皇室典範第2条「皇位継承順序」を改正する必要はないか。
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▼皇室典範第2条「皇位継承順序」を改正する必要はないか。皇太子徳仁親王は「天皇としての適性」があるのか?(じじ放談)
1947年(昭和22年)1月16日法律第3号により制定された皇室典範第1条は「皇位は皇族に属する男系の男子がこれを継承する」と規定する。第2条で皇位継承の順序を以下のとおり定める。
第1順位・・・皇長子、 第二順位・・・皇長孫、 第3順位・・・その他の皇長子の子孫、 第4順位・・・皇次子及びその子孫、(以下略)
皇室の現状を見ると、第1順位が「皇太子徳仁親王・48歳」、第2順位が「秋篠宮文仁親王・43歳」、第3順位が、秋篠宮文仁親王の長子である「悠仁親王・2歳)の順番となる。
天皇制の歴史を見ると、必ずしも、長子が優先相続する制度ではなかった。おそらく、明治藩閥政府が旧皇室典範(明治22年2月11日)を定めた際、「長子相続制」を天皇制に適用したのであろう。我が国の天皇制が一貫して「長子相続」だった訳ではなく「天皇の資質が最も高いと認められた親王」が皇位を継承されたことになっている。
「天皇の資質が高い」といっても、客観的基準がある訳ではないから人によって評価が異なる。皇位継承を巡って「争い」が生じたのは自然だ。明治藩閥政府は「直系並びに出生順の男子」という客観的基準をつくることで、「紛争の種を封じこめた」ということができる。
筆者が、日本の歴史上偉大であると考える天皇は、国家の礎を築いた推古天皇(女性)、天武天皇、持統天皇(女性)、京都に遷都された桓武天皇そして、近代日本を築いた明治天皇である。特に、大海人皇子といわれた天武天皇は「次男」であった。実兄天智天皇の長子(皇太子)と皇位継承を争い、内戦に勝利した。後世「壬申の乱」といわれた。この時、大海人皇子が挙兵して「皇位を継承しなかった」ならば、我が国の歴史も大きく異なっていたのではあるまいか。天武天皇、同皇后(後の持統天皇)の英断がなかったならば、「律令制国家日本」の誕生も遅れたかもしれない。
歴代天皇の中には、相当問題の多い天皇もいる。古事記でも「乱暴狼藉を働いた天皇」についての記述がある。内乱を起こして「流罪処分」を受けた天皇・上皇も少なくない。その他大勢の天皇は「可もなく不可もなく」ということではあったが、皇統を守護してきたとはいえる。
昭和天皇の評価をするのは早すぎる。あえていうならば、有史以来初めて「異民族支配を被った時の天皇」として歴史に刻まれるはずだ。敗戦後の復興過程では「全国を巡幸され、国民を励ましていただいた」けれども、全体としてみると、名天皇であったと評価することはできないのではないか。
2月23日付けウエブサイト「サンケイ・ニュース」は「皇太子さま誕生日:伝えられぬ帝王学。(宮内庁)長官発言の裏に陛下のご苦悩」と題する以下の記事を掲載した。
1.御所訪問の回数をめぐり宮内庁長官から苦言を受けた皇太子さまは、「家庭内のことですので」と発言。訪問機会が増えない理由には沈黙を貫かれた。異例だった長官の発言。天皇としての在り方を、自らの後継者に伝えられないという天皇陛下のご苦悩がその背景にあるという。
2.(皇太子さまの)記者会見の様子が伝わると、天皇・皇后両陛下の側近たちは口をそろえ、「家族の問題と思うこと自体が間違っている。陛下のご心配はそんなレベルではない。」と語った。
3.陛下は皇太子時代、ほぼ毎週御所を訪ね、昭和天皇との折々の会話の中から、象徴天皇としてのあるべき姿の「帝王学」を学ばれたという。「長官や侍従長も教られない、父から子への伝承。こればかりは、(皇太子さまが御所に)来ていただかなくてはどうしようもない」と古参の側近。
4.別の側近も「今、陛下からうかがっておかないと、皇太子ご自身がお困りになることがある。いつまでも時間がおありになるわけではない。」と陛下のご心情をおもんばかった。
皇室の出来事が我々一般大衆に伝わることは少ない。だが、サンケイ・ニュースが報じた情報が正しいとすれば、皇室に重大な問題が発生していると言わざるをえない。
第1.天皇陛下と皇太子徳仁親王の関係が疎遠である。
推察するに、陛下と皇太子の信条に大きなズレがあり、かつ修復困難になっているのではないか。つまり、「日本文化の伝統を継承する」陛下に対し、皇太子は「陛下の考えは古臭い。我が天皇家も近代的なイギリス王室型でありたい」との考えではなかろうか。
あるいはこういうことか。皇太子妃「雅子」がうつ病に罹患したのも、皇室の古いシキタリとの軋轢があったからだ。皇室の古い伝統に人間を押し込めるやり方は同意できない。陛下は側近に取り込まれているから「父子が対面しても」仕方がない。陛下ご自身の意見というより、側近が陛下に依頼して「皇太子教育を行おうと画策している」と考え、皇太子としては「御所を忌避したい」ということか。
仮に、皇太子徳仁親王が「英国型王室」をつくりたいというのであれば、国民の支持を得ることはできないだろう。「離婚や結婚を繰り返し、スキャンダルまみれ」の英王室の姿は、我が国民が「天皇家」に期待している姿ではない。
天皇というのは「天を治める」統治者である。精神世界のリーダーなのだ。汚辱にまみれた「地皇」とは違う。つまり、天皇が「一般庶民」と同じ感覚であっては困るし「天皇の存在意義がない」のだ。
皇太子徳仁親王が、陛下と皇太子の関係を「家庭内の事柄ですので」と観念しているとすれば、自らの立場を理解していない妄言というほかはない。天皇が一般国民と同じ感覚であっては困るのだ。プライバシーとか家庭問題を持ち出す等、言語道断といわねばならぬ。
我々国民は、常識人としての天皇家の家計を支えるため膨大な税金を投入しているのではない。まして、偶然「長男に生まれたから」皇太子になった個人を養育している訳でもない。天皇家を初め皇族に戸籍がないのも、一般国民と違うという位置づけなのだ。天皇家に生まれ、皇太子となった以上、「身の不運」を嘆いても仕方がない。
皇太子徳仁親王はハラを固めるべきである。天皇の継承者として「日本の伝統文化」を守るために「帝王学」の習得に励むか?それとも「日本の王室にはなじめない」として皇太子を捨てるか?の二者択一しかあるまい。
第2.秋篠宮文仁親王(皇位継承順位第2位)
目下、秋篠宮文仁親王及び同妃は皇室業務を積極的に担っておられる。陛下との関係も良好である。長男「悠仁親王・2歳)も誕生された。事実上「皇太子」の役割をこなしていただいているといってよい。
若い頃は、いろいろ問題発言・行動があったが、年齢を重ねるごとに円熟さを増している。さぞ、陛下も期待しておられるのではあるまいか。
秋篠宮文仁親王の御活躍ぶりを拝見していると筆者は、国の礎を築いた大海人皇子(皇太子ではなかった)を想起する。後の天武天皇である。
「長子相続」というシステムは、常に「不適格者」を任務につける危険が伴う。個人の家であれば「破産」、会社であれば「倒産」させることでよいが、「皇室を破産させる」訳にはいかないから頭が痛いのだ。
皇室典範第3条は「皇位継承順位の変更条件」を以下のとおり規定する。
「皇嗣に、精神若しくは身体の不治の重患があり、又は重大な事故があるときは皇室会議の議により、前条に定める順序に従って皇位継承の順序を変えることができる」
皇太子徳仁親王の現状は「精神若しくは身体の不治の重患がある」とはいえないから、本条文を適用することはできない。つまり、皇室典範第35条「皇室会議」の3分の2以上で可決するケースには該当しないから、皇太子を「適任者に差し替える」ことは不可能なのだ。
皇太子徳仁親王は48歳。まもなく「人生50年」に達する。可塑性はだんだん乏しくなっている。20歳前後であれば「指導し善導」すれば、変化する余地があったかもしれぬが、50歳前後になれば「よほどの偶然と幸運に恵まれる」ことなしには、自らの信条を変えることは困難であろう。
先般、「男子の継承者が絶える」との危機感があって「皇室典範改正問題」が発生したが、「悠仁親王」が誕生されたことで一服している。
仮に、皇太子徳仁親王が、現在の信条を保持したままで、自動的に「天皇」に即位された場合、いかなる事態が発生するか。即位後、天皇が「日本文化の伝統を廃棄し、イギリス型の皇室に改革したい」との詔を発した時、又は「皇室のあり方について、直接、国民から意見を聞いてみたい」と主張された時、いかなる事態が発生するか。
我が天皇制の危機が迫っているのではないか。
(まとめ)
今上天皇陛下には、少なくとも90歳以上まで健康で働いていただき、その間、皇室典範第2条「皇位の継承順序」の改正を行うべきではないか。皇族の範囲を拡大して皇位継承者の数を増やし、かつ「天皇となるべきふさわしい人格・識見の持ち主」が天皇に即位できる道をつくるべきではなかろうか。もう一つ、「天皇や皇太子」の退位規定も設けておくべきであろう。就任した以上、死ぬまで「解放されない」というのも残酷な話ではある。かっては、上皇(元天皇)は大勢おられた。元皇太子の場合は「親王」に戻るだけであるから、特別な呼称は不要だ。
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■伝えられぬ“帝王学” 長官発言の裏に陛下のご苦悩(イザ)
家族内の事柄ですので-。御所訪問の回数をめぐり宮内庁長官から“苦言”を受けた皇太子さまは、48歳の誕生日を控えた記者会見でも、訪問機会が増えない理由には沈黙を貫かれた。異例だった長官発言。天皇としての在り方を、自らの後継者に伝えられないという天皇陛下のご苦悩が、その背景にあるという。
■国の問題
「家族の問題と思うこと自体間違っている。陛下のご心配はそんなレベルではない」。会見の様子が伝わると天皇、皇后両陛下の側近たちは口をそろえた。「単に孫にお会いになりたいということではなく、国の問題だ」陛下は皇太子時代、ほぼ毎週御所を訪れ、昭和天皇との折々の会話の中から、象徴天皇としてあるべき姿の“帝王学”を学ばれたという。「長官も侍従長も教えられない、父から子への伝承。こればかりは来ていただかなくてはどうしようもない」と古参の側近。
別の側近も「今、陛下からうかがっておかないと皇太子ご自身がお困りになることがある。陛下ももうあのお年。いつまでも時間がおありになるわけではない」と陛下のご心情をおもんばかる。
■あうんの呼吸
昨年の会見で「機会をつくりたい」と述べられた皇太子さまだったが、そのご動向に変化はなかった。「『やる』と言われたことをやらないのが一番お嫌い」(側近)とされる天皇陛下。それを引き取るかのように、羽毛田信吾長官は御所訪問を皇太子さまにご進言した際、「ご自分の言葉を大切になさってほしい」と言上した。さらに東宮(皇太子家)では雅子さまが昨年8月の終戦記念日に子供会を開いたり、今年の新年祝賀の儀を途中欠席した後、両親の小和田夫妻と東宮御所で食事をされたりしたことがあった。陛下は終戦記念日や原爆記念日などを「4つの忘れてはならない日」として特に大切にされている。ある関係者は「この2つの出来事で東宮へのご不信は決定的になった」と指摘する。「頻繁に参内(さんだい)いただければいい」(昨年9月の会見)、「今後増えてくるのでは」(同12月の会見)とサインを送り続けた長官。側近の1人は「『この状況を変えるには、これよりほかに道はない』と考えた長官がイチかバチかの賭けに出て、陛下との“あうんの呼吸”であの発言を決めたのだろう」と話す。
■東宮職の力量
一方の皇太子さま周辺。会見の結果に幹部たちは「内容について周囲がとやかく言うのは殿下のおぼしめしに反する」「内部のことが外に出てうんぬんされることはつつしまなくては」と口をつぐんだままだ。だが、ご夫妻をよく存じ上げる友人の1人は「どこの家にもある家族内のことをあんな場で取り上げられてもご反論できるはずがない」と東宮家の立場に同情を寄せる。二人に近い別の人物も「人格否定発言から続くご両家の不信感が根にあるはず。それは皇太子さまのお立場では永久に口にはできないことなのではないか」とみる。 ご夫妻を支えきれない東宮職の力量不足を指摘する声も多い。「雅子さまのご病気は仕方ないが、みんなが振り回されて手を触れずにいるように見える」と知人の一人。「皇太子家のお立場を宮内庁に説明したり、ご夫妻にとるべき方向性を進言できる“ブレーン”が存在しない」
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ようちゃんの意見。↓
★雅子さまの双子の妹夫妻が 揃って創価学会会員であることは有名。脳がイカレタ皇太子ご家族は 別家して皇位を弟君の秋篠宮殿下にお譲りする法が良いと言う声が 高まってる。
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【産経抄】2月15日
宮内庁の定例会見での羽毛田信吾長官の発言には驚いた。裏にはよほど深い事情があるに違いない。皇太子ご夫妻の長女、愛子さまが、天皇、皇后両陛下をお訪ねになる「参内」の回数が増えていない、と皇太子さまに、“苦言”を呈したというのだ。
▼夫の実家に子供を連れて帰省する回数は、それぞれの家の事情で違う。だから、昨年1年間で2、3回という、皇太子さまご発意による参内の数が、多いか少ないか小欄は判断できない。
▼天皇陛下は一昨年12月の誕生日会見で、愛子さまと会う機会が少ないことが「残念なこと」と発言された。これを受けて、皇太子さまが昨年2月に「お会いする機会をつくっていきたい」と述べられたのに、“約束違反”ということらしい。
▼参内について、天皇陛下が心配されていることは「間違いないだろう」と、長官は陛下のお気持ちをくんでいることをにおわせる。そうであっても、内々に皇太子さまに諫言(かんげん)すればすむことだ。メディアにさらけ出す必要がどこにあるのか。
▼ただでさえ、「適応障害」で療養中の皇太子妃雅子さまに対するバッシング記事が続いている。両陛下と皇太子ご一家が対立しているかのごとく書き立てる記事も後を絶たない。長官発言が、そんな一連の報道を勢いづかせるのは明らかだ。昨年の天皇陛下の誕生日会見では、ご自身の発言が、皇太子ご一家への苦言として週刊誌が報じたことに、「私の意図と違います」と、はっきり述べられる場面もあった。
▼両陛下が、かわいい盛りの愛子さまとの面会を楽しみにされているのは当然として、何より皇太子ご一家の安泰を望んでいらっしゃるはずだ。長官発言は、本当に両陛下のお心にかなっているのだろうか。
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日本のお姉さんの意見。↓
皇太子は、まさこを命をかけて守ると
約束して結婚した。
まさこが精神病になったのは、
皇室のしきたりのせいで、精神的苦痛を受けたから
だから、皇太子は必死でまさこを
守っているのだろう。できるかぎり側に一緒にいてあげたいと
思っているはずで、天皇の家など行っても面白くも
なんともないし、まさこが緊張するし、愛子と3人で貴重な
空き時間をエンジョイしているのだから、
ほっといてくれという気持ちでいると思う。
皇太子は人間として生きたいので、天皇から別に
何も教わる必要など感じていないと思う。
わたしは、別にそれでいいと思う。
天皇は、国民の象徴なのだから、いてくれるだけで
意味がある。ホッとするのだ。
だから、生きていて楽しそうにしていてくれたら、いいと
思います。まさこは、いつも引きつった笑顔を無理やり
作って「しんどそう」だったし、子供を作るというプレッシャーも
掛けられていたし、せっかく女の子を産んだのに
男の子じゃなかったという目で見られて
ショックが大きかったのだと思う。
病気になったまさこには、そっとしてあげて病気がこれ以上
ひどくならないようにしてあげないとダメになる。
自殺でもされたら、大変だ。
愛子は女性天皇になれないなら、フリーだ。
彼ら家族もフリーだ。
皇太子とまさこと愛子はそっとしてあげて、
弟の家族を格上げにしてあげたらいい。
弟夫婦だって、もしかしたら、兄貴に遠慮して男の子が産めないように
コントロールされていたのかもしれない。兄貴がなかなか
結婚しないし、子供もなかなかできなかったので、
ひそかに迷惑をこうむっていたのかもしれない。
まさこが病気になったら、弟夫婦はちゃんと男の子を産んでくれた。
弟夫婦も結構、強気でいるみたいだし、なかなか頼もしそうで
いいではないか。皇太子は、本当はまさこに惚れても
なかなか結婚してもらえなくて結婚を断られてもおかしくなかった
のに「いのちをかけてお守りする。」という決め言葉で
まさこの心を動かしたのだから、最後までお守りしてあげたらいい。
病気になるまで、お守りできなかったのだから、
病気になった限りは、ひどくならないようにお守りしてあげたら
いいと思う。皇太子のお嫁さんなんて、プレッシャーばかりで
大変だよ。本当は、まさこは、イギリスのダイアナ妃のように、
外国に行って日本をアピールしたり、戦争でめちゃくちゃになった
国の地雷の撤去をするよう勧めたり、世の中のためになることを
したかったのだと思うが、今はかごの中の病気の鳥だ。
病気になった人は、元気になることが仕事だから、
皇太子がまさこを気遣って、天皇にあまり会いにいかないのは
仕方が無いことでしょう。天皇は愛子に会いたいと思うけど、
もしかしたら、皇后とまさこは仲が悪いのかもしれないし、
天皇に会いにいかないのは、皇太子の自由だ。
皇太子には自由が無いのなら、皇太子を辞めていただいて、
自由の身にしてあげたらいいと思う。
(実はわたしは、皇太子は好きだ。盆栽が好きでオジン臭いけど
マジメで純真な感じがする。ちゃんと、言いたいことを言っているし、
結構勇気がある。本気でまさこを守ろうとしている。
まさこを愛している様子が出ていて好感が持てる。)