メイル・マガジン「頂門の一針」 1086号 | 日本のお姉さん

メイル・マガジン「頂門の一針」 1086号

ようちゃん、おすすめ記事。↓

□■■□─「の」に賭けた初入閣:渡部亮次郎□■■□

建国記念「の」日が初めて施行された昭和42(1967)年

2月11日。その時 園田直(すなお、故人)は衆院議員当選

既に9回なのに未入閣で衆院副議 長のまま。しかも4日後に

副議長に再選と言う椿事。

だが佐藤栄作首相は、園田の異能ぶりに感服していた。

忘れずにこの年 の11月25日に行った第2次内閣の

第1次改造で厚生大臣に抜擢した。

園田 は53歳の初入閣だった。

「建国記念の日」と定められた2月11日は、かつて紀元節と

いう祝日であ った。

紀元節は、『日本書紀』が伝える神武天皇が即位した日に

基づき、紀元 の始まりを祝う祝日として、1872年(明治5年)

に制定された。

この紀元節は、1948年(昭和23年)(連合国による占領下)に

制定され た「祝日に関する法律」附則2項で、「休日ニ關

スル件」(昭和2年勅令 第25号)が廃止されたことに伴い、

廃止された。

しかし独立を果たす1951(昭和26)年頃になると紀元節復活

の動きが見 られ、1957年(昭和32年)2月13日には、

自由民主党の衆院議員らによる議 員立法として、

「建国記念日」制定に関する法案が提出された。

とはいえ、当時野党第1党の日本社会党が、この「建国

記念日」の制定 を「戦前回帰、保守反動の最たるもの」と

非難・反対したため成立しな かった。

1957年8月2日、神社本庁、生長の家、郷友会、不二歌道会、

修養団、新 日本協議会などの右翼団体は紀元節奉祝会

(会長:木村篤太郎)を結成 して推進を画策した。

しかし、その後9回、法案提出と廃案を繰り返しただけだった。

これに目 を付けたのが1965(昭和40)年12月20日、

第45代衆院副議長に選出され た熊本県天草選出の園田直

だった。

社会党国対委員長石橋政嗣(まさし=長崎選出}と密かに手を

組み、建国 記念「の」日にして「2月11日」を国会ではなく

政令で定めるなら反対し ないと言う妥協案を創り上げた。

名称に「の」を挿入して「建国記念の日」とすることで、“建国

された という事象そのものを記念する日”であるとも解釈

できるように修正し たのである。1966年(昭和41年)6月25日、

「建国記念の日」を定める祝 日法改正案は成立した。

同改正法では、「建国記念の日 政令で定める日 建国を

しのび、国を 愛する心を養う」と定め、同附則3項は「内閣

総理大臣は、改正後の第二 条に規定する建国記念の日と

なる日を定める政令の制定の立案をしよう とするときは、

建国記念日審議会に諮問し、その答申を尊重してしなけ れ

ばならない」と定めた。

建国記念日審議会は、「粋人」菅原通済を会長に学識経験者

等からなり、 総理府に設置された。約半年の審議を経て、

委員9人中7人の賛成により、 「建国記念の日」の日付を

「2月11日」とする答申が同年12月9日に提出 された。

同日、「建国記念の日は、2月11日とする。」とした「建国

記念の日と なる日を定める政令」(昭和41年政令第376号)

を公布、即日施行した。
当に「の」が自民、社会両党の妥協を成立させた。

また佐藤内閣にとっては実兄の岸信介内閣以来、歴代内閣

の成しえなか った事実上の紀元節復活を成し遂げたので

あった。この「の」という奇 策への「回答」が園田の初入閣

だったのである。

私はこうした経緯を当時NHK政治記者としてつぶさに取材。

園田の頭の良 さにつくづく惚れた。彼が特攻隊生き残りで

ある事も知って尊敬した。
そうした事が後に私を外務大臣園田直の秘書官にした

理由である。(文 中敬称略)2008・2・10

「南京の真実」の大阪試写会
━━━━━━━━━━━━━
     毛馬 一三

20余年ぶりの終日降雪という荒天気に見舞われた大阪で

9日夜、映画「南 京の真実」第一部『七人の死刑囚』の

完成試写会が行われた。

会場の大阪八尾市文化会館プリズムホールに友人と共に

鑑賞に参じたが、 1400人収容の会場がほぼ満席となる盛況

ぶりだった。主催者の「南京の 真実」関西上映実行委員会

代表の開会挨拶に続き、同映画の製作・脚本 ・監督の水島

総氏が登壇して、映画製作の意図を披露した。

水島監督は、「東京裁判(極東国際軍事裁判)の原点は、

でっち上げ 「南京」の告発から始まったものだ。いい加減

な証拠と証人で、7人が死 刑に処せられた。歴史のウソを

正し、南京の真実を後世に伝えるため、 史実と

1!)も違わないリアルなセットを再現し撮影した」とのべた。

そして「この映画によって、『南京30万人大虐殺』はなかった

という厳 然たる事実を、未来のこども達に伝えなければ

ならない」と、秘めた製 作意志を熱ぽく語った。

「試写会」が始まった。ストリーは巣鴨プリズンに収監されて

いた「東 京裁判」の戦争指導者「7人(A級戦犯6名とBC級

戦犯1名)の死刑囚」 に死刑執行が告知された瞬間から、

執行までの24時間をドキュメンタリ ータッチで描いたものだ。

ドラマは、執行時刻が刻々と切迫する中、一組の寝具と一脚

の座り机し かない3畳ほどの独房で居ずまいを正す7人の

実像を、際立った表情のク ローズや強烈なノイズを折り混ぜ

ながら、新事実のセットの中で展開し ていく。

主人公は、死刑判決を受け処刑された松井石根中支那方面

軍司令官兼上 海派遣軍司令官、陸軍大将(浜畑賢吉役)で、

このでっちあげの「南京 事件」の告発で「東京裁判」での

死刑判決が出されたと見方にもとづき、
主役松井大将の証言を主軸に「東京裁判」そのものの不

当性を暗示して いく手法だ。

また、慫慂として死に就く7人の一人ひとりに心の安らぎを導き、

家族と 日本人宛ての遺言と辞世の句を託される役目を担う

僧侶花山信勝(三上 寛役)をクローズアップすることによって、

7人の不動の心の有り様を描 き切っている。

映画の中で目を見張ったのは、南京陥落の翌日の昭和12年

12月14日、東 宝映画撮影隊が南京に入り、その翌15日から

正月にかけて南京の状況を 撮影した記録映画だった。

花山僧侶の問いかけに松井大将が述懐する話 の内容に

重ねあわせる形で映し出す映像である。多くの日本人が未だ

見 たことが少ない貴重なフイルムだった。

この中で、南京城内で中国人を「兵を民に分離」する登録

風景が映し出 されている。仮に30万者虐殺があったのなら、

憎しみのある日本軍に、 にこやかな表情で長蛇の列を作り、

分離署名に応じることはあるまい。

第一、日本兵が強姦・殺戮を平気でやる奴らだと思ってい

たら、憎しみ と恐怖心から集うことは考え難い。子供たちが

爆竹に笑顔で興じるシー ンも続く。強制されたてものだった

ら、あんな飛び跳ねる楽しい仕種は 出来ないだろう。

極めつけは、正月前の「餅つき」や「門松飾り」の行事だ。

虐殺のあと 累々と横たわる死骸の近くで、日本軍が平気で

正月準備ができるはずが ない。正月とは、日本における

厳粛な行事だからだ。この記録映画は、 まさに「大虐殺」が

あったといわれる同時期のもだが、そんな雰囲気は
微塵も感じさせない。

映画は、24時間切れのクライマックスへと移る。7人は2班に

分かれ、別 棟の刑場に向かう。水島監督が再現したセットの

刑場で、7人は相前後し て絞首刑の死刑執行に服した。

絞首刑の全容に至るリアルな描写に息を 呑む思いだった。

水島総監督は、なぜ「南京大虐殺」が捏造されたかについて、

i)中国 共産党政権が繰り返してきた自国民に対する

「大虐殺」を隠蔽するため。
i)一党独裁体制の内部矛盾への人民の怒りを日本に転嫁

するため。

i) 日本に対して常に精神的優位に立つための決定的

「歴史カード」を設定 するため―の3理由をあげる。


(映画「南京の真実」製作委員会・広報誌)

同監督は、「南京大虐殺」はなかったことを世界に知らしめ、

日本と日 本人の名誉と誇りを守るため、これから第二部

「検証編」、第三部「米 国編(英語版)」を製作したいとして

いる。

確かに、この映画第一部「7人の死刑囚」試写会を見て、

検証された歴史 の事実とリアルな演出に感動し、「南京の

捏造」に怒りを覚えた観客は 多かったはずだ。それだけに

水島監督が日本の誇りの保持のために挑む、
これからの第二部「検証編」の製作に期待したい。(了)

マケイン有利の観測記事
━━━━━━━━━━━
  古澤 襄

東京新聞の小栗康之ワシントン特派員が、11月の米大統領

選挙でヒラリ ーVSマケインの戦いになれば、マケイン有利の

観測記事を書いている。
逆にオバマVSマケインになればオバマ有利とみている。

私が得ている観測情報と似ている。ヒラリーとマケインは所属

する党派 は違うが、実は仲がいい。マケイン選対からは

大統領選が終わるまでヒ ラリーと食事をともにすることは

自粛してほしいと要請されているとい う。イラク視察にも

呉越同舟で2人は行っている。内政政策でも2人はリベラル。

アメリカの大統領選挙だから日本があれこれ言っても始まら

ないが韓国 の例もある。盧武鉉大統領になってからは

日韓関係は冷却化した。盧武 鉉退陣は日本にとってプラス、

日韓関係も少しは良くなるであろう。

ヒラリー、オバマ、マケインの大統領候補で日本にとって

望ましいのは マケイン。マケイン・ブレーンには知日派の

リチャード・アーミテージ がいる。
ともに米海軍出身のコンビだからアーミテージを国防長官に

起用するか もしれない。アーミテージのアジア政策が

マケインに影響する可能性が ある。

ヒラリーに対日理解があるとは思えないが、ヒラリー政権が

誕生すれば、 その外交・安全保障政策に大きな影響を

与えるとみられる国際政治学者 のジョセフ・ナイ教授は

“ヘッジ政策”(中国の脅威に備えて日本を育て るリスク

分散政策)を唱えている。

分からないのはオバマ。安全保障政策に通暁している様子

もないし、オ バマ・ブレーンの存在も不透明である。下手を

するとアメリカの盧武鉉 になりかねない。日本にとっては

共和党の大統領が続く方がベターとい う結論になる。

<クリントン氏に不利? 共和候補マケイン氏なら 大統領選

【ワシントン=小栗康之】11月の米大統領本選挙で、共和党

のマケイン 上院議員(71)に勝てるのは民主党のヒラリー・

クリントン上院議員 (60)か、オバマ上院議員(46)か-。

こうした議論が高まると、ク リントン氏が不利になるとの

見方が出ている。

共和党が一足早く、指名候補を固めたことに対し、クリントン、

オバマ 両陣営は危機感を強めている。5日のスーパー

チューズデーで決着しな かった両氏の戦いは4月まで続く

との観測が出ており、どちらが指名候 補になっても、本選挙

への準備が遅れ、マケイン氏が有利になるためだ。

特にマケイン氏を気にしているのはクリントン陣営だ。

世論調査による と、マケイン、クリントン両氏の対戦になった

場合、支持率は同じか、 マケイン氏がやや上回る傾向がある。

米タイム誌が5日に明らかにした 調査結果では両氏とも

46%で互角だった。

しかし、マケイン、オバマ両氏の戦いになった場合、

マケイン氏41%、 オバマ氏は48%。マケイン氏が相手なら、

クリントン氏よりオバマ氏の 方が強いとの結果が出た。

また、党派対立の解消を訴えるマケイン氏は無党派層に支持

を拡大して いる。この層は本選挙のカギで、マケイン氏に

対抗するには、クリント ン氏よりも無党派層に圧倒的に

支持されているオバマ氏の方が期待でき る。

クリントン氏はこれまで政治経験や実績をアピールしてきたが

ベトナ ム戦争の英雄で20年以上の政治経験を持つ

マケイン氏が相手では、経験 を誇ることはできない。

加えて、マケイン氏との戦いになれば、イラク政策が大きな

争点になる。
米軍の駐留継続を主張するマケイン氏に、両氏は早期

撤退を迫ることに なるが、開戦決議に賛成した過去がある

クリントン氏は攻撃がしにくい。

クリントン氏は「共和党との長い戦いの中で生き残ってきた」と

訴え、 「勝てる候補」をアピールするが、オバマ氏と

マケイン氏の2人を相手 にする戦いはさらに苦しくなりそうだ。

(東京新聞)>
2008.02.09 Saturday - 14:22 comments(0) trackbacks(0) by 古沢襄
杜父魚ブログの全記事・索引リスト(2月1日現在1466本)