街宣右翼は公安が泳がせている?
依存症の独り言↓2月11日の記事です。
一昨日、「プリンスホテルの言論・集会の自由封殺を許すな! 」というタイトルのエントリをアップしたが、これは誤解を招きやすい表現なので補足しておきたい。
コメント欄でも書いたが、「言論・集会の自由」を封殺したのは街宣右翼であってプリンスホテルではない。ただ、プリンスホテルの不手際は批判されてしかるべきである。
読者の方のご指摘にもあったが、グランドプリンスホテル新高輪の地理的環境を考えると、日教組の教研集会に抗議する街宣右翼がホテル周辺に集結すれば、一帯は警察によって封鎖された状態にならざるを得ず、ホテルの顧客や近隣住民に大きな迷惑をかけることになったと思う。
ホテル側がこれを恐れたというのは分かる。が、そうであれば、プリンスホテルは最初から断ればよかったのだ。営業に大きな支障が出るというのは正当な理由になる。
日教組に「言論・集会の自由」があるのは言うまでもないが、ホテル側にも顧客の安全を守り、快適な環境を提供する義務がある。この義務を果たせないと言うのであれば、やはり断るべきだった。
日教組は、最初から正式な組織名で申し込んでおり、例年、教研集会の会場周辺では右翼団体の街宣活動があり、警察に警備を要請していることもホテル側に伝えている。そして、ホテル側は後日、会場費の半額を受け取っている。
それを、半年以上経って突然、解約通知を送りつけるなんて非常識だし、非難されても仕方がない。だから東京地裁でも、高裁でも、プリンスホテル側の主張は退けられたのだ。私は、今回に限って言えば、最高裁に控訴しても負けたと思う。
まあ、ホテルの顧客や周辺の住民は結果的に救われた形だが、一流ホテルが裁判所の命令を無視した、あるいは街宣右翼の圧力に屈したと世間に受けとめられたのは極めて残念である。
これも、すべて、最初の段階でのプリンスホテル側の甘い判断がもたらした結果である。批判は甘んじて受けるしかない、そう思う。
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ところで、この街宣右翼、実体は暴力団(しかも、中には在日系もいる)なのだが、なぜのさばらせているのだろうか?
私が思い出すのは、警察が1960年代後半まで過激派を本気で取り締まらなかったということだ。過激派だった私が、そう思うのだから間違いない。
街頭において、集団で鉄パイプを振るい、火焔瓶を投げる。その気になれば、根こそぎ検挙できたはずだ。が、警察が本気になったのは、武装蜂起を主張する赤軍派が登場した69年以降である。
まだある。
部落解放同盟(解同)の暴力的糾弾に警察は目をつむっていた。解同の中に暴力団がもぐりこみ、同和対策事業において不正を働いていても摘発しなかった。
解同の暴力的糾弾に警察が動いたのは、教職員約60名が解同に襲撃され、48名が負傷、うち29名が重傷、1名が危篤となった1974年の「八鹿高校事件」など、極めて限られている。
同和対策がらみの犯罪が摘発されるようになったのも、大阪の飛鳥会事件など、最近になってからのことだ。
この、過激派を泳がせていたことと、解同に目をつむっていたことには共通点がある。それは、過激派も解同も「反日本共産党」であるということだ。
日本の公安警察の最大の標的は、戦後一貫して日本共産党である。共産党がいくら暴力革命を否定しても、公安警察はそれを認めていない。今でも「監視対象」である。
監視と言っても、普通の監視ではない。共産党組織内にスパイを作ったり、電話を盗聴したりする。現に、1985年には、神奈川県警による共産党に対する電話盗聴事件も発覚している。
つまり、過激派も解同も、公安警察にとって最大の標的である共産党に対する対抗策の一環として利用されていたのだ。
中核派と革マル派の内ゲバを放置していたのも同様である。私の知る限り、中核派の人民革命軍も革マル派の特別行動隊も、せいぜい200人かそこらの構成員しかいない。警察が本気になれば、メンバーを特定し、全員を殺人及び殺人未遂で検挙できたはずだ。
が、警察はそうしなかった。理由は、過激派が自ら消耗戦を展開していることと、中核派が革マル派の労働者を襲撃していることだった。特に、革マル派は動労(現・JR総連)や全逓(後のJPU)に浸透しており、これを中核派が襲撃してくれることは、公安警察にとって願ってもないことだったのだ。
中核、革マル両派とも、お互いに相手を「権力の手先」と罵倒していたが、何のことはない、両方とも権力の手のひらで踊らされていたのだ、ああ情けない。
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以上のことは、私は元過激派の視点から観察していたので、極めてよく理解できた。
けっして憶測ではない。実感である。
で、私は、街宣右翼をのさばらせているのも同じ理由ではないかと思うのだ。
日教組の中には過激派がもぐりこんでいる。チュチェ(主体)思想を信奉するグループもある。だから街宣右翼に日教組を牽制させる。
また、街宣右翼は日教組だけではなく共産党系の全日本教職員組合(全教)の集会も妨害している。つまり、街宣右翼は、公安警察の最大の標的である共産党に対する対抗勢力の役割も果たしているのだ。
刑事警察は暴対法で暴力団を厳しく取り締まっている。にもかかわらず、暴力団とメダルの裏表の関係にある街宣右翼は泳がせている。それは、街宣右翼の担当が刑事警察ではなく公安警察であることが大いに関係していると思う。
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このような公安警察のやり方を「是」とするのか、「否」とするのか。それが、我が国の治安維持に役立っているのであれば、当然「是」だろう。また、汚いかどうかは別として、彼らの存在が必要なのは言うまでもない。
公安(治安)警察はどの国でも同じような手を使う、というか使わざるを得ないのだ。やはり、その存在は、統治機構において不可欠な「汚れ役」なのかもしれない。
だから、けっして彼らを否定はしない。
が、私は現実の彼らを知っているから、あまりいい気分はしない。
ただ、彼らは名前も偽名を名乗らなければならないし、身分も偽らなければならない。警察内部でも、その存在は隠密である。また、家族にも仕事については秘密らしい。我が子に己が何をやっているかを話せない、やはり辛い仕事だとは思う。
だから、今は、がんばってほしいと思っている。
彼らは、仕事の辛さをエリート意識で支えている。「俺たちは他の警察官とは違うのだ」という。確かに、公安警察の身分は都道府県警の所属だが、実態は警察庁の直轄である。予算も特別だ。
が、だからと言って、刑事警察と張り合い、真相解明を不能にした国松警察庁長官銃撃事件のような失態は二度としてほしくない。
いずれにしても、中核派や革マル派のような「暴力革命」を公然と掲げる勢力や、暴力を持って相手を威圧・威嚇する街宣右翼はもっと厳しく取り締まってもらいたい。
なぜ中核派の非公然組織(人民革命軍)を壊滅させないのか?公安警察の思惑も分からぬではないが、彼らは社会の敵である。
【追記】
共産党に対する電話盗聴は疑問に思う。今の共産党は、「暴力革命」など起こしたくても起こせない。マルクス・レーニン主義を放棄していないから「監視」する必要はあるだろうが、かつてのような危険性は既にない。
やはり、「通信の秘密」を侵すことは、慎重の上にも慎重でなければならない。
ただ、差し迫った危険があれば別だ。たとえば、テロリストとかオウム真理教、あるいは中国人マフィアなどは許されるのではないか。