青木氏は、データや発言録を拾い集めて、米国の裏切りと中国との密約を鮮やかに推論している | 日本のお姉さん

青木氏は、データや発言録を拾い集めて、米国の裏切りと中国との密約を鮮やかに推論している

ようちゃん、おすすめ記事。↓
▼敵国になり得る国、米国 ●今週の書棚(宮崎正弘メルマガ)

■青木直人『敵国になり得る国、米国』(PHP研究所)
*89年6月4日の天安門事件のとき、クリントンは「平壌、北京からバグダッドにいたるならず者」と言って中国を非難した。このとき、パパ・ブッシュ大統領は密使を北京に送り、「制裁はジェスチャーだけだから」と密かにトウ小平に言って、適当にお茶を濁し、時間稼ぎをはかった。このときのパパ・ブッシュの外交ブレーンはスコウクロフト(大統領安全保障担当補佐官)、かれは最大最強の在米中国ロビィイストとして反日の先兵でもある、キッッシンジャー元国務長官の弟子、いまのブッシュの外交中枢を握るライス国務長官は、このスコウクロフトの弟子である。つまり全部が中国派なのだ。ならず者と攻撃していたクリントンは夫婦そろって北京の代理人のごとく、いや中国の買弁政治家に成り下がり、つまり米国がここまで北京になびけば、日本のいう拉致問題は、疎ましいだけの話なのである。青木氏は、データや発言録を拾い集めて、米国の裏切りと中国との密約を鮮やかに推論している


「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 
平成20年(2008年)  1月29日(火曜日) 
通巻 第2067号  (1月28日発行)

このドサクサに紛れて中国農業銀行も上場準備へ 
中国投資ファンドが400億ドルを救済の模様
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中国四大国有銀行のなかで、ほかの三つ(中国銀行、中国工商銀行、中国建設銀行)は香港に上場し、不良債権をどこかの帳簿へ移し替えるという手品のあと、世界の有力銀行に躍り出た。時価発行ベースでは中国工商銀行がシテイと並んでいる。手品の中身はともかくとして、次に「絶望」「再起不能」と言われる中国農業銀行が2010年をめどに上海に上場を予定しているという(ヘラルドトリビューン、1月28日付け)。単純に驚いた。ほかの三つの銀行は不良債権を国家のアカウントへ移転させて、香港への上場を手伝ったゴールドマンサックスも、メリルリンチもUBSも、この中国農業銀行だけには手をつけなかった。農民の預金と貸し付けを主業務として、ふるわぬ農業へ融資してきたゆえに不良債権の天文学的蓄積には、だれもが二の足を踏むだろう。ところが昨年度に同行は、不良債権のなかから42億人民元を返還し、税引き前の利益は400億人民元を超えたと発表された(新華社)。残りの不良債権は米ドル換算でおよそ1000億ドル。このうち400億ドルを、国家ファンド「中国投資ファンド」が出資し、2010年に上海株式市場への上場を準備中だという。
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((((((( 今週の書棚 ))))))))♪
▲青木直人『敵国になり得る国、米国』(PHP研究所)
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朝鮮とは二国間協議はしないと言明していた米国が日本に黙って秘密取引をやってきた。それまで「もっとも重要な国」だと言ってきた同盟国への裏切りである。マンスフィールド時代、「日本ほど重要な国はない」と大使自身が書いていましたっけ。だが、現在のブッシュ政権の日本に対しての、もっとも派手な、堂々の裏切りは北京との秘密協議である。すでに米中は抜き差しならない経済同盟関係にあり、日本のことなど、もはやどうでもより、軽い存在となった「ステークホルダー」(ゼーリック)の関係であり、「戦略的パートナー」(ブッシュ政権)となって、いまや「今世紀最大の重要国は中国」(ヒラリー)。日本は、『環境問題で北京と日本は話し合って協力せよ』(ヒラリー)と言う程度の位置づけでしかない。89年6月4日の天安門事件のとき、クリントンは「平壌、北京からバグダッドにいたるならず者」と言って中国を非難した。このとき、パパ・ブッシュ大統領は密使を北京に送り、「制裁はジェスチャーだけだから」と密かにトウ小平に言って、適当にお茶を濁し、時間稼ぎをはかった。
このときのパパ・ブッシュの外交ブレーンはスコウクロフト(大統領安全保障担当補佐官)、かれは最大最強の在米中国ロビィイストとして反日の先兵でもある、キッッシンジャー元国務長官の弟子、いまのブッシュの外交中枢を握るライス国務長官は、このスコウクロフトの弟子である。つまり全部が中国派なのだ。ならず者と攻撃していたクリントンは夫婦そろって北京の代理人のごとく、いや中国の買弁政治家に成り下がり、つまり米国がここまで北京になびけば、日本のいう拉致問題は、疎ましいだけの話なのである。青木氏はこういう。「米国と中国にとって、朝鮮半島はすでに両国対立の最前線ではありません。北朝鮮の核は、現実にはワシントンも北京も標的にされていない。両国が本当に恐れているのは、北朝鮮の核保有ではなく、それが日本を含む東アジア地域に『核の拡散』を生み出すことと、核が中東諸国やテロリストの手に渡ること」。だから北は核実験をやめる代替として米国に求めているのは『テロ指定国家の解除』と日本との国交正常化によるカネ。韓国の新大統領が思わず漏らしたように、日本からの100億ドルという援助のシナリオは、日本政府のあずかり知らぬところで、日本人のあずかり知らない裡に、すでに米国、中国、韓国にあっては既成事実化しているらしい、というのが国際政治の舞台裏である。青木氏は、データや発言録を拾い集めて、米国の裏切りと中国との密約を鮮やかに推論している。

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♪(読者の声1)「カミノコエ」という連絡網に下記の記事がでていました。
ーーー(引用開始)ーーーーーーー
「張作霖がコミンテルンに爆殺されたのはコミンテルンを知りすぎたからではないだろうか。黄文雄氏の論文を読むと、本当の被害者は日本。中共に謝罪と反省など全くする必要はないのがわかる。以下、黄文雄の著作から引用します。

 〈近代中国の騒乱の元凶は孫文
近代中国の争乱と悲劇の元凶のすべては「中華民国建国の父」「中国近代革命の父」などと讃えられている孫文だと指摘する人は実に少ない。しかしこうした認識がない限り、近代の中国史、日中関係史は正しく語れない。

もともと日本人の支持、支援、援助、指導あってこその孫文の革命運動だったが、辛亥革命後は自分中心の政権を樹立するまではと、延々と革命闘争を続け、そのおかげでこの国の争乱は拡大し、挙句の果てには日本を裏切ってコミンテルン幕下に入り、その指導の下で国共合作を行い、やがてそれが元で国共内戦が発生したと同時に、排日、侮日の嵐が巻き起こったのだ。

 〈国共合作が行われた裏の理由〉
孫文は辛亥革命以前、10回蜂起を行ってすべてに失敗し、その後の第二革命も三度の革命軍政府もみな失敗している。そのため「失敗の英雄」と呼ばれ、彼自身も遺言の中で「革命未だ成功せず」と言い残して死んでいる。彼が参加しなかった辛亥革命や第三革命だけが成功したことから見ても、結局は疫病神のような存在だったのだ。

 〈国民党に寄生して拡大した共産党〉
仕組まれた北伐軍の日本領事館襲撃事件〉
 北伐戦争という中国内戦に対し、日本や英米など各国は中立の立場をとっていた。
だが北伐軍が南京に迫ると、英米は日本に共同介入を要請した。ところが当時の日本は、対中宥和の幣原外交の時代であり、幣原外相はそれを拒否した。

中国側は日本領事館襲撃事件を通じ、日本が意外にも与しやすいことを見出し、排日、侮日の気勢はますます高まった。
この事件に関してはさまざまな説があったが、コミンテルンの陰謀説が有力だ。のちに張作霖の北京政府がソ連領事館を捜索したところ、クレムリンからの指令文書が見つかったのだ。そこでこの事件で領事まで殺されかけたイギリスなどは、ソ連と断交までしている。

中国人の残虐性のシンボルー済南事件と通州事件
 
〈西安事件で日中戦争への道を開いたコミンテルン〉
コミンテルンは中国共産党創設から国共合作までの間、中国に強い指導力を発揮していた。国共合作後、徐々に軍の主役として台頭しつつあった蒋介石に対しても、中山艦事件、上海での共産党員粛清、寧漢分裂など、コミンテルンとの不和事件は後を絶たなかったが、それでも彼の軍事作戦の背後には、つねにコミンテルン派遣の軍事顧問団がいた。ちなみに蒋介石がドイツの軍事顧問団に切り替えるのは国共内戦になってからだ。そして日独伊三国同盟後は、アメリカの顧問団がそれに代わった。

〈嫌がる日本を戦争へと引っ張り込んだ中国
盧溝橋事件を巡って最も論議されたのは最初の数発を撃ったのが日本軍か中国軍のどちらであるかという問題である。中国は一貫して、日本軍が行方不明の兵士捜索のため発砲してきたと主張してきたが、日本では最近すでに中国共産党の陰謀説が定着している。真犯人は宋哲元指揮下の国府軍第29軍に潜入していた張克侠副参謀長以下、多数の中国共産党員だったとの説、あるいは劉少奇の差し金とする説(劉少奇自身がそう語っていた)などがある。

コミンテルンと中国共産党が、嫌がる日本軍に無理やり始めさせたのが支那事変なのである。日本が何故「謝罪と反省」をしなければならないのか、まったく理解できない。

 〈本当の被害者は日本だった
日中間の戦争において、日本は明らかに被害者だったのだ。民国樹立から終戦に至る迄の間、中国は多政府の混戦状況から、一日たりとも抜け出すことはできず、そのカオスに日本は引きずり込まれたわけである。

日中戦争の後半は、明らかに日本が支援する南京政府、アメリカが支援する重慶政府、ソ連が支援する延安政府の三つ巴の内戦の様相を呈していた。そのなかで日本は南京だけでなく、重慶に対しても、内戦の早期終結と、「共同防共」との希望をすてなかった。

日中戦争の本質を客観的に言うならば、中国内戦に対する日本の人道的、道義的介入だったと言うことができるだろう。だがそれに対してスターリン=コミンテルンは、何としてでも日中戦争の長期化で国民党と日本を弱体化させ、共産党の拡大と日本のソ連攻撃の阻止を行い、中国で、そしてうまくいけば日本でも、共産政権を樹立させようと狙っていたのだ。

マッカーサーが朝鮮戦争を経て、日本が中国で戦っていたのは侵略ではなく、防共の戦いだったと悟った話は有名だ。
(黄文雄 別冊正論 08、「日中歴史の真実」)

(宮崎正弘のコメント)ユン・チアンの世界的ベストセラー、『マオ』の最大論点の一つも、張作霖爆殺は、ソ連の謀略だった、とソ連から入手した機密文書を用いて断定している箇所です。不思議に日本では、この箇所が論争になっていません。もうひとつ、最近若い学者の渋谷由里(富山大学準教授)の書いた『漢かんと英雄の満州』(講談社メチェエ)も、視座を別の次元に構えていて、日本人を脇にやっての中国史からの見方です。後者は定説に従って、張作霖爆破は通説通り河本説ですが。

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