頂門の一針 1093号 | 日本のお姉さん

頂門の一針 1093号

マック食わねど高楊枝
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     山堂コラム204

「マクドナルドの店長は管理職ではない。残業代払え」という

判決が日本であった。

残業代払えという判決が出るだけ米国よりまし。

それでも今の時代、わが国では一部の特権階級を除いて

若者はみな同じような賎業3K職場。給料安い、汚い、

キツイ・・・特に外資系は儲けをハゲタカに搾取されて

日本の若者みなファンドの奴隷。

自慢じゃないがオラ、「マクドナルド」なんか1度も食った

ことがない。あんなもの見ただけで分かる、なにやらキモ

(気持ち悪)いのだ。

40年ほど前、ニューヨークに行った時。マック店があったか

どうかは忘れたがとにかく「ジャンクフード」だけは食わな

かった。アメ公でもあれ食うのはヒッピー(貧民)。良家の

子女はきちんと家の中でナイフとフォークを使って食事をする。

真珠湾攻撃の連合艦隊に「ニイタカヤマ(新高山)ノボレ」を

発信したオラの村の高照寺山・祖生無線送信所。終戦間際に

なって米軍の艦載機が来襲。上からの機銃掃射に下からも

応戦、一機撃墜。敵兵が伊陸(いかち)近くの山林に

落下傘降下した。

「伊陸」というは地名なのだが、旧藩の人間なら知らない者

はいない。
栄作でも信介でもみな知っちょる・・・初速はチョー(超)

早いがすぐバテる「いかち馬」(晋三のような馬)の産地。

また芋茶粥を食う習慣があった―――

周防大島出身の星野哲郎さん(アンコ椿は恋の花)「伊陸

ねえ。懐かしい。軍事教練で何度も行った。粥ばかりだった

がの・・・」

落下傘降下した米兵は村の衆に散々殴られたあと憲兵隊に

引き渡された。戦争は終わり「殴った村人を進駐軍が探して

いる」という噂が立つ。村中が恐慌状態となったが、なぜか噂は

沙汰止みMPも来なかった。

先の大戦の戦勝国・米国が日本を属国としていつまでも

支配できるよう戦後に強制した政策。このうち、陸海軍の

解体については東西の冷戦・朝鮮戦争などで「なし崩し」と

なり、いまや我が自衛隊の装備は大関並みの高レベル。

海外派兵までするようになった。勿論、「核武装」だけはアメ

ちゃんも頑として許さない。まあ軍備についてはそれでも占領

政策の方向が「変身28号」したひとつだ。

食料・エネルギー政策は全く「変身」していない。この60年に

わたって米国は当初に目論んだ通りの着実な成果上げ、

さらなる「対日要求」を強いてくる。

いまや米国が穀物輸出を絞る方針をとれば日本国民は

たちまちにして飢え死にする。カーギル(国策穀物メジャー・

ミネソタ州)などの策謀で、戦後「コメ」は「麦」に、「茶粥」は

「マクドナルド」にとって替わり、飼料用穀物も全部輸入。

「卵や乳製品は国産」と頑張っても、元はといえばみな

アチャラ。餌は米国産に豪州産。

豪州なんぞテメエの牛肉買わせるため、「鯨獲るな、鯨

食うな」の大合唱。でも牛肉、輸出したがっているうちは

まだ大丈夫。問題は輸出をストップしてくる時。すでに

「鉄鉱石」は日本向け輸出を渋ってきそうな気配。食料も

そういう日が近い将来必ず来る。

そんなこと、知ってか知らずか日本のガキども。電車での

化粧も驚くが、路上や電車の中で「マック」を齧り「コーク」を

ラッパ飲み。TVのアホタレの真似をして有頂天。オラには

アホタレといっしょで「単なるバカ」にしか見えんがの。

一方こちらは農水省―――食料の自給率が38パーセントに

まで落ちたというに、まだまだ一つ覚えの「コメ減反」。

国交省の方は土方の言い成り。税金使って農地・山林

せっせと潰し、ゼネコンとグルの国土破壊省。政治家これに

結託し「正真正銘のバカ」の勢揃い。天下り、パーティー券、
ノーパンしゃぶしゃぶ。

自衛隊の軍備増強に税金いくら注ぎ込んでも、「食料安保」

のケツ抜けている。チャンチョン中国・朝鮮が、わが国を

あざ笑うは当然で、「愛国教育」強要しても、所詮はごまかし

税金の無駄遣い。天孫民族でも腹が減っては戦はできぬ、

豊葦原は瑞穂国。(了)


激増する中露貿易
「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 
平成20年(2008年) 2月16日(土曜日)
通巻 第2086号 

 激増する中国とロシアの貿易、昨年は44・7%もの急増

  問題はロシア側から石油と原木、中国から機械、工業製品という不
   均衡の中身だ

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中国がロシアから輸入している石油は年間1500万トンと

推計されてきた。
主として鉄道輸送、一部はモンゴルを経由する。

シベリアの原木も主な輸入品目のひとつで、ロシアとの

国境へ行くと原木加工工場、家具工場が林立している。

シベリアの広大な森林資源開発の一部の権利を、プーチン

政権は中国企業に売り渡し、多くの中国人労働者が、この

ルートからロシアへ移住した。

さて、中ロ貿易だが、昨年は往復481億ドルで、前年比

44・7%ものアップを記録した。

ちなみに前年比15%増加、05年は前年比37%増加。

問題の一つは貿易不均衡の中身である。近年は機械を

輸出する中国側の黒字に転換したことで、たとえば中国製

機械は80%増加の284億ドルを記録している。従来はロシア

から武器を輸入していたため一方的なロシアの貿易黒字が

記録されてきた。

昨年、ロシア最大の石油企業ロフネフツは対中石油輸出を

9%減らしたが、輸送インフラ上の技術的問題で、両国は

合弁企業「ボストーク・エネルギー社」を設立(ロシアの

「ロフネフツ」が51%、中国の「ペトロチャイナ」が49%)、

イルクーツク付近の油田開発を手がける。

また2011年には、合弁で天津に精油所を建設する。
>
プーチン政権は、2010年までに中ソ貿易は往復600億

ドルが目標と標榜していたが、これは早めに達成され

そうな勢い。

もう一つの衝撃的な問題は、通貨である。

中国とロシアは、これまでの決済をドルから、それぞれ

ルーブルと人民元という「ドルに変わる強い通貨」で貿易

結成を行おうとしている。

米ドルが天下だった2つの共産主義全体主義的市場で、

それぞれの国家が、自国の通貨への信任を強めている

ことこそ、西側アナリストの想像を超える事態の出来

(しゅったい)なのである。


報復としての刑務所
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 平井 修一

凍てつくような冬の日には千葉刑務所の日々をほろ苦く

思い出す。20歳の小生はお上に盾突いたためにここに

ぶち込まれたのだ。

一日は点呼と房内点検から始まる。午前7時、看守が

大声を上げる。「10舎、点検よーい、番号!」、ガシャ

ガシャンと扉が開けられ、「いーち!」と囚人が答えると、

ガシャガシャンと扉が閉まる。「番号!」、ガシャガシャン、

「にー!」、ガシャガシャン、「番号!」、ガシャガシャン、

・・と繰り返される。

第10舎は北側も南側もすべて独居房だった。お上の

報復だろう、この房の北側に我々は寄せ集められた。

当然ながら陽は差し込まないから冬の寒さは尋常では

なかった。

自業自得とはいえ、11月に霜焼けができ始め、年末には

両手両足がすべて赤く膨れ上がった。独房の一斉点検の

日にしばらく南側の房に移されたが、その暖かいこと。

南と北では天国と地獄なのだ。

刑務所の冬について大先輩の安部譲二が書かないはず

はないと調べると、やはりあった。

<刑務所の冬は地獄です。

これまでの長い無頼な暮しで、それはさんざんな目に

遭い続けた私ですが、冬の刑務所ほどのひどい辛さは、

覚えがないのです。

府中刑務所の舎房には、暖房はおろか火の気もない

ので、工場で働かされる日はともかく、免業の日曜日や

祝日だと一日中閉じ込められたまま
ですから、お日様まで免業なんてことになれば、懲役たち

はもう冷蔵庫の中に入れられてしまったのと同じでした。

舎房の中の熱源は、懲役たちの体温だけという、これは

原始の世界だったのです。>(「塀の中の懲りない面々」)

極寒のラーゲリ(強制収容所)でイワン・デニーソビチ

(ソルジェニーチン)や日本兵が一所懸命に働いたのは、

体を動かさないと温かくならないということもあったのだ。

作家・医師の加賀乙彦は東京拘置所の精神科医官などを

務めていたが、こう書いている。

<房内には暖房も冷房もなかった。冬は冷え切り、まるで

冷蔵庫に閉じ込められたようだったし、夏は風通しが悪くて

焦熱地獄となった。東京拘置所でさえ耐え難い状態だった

から、寒い北国や暑い南国の刑務所がどのような苦痛を

与えるかは予想できる。>(「死刑囚の記録」)

ところで千葉刑務所で小生はしばしば異様な光景を

目にした。歳を食った貧相な囚人たちが看守にじゃれ

付くのである。犬がご主人に甘えるような感じだ。

加賀乙彦は上記の著書の中で同じ光景を目撃している。

<長期受刑者を収容する千葉刑務所を訪れた際の異様な

印象は未だに忘れられない。・・・押し殺したような静けさが

支配していた。青い囚人服の受刑者たちが看守に引率されて

2列縦隊で歩いたり、構内の作業に従事していたが、よく飼い

ならされた羊のようにおとなしい。・・・しんとした静寂が珍し

かった。

無期囚たちに面接してみると・・・彼らは一様に「無期囚

らしい」特徴を持っていた。・・・何か鈍感な子供を前にして

いるようであった。・・・長い間刑務所にいた人におしなべて

見られる「刑務所ぼけ」といわれる状態であった。

・・・囚人たちの感情の起伏はせまく、何事に対しても

無感動になる。
ふつうの人間であったら耐えられぬような単調な生活に

彼らが飽きないのは、実はこの感情麻痺があるからだと

いえる。・・・

さらに子供っぽい状態への退行が見られる。それは、

刑務所の職員が囚人を子供のように取り扱うところから

了解できる。大家族の中の子供たちのように彼らは一様な

待遇をうけ、全員がある特定の人物(担当看守)を尊敬し、

その命令に従うようにしつけられる。

・・・囚人たちは子供になりきって、大人である看守たちに

頼り、彼らに服従せざるを得ない。・・・ほぼ十年を経過すると

ほとんどの囚人は、囚人らしい囚人の状態に定着し、刑務

所ぼけを完成していた。>

日本の刑務行政の基本は応報刑ではなく教育刑主義だと

いう。刑罰は犯罪への報復ではなく、受刑者を教育し改善す

る処置、矯正し更生させる処置だという考え方だ。

受刑者はどう思っているのか、少なくとも小生や安部譲二は

刑務所によって教育された報復されたと思っている。

加賀乙彦も、刑務所ぼけで人間を壊す刑務所が、まさか

教育現場だなどとは思わないだろう。

教育刑主義なら冬の残酷な状況も死刑もありえない。

「教育」だなんて学者や官僚、政治家は口当たりのいいことを

言っているが、実際の現場は報復、応報刑だ。

ケツにガラス棒を突っ込まれ、クソする姿、マスターベーション

をする姿さえ看守の目にさらされているのである。「もう2度と

ご免だ」と思い知らせる応報刑主義のほうが再犯率は下がる

だろうと、更生した元犯罪者の小生が言うのだから、かなり

真実ではあるまいか。



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突然の手紙と我家の混乱
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          内田一ノ輔

木曜日の夜、自宅に戻ると東京地方検察庁から配達証明郵便がきていた。

それを受領した家人は、私が開封するのを横目でじっと見ているはずだ
が、何も言わない。私が帰宅するまで悶々と内容を想像していたのは明
らかである。

40年無事故だし、5年程交通違反はしていない。当然だが犯罪を犯した
覚えも無い。

封筒には、緑の文字で「裁判員制度が始まります」の記載。1年ほど早い
が裁判員任命の案内なのか。

後ろから来る視線も開封の催促しているので早速開けてみる。

内容は「処分通知書」で、「貴殿から平成19年4月○日付けで告発のあっ
た次の被疑事件は、下記のとおり処分したので通知します」。/被疑者
 松岡利勝、青木昭二 /罪名 政治資金規正法違反 ・・ /処分年
月日 平成20年2月○日 /処分区分 不起訴 の内容であった。

一瞬、誰かと間違えて通知されたのかと思ったが、昨年の松岡氏の事務
所費問題に対する松岡氏の不誠実な対応に腹を立て、大阪のオンブズマ
ンの告発勧誘に軽い気持ちで乗り告発したことを思い出した。

後に、松岡氏の自殺の報を聞いた時点では、告発した事自体も忘れてい
た無責任な自分を反省させてくれた処分通知書でもあった。

どれだけの数の告発があったかは解りかねるが、松岡氏の自殺の一因か
もしれないと思うと心境は複雑である。

内容を見た家人は、自殺した松岡氏に同情し、告発した私を非難の目で
見るが、「なんとか還元水」は絶対におかしいと怒っていたことを忘れ
ているようである。

何れにせよ、私が咎められるという事態ではない事がわかり一安心でだ
が、東京地検発の内容証明郵便が自宅に配達されるという事は、庶民に
はインパクトは小さくなかった。

15年程前、これ以上に私や家族を混乱させた手紙が来たことを思い出し
た。

地元自治体で無料の肺がん検診を受けた。愛煙家の私には

少し気になる病気でもある。

検診の結果は「はがき」で連絡しますとの案内であったが、

検診の半月後ぐらいに「封書」で検診結果が届けられた。



開封してみると、糊付け
封印した封書が中に入っていおり、別紙の結果報告書には、

「○月○日に、この封書を開封せずに、保険所に持って行って

ください」である。か「肺がん」しかないはずである。は

がき連絡なら陰性であろうが、このような形での結果通知は

「肺がん」を覚悟
するには十分過ぎる内容でもある。

体調は万全であるし、肺がんとは違うのかもしれないとの

一縷の希望も捨てていない。

3週間悶々と過ごせと言うのは、死刑囚がいよいよ今日なの

かと想像し
ながら日々を過ごすのと同じではないか。

「ガン保険」もっと増やしておけばよかったとか、生命保険どう

だったかとか、療養保険はどうなっていたか、住宅ローンは

死ねばチャラになる、仕事や残された家族の生活はどうなる。

当然仕事は手についていないはずだが、会社にはまだ話せる

段階ではない。

黒澤明の「生きる」という映画を思い出し、もう肺がんが確定

したような心境である。
3日目の土曜日、自宅でショボンとしている私を見て、家人の発した
「封筒開けてみたら」の一言。そうだ、開封しても怒られる訳ではない。

生唾を飲みながら開封したところ、そこに書かれていたことは

「右肺の上部に影が認められる」である。

この診断は、毎年受けている成人病検診の肺レントゲン検査

で指摘されている事柄で、別段問題ではないとの医師の

結論をもらっているものである。

このように影のある人は少なくないようで、よく見かける程度の

ものである。

この開封により、どれだけ私の心の闇が晴れたかという細かい説明は不
要であろう。

こんな程度の結果に対し、糊付け封書を開封せずに3週間後に来なさい
は無いだろ。

結果報告書に、「特に問題ではないと思いますが、肺に影が見られたの
で、念のため同封の封書を持って保健所にお越しください」と書いてあ
れば、被検者を混乱させずにすむはずだ。

病人の心理を全く理解していない所業である。気の弱い人なら別の病気
になってしまったり、ショックで心臓が止まってしまう人もいるかもし
れないのである。

アメリカなら訴えられて賠償金を請求されるはずだ。

医療関係者はこのように簡単な検診結果でも、報告の仕方によっては病
気に罹る以上に患者を苦しめてしまう事も有ることを解ってもらいたい。