬の習慣に反するとして地元の人々の反対があったにもかかわらず、どうにか大きな墓地を作りあげることに成功した。

一見したところ、西側諸国の中で起きているこうした異教徒との間のちょっとした政治的事件には何か共通したものがあるように見える。それらは、ますます豊かになり自信を持ち始めた少数派のイスラム教徒がもっと多くのモスクや他の共同施設を建てたいと希求するにつれて、多くの国で表面化している強い感情や機会主義的な政治ゲームを実例で示している。これらの話はいずれも、「文明の衝突」というかきたてられた恐怖が、いかに退屈な地方政治での中で燃え上がる可能性があるのかを指し示している。

しかし、こうした議論の取り扱われ方については、大西洋の両側で大きな相違がある。米国ではすぐに人々の恐怖につけ込む多くのイスラム・バッシャーがいることはいるが、モスクなどを建てようとする人々に対しては、よりすぐれた保護策を提供している。特に米国憲法や法的制度、政治的な文化などすべてが、概して信教の自由の原則にのっとっている。米国の自由の伝統は、憲法修正第1条[訳注:議会が宗教、言論、集会、請願などの自由に干渉することを禁じた条項。権利章典の一部として成立した]に根ざしており、その中で「合衆国議会は、国教の樹立、または宗教上の行為を自由に行うことを禁止する法律、言論または出版の自由を制限する法律、ならびに市民が平穏に集会する権利、および苦情の処理を求めて政府に対し請願する権利を侵害する法律を制定してはならない」と規定している。悩みを抱えた少数民族にとってのもう1つの拠り所が、米国の公民権法の中の"section 1983"であり、これは、法的あるいは憲法上の権利を侵害された個人が、関係当局者を訴える権利を認めている。

法律の条文よりもっと重要なのは、精神風土である――それは、地域社会への「新参者」で誰にも危害を加えずに自分たちの信仰上の礼拝を行う宗教団体に味方する傾向がある。米国では、信仰に供する建物(あるいは文化センターや墓地)についての論争は、仮にその問題が最高裁まで上がったとした場合、おそらく自由の原則が優先されるだろうという人々の想定に影響されている。

欧州人権条約と、その法規を強制する裁判所[訳注:ヨーロッパ人権裁判所]も信教の自由を保護している。しかしこの条約は、米国で最高裁や憲法が位置づけられているような形では、欧州での政治の中心に位置づけられていない。同裁判所は、トルコが取った大学でのヘッドスカーフ禁止措置を支持したときに、信教の自由の擁護者たちを失望させてしまった。

ガレージの中の危険性

法的な原則はさておき、米国流を支持する現実的な理由がある。西側世界にあるモスクのほとんどは、非イスラム市民に脅威を与えていない。だが少数のモスクは、そこで説き勧められる憎悪の故に、そうした危険を投げかける。そんな場合には普通は警官隊が、踏み込んで必要なら逮捕するための法的武装をしている。過激主義を抑え込むことは、モスクの新設と運営がオープンで透明な所ではきっと容易だろう。フランス大統領のニコラ・サルコジがかつて言ったように――「危険なのはミナレットではない。秘密の場所や崇拝を覆い隠すのは、地下室やガレージである」

誰かスイス国民に伝えてくれませんか? この国の2大政党の政治家たちは、ミナレット建設禁止の条項を憲法に挿入しようとしている。この種のやり方は、欧州でのモスク建設反対の大部分の背後にある偏狭さを実証している。西側世界のキリスト教徒は長い間、イスラム世界に住む同胞の教会建設の難しさについて不満を述べてきた。確かにそのとおりだ。だが彼らは、自らが説き勧めることを実践しなければならない。


*[訳注:Eurabia: イスラム移民の増加により、欧州は最後にはイスラム世界と合体するというシナリオを意味する。]

http://www.eis-world.com/iza/070901.html

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【The Economist 2007年9月1日号掲載記事について】イスラム系住民の移民増加に伴い、いま欧米各地で、イスラム教の礼拝場所(モスク寺院)や墓地を建設しようという動きが起きている。これに対する地元住民の反対運動も同様に起きている。最近のイスラム過激派への反発ともいえるこうした運動は、愛を説くキリスト教社会での論争を巻き起こしている。

 もっとも、対応は大西洋をはさんでの両岸では違っている。今週のエコノミスト誌では、こうした点に光を当て、「信教の自由」を求めて新大陸に移住した歴史を持つ米国と、カトリックなどの影響の強いヨーロッパでの対応の違いを浮き彫りにしている。

 米国流が寛容なのは、こうした思想が憲法の中心的な核になっており、政治のいわば根底を支えているからと言える。一方でヨーロッパでは人権裁判所はあるものの、各国政府の動きを規制するところまでの機能は発揮していない。いまこそキリスト教の根源に立ち帰る必要があるのではないだろうか。(EIS編集長 中村晃生)
【The Economist 2007年9月1日号掲載記事について】イスラム系住民の移民増加に伴い、いま欧米各地で、イスラム教の礼拝場所(モスク寺院)や墓地を建設しようという動きが起きている。これに対する地元住民の反対運動も同様に起きている。最近のイスラム過激派への反発ともいえるこうした運動は、愛を説くキリスト教社会での論争を巻き起こしている。

 もっとも、対応は大西洋をはさんでの両岸では違っている。今週のエコノミスト誌では、こうした点に光を当て、「信教の自由」を求めて新大陸に移住した歴史を持つ米国と、カトリックなどの影響の強いヨーロッパでの対応の違いを浮き彫りにしている。

 米国流が寛容なのは、こうした思想が憲法の中心的な核になっており、政治のいわば根底を支えているからと言える。一方でヨーロッパでは人権裁判所はあるものの、各国政府の動きを規制するところまでの機能は発揮していない。いまこそキリスト教の根源に立ち帰る必要があるのではないだろうか。(EIS編集長 中村晃生)
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/world/mideast/82345/
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日本のお姉さんの意見。↓

アメリカは、信仰の自由があるけど、テロはしっかり

取り締まる国だ。FBIやCIAが、ちゃんと盗聴などして

見張っている。それでも、9・11のテロが起きてしまった。

ヨーロッパが、イスラム寺院を建てるのを嫌がるのは当然だ。

アメリカほど、自由が無いからだ。アメリカは、自由を求めて

イギリスから出た人たちや、他の国から来た移民が

集まった国。

アフリカのイスラムの国など、クリスチャンが教会を建てたく

ても許してくれないんだから、不公平だ。

教会の建築はイスラム寺院の横と決まっている。うるさいし、

危ないし礼拝を安心して行えない。

または、教会を建てると、必ず後からその横にイスラム教の

寺院を建てるのだ。嫌がらせかと思うぐらいだ。

だから、ヨーロッパは、好きなようにしたらいいと思う。

自分の国なんだから、アメリカの真似をする必要も無い。

日本だって、イスラム寺院を建てるのをむやみに許すと

一日中、大音量でイスラムのお経を流されるし、文句を言うと

恐いし、後悔することになる。神戸では、あんまりイスラム教の

寺院がうるさいから訴訟騒ぎになったんだよ。

キリスト教が愛の宗教だから、イスラムに優しくしろと言いた

げな記事だが、イエス・キリストだって、ユダヤの神殿の前

で両替をしたり、安い犠牲用の羊を売る商売人の台を

蹴散らして、わたしの父の家を商売の家にしてはいけま

せん。」と言われていた。本気で怒られたのだ。

それに、創造主である神さまに罪を赦してもらわずに死ぬと

全員、永遠の火の燃え盛る地獄に行くのが決まっていると

聖書にははっきり書いてある。愛の宗教と言っても、

罪に関しては厳しいのだ。罪の裁きはある。

でも、神さまの愛の救済の道があると、はっきり

聖書には書かれている。

愛だけ強調しているのではないのだ。神さまは、罪を憎まれる

聖なる方なのだ。罪は裁かねばならないが、その代わりに、

罪の罰を受けるために、罪の無い神さまのひとり子が

わざわざ人間として聖書の預言どおり処女マリヤの体を使って

救い主となって生まれたのだ。その罪の無い神さまの

ひとり子が聖書の預言どおり、十字架にかかって、

人類の罪の身代わりに罪の罰を受けて死んで墓に入れら

れて、三日目によみがえられたので、

そのことを信じる者は、罪を赦されるのだ。

自分のために、神さまがひとり子を十字架につけたのだと、

神さまの愛を信じる者は救われる。罪の裁きの地獄から

救われる。

創造主の神さまの存在だけを信じているイスラム教では罪は

赦されることはない。神さまが人間の罪を赦すために

ひとり子を犠牲にしたという神さまの愛を信じないものは、

地獄からは救われない。

いくら自分の罪を誰かに告白しても、頭を地面に擦り付けて

謝ってもダメなのだ。そういう人間の努力では罪は赦されない。

そういうことが聖書には、はっきり書いてある。マリヤを拝んだり

聖徒たちを拝んだり、いいかげんなことを言うカトリックや、異端の

キリスト教会に行っていても、本人が神さまと直接罪を赦して

もらいたいと交渉していないなら、救われてはいない。

教会に参加しているだけだ。

愛の宗教だから、イスラム寺院や墓を建てさせろというのは、

聖書を知らない人の言うことだ。

アメリカ人は甘いからテロでやられたのだ。

イスラム過激派に自由に国に出入りさせるからでしょう。

危ない連中を国内に入れて、飛行機の操縦の勉強を自由に

させていたんだから、彼らは自由にテロを起せたのだ。

日本は、アメリカよりも、ダメな国でスパイ天国で取り締まる

ことすらできない状態なんだから、日本でイスラム教の

過激派を自由にさせてはいけない。種をまけば、いつか

刈り取ることになる。

日本人は日本を危険な集団から守らねばならない。

キリスト教は愛の宗教だからイスラム教に寛容になれという

上記の記事は、本当にバカげている。

イスラム教は、他宗教に寛容になることは、決してありま

せんから。

最初から日本にイスラム教が入ってくるのを阻止しないと、

イスラム教徒が増えると、どんどん、各地に寺院を建てられ

ますから。サウジアラビアがどんどん金を出して、豪華な建

物を日本に建てますから。(イスラム研究会という名前で)

過激ではない、穏健なイスラム教徒だからいいと思って

日本にどんどん入ってくるのを許していると、過激派も

知らない間に増えます。原理主義の方がコーラン的で

正しいし、穏健なイスラム教徒でも、過激派の行為を理解

していて、援助もするのです。インドネシアでは、国民の

80%が、過激派に同情的で理解できると言ってる。だから

インドネシア政府も過激派を厳しく取り締まることが

難しくて、困っているのです。