地球史探訪: 天才・ユダヤと達人・日本(上)
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地球史探訪: 天才・ユダヤと達人・日本(上)
~ 成功したアウトサイダ、 ユダヤ人と日本人はアウトサイダーとして近代、西洋文明に参加し、驚くべき成功を収めた。
■■ Japan On the Globe(531)■ 国際派日本人養成講座 ■■■■
■1.19世紀、国際社会に引きずり出された二つの民族■
19世紀には西洋列強が近代科学による経済力と軍事力を用
いて、アジア、アフリカへの勢力拡張を急速に進めていた。日
本史を専攻するイスラエル・ヘブライ大学のベン=アミー・シ
ロニー教授はこう書いている。
急速に統合化が進む19世紀の世界には、一つの社会だ
けが全体から離れ、独自のルールにしたがって暮らしてい
けるような場所はなかった。[1,p75]
それまで独自の社会に閉じこもっていた日本人が、初めて国
際社会に「引きずり出された」のは、この時である。
17世紀には、日本が世界に扉を閉ざす権利を問題にす
る者はなく、その方針に異議を唱えるだけの力を持った外
国勢力もなかった。しかし19世紀になると、日本の孤立
は国際秩序への侮辱とみなされ、また西洋列強も、日本の
孤立を終わらせる手段を所有するようになっていた。北ア
メリカから東アジアへの海上ルートに位置する一国が世界
との貿易を拒否することは、拡張を続ける西洋にとって許
せることではなかった。[1,p75]
こうして日本はペリーの黒船による脅しに屈して開国したの
だが、同様に国際社会に引きずり出された民族がもう一つあっ
た。ユダヤ人である。
■2.ゲットーの中で孤立して生きてきたユダヤ人■
日本は西洋から最も遠い、海に囲まれた列島に安住して孤立
を許されていたのだが、ユダヤ人は西洋社会の中に点々と浮か
ぶゲットーの中で孤立した生活を送ってきた。
ユダヤ人がその故郷であるエルサレムを追われたのは、紀元
66年に反ローマ蜂起を起こし、70年に鎮圧されたのがきっ
かけだった。ローマ人はこの間、エルサレムにいたユダヤ人の
大半を虐殺または奴隷化し、その都市を破壊した。跡地には新
しい都市が建設されたが、ユダヤ人の居住は許されず、彼らは
千年にわたって宗教的首都であった土地から締め出された。
ユダヤ人は中東の近隣諸国に移り住み、そこから地中海世界
の他地域に広がり、ヨーロッパやアジアに四散していった。異
境の各地で、商業的職業的な貢献と引き替えに「容認される少
数派」の地位を得ようと努め、居住と労働を許された土地では
成功しても、やがて迫害されては逃げ出すという、地球史上で
も類を見ない放浪の民となった。
土地を所有する事のできないユダヤ人は、商業を主な職業と
した。商人なら財産として金を隠し持ち、危なくなればそれを
持って容易に逃げ出せる。しかも世界各地に親戚や仲間を持つ
ユダヤ人にとっては、国際貿易はうってつけの仕事だった。
中世ヨーロッパでは、ユダヤ人は町の一角に固まって暮らし、
そのコミュニティーの中だけで生活していた。16世紀には法
律によって、居住を町の特定区画に制限されるようになった。
これをゲットーと呼ぶ。最初にゲットーが出来たのは1516年の
ヴェネツィアである。「ゲットー」とはイタリア語で「鋳造所」
を意味するが、この地域にたまたま大砲の鋳造所があったから
である。
その後、ゲットーはイタリア、南フランス、ドイツの各地に
登場した。同様に大半のイスラム教国でもユダヤ人は隔離され、
孤立した一角に閉ざされて生きてきた。
■3.世界を驚かせたアウトサイダー■
フランス革命によって登場した「近代民族国家」という概念
で、全市民が平等に国家を構成する事を理想としていたが、そ
の中で異民族の共同体が独自のルールに従って孤立した暮らし
を営む事は許されなかった。そのためにユダヤ人は独自のコミュ
ニティの自治を放棄し、個人として西洋社会に入っていった。
日本人が一つのまとまった近代民族国家として外から近代世
界に引きずり込まれたのに対し、ユダヤ人は個人として内から
参加したのである。そして新たに近代世界に参加したこの二種
類のアウトサイダーは西洋社会を驚かせる才能を発揮した。
金融や国際貿易を扱う技術に長けていたユダヤ人は、近代経
済の要諦を素早く学びとった。文学や芸術、思想、学術の世界
でも、詩人のハインリッヒ・ハイネ、作曲家のグスタフ・マー
ラー、画家のアメディオ・モジリアーニ、精神分析学のジーグ
ムント・フロイト、経済学者カール・マルクスなどの天才が陸
続と現れて、それぞれの分野で革命的な業績を上げた。
日本も、1868年に明治維新を敢行すると、あっという間に郵
便、鉄道、陸海軍、義務教育、新聞、銀行、近代憲法と自由選
挙による国会を備えた近代国家を作り上げてしまった。
日露戦争では、シロニー教授が「東洋の強国が西洋の強国に
勝利したのではなく、むしろ近代化の進んできた日本が近代化
の遅れていたロシアに勝ったというべきなのである」[1,p83]
と指摘したように、高速戦艦によるT字戦法という独創的な新
戦術、新発明の下瀬火薬と高速高精度の砲撃技術による飛躍的
な破壊力向上といった技術革新が、世界海戦史上最大の完勝を
もたらした。[a]
さらに細菌学の北里柴三郎[b,c]、野口英世、化学の高峯譲
吉[d]など、開国後、半世紀足らずの間に、科学技術の分野で
も世界をリードする研究が現れた。
■4.天才・ユダヤと達人・日本■
このように同じく西洋近代社会を驚かせたユダヤ人と日本人
であったが、そのアプローチにおいては異なる特長を見せた。
日本が西洋の競争相手を凌ごうとしたのに対し、ユダヤ
人は、西洋の基本教義を改め、書き直し、新たなものと取
り替えようとした。日本人の業績は典型的な達人のもので
あり、ユダヤ人の成功の頂点には天才がいたのである。
[1,p84]
天才と達人という違いこそあれ、ユダヤ人と日本人が新参者
にも関わらず、西洋社会を驚かせるだけの実力を示せたのには、
訳がある。それまでの孤立した共同体の中で、高度の知的能力
を鍛えていたからである。
ユダヤ人は昔から「書物の民」と呼ばれていた。
敬虔なユダヤ教徒はほとんどの時間を宗教文書の前で過
ごし、その文書やそれについての注釈書を読み、朗唱し、
暗唱し、分析し、論じ、暗記する。・・・
幼児はベート・セーフェル(書物の家)に通い、年齢が
上がると青少年とともにイェシヴァ(座席)という高等教
育機関に学んだ。・・・
こうした学校で教えられる文章はどれも難解だった。ヘ
ブライ語ないしアラム語という、日常生活では話すことの
ない古代語で書かれているうえに、その内容は抽象的で、
謎めいていて、しかも議論を求めてくる。しかしユダヤ人
はそうした文章を幼児期から学び、暗記して、それについ
て難しい議論をすることで自身を訓練していった。[1,p62]
このように幼児期から鍛えられた高度な知的能力が、西洋社
会における文学や芸術、思想、学術の分野に向かい、偉大な天
才たちを生み出したのである。
■5.知的エネルギーの爆発■
日本人もまた孤立した世界で、高度の知的能力を磨いてきた。
中国文化は難解な外国語で書かれた複雑な書体というか
たちで日本に入ってきた。しかし日本人は、驚くほどの関
心を持ってそうした難解な書物を読み、理解し、習得し、
数世紀のうちに中国語の書体を学び、これを採用した。し
かも多数の中国語彙を日本語に吸収し、仏教と儒教という
偉大な宗教的哲学的体系をも自らの思想と宗教のなかに取
り込んでいったのである。・・・
徳川時代(1603~1868)の日本では、多種多様な学校が花
盛りだった。武家の男児はほぼ全員が幕府ないしは藩が運
営する学校に入って読み書きを学んだ。これ以外にも多く
の私塾があり、古典から蘭学(西洋の学問は当時こう呼ば
れた)まで、さまざまな分野の知識を得ることができた。
[1,p64]
幕末には全国で1万5千もの寺子屋や塾があったという。現
在の小学校が全国で2万36百校余りであるから、学校数とし
ては現代に匹敵する規模の教育制度がすでに展開されていた。
嘉永年間(1850年頃)での江戸での就学率は70~86%に
達していたと推定され、当時の最先進国イギリスでの大工業都
市における就学率20~25%をはるかに抜く水準であった。
[e]
19世紀初めのユダヤ人と日本人は、おそらく世界でもっ
とも識字率の高い民族だっただろう。[1,p65]
西洋諸国が切り開いた近代化とは、科学技術を工業生産や軍
事に適用するなど、高度の知識と合理的思考を活用することだっ
た。その知的能力をロシアや中国のように一部のごく限られた
階級が独占していたのでは、国家全体の近代化はなかなか進ま
ない。
ユダヤ人と日本人は、かつての閉ざされた社会の中で教育制
度を整え、そのような知的能力を多くの一般人に与えていた。
そこに蓄積されていた膨大な知的エネルギーが、ひとたび社会
の扉が開かれるや、西欧社会を驚かせるほどの爆発力を見せた
のである。
■6.自分たちの歴史文化への誇りを武器として■
ユダヤ人と日本人は西洋近代社会に参加したと言っても、自
らの文化伝統を捨て去って、にわか西洋人として登場したので
はなかった。逆に自分たちの歴史文化への誇りを武器として、
西洋近代社会に乗り込んでいった所に成功の秘訣があった。
ユダヤ人の西欧近代社会への参加において、大きな役割を果
たしたのはモーゼス・メンデルスゾーン(1729-86)であった。
ロマン派の作曲家フェリクス・メンデルスゾーンの祖父にあた
る人物である。
初めは伝統的なユダヤ教の教育で育ったが、その後、西洋式
教育を受けて、ドイツ語、ラテン語、ギリシャ語、英語、フラ
ンス語をマスターし、ドイツ啓蒙主義の指導的人物になったが、
正統的ユダヤ教から離れることはなかった。
メンデルスゾーンは、ユダヤ人はユダヤ文化に加えて西洋文
明を身につけるべきだ、両者は互いを豊かにするものだ、と主
張した。同時に古代ユダヤ文化を復興することを志し、文章は
古代ヘブライ語と近代ドイツ語の両方で書いた。古代ヘブライ
語の復活は、続く19世紀におけるユダヤ民族復興に道を開く
ものであった。
独自の民族文化に閉じこもることなく、またそれを捨てるこ
となく、自らの文化的バックボーンを堅持しながら、西洋近代
社会に参加するという姿勢は、その後のユダヤ人の生き方に大
きな影響を与えた。
ドイツ文学史最高の詩人と言われるハインリッヒ・ハイネは
27歳にしてルター派の洗礼を受けてキリスト教徒となったが、
終生ユダヤの出自を誇りとしていた。
20世紀最大の理論物理学者と目されるアルベルト・アイン
シュタインもユダヤ人であることを誇りとし、イスラエルの地
(パレスチナ)にユダヤ民族国家を再建しようとするシオニス
トでもあった。
■7.変化の正統性を古代に求めた復古運動■
メンデルスゾーンの主張は、日本での「和魂洋才」の考えに
通ずる。日本人もまた「和魂」という日本文化のバックボーン
を維持しつつ、「洋才」という西洋近代文明を取り入れようと
したのである。
慶応4(1868)年3月14日、京都紫宸殿で明治天皇が「五カ
条の御誓文」を神明に誓った。明治維新の精神を謳った御誓文
であるが、その第5条には「智識を世界に求め、大いに皇基を
振起すべし」とあった。「智識を世界に求め」て西洋近代文明
から学ぶことで、「皇基(皇国の基)」を振るい起こすことが
できる、というのである。[f]
そもそも明治天皇が神に誓う、という形式そのものが、日本
の政治の原初的な姿を表したものであった。そして、そこから
目指された「明治維新」も、過去を否定した「革命」ではなく、
あくまで「維新」("Restoration"、復古)なのであった。
シオニストと明治の指導者たちは、どちらも古い過去を
蘇らせることで近代国家を建設しようとした。シオニスト
は、異境で迫害され続けた直近の過去を拒絶して、ユダヤ
人が政治的主権を持っていた聖書の時代を志向した。明治
の指導者たちは、封建制をとっていた直近の過去を拒絶し
て、天皇が名実ともに支配者とされていた千年前の平安時
代初期を目指した。このように、シオニズムも日本の民族
主義も、変化の正統性を古代に求めた復古運動だったので
ある。
■8.自らの歴史文化への誇り■
自らの伝統文化を忘れ、即席の西洋人になりきって近代西洋
文明を学んだのでは、それに追いつくことはできても、達人と
して本家を凌駕したり、あるいは天才として新しい領域を切り
開くことはできない。
天才・ユダヤと達人・日本が新参のアウトサイダーとして近
代西欧文明に参加しながら、驚くべき成功を収めたのは、それ
ぞれの歴史と文化を誇りとするバックボーンを堅持していたか
らであった。
同時に、各人がいくら西洋文明から学んでも、それを個人的
利益のためだけに使おうとしたのでは、全体のパワーにつなが
らない。民族の歴史と文化への誇りは、各自がその共同体の一
員であるとの同胞意識を生み、民族全体の発展のために尽くそ
うという「志」を育む。ユダヤ人と日本人の近代世界における
成功は、同胞意識に基づく志の結果でもあった。
ユダヤ人と日本人がそれぞれの孤立した世界で展開していた
教育は、高度な知的能力と共に、自らの歴史伝統への誇りと愛
情を育んでいたのである。
(続く、文責:伊勢雅臣)
■リンク■
a. JOG(236) 日本海海戦
世界海戦史上にのこる大勝利は、明治日本の近代化努力の到
達点だった。
http://
b. JOG(463) 北里柴三郎 ~ 大医は国を治(ち)す
医の真道は人民の健康を保ち、その業を務めしめ、もって国
家を興起富強ならしむるにあり。
http://
c. JOG(383) サムライ化学者、高峰譲吉(上)
大勢の飢えた人々を一度に救える道として、譲吉は化学を志
した。
http://
d. JOG(384) サムライ化学者、高峰譲吉(下)
「日本は偉大な国民の一人を喪ったとともに、米国は得難き友人
を、世界は最高の化学者を喪った」
http://
e. JOG(030) 江戸日本はボランティア教育大国
ボランティアのお師匠さんたちの貢献で、世界でも群を抜く
教育水準を実現した。
http://
f. JOG(379) 文明開化の志士、福沢諭吉
無数のイギリス軍艦が浮かぶ香港で、諭吉は何を考えたのか。
http://
■参考■(お勧め度、★★★★:必読~★:専門家向け)
→アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。
1. ベン=アミー・シロニー『ユダヤ人と日本人の不思議な関係』★★★、
成甲書房、H16
http://
_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ おたより _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
■前号「中国の危ない食品」に寄せられたおたより
トラネコさんより
私はインターネットをやりだして6年ほどですが、ネットの
お陰でさまざまな情報を得ることができました。その恩恵の一
つが中国製品の危険性です。
昨年パナマでの中国製風邪薬での死者続出や、アメリカでの
ペットフードでの大量の犬猫の死亡が、向こう側から報じられ
て日本のマスコミも中国製品の危険性を報道しました。しかし
問題は私自身がこのことを5年も前から知っていたのに、日本
のマスコミ(週刊誌、月刊誌は除く)は殆ど報道しないか、し
ても目立たず、重要でないかの報道です。特にNHKはひどい
ですね。私は1昨年と昨年にわたり3度NHKに中国食品と環
境汚染の酷さを放送するようにメールしましたが、紋切型の社
交辞令的コメントのみでまったく反応がありません。
そして去年の海外の騒ぎを受けてやっとNHKは報道し始め
ましたが、むしろ北京政府は食の安全や環境汚染改善に取り組
んでいるという中国よりの報道がミエミエです。向こうも今年
の北京五輪に向け必死ですから努力はしてるでしょう。
ちなみに北京五輪開催には西洋諸国ではボイコットの声があ
がっています。スーダンのダルフールの人民虐殺に中国が石油
利権と交換に、スーダン政府に武器供与をしているということ
らしいのですが、日本では殆ど報道されません。それどころか、
政財界あげて北京五輪を成功させようなどと、国際社会とは正
反対の現象が起きている始末です。日本はかつての朝鮮王国と
同じ準属国なのかもしれません。
21世紀の日本の国際外交課題はいかにして中国への事大主
義をやめるか、でしょうね。特に日本のマスコミはジャーナリ
ズム精神を完全に失っています。私は新聞を何年もとっていま
せん。一方的に都合の良い情報のみを垂れ流す新聞の役割はイ
ンターネットによって「終わった」と思っています。インターネッ
トは私たち中高年はもっと活用すべしと痛切に感じます。
ヤマトさんより
私は鍼灸の専門学校を卒業し整体鍼灸業務を職業としている
者です。授業講義の中に漢方概論があり中国人の人体に関する
考え方が凝縮されています。
中国人の人体観は人体をそのまま見るのではなく、人間のど
ろどろした一面を当てはめていることに尽きるのではないかと
思います。
例えば、「敵の敵は味方」というようなものです。相生相克
関係といいます。隣を牽制するためにその次の隣に働きかけ味
方に引き入れるという人間関係の戦略を人体臓器にも当てはめ
る訳です。牽制ばかりの人体観では『信頼』など発生しようが
ない――とう訳で私は中国医学を捨てました。
人体は『和』の集約です。日本の伝統医学は「和」が中心な
のです。
なごみ1104さんより
最近感じることですが、店に並べてある食料品のうち、販売
業者名だけの表示で、原産国の表示が一切ないものが目立ちま
す。もちろん、食料品のみならず、化粧品その他、直接肌に触
れるもの、塗布するものも例外ではありません。
様々な情報から、中国製品(朝鮮製品ももちろんですが)の
恐ろしさを感じ、出来る限り、それらを避けてはおりますが、
原産国の表示を省略しても法律的に許されるものなのでしょう
か。いまや、スーパーに並んでいる肉などについても、生産者
の表示がなされるようになっている昨今、われわれの健康に直
接関わるものであり、これらの抜け道をなくすよう何らかの働
きかけが必要なときではないでしょうか。
■ 編集長・伊勢雅臣より
今週は欧州各地を旅行しながら、書き上げました。南フラン
スではフォアグラやタルタル・ステーキなど、日本人にはなじ
みの薄い料理にも挑戦しましたが、こういう料理でも危険性を
気にせずに食べられるのは、なんともありがたいことだと改め
て感じました。
読者からのご意見をお待ちします。以下の投稿欄または本誌
への返信として、お送り下さい。
掲載分には、薄謝として本誌総集編を差し上げます。
http://
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日本のお姉さん。↓
チュウゴク人は、
チュウゴクには4千年の歴史があると自慢するけれど、
チュウゴクには、過去の歴史を大事にしてきたような跡がありません。
政治が変われば、過去の征服者の文化遺産や書物を焼いたり、
芸術家や知識人を殺してきた民族だから、
あんまり文物が残っていないようなのです。
清国の文化も、ほとんど壊してしまったし、古くなった寺院や歴史的建物
は修復しているけど、昔の材料で再現するのではなくて、全部壊して
コンクリートで土台を作ったりしているから
味もそっけも無いと、天津に住む留学生が嘆いていました。
天津では、昔ながらの街並みを全部壊して、新しくケバケバしい
門も作り、似ても似つかぬ別の町が出来上がっているとか。
北京では伝統の民家をたくさん潰してしまったし、
もったいないことです。
ビルや道路なんか、たくさん作っても、香港や他の国と同じで面白くも
ない。
清国の文化は、朝鮮族の文化だから、漢人には、
どうでもいい文化なのかもね。
「ミッションインポシブル」という映画では、上海の汚い河ぞいの町を
撮影したというので、チュウゴク政府は怒って、チュウゴクでは、
その部分をカットして放映させたそうだが、
外国人が観光で観たいと思うのは、そういうチュウゴクの昔っぽい部分
なのにね。日本も、戦争でだいぶ、昔の町並みが焼けてしまったが、
チュウゴクよりは、古い物を保存していると思う。
奈良の正倉院などは、ずいぶん古い物が、大事に保存されている。
チュウゴクでは、読み方も分からなくなった楽器の楽譜なども
日本には残っていて、今でも読み方が分かる人がいる。
日本が楽譜の読み方を知っていたもので、チュウゴクの石窟の壁に
書かれた楽譜が解読されたらしい。
日本の方が、昔のチュウゴクの宝を大事に保存できているから、
本当の漢人のいたころのチュウゴクの正しい後継者は日本人なのかもね。
今の漢人は、モンゴル民族や朝鮮民族の雑種だし、
日本人が好きな、昔の漢人は、もう絶滅しちゃってる。
今の漢人は、文化を大事にしない、金の亡者ばかりで、気持ちが悪い。
日本と仲良くする気もなさそう。
本当は、経済的な関係では、持ちつ持たれつなのだろうけど、
チュウゴク人がそれを自覚していない。
上海では、上海人はそれほど、反日でもなく、
現実的な人が多いから、日本人は襲撃されたりしていない。
田舎から出てきた人が、恐い。怒りを心に秘めているから、反日デモが
あると、不満を表現する場所として暴れるらしい。
学生は、大体、反日。
幼稚園から、日本に対する憎しみを仕込んでいたら、
誰でも反日になるだろ!そういうのが、日本に来るから、犯罪者になっても
罪悪感が無いのだと思う。昔、戦争でやられたから、復讐をしている
気分になるんだとか。犯罪者にアンケートをとったら、そう答える
チュウゴク人が多数いたそうだ。