日本人は自分の子供の臓器を他の子供に提供するだろうか?
「かくむ君がアメリカで移植手術を受けるための募金が
集まった」というニュースがあったが、かくむ君がアメリカに
行けるのはよいことなのだが、本当の問題は、
日本で移植ができない状態にあることだというコメントが
あったので、紹介します。かくむ君が移植を受けることが
できたら、ひとりの貧乏なアメリカ人の子供が移植を
受けられなくなっただけで、アメリカ人の目から見れば
日本人は金の力にまかせて移植の順番に
割り込んできたジャマ者のように、見えているかもしれない。
そうならないためには、日本国内で子供も移植を受ける
ことができるようにすることだが、日本人は自分の子供が
死んだら臓器を他の子供に提供するだろうか?
大人でも提供しないのに、法律だけ整備されても、
何の変化も無いかもしれない。日本人が「同胞」のために、
臓器を提供してもよいという考え方になるためには、
子供の頃から「もしも死んだら臓器を提供しましょう。」と、
勧めて考え方を変える教育しないといけない。
しかし、そんな教育を学校でされても気持ちが悪い。
親が知らない間に、先生が学校で、
江戸時代の話を持ち出して勝手に同和部落民差別反対の
教育をしてようなものだ。
臓器移植の問題も、親の気持ちしだいで日本が変わる。
大人でも生前に本人が臓器移植を願っていても、家族が
拒否する場合がほとんどなのではないか。
病気で死んでも本当は医者は死因を知りたくて解剖してみたく
ても、家族が解剖を許さない場合がほとんどだと思う。
敦煌さんは、外国人かしら。考えさせられた。
日本人の心を変えないと、臓器移植システムの構築は
無理だと思うのです。「同胞」をひとりでも助けたいという
気持ちを、日本人、みんなの心に移植できないでしょうかね。
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敦煌さんの意見。↓
この種類の支援活動に対する批判として私が常々申し上げているのは,この支援活動の目的が,「救命される人命の数を増やす」ものでは全く無い, 「救命される子供を変更する」「移植を受ける子供をアメリカ人から日本人に変更する」 それ以上でもそれ以下でもない,そのために莫大な金銭を要する,という事実これを寄附に応じる人間に隠すべきではない,ということです.
アメリカでは決して提供される臓器が余っているのではない,国籍に無関係に重症度と組織適合性(=医学的理由)のみで優先順位を決めているからアメリカに行けば臓器提供を受ける機会が有り得るだけに過ぎず,貧困やドナー待機中の容態悪化から移植を受けれずに死んでゆく子供はアメリカにも多数存在する.
日本に臓器提供が少なすぎるのは日本人が臓器提供に消極的であり,臓器移植システムの構築(これこそが真に臓器提供を受ける人間の数を増やす為の努力)をなおざりにされているからである.
「~さんを救う会」の活動目的そのものがその証拠である.
明言される事は少ないが,医療先進国であるにもかかわらず自国の臓器提供システム構築を充分に努力する事無しに他国の臓器を金にものを言わせて買い漁る日本人は,他国(特に臓器提供希望者)から見れば吸血鬼の様にみえるはずである.
臓器提供不足という問題に対するアプローチは一つではない,人の数だけ存在するはずであるが,以上の事実だけは心の隅にでも是非踏まえていただきたい.