プーチンの反応は大物スパイのイロハ ・護衛艦の出航を見送って 西 村 眞 悟
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■2008/01/27 (日) プーチンの反応は大物スパイのイロハ
プーチン大統領が拉致事件で示した特異な関心
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【グローバルインタビュー】ロシアはぎりぎりまで攻めてくる
ジェームズ・ニキシー英王立国際問題研究所部長
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英国の情報機関の衰退は第二次世界大戦で明らかに
なりました。
英国は米ソとともに戦勝国でしたが、チャーチルはスターリンに
してやられてしまったからです。
その証拠にCIA創設の貢献者は英国ではなくドイツのゲーレン機関
だったことは周知の事実で、米国も英国の情報能力に関しては
疑問を呈していたようです。
さて、リトビネンコ氏事件がなぜかくも公になってしまったか、
当地のその筋ではプーチンによって
「あれは英国の諜報機関の不甲斐なさを
恣意的に世界に見せしめにした」といわれています。
英露両国では今も昔も常に熾烈な情報戦を展開していますが、
今後いかに挽回するかはさておき、
どうも現時点では英国は旗色が悪いようです。
そういえばつい最近日本から某シンクタンクの方が訪独され、
お会いしました。
メンバーは機密漏洩の危険があるので少人数で、しかも主要国の
そちらの機関と密接にコンタクトを取り情報収集に携わっている
人物で、諜報機関に関しロシアの例も挙げ談笑しました。
私が申し上げ、彼も同意したことですが、
もし日本にそういう機関を作るとすれば、
シンクタンクもそうで、決して公にしてはいけない。
中枢は少人数でスタートし、主要人物は陰の人物に徹すること。
裏切り者は、証拠を残さないで消してしまうか、
二重三重スパイを強要し特別の形で監視下におくこと、
たとえ身内であっても・・・いや身内であるからこそ
という結論に至りました。
さて以下のニュースは日本が今後諜報機関を作るに当たって
『スパイ防止法』とともに、大いにわが日本国にとって
貢献してくれるものと私は思っております。
理由はご想像にお任せいたしましょう。
外国人長期滞在の条件に「日本語能力試験」
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日本語能力、外国人の長期滞在要件に 政府検討
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外国人登録証廃止、「在留カード」で国が一元管理
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護衛艦の出航を見送って
No.328 平成20年 1月26日(土)
西 村 眞 悟
先の時事通信で、二十四日のインド洋派遣補給支援部隊護衛艦「むらさめ」の出航を見送ることは、衆議院の再議決によってテロ特措法を成立させた議員の任務でもあると書いた。
よって、その出航状況をご報告したい。
先ず第一に、我が国のインド洋における補給活動中断は、百パーセント政治の責任である。天候悪化もしくは船の老朽化等によって中断していたのではない。
さらに、その政治における責任の所在も明確である。ここを無視し、また、忘れては、国民は政治選択の材料を失い、民主主義において知恵と教訓を積み上げ、政界における不良分子を淘汰して、よりよき政治を実現していくことが出来なくなる。
政界における補給活動反対の論拠は、憲法違反という一点である。そして、憲法違反という論拠を掲げることによって、論者は国際社会における我が国のプレゼンスという「国益」を無視した。
そこで、明確に言っておくが、我が国海上自衛隊のインド洋での各国艦艇に対する洋上補給活動は、憲法違反でも何でもない。
結局、論者は、反対するために「憲法違反という旗」を掲げている。この政治姿勢はかつての社会党の姿勢そのものである。
また、この度の補給活動中断において、我が国の国際社会における存在感という重要な要素が毀損されたのであるが、さらに、もう一つ、忘れてはならないことがある。
それは、現実にインド洋で補給活動をしていた海上自衛隊員から誇りを奪い、彼らに屈辱を与えたということである。
補給活動中断直前の、インド洋におけるニュース映像を思い起こして欲しい。テロとの戦いに参加している各国の海軍艦艇は、活動から離脱していく自衛艦に「戦友」としての別れの挨拶をしてくれていた。
彼らの戦友である各国艦艇は、なおもインド洋に踏みとどまってテロとの戦いを続けるのに、我が国艦艇だけがそこから離脱するのである。それも国内における憲法違反という評価つまり汚名によって。これは戦線離脱というより、「逃亡」に近い。
これは武人にとって大きな屈辱である。
我が国政治は、我が国の国益の為に苛酷な条件下で活動する隊員を憲法違反と侮辱し屈辱を与えた。
国益のために任務を尽くす国民(隊員)に屈辱を与える政治に未来はない。
二十四日朝八時五十五分、見送り議員は市ヶ谷の防衛省A棟に集合した。安倍前総理や防衛大臣経験者ら十数名が集まった。派遣に反対した民主党議員も二名いた。
そして、09:15、A棟屋上から陸上自衛隊の大型ヘリで海上自衛隊横須賀地区に向かい、09:35横須賀地区に着いた。
出港式は、10:00から接岸している「むらさめ」の前で行われ、防衛大臣、官房長官等の訓辞の後、派遣部隊指揮官の第一護衛隊指令が、
「我々の活動は憲法違反だと言われた。しかし、我々はそのような中傷を跳ね返し、意地でも立派に任務を遂行してくる」
と応えた。この答辞は立派であった。任務に誇りをもつ者の心意気を感じた。
これに対して、政治側の訓辞は、重要な任務であるから頑張って無事に帰ってきて欲しい、と言うのみで、そのような重要な任務であるにもかかわらず中断を余儀なくしたこと、その結果、貴官らの誇りを奪い屈辱を与えたこと、これらは送り出す側の政治の責任であるという自己認識が感じられなかった。
式が終了するに当たり、岸壁に整列していた約百九十名の隊員が「むらさめ」に乗り込んでいった。軍楽隊が軍艦マーチを演奏した。すると、我々見送り議員の後ろで、
「お父ちゃーん。がんばってねー。かえってきてねー。」
という子供達の声が聞こえた。
その時急に、小さかった林太郎が、私が海外に行くとき、同じように見送ってくれた時のことが思い出され涙が込み上げてきた。空を向いて流れ出るのをこらえた。
乗り込んだ隊員たちが船の舷側に並んで見送りの群れを見ている。子供達の「お父ちゃーん」という声が聞こえる。また舷側に並んだ隊員たちも各々家族を見つけて目立たないように小さく手のひらだけを振っている。
すると、「むらさめ」は滑るように岸壁を離れ、次に微速で前進し始めた。「帽ー、振れー」の号令で舷側の彼らは大きく帽子を振った。我々も、大きく手を振った。乗組員の子供達は、「おとうちゃーん」と大きく叫んでいた。
このようにして横須賀を出航した「むらさめ」は、一日遅れの二十五日に佐世保基地から出航する大型補給艦「おうみ」と東シナ海で合流し、五ヶ月間のインド洋での任務に就く。
我々もまた、かなりの強風の中、大型ヘリで市ヶ谷に帰った。
出航を見送ってから、我が国の国際的プレゼンスは守られるという安堵の思いがあった。
安倍前総理とは、行き帰りのヘリのなかでも向かえ同士で座ったが、総理退任直前に彼が補給活動は継続すると国際的に表明した約束は、一時中断したものの、これで守られた。
これは、我が国家の為によかったのである。
日本の為に意義のある護衛艦「むらさめ」の出航だった。