中国人の考え方とその生態は手に取っているようにわかりきったもののはずである
「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
平成20年(2008年) 2月6日(水曜日) 臨時増刊号
通巻 第2076号 (2月5日発行)
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書評
宮崎正弘『崩壊する中国、逃げ遅れる日本』(KKベストセラーズ刊)
評 石平
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宮崎氏の『崩壊する中国、逃げ遅れる日本』(KKベストセラーズ)が出版された今年の1月、中国経済にかんする二つの動向が注目されるところとなった。
その一つは、昨年12月において北京市中心部の不動産価格は20%前後の下落を記録したことが、2008年1月11日の中国中央電視台の関連報道で明らかにされたことであり、もう一つは、2008年1月の中国株市場では、上海証券総合指数は16.7%も下落して、月当たりの下落幅としてはここ13年間でワースト2の記録となったことである。
北京の不動産の20%の下落と、上海の株価の16.7%の下落、両方とも、暴落というべきほどの下げ幅である。
要するに、不動産と株という、中国経済の二つのバブルが崩壊する兆候をいっせいに見せ始めた、ということになったのだが、実はそれらはすべて、上記の宮崎著書において見事に予見されたことである。
「高騰した株式市場や不動産市場が暴落をおこすのは、近未来のシナリオではなくて、いまや時間の問題でしかない」と、本書がその「まえがき」からこう書いている。書籍出版の一般的な日程からすると、氏がこの一文を書いたのは去年の12月前のはずだっただろうが、その時点で、今後2か月内の動きがすでに見通されているのである。
2月の初頭になって初めてこの著書を読んだ私は、中国問題を見る宮崎氏の目の確かさと先見性に、改めて脱帽する思いである。
そういえば、氏のもう一冊の近著である『中国は猛毒を撒きちらして自滅する』(徳間書店)が出版されたのは去年の九月だったのだが、その数が月後の去年の12月から、中国産の「毒ギョーザー」は日本人の命を脅かすような事態がすでに発生していたのである。
中国のことに関して言えば、宮崎氏の見通しは常に、恐ろしいほどに的中してきたものである。
宮崎氏の中国観察は、どうしてそれほど確実なものとなるのか、物書きの一端くれの私にとっても大変興味の深い問題の一つだが、『崩壊する中国、逃げ遅れる日本』という上記の著書を読んでいると、なんとなく分かってきたような気がする。
おそらくその理由の一つは、中国問題を見る際の専門家宮崎の複眼的な視点にあるのではないかと思う。この本を通読してみれば分かるように、宮崎氏は中国問題の一つを観察し論じていくのにあたって、日本語の文献だけでなく、欧米発の英語の文献や台湾・香港発の中国語の文献も自由自在に駆使している。つまり氏は常に、グローバル的な情報源から中国にかんする情報を収集し、しかも世界全体の動きとの関連性において中国を捉えているのである。そして氏はまた、日本のチャイナワーチャの中でも唯一、ほとんど毎月のように頻繁に中国本土に足を運び、中国経済の実態や人々の生活ぶりをつぶさに観察している人である。おそらく氏にとって、中国人の考え方とその生態は手に取っているようにわかりきったもののはずである
言ってみれば、グローバル的なマクロの視点と、日常生活的なマイロの視点を同時に用いて中国を見ていくというのが、まさに氏の独特の中国観察法であるとは言える。だからこそ彼は、外から中国を見ることしか知らない一般の外国人観察者よりも、そして身近な内部から中国を見ることしか知らない多くの中国人自身よりも、この日本人専門家の宮崎氏は中国のことをよく知っているのである。
それこそ、宮崎氏の中国観察の強みの最大の理由のであり、中国のこれからを見通す時に思うずいぶん発揮された、余人の追随を許さない先見性の源ではなかろうかと、私が推測しているのである。
そして氏は本書においてまた、「中国の崩壊」と「日本の逃げ遅れ」を予言しているのだが、もし今度もまた氏の予見通り、日本の企業が逃げ遅れるようなことともなれば、それはただ、氏の言葉に耳を傾けない日本のバカな経営者たちの責任というしかないのである
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(読者の声1) 貴誌2075号にある関岡英之氏著の『大川周明の大アジア主義』(講談社)に対する書評を読んでご参考になりそうなことを思い出したので、お知らせいたします。
戦前、海軍大学校ではまだ大学を卒業したばかりで海軍大学校の生徒より若かった安岡正篤氏を講師として招いてしばしば講演をさせましたが、陸軍大学校では大川周明氏が同様な役割を果たしていました。
帝国陸軍と帝国海軍の風土の違いがしのばれます。
安岡氏の著書を読んで感激した八代大将が安岡氏を招待したそうです。八代大将は、ジーメンス事件後、事件当時首相であった山本権兵衛大将を退役させました。
事件の小ささからいって直接責任のない山本大将まで退役させることは当時では異例の
ことでした。これで、山本大将が自身進めていた海軍の改革を進めることはできなくなりました。現在では、ジーメンス事件は日本海軍の増強を恐れたドイツ皇帝がジーメンス社にわざとばれるようにやらせたというのが定説になりつつあります。
八代大将のような秀才で自分は果断かつ厳正な人物と思い込んでいる人間が、日本の国益を毀損してきたことはしばしばあったのではないのでしょうか。
私は幸いに八代大将のような秀才ではありませんが、自身の状況判断能力の小ささを謙虚に見切って、果断にばかげたことを行なうことは慎む所存です。
(ST生、神奈川)
(宮崎正弘のコメント)話は飛びますが、出版界に起こりつつあるちょっとした異変について。上記大川周明もさりながら、数年前に林房雄の「大東亜戦争肯定論」が復刻され、保田譽重郎全集が文庫でも完結し、さらに簔田胸喜に突如スポットが当たり、徳富蘇峰の終戦日記が全三巻、四万部をこえるベストセラーです。
この流れの中で大川周明に焦点が当てられた以上、次は北一輝、頭山満、内田良平と近代日本の本物の思想家への検証作業が続くのではありますまいか。
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「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
平成20年(2008年) 2月5日(火曜日)
通巻 第2075号
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((((((( 今週の書棚 ))))))))
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関岡英之『大川周明の大アジア主義』(講談社)
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知の巨人でもあった大川周明は往時、北一輝と並ぶ革命家でもあった。
戦後ずっと誤解され続けてきた。いや、いまもかなり曲げて誤解されている。
東京裁判で東条英機の禿頭をぴしゃりと後ろから叩いて、精神病院に入れられたが、つい最近まで「仮病」説が流布してもいた。
かれは戦後、イスラム研究に没頭し、コーランの翻訳解説も行うほどだった。それは岡倉天心いらいの東洋の思想的源泉をもとめたが故の知的営為であった。
大川は哲学者、行動家、宗教家、どう振り分けていいか分からぬほどの幅と振幅をもっていて、それでいて日米開戦を十数年前に予言する霊力も備えていた。
本書を書いたのは銀行マンとして北京に三年駐在した経験があり『拒否できない日本』を書いて保守論壇に登場した関岡氏だ。
ところが本書は大川周明の伝記というより周辺にいた人々の証言録といった方がふさわしい。
なぜなら大川の熱狂的祖国愛は遠景に配置されており、むしろ大川の思想を本書の前面で熱っぽく、あるいはやや自己中心的に事実を曲げて語るのは岩畔豪雄ら、その周辺にいた人物や弟子筋なのである。
そして小生にとっても夥しい知り合いが本書の随所で登場するのである。
知り合いというと怒られるかもしれないが、本書に登場して大川と大川塾と、大東亜戦争をかたった藤原岩市も岩畔豪雄も、岸信介、田中正明も小生は会ったことがある。
拓殖大学で教鞭をとった吉原政巳も、のちに拓殖大学理事長となった椋木蹉麿太も変な因縁から知っている。吉原とは、海外事情研究所所長時代に講演を頼まれた。椋木とは、なぜか、台湾からの留学生の保証人が同じで、亡くなるまで年賀状を交換した。
これらの人物が「歴史的人物」として大川を語るのである。
また大川を近年も語り継いだ政治学者の楠精一郎は学生運動時代の後輩である。楠は近代史を学問的に研究し、数冊の名著を仕上げて急ぎ足に去った。
本書に登場する重要証言者の藤原岩市は晩年の三島由紀夫が信頼した。
岩畔は後に京都産業大学を創設したときの黒幕だった。私は学生時代から編集者時代にかけてほかの用件で会ったが、ただの一度も大川周明に関して語ったことはなかった。
大川の思想的業績を側面から照射した貴重な一書である。
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(読者の声1)張作霖謀殺事件について、考えてみました。
1.張作霖の謀殺工作の黒幕と動機: 北京のソ連大使館を占領され張作霖の攻撃をうけたソ連の報復反撃
2.謀殺実行チーム
1)列車を停止させる組:河本大作と日本人。鉄橋爆破だけで殺害はしない。
2)殺人班:これは列車同乗の護衛隊に潜入していたソ連KGBの工作員(支那人)と考えるのが合理的である。
3.経過:河本組が鉄橋爆破で列車を停止させ、混乱の中で護衛隊は逃亡し、KGB工作員が存命の張作霖を救出するふりをして事故を装って殺害(撲殺など)。そのあと張作霖の妾の家である私邸に運び込んだ。張学良は一週間後に到着。
医学者の検死は無かった。奉天では事故直後から関東軍の仕業という噂が流されたがこれは用意されていたのである。
4.ポイント
1)動機:張作霖の死亡は日本にとって不利であるから殺す意味はない。結局張学良の反日行為を引き起こし、満洲事変に向かうのである。
2)徹底性:張作霖を除いても張学良を殺さないのでは意味がないのに関東軍は放置している。
これは関東軍が関係していない証拠である。
3)張学良の謎:親が殺されたのにノコノコ奉天に戻っている。それは関東軍の仕業ではないということを知っていたか、
関東軍が自分を殺さないという情報は入っていた。
4)列車走行ぶり: 日本人の抱くイメージとは違い、高速列車が爆破されたのではなく、低速走行の列車であった。
張作霖は列車事故による暗殺を恐れていたので絶えず予定を変えながらノロノロ運転で北京から戻ろうとしていた。
5)儀我少佐の同乗:張作霖の軍事顧問の儀我少佐が張作霖と同じ車両に乗車していたが無傷であった。河本が列車ごと爆破するなら日本軍人を爆殺することになるので殺人行為である。
関東軍の任務としては許されないことである。
(MC生)
(宮崎正弘のコメント)一連の物語をベッド・デテクティブとして、腕の良い小説家に書かせたいですね、この話を。
BED DETECTIVEは、シャーロックホームズ的な歴史の名探偵。日本での典型は高木彬光の『ジンギスカンの秘密』が有名ですが。。。。
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「教科書検定への政治介入に反対する会」が総括声明を発表
沖縄戦「集団自決」検定結果を厳しく批判
沖縄戦「集団自決」高校教科書検定問題について、4回の集会・2回の記者会見・文科省申し入れ等、同問題解決のために取り組んできた「教科書検定への政治介入に反対する会」(小田村四郎代表)は、1月29日、総括声明を発表し、国会議員等関係者に送付しました。
総括声明の内容は、「つくる会」が去る12月26日に発表した「抗議声明」と軌を一にしたものとなっています。
総括声明は次のとおりです。
沖縄戦「集団自決」検定問題の総括声明
虚構の軍強制記述を事実上承認し反軍・反日イデオロギーに屈した福田内閣
沖縄戦「集団自決」は日本軍の命令により強制されたとする高校日本史教科書の記述が、昨年三月、「沖縄戦の実態について誤解するおそれのある表現である」との検定意見が付されて修正された。「集団自決」は決して忘れてはならない悲劇である。だからと言って、いや、だからこそ、史実が歪められることがあってはならない。軍の「命令」や「強制」が無かったことは実証され尽した史実である。検定意見はそうした流れを反映した妥当な内容であった。
ところが、半年後の九月、検定意見撤回を求める沖縄県民大会が開かれ、発足早々の福田内閣がこれに呼応したことが今回の問題の発端である。上記集会参加者「十一万人」という主催者発表の数字は、謀略的に仕組まれた途方もない虚偽であった。しかし、「十一万人」の報道を受けて福田総理大臣は「県民大会に参加した多くの方々の思いを重く受け止め、文部科学省でしっかりと検討する」と表明し、渡海文部科学大臣は、「教科書会社からの訂正申請があればこれに応ずる」との方針を示した。また、国会にも与野党を通じて「軍命令・強制」記述を復活させようとする動きがあった。
検定意見の撤回を求める一連の動きは、教科書への不当な政治介入であり、検定制度の崩壊を導くものであった。こうした現状を座視できない我々は、政府関係機関や国会議員に対して過ちなき対応を求めるとともに、そのことを広く国民に訴えるために、昨秋から年末にかけて四回の緊急国民集会(内二回は記者会見を含む)を開いた。
文科省は十二月初旬、各教科書会社の訂正申請に対して、検定意見を撤回せず、「集団自決」が直接的な軍の命令や強制に基づいて行われたとする断定的な記述は認めない旨の「指針」を示した。これは、その限りで評価すべきであるし、我々の行動が他の有志国民のそれらと相まって一定の成果をあげたことを示すものでもあった。十一月上旬に各教科書会社から提出された訂正申請は、その内容が申請前の当初検定時の記述よりも明らかに「軍の強制」説の色合いが濃くなっていたのであるから、直ちに却下すべきであった。
しかし「指針」は他方で、住民が「集団自決」に追い込まれていった「複合的な背景、要因」の詳しい記述を求め、文科省は再度の訂正申請を促したのである。これでは検定意見の実質的な撤回と見られても仕方がない。
十二月二十六日、文科省はこの異例の再検定に最悪の結論を下した。すなわち、「強制集団死」という特定グループの新造語を認め、軍が追い込んだという趣旨の記述を復活させ、日本軍と日本社会にのみ集団自決の「背景・要因」を求めた記述を増やすなどによって、事実上の「軍強制」記述を承認し復活させたのである。
軍強制を根拠づける記述の承認は、教科書検定制度を有名無実化し、反軍・反日イデオロギーを公認する道である。それになにより、自決で散華された方々、遺族、当時の軍関係者、沖縄県民、そして日本国民及び日本国の名誉を傷つけるものである。
我々は、福田内閣の責任を厳しく糾弾すると同時に、そのような事態を阻止できなかったことを深く反省する。以上をもって、ひとまず当会の運動の総括とし、今後もあらたな形で運動を展開する決意を表明する。
平成20年1月29日
教科書検定への政治介入に反対する会
(代表)小田村四郎
(発起人)大原康男 高池勝彦 田久保忠衛 中西輝政 中村粲 福地惇
藤岡信勝 宮城賢秀 屋山太郎、渡部昇一、以上。
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渡部昇一さんの歴史の本は、
大好き。by日本のお姉さん