日本人が中国を支那と呼んでどこが悪い by 竹下義朗さん | 日本のお姉さん

日本人が中国を支那と呼んでどこが悪い by 竹下義朗さん

帝国電網省 ▽▼               by 竹下義朗さん

☆ 日本人が中国を支那と呼んでどこが悪い 2008/02/22


戦前の日本では、中国の事を広く「支那[シナ]」と呼んでいま

した。ところが戦後になると、「シナチク(いわゆるメンマ)」など

に名を留める程度で、中国
自体を「支那」と呼ぶ慣習は姿を消してしまいます。

この辺の事情には、「戦勝国=中国」と「敗戦国=日本」と

いう構図があり、「支那の呼称は中国を侮蔑している!」と

いった内容の中国側の主張に日本が配慮したことが要因と

なっています。ーーーしかし「支那」の呼称は、果たして

中国が主張するような侮蔑用語なのでしょうか?

私は決してそうは思いません。と同時に「支那」にとって

代わった「中国」の呼称が、日本人の間で日常的に使用

されているにもかかわらず、その真の意味を知っている人が

どれ程いるでしょうか?

今回は、なぜ「支那」の呼称が侮蔑用語ではないのか、

「中国」の呼称に潜む真の意味は何なのかを書いてみたい

と思います。


まず「支那」の語源ですが、中国史上最初の統一帝国

「秦]=[チン] Ch'in 前221-207)からきています。

この「チン=秦」がインドのサンスクリット語に伝わり

「チーナ=Cina」「ティン=Thin」となり、更にヨーロッパへ

伝わり「シーヌ[Chine 仏語]」・「チャイナ[China 英語]」と

変化していった訳です。

そして、戦前の日本で広く使用された「支那」もこれと

同様で、梵語=サンスクリット語の「チーナ」が、インドの

仏典と一緒に中国に逆輸入されたもので中国人自身が

「支那」・「脂那」と表記したのが起源です。

つまり、中国側が侮蔑用語としている「支那」の表記は、

中国自身が編み出したもので、日本人は江戸時代中期以来、

終戦までそれを借用していたに過ぎないのです。

また、日本人が使用していた「支那」が侮蔑用語だという

ならば、「シーヌ」も「チャイナ」もまた侮蔑用語となる訳で

=語源は全て同じなのだから)中国が自国の英語表記を

「People's Republic of China」とすること自体、矛盾している

訳です。

┌--------
中国の呼称~「支那」の変遷

チン Ch'in(秦) ┬ ティン Thin(梵語)
        └ チナ Cina(梵語) ┬ 支那・脂那(中国) -
支那

(日本)
                 ├ シーヌ Chine(仏語)
                 └ チャイナ China(英語)
└--------

ついでですので、もう一つの中国の呼称についても書いて

みようと思います。

「支那」とは別系統の中国の呼称に「キタイ」というものが

あります。

この語源は遼王朝[リャオ Liao]907-1127)の別称

(というよりもこちらが正称

「契丹[キタイ Khitai,複数形 Khittan]」からきています。

さて、この「キタイ」ですが、これはモンゴル人の一派・契丹族

が満洲から華北=中国北部)に至る地域に建てた国で、

言葉も習俗も中国とは異質でした。
しかし、アラブや遠いヨーロッパでは、中国全土を領土と

していなかったにもかかわらず「キタイ」=「中国」という形で

認識されてしまいました。

そしてこの「キタイ」の呼称が広がったもう一つの原因は、あの

マルコポーロが書いた「東方見聞録」だったのです。

マルコポーロが中国を訪れた時には、「契丹」という国は既に

なく、フビライ・ハンの「元」が中国を支配していました。

この「元」を、マルコポーロは「東方見聞録」の中で「カタイ」

と書いています。「カタイ」というのは「キタイ」が訛った

もので、今でもトルコ語・ペルシア語・ロシア語等では

中国の事を「キタイ」と呼んでいます。

ちなみに、香港の航空会社「キャセイ・パシフィック」の

「キャセイ Cathay 英語」も「キタイ」が語源で、主に「華北」

を指す語ですが、広く中国全土を指す古語・雅語(詩語)と

しても慣用されています。

┌--------
中国の呼称~「キタイ」の変遷

キタイ Khitai(契丹)─カタイ Khatai(元)─キャセイ Cathay(英語)
└--------

ーーー話が逸れてしまいました。


最後に「中国」の呼称に潜む真の意味について書いて

みようと思います。

中国の現国名「中華人民共和国」の「中華」ですが、この中の

「華」とは古代中国の王朝「夏」が起源で「中夏」とも書かれ

ました。そして、中国・中華の「中」とは「世界の中心」を意味

しており、「中華」とは「世界の中心である夏(華)」といった

意味なのです。

そして、この中国・中華とは、裏を返せば中国周辺の国々は

野蛮で非文化的な未開な地」といった意味も込められて

いるのです。これが「中華思想」と呼ばれるもので、中国の

周辺国は中国から見た方角によって、東夷・西戎・南蛮
・北狄と呼ばれました。

勿論、私たちが住む日本も例外ではありません。

「邪馬台国」や「女王卑弥呼」で有名な「魏志倭人伝」も、

正式には「魏志東夷伝倭人条」といいます。

つまり、元来日本人が中国の事を「中国」と呼ぶのは、大義

名分からしても不自然な訳で(「広辞苑」にもそう書かれて

います)、中国側が自国の呼称としている「中国」及び

「中華」は、逆の意味で「支那」以上に侮蔑用語なのです。