西村真悟の時事通信 ー「ハルとヒル」、そして、「南京の真実」 (重要です!)
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「ハルとヒル」、そして、「南京の真実」
No.330 平成20年 2月10日(日)
西 村 眞 悟
「ハルとヒル」と「南京の真実」は、一見、結びつきそうにない。しかし、私の頭の中では、結びついて浮かんでくる。
ハルとは六十七年前のアメリカ国務長官、ヒルとは現在のアメリカ国務次官補である。
「南京の真実」とは日本文化チャンネル桜主宰の水島 総監督による「南京大虐殺」の嘘を実証的に暴露する映画である。昨日九日夜、大阪八尾市のプリズムホールで東京に次いで二回目の試写会が行われた。
先ず、ヒル。これは現在のアメリカ国務次官補である。この彼が、最近、アメリカ上院の公聴会で、北朝鮮の核と日本人拉致を結びつけて考えるのは間違いで妥当ではないと証言した。
つまり、拉致被害者の救出を横に置いて、アメリカは北朝鮮をテロ支援国家リストから外すべきだと述べたいのである。そして、数百人の日本人拉致被害者を放置・無視して、北朝鮮に大規模な国際的融資を開始すべきだと言うのである。つまり、日本は自国民救出を忘れて、アメリカ様の言う通りに北朝鮮に金を出せとヒルが言っている。
次に、ハル。これは六十七年前のアメリカ国務長官である。
昭和十六年十月十六日に近衛内閣が退陣し、東條内閣が組閣された。新首相の東條は、天皇陛下は開戦回避のご意向であられると確認してその方向での努力を始める。
その東條内閣に十一月二十六日、ハル国務長官は、所謂、ハルノートを突きつける。それは、インドのパール判事をして、「このような要求を突きつけられれば、小国のモナコといえども銃をとって立ち上がるであろう」と言わしめた代物である。
つまり、アメリカを例にとれば、「奪い盗ったテキサスやカリフォルニアをメキシコに返せ。ロシアやフランスからどさくさに紛れて購入したアラスカやルイジアナも返せ。インディアンから奪った土地も総てインディアンに返して、もとの東部の十三州に引っ込め」というような要求がハルノートであった。そして、これを日本に突きつけたのが、ハル国務長官であった。
このハルとヒル、何か名前も似ているが、やり方も似ている。二人とも、日本にとって縁起がよくないところも似ている。
まず、二人は、自分の国のアメリカならどうしても飲めないことを日本には飲めと要求している点が同じだ。
アメリカは、アメリカ人数百人を拉致監禁している国に、それを無視して金を出せる民主主義国家なのであろうか。イラン革命時のイラン駐在アメリカ大使館員人質事件の時には、時のカーター大統領でも武装した救援部隊をイランに潜入させている。その救出作戦がヘリ墜落で失敗しても、国民はカーター大統領の決断を高く評価した。また全米で、ニュース番組の開始には「本日で人質は○○日拘禁されています」とコメントし拘禁日数をカウントしていた。これがアメリカだ。この世論と反対のことをアメリカ政府ができるはずがない。つまり、ハルもヒルも、アメリカなら飲めないことを日本に要求しているのだ。
次に、開戦しかないような要求を我が国に突きつけてきたハルおよびアメリカ国務省が、コミンテルンの影響下にありコミンテルンのスパイに取り囲まれていたことは既に周知の事実で、この環境の中から日本を開戦に誘導するハルノートが書かれたのである。
では、ヒルはどうか。
一昨年、ベルリンで北朝鮮と単独接触してから「検証可能な逆戻りできない完全な核放棄」の方針から、急転直下、部分停止に過ぎない「核の無能力化」に変化してきた。その間、北朝鮮要員といそいそと接触を続け北朝鮮国内も訪れている。これは、ヒルに対する北朝鮮の盛んな工作活動があったということである。
即ち、コミンテルンと北朝鮮という違いはあっても、ハルとヒルは、我が国の「敵」と親密になっている交渉相手であるということも似ているではないか。
そして、ハルもヒルも、共に国務省である。国防総省やCIAとは考えが違う。
従って、「一台でもテレビカメラがあれば、カメラの前に近寄ってきて映りたがる」というヒルの顔をTVで見るたびに、憎っくきコミンテルンの回し者ハルを思い起こすのである。
さて、このコミンテルン。二十世紀における最悪の残虐な戦争屋である。この組織こそは、レーニンの「帝国主義戦争から、内乱へ、内乱から、革命へ」というテーゼを世界中で実行するために謀略の限りを尽くしていたのである。
そもそも、第一次世界大戦の惨禍の中からロシア革命が勃発したこと自体がこのテーゼの的中であると共産主義者は勇み立っていた。今振り返れば、第二次世界大戦の惨禍から共産中国が誕生している。
その為、中国、アメリカ、日本の政府中枢に入り込んで、帝国主義戦争の仕掛けを構築していたのが、このコミンテルンであった。
先ず、アメリカのF・ルーズベルト政権はコミンテルンの絶好の活動場所という惨憺たる状態に陥っていた。よって、ルーズベルト政権は、親共産主義即ち親スターリン・親中国そして反日であった。また、昭和十二年七月八日未明に日本軍部隊に銃弾を撃ち込んで日華事変を引き起こしたのが、コミンテルンに指導された中国共産党であったことは、今や明らかである。
他方、日本国内のコミンテルン分子例えばソビエトのスパイであるゾルゲの協力者の尾崎秀実などは日華事変に対する政府の不拡大方針に反対する早期収拾反対論を煽って日中衝突を長引かせようとしていたのである。つまり、コミンテルンは、世界革命特に中国共産革命のために、日・米・中の各政府中枢に入り込んで、日中戦争泥沼化と日米衝突を画策していたのである。ヒル、いや、ハルは、その巨大な謀略の中の小さな小道具に過ぎない。
そして、この謀略の図式を「日本悪玉論」で隠蔽する「歴史の偽造」は、未だ中国共産党によって継続されている。
従って、昨夜の八尾における「南京の真実」の試写上映会は、実は、二十世紀の世界的謀略に立ち向かう日本民族が生み出した重大なる第一歩と言えるのである。歴史の偽造は、真実に基づいて徹底的に暴露しておかねばならない。そして、中国の「南京大虐殺」の如き偽造は、日本民族のみが暴露することができるのだ。
次は、昨夜の「南京の真実」試写会冒頭における私の挨拶である。
「中国から来た、毒入り餃子を食べ続ければ死ぬ。しかし、死ぬのは、食べた人だけである。では、中国から来る「南京大虐殺」をはじめとする「歴史の偽造」を放置し続ければどうなるか。
日本民族が死ぬのだ。それも、生きながら腐って。古来中国のおぞましい「宮刑」を受けたように。
即ち、青年から日本人の誇りと自信が奪われ、日本という共同体に帰属する意識をもてない砂粒のような存在に陥れられる。
「戦争は手段を替えた政治である」といわれる。六十三年前までの「手段」は何か。それは、銃と兵隊であった。では、今の「手段」は何か。それは、「歴史の偽造」という謀略・プロパガンダである。即ち、今も昔も、手段は違っても、同じ戦争が継続しているのだ。
従って、断じてこの中国共産党が仕掛けている「歴史の偽造」を打ち破らなければならない。これを実行できるのは日本民族しかない。
何故なら、革命によって自国民を数千万人殺した中国共産党は、中国民衆の怨嗟の目を逸らす為に、日本に暴虐の汚名を着せておかなければ自らの権力を維持できないからである。
また、アメリカは、日本の非戦闘員を殺すために、二発の原子爆弾を落として三十万人を殺し、都市を爆撃して東京だけでも一夜で十万人を殺した。このような人類史上最悪と言える無法を行ったアメリカにとって、自らの精神の安定を維持し良心の呵責から目を逸らすためには、本能的に日本が極悪の悪魔の国であったということにしておかねばならない。
よって、中国はもちろん、アメリカもこの「歴史の偽造」を暴露することはできないのだ。ただ、日本、日本民族だけが、この「歴史の偽造」を克服することができる。
これは既に、戦争である。戦争は続いていたのだ。この中で、この度、水島監督により、「南京の真実」が制作された。これを第一部として全部で三部作となる。この映画の力は、真実に基づいているが故に陸軍部隊百個師団の力に匹敵するであろう。これは、今の我々とかつて生きた先祖と、これから生まれる我々の子孫の為の戦いである。
従って、この映画を観るために雪の中を集まった我々は、既にこの戦いの「戦友」である。」
「南京の真実」第一部「七人の『死刑囚』」は、上映時間三時間の長編であった。しかし、千人の「戦友」は、三時間固唾を飲んで映像を見つめていた。第一部は、松井石根、東條英機両陸軍大将ら七名のA級戦犯と呼ばれた「死刑囚」が昭和二十三年十二月二十三日未明に処刑されるまでの約二十四時間を再現してある。マッカーサー連合国軍最高司令官による、各被告への死刑執行命令の伝達から、頸に縄を播かれて吊されるまでのドキュメントである。
真実の映像の力はすごい。
日本人であってもなかっても、この映像によって、東京裁判の無法と「南京大虐殺」の捏造に気付くであろう。日本人なら、痛恨の無念の思いが込み上げるであろう。
「南京の真実」の三時間の試写が終わった午後十時にも、千人の人々は席を立たず、その拍手は止まなかった。水島 総監督を始め制作関係者そして多くの支援者に深謝申し上げる。 (了)