メイル・マガジン「頂門の一針」 1071号
□■■□─ 大阪府知事選で自公勝利:毛馬一三 □■■□─
大阪府知事選挙は、27日に投開票が行われ、33年ぶりの与野党激突
の同 知事選を制したのは自民・公明が支援する弁護士・タレントの
橋下徹氏 (38)だ。民主推薦と共産推薦の2候補を破っての初当選。
野党民主に先の参院選で大敗、政令都市の大阪市長選挙でも敗れ
た自公 陣営は、大都市圏のこの知事選を落せば、秋にも予想される
衆院選挙に 悪影響を与えることは必至という危機感から、腹を括って
の必死の闘い だったことは事実。
だから自公陣営は、この大阪知事選で「背水の陣」ともいえる奇策に賭
け、これを見事に勝利に結び付けた。
奇策とは、抜群の「知名度」を有する橋下氏には、街頭演説など表舞台
の活動を委ね、自公両党は一切表に出ない裏舞台での下支え活動に
終始 するという、表裏二面の作戦。全国主要都市の政党支援の
首長選挙では 異例のことだ。
早い話、選挙基盤となる組織固めや、広域選挙戦に欠かせない
広報活動 や集会動員戦術の手配りなど、経験豊富な戦術を弄し得る
プロ選挙実践 集団の堅実な役割を、自公両党が果たした。
橋下氏は、不得意とする分野を政党側に全面依存することにより、
思い 切った街頭活動に専念可能となり、府政にかける「エネルギー
と爆発力」 の意欲を有権者に思う存分見せ付ける、絶叫型舌戦に
没頭できた。
ところが、民主・共産陣営ではこの作戦を当初甘く見ていた形跡が
ある。
特に、有力対抗馬だった熊谷貞俊氏(63)を推す民主陣営では、
小沢代 表ら党幹部が応援に頻繁に駆けつけ、党主導スタイルを
誇示していけば、 大阪市長選挙を掌中にした“民主の追い風”に
乗って、タレント候補の 「知名度」など凌駕できると、踏んでいた
フシがある。
だが、自公陣営の二面作戦の効果に慌て出したのは、後半戦に
なってか らだった。第一、「政策論争」で対決する筈だった街頭
活動で、橋下氏 は、ひたすら「僕は悲しい!一緒に大阪を
変えよう!僕に賭けて!」と 感情表現で親しみを訴える作戦に出る
ばかりで裏を掻かれ、無党派層の 人気をさらわれるのが見えて
来たからだ。「お笑い票」も流れて行くの を実感し出したのも
この頃だ。
しかも小説家堺屋太一氏が、14名の同志で設立した「勝手連」を
橋下氏 の街頭活動の先頭に立たせる一方、橋下氏に同伴して
当初熊谷陣営寄り だった関西経済界の切り崩したことも、これを
頼りにしていた熊谷陣営 には痛打だった。
さて、当選した橋下氏は、選挙公約の中で「私が知事になれば、
大阪府 内を駆け巡り、市町村長と調整を行い、府庁が
“府民を笑顔にする事業 の投資会社”として機能することをめざし
ます」として、17の重点事業 の推進を掲げている。
そしてこれについて「役人に何か言われても、全部蹴り飛ばす」と、
橋 下氏らしい言い回しで、公約実現を何が何でもやり遂げるとの
気概を見 せている。
だが大阪府を取り巻く財政環境は、生易しいものではない。
<総務省の 調査では2006年の府内の事業所数は5年前と比べ、
5万5700ヶ所減。減少 率11.5%は全国ワースト1だ。
かって2位だった府民所得は、いまや7位。
東京に次ぐ2位だった人口も06年、神奈川県に抜かれた。>
(読売新聞)
橋本大二郎前高知県知事は<「大阪の商都としての歴史的、地理的
ポテ ンシャルは大きい。しかし大大阪であっても霞ヶ関にお伺いを
立てなく ては動けないなら、大阪再生は難しい」と地方分権の重要性
を訴える。 (毎日新聞)>。
自公両党は、大都市圏の大阪府知事選で民主党を破り、差し
迫っている 衆院選挙に向けて、民主党の攻勢に歯止めをかけ面子
を保った恰好。
しかし、橋下新知事には、5兆円の借金を抱える危機的な府財政
問題を打 破し「大阪再生」を図る、待ったなしの課題が山積しており、
喜んでい るばかりは居られない。苦難はこれから開始本番となる。
(了) 08.01.27
(渡部コメント)
この結果、「風」だけを頼んで衆院選挙呉での政権奪回を狙う
民主党の 勢いは鈍ることになる。そればかりか党運営に当る
小沢一郎代表の主導 権に陰が差すことになる。
衆院本会議の採決を捨ててまで応援に行った大阪知事選。
それで大負け したのでは示しがつかないというもの。
こんな政党に日本の舵取りを任 せる事はできないという論が再燃
するだろう。だからと言って、福田を 戴く限り自民の前途は暗い。
08・01・27
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顔色で見通す政局
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渡部亮次郎
<安倍前首相:「戦う政治家として再び全力を尽くす」
安倍晋三前首相が26日、地元・下関市の豊浦町と長門市で新春の
集いを 開いた。前首相は多くの後援会員を前に「再び戦う政治家
として、この 地選出の政治家として新たな思いで全力を尽くす」と
あいさつした。
豊浦町の川棚グランドホテルお多福では、山口選出の林芳正、
岸信夫両 参院議員のほか、後援会員約600人が出席した。
前首相は開会中の通常国会に触れ「国民生活を守るという観点から
与野 党が協力することも必要」と主張。
また、祖父の岸信介元首相の故事を引き「(戦犯として収容されて
いた) 60年前、刑務所を釈放されて政治活動を再開したのが
ネズミ年だった。
今年は同じえと。私も政治家として新たな歩みを始める」と述べた。
>1 月27日16時0分配信 毎日新聞〔下関版〕
ところで以下は一昨年秋に掲載したものの再掲だが安陪さんに
ついて 『頂門の一針』は総理就任前から政治家の顔色を見て
健康不安を指摘、 短期政権を予測していた。
政局を見通す記者が以前は居たからである。しかし今の政治記者は
顔色 を見ても判断できないから,見ることさえしない、と言う話。
昔、NHK政治部で一緒だった大谷英彦さんが、安倍晋三さんの顔色
の悪さ を指摘して「安倍政権、発足後、意外な展開になるかも
知れない」と言 ってきたので、なるほど鋭い読みだと敬服した。
<問題は、安倍晋三の顔のくすみです。(2006年9月17日の)フジ
とテレ朝 は3人がスタジオに同席していましたから、多分事前の
VTR収録でしょ う。想像ですが、収録も昼間だったと思います。
NHKは安倍だけ外からの中継参加でした。朝9時からのナマ番組です
から、多分、安倍さんは早起きしたのでしょう。
途中、3人を顔のドアップがありました。安倍さんの目の下の皮膚の
色 は他の2人と格段に違っていました。テレビは残酷です。
先にテポドン発射の朝、官邸に駆けつけた安倍官房長官は目の下に
隈が できていた、と週刊誌が健康不安を書いていましたが、それを
目の当た りにした思いです。
安倍政権発足後、この爆弾がどうなるか。意外な政局の焦点に
なりそう です。>(これが見事に的中した!)
今の政治記者は、政治家をわっと取り囲み、発言を一言も聞き
逃すまい と懸命だが、顔色を読み取ろうとしている記者をTVで見た
ことがない。
TV記者は映像と声を採取すれば終わりと、散ってゆくが、新聞や
通信の 記者もそれ以上はやらない。
昔はTVが無かったから、我々も政治家に群がったけれども、決して
其処 で真相は吐露されているとは考えられないから、どこかで
単独取材の機 会を狙って再度、取材を心がけたものだ。
ところが今は群がるだけのTV記者に惑わされるように、新聞、
通信の記 者も群がって終わりだ。さすがに夜回り、朝駆けはするが、
聞くところ によると、単独会見を試みる記者は少ないそうだ。
少ないどころか、夜回りでのオフレコ懇談後、記者同士で政治家の発言
内容を確認しあうという、驚くべき事実を聞いた。TVも新聞も記事が同
じなのは、このせいなのだ。
福田康夫さんにまとわりついて、挙句の果てはアメリカまでついていっ
て冷たくされながら、ひょっとして福田さんは総裁選に立候補しないの
ではないか、と書いた記者はどこにも居なかった。
わっと群がってメモを録るのに忙しく、肝腎の顔色を読む記者が1人も居
なかった証拠だ。顔色を読み、胸中を察すれば、立候補見送りのサイン
はとっくに出ていたはずだ。ここ1年、面会していない私ですら分ったの
に、残念なことである。
NHKでは海軍兵学校上がりの島 桂次さん(後に会長)からよく聞か
され た。
1 政治家は嘘をつく。特に記者会見で真実を語る政治家は見込みが
な い。不特定多数の居るところで本心を吐露するのは馬鹿だ。
したがって 記者会見は嘘吐き大会みたいなもの。
あくまでも単独会見をめざせ。
2.人間は嘘をつくときは緊張する。その後は小便をしたくなる。だか
ら記者会見の後に並んで小便をしながら、同じ質問をしてみろ。「実は
なぁ」という答えが必ず還ってくる。
実にその通りだった。当時、政治記者1年生の癖に自民党内実力No.1
の河 野一郎を担当させられていた。怖い印象だった。しかし、
ある日曜の午 後、選挙区の神奈川県平塚の演説会場に行って見た。
すると向こうが私を見つけ、自宅へ招いて、奥様と3人で夕食をともにす
ることになった。「やぁ、よく来た。政治記者はこれでなくちゃいけな
いんだよ」。ご本人も元朝日新聞政治記者だ。
何をご馳走になったか、思い出せない。緊張していたのだろう。しかし、
翌朝から、東京の私邸では、玄関で私を手招きして車に同乗させてくれ
た。
当時の総理大臣は「所得倍増論」の池田勇人さん。酷い嗄れ声の人だっ
たが、東京オリンピックを前に喉頭癌と分り閉会式と共に退陣を表明し
た。後継を佐藤栄作、藤山愛一郎、河野の3人で争った。
ある夜、恵比寿丘の私邸での夜回りを終えて車で坂を下り始めたら、河
野さんを支援している右翼の頭目が車で坂を登って来た。さては我々の
帰るのを待って来訪したのだと読んだ。
勘は命中。河野さんを支援している筈の彼がライバルの佐藤支援に回り、
河野さんに立候補断念を説得に来たのだった。この人はそれから10年以
上経ってロッキード事件で逮捕されたが、このとき既に田中角栄氏と組
んでいたのである。
あの時代でも、同僚の中には、政治家を電話口に呼び出して、コトを済
ます記者が居た。要領の良さを誇っていたが、島さんは「それじゃ、顔
色が分らないじゃないか」と怒っていた。
嘘をつく政治家が電話で舌を出しながら、政治記者を騙している、オレ
の手下にそんなお粗末な記者が居るとは情けないとの思いだったろう。
大谷さんはそうした政治の玄人好みの人だ。カラーTVで政治家の顔色を
知り、其処から安倍政権の、ひょっとしたら短命を読み取る。久しぶり
に「本当の記者」を見た。
蛇足ながら、安倍さんは腸が短いという欠点から、栄養の摂取に余裕が
ない。したがってスタミナが平均よりない、らしい。以前、長期間入院
し、「絶望視」されたことがある。
もし、腸が短いことが顔色になったのだとしても、腸を長くする事は誰
もできないのじゃないか。参院選挙で勝っても、短い腸に負ける心配は、
本人が一番していることだろう。2006・09・18 再掲08・01・28
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襲撃された側の話を聞く
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古澤 襄
政治記者になり立ての頃、迫水久常(さこみず ひさつね)という政治家
のところによく通った。池田内閣の時代である。政局取材が目的だった
わけでない。二・二六事件に関心があった。迫水氏は青年将校に襲撃さ
れた岡田啓介元首相の秘書官だった。
私ごとになるが、父・古沢元は青年将校側の橋本欣五郎大佐のブレーン。
私の妻・恵子は北一輝の血縁に当たる。襲撃した側に縁があるので、襲
撃された側の話を聞いておきたいという下心があった。
迫水氏は私の名刺を手にして「共同通信には親族の松尾文夫という男が
います」と開口一番言った。これには驚いた。松尾文夫氏とは同年の友
人だったからである。外信部の記者であった。
社会部の先輩記者・犬養康彦氏が五・一五事件で犠牲となった犬養元首
相の孫であることは知っていた。
だが二・二六事件で岡田元首相の身代わりとなった犠牲者・松尾伝蔵大
佐の孫が同じ職場にいるとは知らなかった。歴史の綾なす運命といった
ものを感じたものである。
松尾伝蔵・・・福井県人である。松平家の槍術指南の家に生まれ、旧制
福井中学から陸軍士官学校第6期卒業。日露戦争では歩兵第35隊の
中隊 長として旅順攻囲戦に参加している。
岡田元首相も福井県人。福井藩士・岡田喜藤太の長男として生まれて
い る。旧制福井中学から海軍兵学校に進学した。海兵第15期の
卒業生。岡 田元首相の妹が松尾伝蔵氏の妻。その縁で岡田内閣が
誕生すると松尾氏 は内閣総理大臣秘書官を拝命した。
昭和9年のことである。
さらに迫水氏の妻は岡田元首相の次女。岡田官邸は親族で固めて
いたこ とになる。迫水氏は「共同には親族がいる」と言ったが、
戦前の激動期 の人物の末裔が共同という職場に集まっていたこと
になる。
さらにいうなら松尾伝蔵氏の娘が大本営参謀だった瀬島龍三の妻と
なっ ている。華麗な閨閥の一族といわねばならない。
二・二六事件に戻ろう。昭和11年2月26日のことである。叛乱部隊の官
邸乱入に気がついた松尾氏は「総理、早く逃げて下さい。早く!」と村
上巡査部長、土井巡査とともに官邸の日本間に飛び込んできた。
官邸中 に非常ベルが鳴り響いている。
3人は岡田元首相を風呂場に押し込んだ。応戦した村上巡査部長が
射殺 され、土井巡査は兵隊の銃剣で刺されて息が絶えた。
官邸の中庭にまで 逃れた松尾氏は青年将校から斬りつけられ
「天皇陛下万歳」を叫んで絶 命している。
血のつながりはないが、岡田元首相と松尾氏はよく似ている。乱入した
兵隊たちは岡田元首相を殺害したと思った。風呂場に隠れていた
岡田元 首相は、辺りが静かになると女中部屋に隠れた。
秋本サクと府川キヌが 岡田元首相を押し入れにかくまっている。
二・二六事件当時の首相秘書官は迫水氏だったが、難を逃れていた。
官 邸に入ろうとしたが阻止され、麹町憲兵分隊の斡旋でようやく中に
入る ことができた。応対にでた青年将校の栗原中尉が「首相の遺骸
を見せる だけならいいだろう」と言った。
日本間に寝かされた遺骸をみて迫水氏はすぐ松尾氏だと分かったが、
素 知らぬふりをして官邸をあとにした。すぐさま大角海相に総理は
生きて いると告げて、陸戦隊の救出活動を要請したが、大角海相は
「迫水君、その話は聞かなかったことにしよう」と逡巡したという。
ここで再び麹町憲兵分隊の力を借りることになる。森隊長が「人命救助
は憲兵の任務である」と言ってくれて、まず少人数の弔問客を官邸に
入 れることで栗原中尉と話をつけた。憲兵曹長の小坂慶助氏が
女中部屋に 入って、岡田元首相を弔問客に変装させて奇跡の
脱出劇が成功した。
迫水氏は終戦時の鈴木貫太郎内閣の内閣書記官長として終戦工作
の一翼 を担っている。終戦詔書の起草に尽力した。敗戦後は経済
企画庁長官・ 郵政大臣などを歴任した。自民党の参院幹事長時代
には、河野謙三参議 議長の実現に尽力した。昭和52年(1977)に
74歳で亡くなったが、忘れ えぬ政治家の一人である。
2008.01.26 Saturday - 13:07 comments(0) trackbacks(0) by 古沢襄
杜父魚ブログの全記事・索引リスト(1月24日現在1435本)
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日本のお姉さんの意見。↓
こんな歴史の話しは
おじいさんしか、知らないから、
こういう古い出来事を書いておいて
くれるのは、ありがたいことだと思う。
年寄りは、若い人が生きていなかった時代の
ことを知っているから、貴重な存在なのだと
思う。年寄りの経験は、若い日本人が
知識として受け継いでいかないといけない。
おじいさんが書くメルマガは読みにくいけど、
歴史の話しが面白いから読んだ方がいい。
福井県の松平家の槍術指南の家に生まれた松尾氏は、
秘書としていのちをかけて岡田元首相を守ったのだなと
思った。
「官邸の中庭にまで 逃れた松尾氏は青年将校から
斬りつけられ
「天皇陛下万歳」を叫んで絶命している。」と
書いてあったが、岡田元首相と一緒に風呂場にいないで
敵を撹乱するために中庭に出たのかもしれないなと思った。
死に際に「天皇陛下万歳」を叫んだのは、
昔の人は戦いで死ぬときは、そう叫ぶということが
決まっていたからなんだろうな。日露戦争にも出た人だし、
天皇のために、死ぬことイコール「日本国を守ること」だという
認識だったのだろうな。岡田元首相を守ることも、
日本のためにやっているという強い気持ちがあるから
出た言葉なんだろうな。
今の民主党なんかは、日本のために政治をやっているというより、
在日韓国・朝鮮人と韓国のために政治をやっているような
感じで、「日本国を守ること」という意識など、誰も持っていないから
勝手に日本に来て在日特権をエンジョイしている在日韓国・朝鮮人に
外国人の国籍のままで、日本の政治に参加させるという
トンデモナイ法律を韓国の大統領が来日したときに、プレゼントしようと
しているんだ。外国人に自国の選挙に参加させる国がどこにある。
在日韓国・朝鮮人は70万人、在日チュウゴク人は60万人もいると
いうのに、そんな外国人に選挙に参加させたら、
地方から乗っ取られる。ただでさえ、在日は税金を払わない地域も
あるし、市役所に対してもゴリ押しばかりして好き放題しているのに。
NHKの集金係にも、「在日なんですよ。」と言えば
二度と集金に来ないとか。それだけ、危険な集団だと思われて
いるんでしょう。何かあったら、集団で圧力をかけて日本人を
脅すから、何でも思い通りになっているそうですよ。