ジャッキー・チェンの父親は、国民党のスパイだった。
ジャッキー・チャンはカンフーの寄宿舎で育った孤児だと
勝手に思っていたので、オヤジがいたことにびっくり。
オヤジは最近、死んでしまい、ジャッキーは悲しんでいるらしい。
ジャッキー・チャンはブサイクだけど、年を取ったら味のある顔に
なってきた。一番、好きな映画はサウンド オブ ミュージックだ
と言っているのを聞いてから、ちょっといい人かもしれないと
思っている。ジャッキーのオヤジは、昔は
日本の「敵」だったんだなあ。
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2008年2月27日、ジャッキー・チェンの父親、フォン・ダオロン(房道龍)さんが前立腺がんのため亡くなった。フォンさんの波乱万丈の人生が再び注目を集めている。
フォン・ダオロンさんは1915年、中国山東省生まれ。唐代の著名な政治家・房玄齢(ぼうげんれい)が祖先と言われている。結婚後は2人の男児に恵まれ、第二次世界大戦中には国民党のスパイとして、上海や南京で活動した。妻にがんで先立たれたあと、アヘン密売人で、賭場のディーラー「三姐」として顔を売っていた女性、陳月栄さんと知り合う。共産党と国民党の内戦が激化すると、スパイの前身を隠すため、息子2人と陳さんの娘2人を残して、1947年に香港へ移住。これは逃亡中に共倒れになるのを避けるためで、のちに4人とは再会を果たしている。
香港では、夫婦になった陳さんと共にフランス領事館で働き、1954年にジャッキーが誕生。この時、「陳志平」と変名していたため、ジャッキーも「陳港生」と名付けられた。その後、オーストラリアのアメリカ領事館からコックの話が舞い込んだため、子供のジャッキーを寄宿制の京劇学校に預けることになり、ジャッキーはここでカンフーや演技を学ぶ。
フォン・ダオロンさんは1982年に、安徽省で暮らすジャッキーの兄2人と再会。その後も、孫の結婚式などには遠路はるばる出席していたという。ジャッキーは父親の本名を長い間知らず、このため芸名も「陳元龍」、その後「成龍」と名乗っている。「房」姓は、息子のジェイシー・チャン(房祖明)が受け継いでいる。(翻訳・編集/Mathilda)