ロシア政治経済ジャーナル No.502 ★中国をあまくみるな! | 日本のお姉さん

ロシア政治経済ジャーナル No.502 ★中国をあまくみるな!

ロシア政治経済ジャーナル No.502
2008/2/22号
★中国をあまくみるな!

全世界のRPE読者の皆さまこんにちは!
いつもありがとうございます。
北野です。
全世界の人々は今、どんなことに関心があるのでしょうか?
まあ、コソボ問題もありますが。
だいたい以下の二つでしょう。

1、アメリカはこれからどうなるの?

2、中国はこれからどうなるの?

アメリカに関しては、
「中国・ロシア同盟がアメリカを滅ぼす日」
(詳細は→ 
http://tinyurl.com/yro8r7  )
「ボロボロになった覇権国家」
(詳細は→  
http://tinyurl.com/dypky  )
を読めばわかるとして。
問題は中国なのであります。

ホントに意見がばらばらなのですね。
ためしに、産経と朝日を買って読み比べてください。
わけわかんなくなりますから。
中国については主に二つの楽観論があります。

1、中国は「共産党の一党独裁」「超格差社会」「環境最悪

社会」等々多くの問題を抱えている。
よって、早晩「自滅」するであろう。
これとは全然正反対の楽観論。

2、中国は今後も発展しつづけるが、この国は「儒教」の国

(^▽^)で「平和な発展」「日本との友好」を志向している。
よって、中国は「全然日本の脅威ではない」(^▽^)

そして、最後の一つが悲観論。
3、中国は「世界の工場」として、その後は「世界最大の

市場」として、今後も発展をしつづける。
しかしこの国は、


軍事費で既に世界2位である。(公式で5兆円、

米英は15兆円と推定している)

・1989年以降19年間も軍事費を年二桁増加させている

(なんのために?)

虫も殺さぬチベットの民を大虐殺した

・ベトナムやフィリピンを侵略した過去がある

図々しくも、「尖閣諸島は中国の領土」と主張している

等々の理由で、日本最大の脅威である。

RPEは、これまで何度も書いているように、

・中国経済は今後も発展しつづけるであろう(バブルは

はじけるが)
・中国は、日本唯一の仮想敵である


というのが基本的な立場です。
なぜ私はそう思うのか。

実をいうと、ロシアのおえらいさんから、中国ロビー(買収工作)

の激しさをきいたからです。
さらに、アメリカの政治家・議員の多くが中国に買収されて

いることはひろく知られています。
(例、クリントン夫妻)
中国は既に、アメリカでイスラエルにつぐロビー勢力となって

いる。一方、日本はアメリカ政界・ロシア政界に対する

影響力はゼロです。

「中国は野蛮でバカでいいかげんだ」
といえばなぐさめられますが、実際中国のトップは、
非常に優秀(ずる賢い)といえるでしょう。
今回は、私が非常に尊敬する伊勢さんが書かれた

「中国外交」のお話を紹介します。
皆さんキッシンジャーさんというと、「外交の神様」だと

思っているでしょ?
そんなキッシンジャーですら、優秀(ずる賢い)な

中国人にかかると赤ん坊(^▽^)のように翻弄されて

しまうという話。
ちなみに、伊勢さんの「国際派日本人養成講座」は、

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見て、中国への幻想を捨て去りましょう。
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Common Sense: 中国人の外交術

 米中国交正常化交渉においてキッシンジャー
を翻弄し続けた中国流の外交術に学ぶ。
■転送歓迎■ H20.02.17 ■ 36,410 Copies

■ 2,768,784 Views■
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■1.中国招待は皇帝の温情!?■

 1971年7月、キッシンジャー大統領補佐官は北京への

  最初の秘密訪問を行った。ニクソン大統領が対中国交

  正常化への意欲を示し、5月に中国側が大統領の公式

  訪問を歓迎すると応えた のを機に、そのお膳立ての

  ための極秘訪問をしたのだった。

 キッシンジャーを迎えた周恩来首相は、こう語った。

 中国側がまだ招待していない実に多数の米国の

   政治家のリストをみせましょうか。私のデスクには、

   中国を訪問させてほしいと要請する米国政治家からの

   手紙が山のように積まれています。

   私は返事はまだ出していませんが---

 周恩来の先制パンチだった。交渉相手をそのライバルと

  競わせて焦らせる、中国一流の外交術である。何千年も

  国内で激しい外交合戦を繰り広げてきた中国では、ごく

  基礎的な手法であった。

  この後に続く何年もの米中交渉の間、キッシンジャーはこ
うした中国側の天才的な外交術に翻弄され続けることに

  なる。

 この先制パンチに、キッシンジャーはこう応えるのが

  精一杯だった。

 あなたがしたこと(ニクソン氏訪中招待)にはニクソン
大統領も非常に感謝しています。

 これでは中国皇帝への拝謁を許された周辺蛮族の

  使節が、皇帝の格別の仁慈に感謝しているようで、

  完全に位負けである。
周恩来はその答えに満足したように、さらにこう畳みかけた。

その招待は毛主席の英知と指示によりなされたのです。

■2.CIA報告書『中国人の交渉術』■

 米中国交正常化交渉はこの後、79年1月カーター政権

  下で結実するまで7年以上も続けられるのだが、中国の

  外交術に翻弄され続けた米政府は、この経験を『中国人

  の交渉術』という報告書にまとめて、中国との交渉を

  担当する人間には熟読することを義務づけた。

 米国中央情報局(CIA)が発行したこの報告書は、ランド
研究所主任研究員のリチャード・ソロモン氏によってとりまと
められたのだが、彼はキッシンジャーの補佐官を務めた

 人物である。前後20年に及ぶ中国との交渉記録を渉猟し、

 さらにニ クソン、フォード、カーター、レーガンの歴代政権の

 高官たち30人以上にインタビューを行った。

 キッシンジャーもインタビューに答えた一人であり、その体
験をもとに、この報告書では随所にキッシンジャーが翻弄

  された実話がちりばめられている。

  冒頭のシーンはその一つである

 キッシンジャーほどの著名な国際政治学者でも、実際の

  交渉の場では手玉にとってしまうほどの高度な外交術を、

  中国の政治伝統は生み出している。

 その分析を行った本書は、日本の対中外交、そして民間

  企業における交渉においても参考になる。本号では、その

 一端をご紹介しよう。

■3.「中国の友人」を選ぶ■

 中国の外交術の原則は、国家間の関係は条約などの

 法的なも のでなく、あくまで個人どうしのつながりに

 基盤を置く、というものである。

 これは中国の歴代王朝が(現在の中国共産党政権も

  含めて)、皇帝の独裁を原則としてきたことから生まれた

 歴史的な特性だろう。国家間の関係も、企業間の関係も、

 まずは相手側との人間関係を作る所から始まる。

 その第一ステップは、中国側と個人的関係で結ばれた

 「中国の友人」を作り出し、それが相手側の交渉窓口となる

 よう工作することである。相手国政府内のライバル関係、

 あるいは権力状況を調べて、「中国の友人」として最適な

 人物を選び出す。

 米中交渉において「中国の友人」として選ばれたのが、

 キッ シンジャー補佐官であった。71年はじめに中国政府は

 ニクソン政権と直接のコンタクトをとろうと決めてから、少なく

 とも二人の仲介者を通じて、キッシンジャーに特に会いたい

 という意向を伝えている。

 最初は71年2月に、喬冠華外務次官がこの意向を北京

  駐在のノルウェー大使に伝達した。4月には駐米パキス

  タン大使が周恩来首相からの同様のメッセージを伝えて

  いる。こうした名誉 ある「ご指名」に与(あずか)った

  キッシンジャーが、対中国 交回復にどれほどの意欲を

 燃やしたかは、想像に難くない。

■4.「中国の友人」への計算され尽くした「熱烈歓迎」■

 日中国交正常化の場合、「中国の友人」に選ばれたのは

  田中角栄だった。佐藤栄作政権の親台湾政策を継承する

  福田赳夫に対して、田中角栄に訪中招待を呼びかけ、

  親中派の大平派、三木派を抱き込んで、田中政権の成立

  を裏から助けた。田中角栄は首相に就任した初閣議後の

  記者会見で「中華人民共和国との国交正常化交渉を急ぐ」

  と発言している。[a]

 逆に「友人」になりえない人物が交渉相手に選ばれそう

  になると、中国はそれを避けるためにあらゆる手段を使う。

  1980年の米国大統領選の最中に、親台湾派と見られて

  いた元CIA副長官レイ・クラインが新政権の対中窓口に

  なりそうになると、
トウ小平は副大統領候補ブッシュとの会談で「レイ・クライン
とは何者なのか。クラインの中国に関する見解は

  レーガン・ブッ シュ政策を反映するものなのか」と厳しく

  問い詰めた。

 そしてクラインがある記者会見で「中国は野蛮」と口を滑ら
せた発言を大々的に取り上げ、激烈に非難したのだった。

  中国敵視政策を決意した政権でない限り、ここまで非難され

  た人物を対中外交の責任者に任命することはできない

  であろう。

「中国の友人」に任命された人間が招待に応じて訪中する

  と、計算され尽くした「熱烈歓迎」を受ける。

 キッシンジャーはニクソン訪中の事前準備に訪中した際に、
中国側がレセプション、名所見物、食事、音楽など綿密に

  効果を計算して準備を進めていることに強い印象を受けた

  と述懐している。2回の訪問で、紫禁城と万里の長城に

  案内され、さらに北京の現代オペラを観劇させられた。

 田中首相が北京入りしたのは9月の30度を超える暑い

  日だったが、迎賓館の部屋は田中の好きな17度に設定

  されており、田中の第一声は「ああ涼しくて助かる」

  だった。部屋の隅にはさりげなく田中の好きな台湾バナナ、

  富有柿、木村屋のあんパンが置いてあった

  「これは大変な国に来たな」と日本側は驚いた。[a]

■5.「相手のライバルと競わせる」■

 こうした陰からのバックアップや「熱烈歓迎」で相手国の

  リーダーと個人的パイプを作る事に成功すると、その

 「中国の友人」を通じて中国は様々な要求や圧力をかける。

 ここで「中国の友人」が反抗することもあるが、それを抑え
込む手口がいくつかある。一つは「相手のライバルと競わ

  せる」という手である。

 冒頭に紹介したように、周恩来首相がキッシンジャーに対し
て、他にも中国の招待を待つ米国政治家がたくさんいる、と

  牽制したのも、この一例である。共和党のニクソン政権下で

  国交正常化への進展がはかばかしくなければ、中国訪問

  を切望する民主党の多数の政治家に交渉相手を切り替える、

  と脅したのである。

 1974年11月、ニクソン訪中後、3年近く経っても、米中交
渉がまだ続いていたが、トウ小平はキッシンジャーに対して、
そのライバルと目されていたシュレジンジャー国防長官を

  中国に招待すると告げて、ショックを与えた。 [1,p108]

 米中関係では、もう一つ考えていることがあります。両
国関係がいま冷却しているという点です。このため中国

   政府は国防長官ジェームズ・シュレジンジャー氏への

   公式招待を発表する。同氏の訪中はいまの米中間の

   諸問題に適切 な答えを与えるでしょう。

 キッシンジャーが「クレムリンでは(驚いて)すぐに政治局
会議を開くでしょうね」と牽制すると、トウはこうかわした。

 私たちは気にしません。むしろソ連が政治局会議を開く
ことを私たちは望んでいます。中国は真剣にこの招待を

   出 しているのです。

■6.「われわれはあなた方を必要としない」■

 交渉相手をライバルと競わせて、自分を有利な立場に

  置くいう外交術は、相手国全体に対しても用いられる。

 上記のキッシンジャーとトウ小平の会談の前月、中国

  首脳は突然、ソ連に向けてボルシェビキ革命の記念日を

  祝う電報を打ち、中ソ不可侵条約を提案した。米中関係

  が冷却している時期 にこんなメッセージが送られただけに、

  中ソ対立が解消されるのではないか、との憶測まで流れた。

 その直後のキッシンジャーとの会談で、トウ小平は

  「ソ連の覇権政策は不変」という見解を強く再確認して

  みせた。キッシ ンジャーとの会談を狙って、中国側が

  「米中交渉が進展しない と、中ソが再び組むかも知れ

  ない」という揺さぶりをかけたのだろう。

 レーガン大統領が84年春に北京を訪問した際にも、

  中国側はこの外交術を巧みに使ってみせた

  ソ連のアルキポフ第一副首相がすぐに中国を訪問する

  予定だとレーガン大統領に伝えたのである。

  中国首脳はさらに「日中関係が21世紀まで円滑に保
たれる」と力説して、行き詰まっている米中関係と対比

  した。

 軍事はソ連、経済は日本があるから、アメリカが中国と

  の関係緊密化を望まないなら、それでも中国の方は

  一向に困らない、という圧力である。

「われわれはあなた方を必要としない。あなた方こそ

  われわれを必要としているのだ」というのが、中国の

  慣用句である。

■7.「時間のプレッシャー」■

 中国のもう一つの外交術は、相手側に「時間のプレッ

  シャー」を与えることである。

 キッシンジャーは、1971年10月の二度目の中国訪問

  の際の共同コミュニケ草案づくりの光景を次のように

  描いている。 [1,p131]

 われわれを夕食の蒸し焼きアヒルで腹一杯にさせ

    たあと、周(恩来)氏は自分のつくった草案を突きつけ

   てきた。周草案は、一連の問題について極めて

   非妥協的な言葉で中国 側の立場を述べ立てる一方、

   米国の立場を述べる空白のページを残しており、米国の

   立場は、中国側の立場とは反対になることが予測され

   ていた。[1,p131]

 米国は自身の主張を盛り込むことができるが、中国と

  米国の主張に何の共通点もないのであれば、ニクソン

  訪中は意味のい失敗であるとされてしまう。

  キッシンジャーは、「限られた訪問期間の中で何らかの

  共通点を見いださなければならない」というプレッシャーを

  かけられ、翌朝に対案を提示することを約束した。

 対案作りは、肉体的な耐久力との競争になった

   まず、私が3時間眠っている間にウィンストン・ロードが

   コミュニケを練り直した。そして彼がベッドに潜り込むと、

  私が夜の明けるまで草案を推敲した。

 共同コミュニケの草案の大部分はこの際にまとまったが、

   最 も重要な台湾問題に関する合意は、翌年2月の

  ニクソン大統領訪中時にまで持ち越された。

 この時も、キッシンジャーは喬冠華外務次官と20時間に

  およぶ交渉を続けたが、大統領の北京出発の時間が

  迫ってくる。
喬次官は、まとまらないのなら共同コミュニケを出さなくとも
よい、という虚勢を張ったが、米国側としては、それでは

  ニクソン訪中は失敗だった、ということになる。

 結局、米国側は大統領の出発の12時間前に台湾問題で

  譲歩し、「上海コミュニケ」をまとめたのだった。

■8.「後で都合のようように解釈」■

 こうした「時間のプレッシャー」のもとで、米国は中国側が
主張する「一つの中国」という原則を受け入れた。しかし、そ
こでは「米国政府は台湾海峡のいずれの側の中国人も、

  中国は一つであり、台湾は中国の一部だとみていることを

  認識し、その立場には挑戦しない」という文言であった。

 これなら、台湾側が「中国は中華民国という一つの国で

  あり、台湾はその一部」という主張をしている事も

 米国政府は「認識」していることになる。極端な時間の

 プレッシャーの下で、キッ シンジャーが考え出した天才的な

 苦肉の策である。

 しかし、この苦肉の策も、老練な中国の外交術に手玉に

  とら れることになる。中国側は後に「台湾は中華人民

  共和国の一部 である事を米国が承認した」というように

  一方的にねじ曲げて解釈してしまう。

 77年1月、カーターが大統領就任直前に、「台湾は(中国と
は)別の国」と述べたことに対して、上海コミュニケ違反とし
て批判した
。さらに米国が台湾に武器を売却する都度、

 「上海コミュニケ違反」として非難した。

 合意事項を含みのある文面にしておき、後の自分に

  有利な形に解釈する、という中国の戦術は、日本との

  交渉においても発揮されている。[a]

■9.「敵を知り己を知らば百戦危うからず」■

 以上のような中国人の外交術は、天才的なものでは

  あるが、様々な交渉において、繰り返し見られる

  一定のパターンである。

 逆に言えば、そのパターンを知っていれば、こちらに

  有利な形で交渉が進められる。だからこそ、米国はこの

  レポートをま とめて、中国との交渉担当者に読ませている

  のである。我が国の外交担当者や国際的なビジネスマン

  も、こうした研究が必要で ある。

「敵を知り己を知らば百戦危うからず」とは孫子の言葉で

  ある。 (文責:伊勢雅臣)

■リンク■
a. JOG(312) 「日中国交正常化」~ 幻想から幻滅へ
 そもそものボタンの掛け違えは、田中角栄の「日中国交正常
化」での「異常」な交渉にあった。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h15/jog312.html

■参考■(お勧め度、★★★★:必読~★:専門家向け)
  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。

1. 産経新聞外信部 (翻訳) 『中国人の交渉術―CIA秘密研究』★★、
文藝春秋、H7
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4163504702/japanontheg01-22%22

_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ おたより _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
■前号「打倒された邪馬台国」に寄せられたおたより

康之さんより

 伊勢様の日本の歴史について正確かつ詳細な解説は日本人と
して生まれたことに誇りをもたせるものであります。しかしな
がら2月10日の記述についていささか、違和感を覚えるので
あります。

 なぜらば、邪馬台国、卑弥呼という呼称が無造作に使われて
いるからです。邪馬台国、卑弥呼という呼称は鮮卑、匈奴、烏
桓と同じよに、中国大陸にあった国からの人種差別というか、
蔑称ではないでしょうか。現代で言えば邪馬台国とは「ジャッ
プ」あるいは「小日本」に近い響きを感じます。

 大陸から見て、邪馬台国、卑弥呼という政権や首長があった
かもしれないし、いたのかもしれません。しかしながら、我が
国自ら邪馬台国と称した文書はないはずです。自国や自らの名
前に邪、卑という漢字を使うことはありえないことではないで
しょうか。

 誤解を招きかねないですから、「大陸が呼称している邪馬台
国」と記すべしではないでしょうか。西尾幹二さんの"国民の
歴史"には、秀吉時代の我が国に対する中国側の歴史書には杜
撰な記述があり、いわんや秀吉時代よりも千年以上の記述の信
頼性はもっと落ちると考えるのは、自然であり、そうすると邪
馬台国、卑弥呼という呼称はますますもって信頼性が低いので
はありませんか。

編集長・伊勢雅臣より
 ご指摘のように、邪馬台国、卑弥呼というような蔑称をその
まま使った点は、問題でした。少なくともヤマタイ国、ヒミコ
など、現在推定されている読み方をカタカナで表記すべきであっ
たと思われます。

 魏志倭人伝の記述の正確さに関しては、日本の習俗などに関
しては、蔑視が込められていて、極めて不正確ですが、外交記
録に関しては詳細で信頼性が高い、と八木氏は指摘されていま
す。

Noboruさんより
 この邪馬台国に関しましては、周知のように、諸説相入り乱
れ、定説に至らない状況にあります。当方は当該領域に素人で
すが、当該の専門学会でも、多数派の畿内説と少数派の北九州
説とが、対峙しているのではないかと、推察されます。そのな
かにあって、当該の御論考は、主に八木荘司氏の説に立って、
記されているように思います。

 諸説入り乱れるうちの一説を強いて積極的に取り上げて配信
するとなると、「じゃあ普段送ってきているものも、あんまし
当てにならない一私見にすぎないのね」 ということになって
しまうように思います。当方の所感では~通例のものは、もう
少し確度の高い見地、有力な私見であったように思います。そ
の辺の区別はありやなしや、せっかくふだん魅力的な御論考群
を配信いただいているだけに、微妙なところではありますが、
望むらくはお伺いしたいところです。 

伊勢雅臣より
「邪馬台国」がどこにあったか、という問題は多くの人が論じ
ていますが、前号のテーマはそのような歴史ミステリーではあ
りません。八木氏の説を採用したのは、魏志倭人伝の外交史の
部分を詳細に取り上げて、古代からの日中関係という視点から
論じているからです。氏の説に基づいて、我々の先祖がどのよ
うな国家を目指していたのか、に迫ってみました。

 もちろん史実として定説が確立した時代ではありませんが、
少なくともヒミコが対中臣従路線を歩んだことは銅鏡の存在な
どから史実でしょうし、それに戦いを挑んだ自主独立路線があっ
たことも、後の聖徳太子の対中対等外交を見る限り、十分にあ
りえたと考えます。

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以下はアメバのCM