心理学からみる日本人の弱点とその対策
世の中には、経済的弱者と強者、肉体的弱者と強者がある
ように、精神的弱者と強者もいる。
精神的弱者は争いを好まず、他人の意見に流されやすく、
繊細で傷つきやすく他人に理不尽なことをされても抵抗でき
ないばかりか、虐待に黙って耐えることしかしない。
精神的強者は、本能的に弱者をかぎ分けて弱者を支配する。
精神的弱者にとっては、自分の意見を言い、理不尽なことを
する相手を説得することが苦痛なのである。
ーーー黙っているほうが楽なのである。
ーーーそれで精神的弱者は、常に強者のクイモノになる。
精神的弱者は、強い相手には媚びて、必要以上に相手を褒め
たり、必要以上に高額なプレゼントを渡すなどして積極的に
友好的であろうと努力するが、自分よりも弱い相手には
不機嫌さを露わにする。
自分よりも弱い相手には、必要以上に口うるさく要求する。
神経質で、他人に対する要求が細かい。それができない
場合は、自分の怒りを抑えてひたすら不機嫌になる。
怒りを感じているが、怒りを感じる相手と離れることはない。
なぜならば、常に一人でいることを恐れるからである。
圧迫を感じる強者であれ、圧迫を与える身近な相手であれ、
とにかく孤独を恐れるあまり、常に誰かが側にいることが
必要なのである。そして、自分が相手から離れられないこと
に対しても怒りを感じている。
自立した大人ではない。いつまでも、身近な親のような相手
にしがみついていたい子供なのである。
自分が何をしたいのか分かっていない。
自分に自信が無い。自分の良さが分かっておらず、自分を
愛していない。だから親しくなった身近な相手に自分を重ね
合わせて、相手の中に自分を見いだして相手を憎む。
また、自分の不幸を全て他人のせいにする。自分から努力し
て状況を変えようとは思わない。自分を愛せないので、身近な
他人も愛せない。自分と関わり合いのない遠い世界の人間は
愛せるが、自分と関わる人間は自分と同一視してしまって
愛せない。
強い相手に依存している。強い相手の意見に従い、強い相手
に認めてもらうことだけを考えて生きている。だから他人が
自分を評価しないと極端に傷つく。
他人が自分の思い通りに動かないと怒りを感じる。
他人に対する依存度が高いので、他人が自分に奉仕しな
いことに腹を立てる。
他人には、他人の自由があることが分からない。
精神が子供なので、他人の自由を束縛することを何とも思わ
ない。他人に完全を求めるが、他人は完全ではないので
その要求は常に応えられない。ストレスが溜まるので常に
不機嫌である。
本当はイジケているので、少しでも自分が相手より優位にある
と思うと傲慢な態度になる。プライドが高いが、本当は自分の
実力や弱さを知っているので、ちょっとしたことで直ぐに傷つく。
異常に威張っている人は、実は大きなコンプレックスを隠し
持っている。傲慢は自信のなさの裏返しである。
素直に自分の弱点を認めて、それを克服しようと努力しないで、
弱点を隠すために傲慢な態度をとる。常に被害者意識を持って
いるので、何でも相手の言ったことを悪くとり、攻撃的になる。
たとえ態度に出なくても心の中では攻撃的になるのである。
一見おとなしそうに見えて、実は怒りを心に隠し持っている。
相手に怒りを感じたら、それを表し、相手に抗議するという習慣
がないので、それを自分で意識していない場合がほとんど
である。
そのストレスは、限界を超えるとウツ病になったり、体調が
悪くなったり、自分の身体に正直に現れる。またはいきなり
相手を殺傷するなどの行動となって現れる。
これを克服するには、自分という人間を分析して、良く知る
ことが大事だと思う。自分の弱点と長所を知り、完全ではない
自分を受け入れ、自分がまず自分を愛して大切にしようと
決断することが必要だ。
どういう時に自分がストレスを感じるのか見極め、精神や
身体を壊しそうになる自分の考え方や生活の仕方を
変えるか、嫌な相手に嫌な事をされないように改善の要求
をしていくとか、嫌な相手からなるべく離れて、一緒に過ご
さないなどの努力をするなど、具体的な対策を考えて実行する。
自分の考え方を変えないと、傍にいる相手を変えても同じ事
が起こる。自分の不幸を他人のせいにしないで、自分の
今までの行動を反省してみる。妥協する必要があるなら、
妥協点を考えてそれで満足し、その範囲でなるべく幸せにな
るよう試みてみる。
自分の本当にしたいことは何か、そのためにはどんな努力が
必要なのかを考えてみる。自分は、何をされると嫌なのか、
そのためには、どんな風にその嫌なことを阻止できるのか、
嫌なことを阻止するために利用できる人や物事があれば
利用してみる。
自分は、どんな人間でありたいのか、自分は他人にどう
思われたいのか書き出してみる。他人に、どう思われたい
かという部分が、自分のコンプレックスである。
他人に認めてもらうことが人生の目標となっていてはいけない。
自分がしたいことが道徳に反することであって、地球全体の
迷惑、自分の国の迷惑、他人の迷惑であってもいけない。
日本人は、戦争に負けた当時は食料も無く、戦後に餓死し
た人は戦時中に戦死した人より多かったという。
アメリカに東京、大阪などの大都市を無差別爆撃され、
また原爆を二度も落とされて、約30万人の民間人の死者を
出した。
そのような最低の状態の中から、朝鮮戦争やらベトナム戦争
やらの事情もあってアメリカに優遇されたのは事実だが、
日本人は、文字通り灰の中から立ち上がった。
昭和30年代の新幹線の開発や、東京オリンピックの時期
には経済的に急成長できた。途中、オイルショックなど大変な
時期もあったが、日本人は希望を捨てずに頑張ってきた。
日本人は、金持になったことで自信を取り戻した。それが逆に
弱点でもあったのだと思う。経済が落ち込んで金持でなくなれ
ば自信を無くすようになったからだ。
また日本人は、戦後、GHQの教育のせいもあって、戦争に
なった経由などの勉強をせず、ひたすら日本が一方的に
アジアを侵略したと思いこんだ。自分たちはアメリカに戦争を
仕掛けた結果、アメリカから罰を受けたのだと思いこんで
しまった。それで日本の首相自身も、歴史の勉強をしてい
ないものだから、アジアを訪問しては「侵略した」ことを謝る
ようになった。
世界の常識では、謝った者は罪を認めただけではなく、
相手に納得されるまで賠償金を払う必要がある。謝っても
赦されないのである。相手が「まだまだ」と言えば、永遠に
罰金を払わねばならないし、謝っても相手はそれを「水に流
して忘れる」ということはしてくれない。
それでも東南アジアの国々のトップたちは、日本の戦争が、
アジアを植民地にしていた西欧列強との戦いであったと
知っているので、「謝る必要はありませんよ」と言ってくれた
ものである。
しかし、東南アジアの経済を支配しているのは、西洋人が
アジア支配に使った華僑たちである。華僑は、日本軍と
アジアの独立のために戦った現地人に敵対して、西洋の側に
付いて激しく日本軍に抵抗した。そのために、戦争中は華僑
のゲリラはゲリラとして日本軍に始末されたのである。
東南アジアで、日本兵に恨みを表すアジア人は華僑系、だと
思ってよい。
日本が経済的に発展し、金があるうちは日本もいい調子で
謝り続け、金を提供し続けていたが、日本人も気が付いた。
東アジアは、日本人のようにお人好しでも善良でもないと
いうことに。ーーー東アジアの国々は、日本に対して抗議を
続ければ、いくらでも金を搾り取れるということを学習した。
チュウゴク人や朝鮮半島の人間は、日本人のように奥ゆか
しくも、おとなしくもない。彼らは、はっきり主張する民族で
ある。チュウゴクという大陸では、文字通り、食うか食われ
るかの戦国の時代があった。そういう時代が彼らを激しい
性格にしたのか、モングル族の元朝などに支配され、混血
して狩猟民族の血が混じったからなのか、それは分から
ないが、
チュウゴク人は、チュウゴク政府に反日を仕込まれており、
日本人を見ると日本兵に見えるらしく、いじけて攻撃的に
なっている。仕事で日本に来ても、わざわざ靖国神社に出か
けて、80歳の日本の老人を後ろから襲って国旗を奪い
日本の国旗を踏みつけ旗竿を折るような民族となっている。
助けに入った介護師も殴ってケガを負わせた。
また、日本のJRの駅では、口論をしている二人のチュウゴク
人を止めに入った日本の警官は、電車が入ってきている線路に
突き落とされ、右足切断、頭蓋骨骨折で意識不明の重症を
負った。
靖国神社で老人と介護師に乱暴を働いたチュウゴク人は、
チュウゴクのネットではスーパーマン並の英雄に奉り上げら
れている。
チュウゴク産の餃子に仕込まれていたチュウゴクの農薬で
日本人が死にそうになったという記事をブログに載せると、
「中国や韓国で日本兵がしたことを考えると当然だと思う」と
いうコメントを書いた人がいたが、東アジアの人々には、
餃子に農薬が入っていて日本人が苦しむことも、「報復」
或いは「復讐」の一種のように感じているのだろう。
チュウゴク産の餃子を食べて体調が悪化した人は、すでに
日本で1200人にのぼるという。これが、もしも従業員による
故意の事件なら、食の安全どころの話ではない。日本に食品を
輸出している会社の商品に従業員が毒を仕込めば大問題に
なると、これでチュウゴク人も学習したので、同じような事件
は今後また起こりうる。
チュウゴク政府に反日を仕込まれ、日本人に対して復讐心
を抱き、なんらかの行動を起こすような東アジアの人々に囲ま
れている日本人は、どう生きるべきか。ーーー黙って耐える
だけの精神的弱者でい続けていいのだろうか。
―― 日本がするべきことは明白である。
それは、精神的弱者が強者になる行程と同じである。
子供が大人になる過程と同じである。
日本人は、まず、自分を知るために、正しい歴史を学び、
日本が蒋介石と戦いたくなくて躊躇していたことを知るべき
である。蒋介石は、何度も日本からの停戦のアプローチを受け
ておきながら、自ら日本軍に戦いを挑んできた。
戦争を望んだのはチュウゴク人だったのである。
事実を知れば、日本を卑下する必要もない。
日本人は、日本の文化や日本の自然の美しさに気がついて、
それを守ろうとするべきである。自分を愛し、自分を大事にし、
自分を高めていく民族になるべきだ。
東アジアに対する怒りを心に秘めて我慢に我慢を重ねている
と、病気になるか、いきなり停戦の計画も持たずに戦争を
始めることにもなりかねない。
それでは、大東亜戦争=太平洋戦争)をして何も学ばな
かったことになる。
日本人は、チュウゴクや朝鮮半島にすごまれて言いなりに
ならないために、なめられないだけの自衛の軍と兵器を
持つべきである。日本人は、チュウゴクや朝鮮半島から
理不尽なことをされたら、きちんと口と態度で抵抗するべき
である。
いつまでもアメリカだけに自国の防衛を頼っていると、気が
付けばアメリカは親のように頼れる相手でもなく、頼りになら
ないし、チュウゴク・北朝鮮べったりの裏切り者になる可能性
だってある。他国には他国の都合があるのだ。
日本人は、金持であることに誇りを持つのではなく、真面目に
働き、技術を高め、すばらしい文化と自然を次世代に受け
渡していくことに誇りを持つべきである。
日本人は、西洋人に認めてもらおうとか、孤独になることを
恐れず、日本を存続させるために、利用するものは利用する
という賢さを持つべきである。もっと戦略的に、日本の
イメージと日本の領土を守っていくようにしなければならない。
世界で良く思われたいなら、アメリカで日本軍の悪口を言い
回っている華僑団体に対抗して、チュウゴクがいかに
いいかげんでウソつきで、人権を軽んじる信用できない国、
であるかを宣伝するべきである。怒りを心に閉じこめず表現
するべきである。
急に性格は変わらないだろうから、少しずつ、理不尽なこと
をされたら、怒りを表現できるように努力してはどうか。
怒りを表現できないような弱い立場なら、あらゆる努力をして
実力をつけ、誰が見てもこちらの意見が正しいと周りに思わ
れるような工作をしたらどうか。
個人の問題も、国と国の問題も、結局は同じである。