敵兵を救助せよ! ~ 英国兵422名を救助した駆逐艦「雷」工藤艦長 ~ | 日本のお姉さん

敵兵を救助せよ! ~ 英国兵422名を救助した駆逐艦「雷」工藤艦長 ~

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■ 国際派日本人の情報ファイル■

敵兵を救助せよ!
~ 英国兵422名を救助した駆逐艦「雷」工藤艦長 ~
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■ 死ぬ前にお礼を言いたかった ■

 英国から、はるばる感謝を述べるために来日したフォール卿
(当時・フォール中尉)は、その日の出来事を振り返り、次の
ように語った。云く、「救助の旗が揚がった時は、夢かと思い
ました。彼ら(日本兵)は敵である私たちを全力で助けてくれ
たのです」
と。また、「1人、2人を救うことはあっても、全員
を捜そうとはしないでしょう。たとえ戦場でもフェアに戦う。
困っている人がいれば、それが敵であっても、全力で救う。そ
れが日本の誇り高き武士道であると認識したのです」と。

 このフォール卿の著書(1996年)と来日がなければ、この出
来事は知られることがなかったのかも知れない。

■ 敵兵の命を救った艦長命令 ■

 開戦翌年の1942年 (昭和17年2月27日)。ジャワ島北方のス
ラバヤ沖で、日本艦隊と英米蘭の連合部隊が交戦
。連合部隊側
は艦船15隻中11隻を撃沈で失い、残る4隻は逃走。撃沈した
「エクゼター」(英海軍の巡洋艦)の乗組員多数が救命ボート
等による漂流を続けていたが、生存の限界に達した3月2日に、
日本海軍の駆逐艦「雷」が海面に浮遊する多数の英国兵を発見。

敵潜水艦から魚雷攻撃を受ける危険性がある。その戦場でのこ
とであった。その前には、日本の病院船の救命ボートが攻撃を
受け、158名が命を落とす事態も起きていた
。まさに、交戦最
中の危険な海域での出来事であった。

 だが、「敵兵を救助せよ」。「雷」艦長の工藤俊作少佐のこ
の命令により、「雷」は「救難活動中」を示す国際信号機を掲
げ、英国兵の救助に当たったのである。だが、長時間の漂流で
体力を消耗している英国兵を海面から拾い上げる救助作業は難
航。そこで、工藤艦長は「一番砲だけ残し、総員敵溺者救助用
意」との命令を発し、船内総力を挙げての救助に当たるよう指
示したのである。

 ほぼ総員に近い兵員と、はしご、ロープ、竹竿(たけざお)
等々。さらには、魚雷搭載用のクレーンまで、使用可能なすべ
ての装備を投入した救助であった。「漂流者を全員救助せよ」。
「漂流者は1人も見逃すな」。工藤艦長のさらなる命令により、
「雷」は進行しては止り、すべての英国兵を救助したのであっ
た。その数は実に「422名」。まさに「雷」の乗組員に倍する
人数であった。さらに、「雷」の兵員はそれを厭(いと)わず、
重油で汚れた英国兵士の身体をアルコールと木綿で丁重拭き取
り、貴重な水と食料を提供したのであった。

 その翌日、ボルネオ停泊の病院船へ捕虜として引き渡すこと
になるが、救助した英国兵の中から将校たちを甲板に招き、工
藤艦長は次の言葉を発している。「You had fought breavely.
(諸官は勇敢に戦われた)」。「Now, you are the guest of
the Imperial Japanese Navy(諸官は日本帝国海軍の(名誉あ
る)ゲストである」。艦長のこの言葉に、英国将校たちは敬礼
を以って感謝の意を表したのであった。

■美徳ゆえに「語らず■

 英国に戻ったフォール氏は、後にフォール卿となり、有能な
外交官として活躍。晩節に差しかかった1996年に、自らの人生
を一冊の著書にまとめた「マイ・ラッキー・ライフ」。その1
ページ目には、謝辞を1人1人の関係者に述べ、そして、この本
を、「私を救ってくれた日本帝国海軍の工藤俊作少佐に捧げる」
と記している。

 来日した理由についてフォール卿は、「自分が死ぬ前に、誇
り高き日本人である工藤艦長に、是非、お礼を言いたくて日本
を訪れたのです」
と。また、「この出来事は、日本人に対して
私が持つ印象にずっと影響を与えました。深い尊敬と感謝の念
を抱いています」と。だが、工藤俊作氏の消息はつかめなかっ
たという。後に、同氏は1979年1月4日に生涯を閉じていたこと
が判った。

 工藤氏はこの日の出来事を家族にも語らなかった。その理由
について、別の艦船の艦長になった後に「雷」が敵の攻撃で撃
沈して全員が死亡。多くの部下と戦友を失った悲しみから終戦
後は戦友と連絡を一切とらず、
余生を過ごしたため、との指摘
がある。ゆえに、一言も触れることは無かったとするものだ。
だが、当時の「雷」の航海長を務めていた谷川清澄氏は、「
(工藤氏ならきっと)俺は当たり前のことしかやってないんだ。
別に、褒(ほめ)められることでもない、と言ったと思います。
そういう人でした」と証言している。

 語らなかった真の理由は、やはり美徳ゆえに語らず、との工
藤氏の信念にあったと謂えるだろう。

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◎クライン孝子の日記
■2008/02/21 (木) 報道人よ!陸(おか)の上の常識で批判しないで

<<いつも楽しみに拝見しております。

「あたご」の今回の事故についてですが、
愚生も小帆船で近海をクルージングして楽しんで
おりますので、漁船の横暴には一言発言させていた
だこうと思います。

常時、夜間セーリングをする際にGPS/レーダーを持って
安全航海を努めています。
しかし漁船は網を入れたままでは退避行動ができないのを
知っており、友人達の船/ボートも法律では本来はエンジンなどを
有する船が帆で走る船を避けねばならないのです.

仕方なく漁船より小さいプレジャーボート/セイリングボ-ト
が避けている状態ですが、帆で遊ぶ人々は気に止めず避けて
いきます。

自らは小さな船に避行させておきながら、
自らより大きな自衛艦に避行を要求するのでしょうか? 

近くを通る時も、スピードも落とさず大きな引き波を出して
迷惑を皆に掛けています。

ここで漁民の甘えがあります。
生業として漁業をしているから優先されると考えて
いる人達には、生業の為に海を海賊から守ってくれる海軍
に対する感謝の意識が欠落しているのではないでしょうか?

確かに前回の大戦で完膚亡く叩きのめされた日本の海軍ですが、
もしも無ければシナ(今は中国と呼べと強制されています)
の海軍に蹂躙されて漁業就労者は漁業など
出来なかったはずです。

世界の海で漁民は海軍の艦船には敬意を払っているのを教えた
いものです。

報道に関わる人達も海の事には無知なのでしょう。
陸(おか)の上の常識で話をしないでいただきたい。

以上、愚見まで。

逸見直一 拝 >>

■2008/02/21 (木) 軍艦の前をちょろちょろした方が悪いのでは!

<<拝啓 こんにちは。木曽の西尾と申します。
 
私の周囲では報道とはかなり違う印象が話されています。

幸いなことに日本では救急車や消防車がサイレンを鳴らして
近づいてくれば多くの車が道をよけます。
公務にあたる緊急車両を優先するのは普通でなければならない
のです。
 
今回のイージス艦事故に「大名行列の前を横切ったら切り捨て御免」
とした江戸時代の風習を持ち出すのは笑われそうですし、
亡くなった方には酷な言い方ですが、
軍艦の前をちょろちょろした方が悪いのです。

軍艦は緊急事態となれば近所の小舟を蹴散らしてでも
任務に入るかもしれませんし、それによって護れてて居るのは
そこで漁をしている人々でもあるのです。
 
陸海空を問わず、事故は必ずあります。
したがって「あってはならない事故」は存在し得ない。
あるのは、事故を減らすための不断の努力のみなのですが、
ここに「あってはならない」が絡むと役人はとりあえず
隠蔽を考えるというのは、既に学習済みではないですか。

我が家の上空を空色のC-130が時折低空飛行をします。
あの危険なバグダッドから帰った飛行機なんだなと思うと、
素直に頭がたれます。
 
たががゆるんだと言われて仕方がない面もある自衛隊を、
規律正しく引き締めるのは読むのも疲れる膨大なマニュアル
ではなく、国民が普通に感謝を感じることではないかと思います。

余談となりますが、{別冊正論09}
の記事を拝読させていただきました。
 
クラインさんの夫さんの一喝には胸がすきました(笑)
 
この別冊09の最後から2番目にポーランドが話題となっています。
 普通の日本人である私はポーランドに詳しくなく、
実のところあまり興味もなかったのですが、
「戦場のピアニスト」というようなタイトルの映画を見て、
「一番最初に行きたい欧州」だと思うようになりました。
 
一般的なドイツ人とポーランド人の関係なども今後どんどん
紹介してもらえるともれしいです。

敬具
西尾 守