おすすめ記事3
ようちゃん、おすすめ記事。↓
▼「拉致なんて取り上げるのは日本外交として恥ずかしいよ。
あんな小さな問題をね」by 福田首相の外交政策ブレーン=
五百旗頭眞・防衛大学校長(島田洋一氏)
下記は、以前から「日本教育再生機構」(八木秀次理事長)の
ウェブ・サイトに載せてあるコラムだが、ここにも転載しておく。
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福田首相の、外交政策に関するブレーンNO.1は五百旗頭眞・防衛大学校長らしい。首相が発足させた「外交政策勉強会」の座長も同氏だ。五百旗頭氏の外交史研究からは、私も多くを学んできたが、下記でも触れたように、氏の、拉致問題に関する姿勢(「拉致なんて取り上げるのは日本外交として恥ずかしいよ。あんな小さな問題をね」)や、日本の名誉がかかった問題についての発言には首肯しがたいものがある。類は友を呼ぶ。事なかれ主義者・福田氏の今後の外交に、危惧の念を覚えざるを得ない。
「教育再生」に向けた提言[12] /島田洋一 福井県立大学教授、拉致被害者を「救う会」副会長、日本教育再生機構代表委員)
(安倍)政権誕生から4日目の9月29日、首相官邸において、安倍晋三首相、塩崎恭久官房長官はじめ政府「拉致問題対策本部」関係者と拉致被害者「家族会」、「救う会」役員による懇談会が行われた。終了後、横田早紀江さんが記者団に対し、首相が思わず涙した場面が大変印象的だったと語っていた。
実は私もその場にいて、強い衝撃を覚えた一人である。私の記憶では、あれは出席者が一通り発言し、司会役の中山恭子補佐官が首相に再度コメントを求めた時だった。
いつも通り話し出した安倍氏が、「五人の被害者の方がタラップを降りてきた時の喜びを、他の皆さんにも味わわせねばならない、今は私がその責任をもつ立場にあります」という段になって突然声を詰まらせた。すぐ持ち直したものの、テーブルを囲んでいた約20名のみならず、壁際に椅子を並べメモを取っていた多くの政府関係者にも、首相の決意と責任感がこの上なく明確に伝わったはずだ。官邸から帰る道すがら、全く対照的な場面が脳裏に甦ってきた。
5,6年前、後輩の結婚披露宴直前の控え室でのことである。話が拉致問題になり、五百旗頭眞氏(現・防衛大学校長)が興味なさげに次のように語った。「拉致なんて取り上げるのは日本外交として恥ずかしいよ。あんな小さな問題をね。こっちは、はるかに多くの人間を強制連行しているのに」。私が「救う会」に関わっているのを知る何人かが、一瞬身を堅くするのが分かった。反駁しようかと思ったが、場が場だけにグッと押さえた。それだけに一層不快な記憶として残っているのだろう。
その後五百旗頭氏が認識を改めたことを願うが、次代の国防を担う若者たちが、「拉致なんてあんな小さな」という空気のもとで教育されてはならないと思う。
安倍首相を突き上げた思いが、できるだけ広く深く教育の場に浸透していくよう願っている。
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ようちゃんの意見。↓
★拉致・誘拐は単なる民間の日本人同士の間で起きた出来事では無い。
北朝鮮という国連でも認められてる国家が日本と国家に、白昼、堂々と進入して日本の領土内で日本人を拉致・誘拐した事で日本の国家主権を侵害されたことを意味します。
これだけ普通の国なら武力行使を実行するのが普通の慣例です。
戦争をしかけて自国民の救出に向かいます。
国家主権の侵害の意味を理解して無い、一般民間の日本人とは異なり、防衛大学の校長がこういう認識が欠落してることは重要問題です。
まして「こっちは、はるかに多くの人間を強制連行しているのに」という マスコミ知識で在日の嘘の強制連行されて日本に住んでるなどと言う 虚言を信じてるとしたら事態は一層深刻です。
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▼職務として 殺人? (これ、見逃すな)
●足立区長が女性教諭宅弔問 「時効殺人」和解成立で(イザ)
東京都足立区立の小学校で1978年、教諭石川千佳子さん=当時(29)=が同小の元警備員の男(71)に殺害された事件をめぐる民事訴訟で遺族との和解が成立したことを受け、近藤弥生・足立区長が23日、北海道小樽市にある石川さんの実家を弔問に訪れた。石川さんや家族の写真が飾ってある居間の隣にある仏壇前で、近藤区長は「長い間、土の中にいた石川さんのことを思うと、申し訳なかった」と手を合わせた上で「足立区の子どもたちのため尽力されたことに感謝します」と頭を下げた。
対応した石川さんの弟憲さん(56)と雅敏さん(54)は「区長自ら訪問していただき、姉の無念も少しは晴れたのでは」と話した。男は78年8月、石川さんを殺害した後、遺体を自宅床下に埋めた。区画整理事業で立ち退きを求められ、26年後の2004年に自首したが、殺人罪の公訴時効が成立しており、起訴されなかった。
遺族が男と区に損害賠償を求めた訴訟の1審判決で男に対しては慰謝料など計330万円の支払いを命じたが、区への請求は除斥期間(権利の存続期間)の20年が経過したとして棄却され、遺族が控訴。東京高裁で20日、区が2500万円の和解金を支払い、哀悼の意を表することなどを条件に和解が成立していた。男に対する訴訟の判決は来年1月に言い渡される予定。
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え????足立区では 勤務時間に 殺人しろ という ことを 命じたのですか?それとも 「人を殺すことは 悪いことです」 と 職員に 教育してなかったのが 怠慢だと いうのでしょうか? または 、人を殺す 可能性の ある人物を 採用したのが 悪いんでしょうか?
こんなことでは 採用時に 思想 身上 その他 あらゆること を調べ上げ 採用してからも 四六時中 職員の行動を 監視 監督しろ
となるはずですが ?それで いいのでしょうか? 区も 「どうせ 区民の税金で 穴埋めすれば いい」ともかく 謝罪しておけ
では? やるんだったら 和解金は、区長以下 職員の 給料から 出せ!
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ようちゃんの意見。↓
★足立区は左翼が一番の多いところですよね。 福田ソラ豆になってから、やたらばら撒きが多いですねー。安易に税金から保障することをしてたら、
無辜の無関係な区民の懐から増税という形で出てゆくか、財政破綻で最終に苦しむのは普通の一般住民です。
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▼中国識者討論「中国は円借款に感謝すべきか」の注目点 (大島信三)
12月20日夕刻、NHKのBS7「アジア・クロスロード」で、香港PHXの時事討論会が放映されました。今回は、<中国は円借款に感謝すべきか>という、日本にとってじつに興味あるテーマでした。ご存じのように、中国に対する円借款は、今年度をもって、打ち切りとなります。超大国である中国にいまだに援助していたのか、という声もある一方で、円借款という切り札を失うことを危惧する声もすこしではありますが、聞かれます。
完全カットではなく、無償資金協力や技術協力は、従来どおりに継続されます。昭和55(1980)年度からの対中経済支援において、円借款の供与総額は、3兆3165億円に達するといわれています。その多くは低金利の融資ですが、民間ではありえない好条件となっています。
そこでまず、この無償資金協力や技術協力が、従来どおりに継続されること。供与総額、好条件などが、討論で語られるかどうかに、留意したいと思います。なぜなら、これらの点を中国の国民が十分に知らされているとは、思えないからです。
円借款というのは、はっきりいえば、ODA(政府開発援助)の一環であり、外交カードです。国益のための重要な戦略として、巨額の税金が投入されています。それが、中国の軍拡に迂回して使われている可能性があり、しばしば疑惑が報じられてきました。むろん、対中ODAの日本側の不信感を中国側は知っているはずです。そこでつぎに、討論で、円借款と軍拡の関係が、日本側の懸念として、ほんのちょっとでも話題になるかどうかに留意したいと思います。
日本の巨額援助を中国の国民が、ほとんど知らないのは、要するに、中国政府のPR不足です。これは、意識的なサボタージュの面もあるでしょう。その点を識者は言及するかどうかに注目したいと思います。当然、討論では、日本に対するきびしい見方も出てくると思います。それでもなお、こういうテーマが設定されたこと自体、日本にとっては、マイナスではありません。今回の出席者は、新聞編集長の郭一鳴氏、時事評論家の李煒氏、香港珠海書院教授の譚志強氏です(司会は、黄海波氏)。
司 会 時事討論へようこそ。12月1日、日本がおこなっていた中国への円借款を終了することが、中日両国の外相会談で正式に決まりました。円借款は、1979年から始まり、合計3兆円を超えています。これについて中国の楊外相は、「30年近く、中国の経済発展と中日の経済貿易関係の拡大、それに中日友好に積極的な貢献をした円借款を高く評価する」と、述べました。しかし、日本の共同通信社は、つぎのように報道しました。<中国側は、円借款を高く評価したが、感謝はしなかった。双方の認識には、微妙な温度差がある」と。
そこで、きょうは、<中国は、円借款に対して感謝する必要があるか>というテーマで議論していきたいと思います。皆さん、いかがですか。
郭一鳴 共同通信が伝えているように、円借款について中日の間で認識のちがいがあると思います。円借款が、どのようにしてはじまったか、その経緯を正しく認識していない日本人もいるようです。そういう人たちは、よいことをしてあげたのだから、感謝してほしいと思っています。
そもそも円借款は、1979年、当時の総理大臣だった大平正芳氏が中国を訪問したことから始まりました。それまでの中国は、日本ともアメリカとも良好な関係を保ち、旧ソビエトが共通の敵でした。また中国は、日本との国交を正常化する際、「戦争の賠償金を請求しない」と、決定しました。中国は、道義を重んじる大局に立った考え方から、そうしたのです。しかし、日本の経済界からは、「中国に借りができるので、なにかしなければならない」といった声があがりました。そこで経済力がある日本は、改革開放政策を始めたばかりで、資金不足だった中国に、円借款という形で借りを返そうと考えたのです。
とはいうものの、円借款は、決して返さなくともいいお金ではありません。無償援助もありましたけれど、全体の10%ていどにすぎません。それに、円借款には条件がついています。借りた金は、日本が指定したプロジェクトにしか使えません。日本も、円借款と対中貿易をからめていたのです。ですから、客観的に考えて、日本も円借款によって、貿易や投資で利益を得てきたといえるのです。
司 会 感謝する必要はない、ということですね。
郭一鳴 そういう意味ではありません。有終の美を飾る、という意味でなら、感謝のことばを述べるべきだと思っています。ただし、円借款の終わり方や、位置づけまでが変わってしまったことが、釈然としないのです。さいごは、まるで日本が中国に恵んでやったお金のように思われていました。円借款の終了が発表された頃は、中日関係がもっとも冷え込んでいたため、認識が変わってしまったのです。
このような状況のなかで、「感謝を示せ」といわれても、それはムリな相談です。
李 煒 郭さんの説明には、重要な部分が抜け落ちています。円借款は、大平(正芳)元首相が、鄧小平氏と協議したうえで決めたのです。当時の中国政府は、<国内外に債務はつくらない>という経済政策のキャッチフレーズをかかげていました。つまり、資本主義の資本を、中国の社会主義建設にあてることは、大きな思想的タブーでした。
1978年にひらかれた共産党の全体会議で、はじめてそうした思想の解放が打ち出されました。そこで円借款をきっかけにして、中国の社会主義建設は、はじめて外資を利用できるようになり、改革開放の追い風ともなったのです。
さらにいえば、円借款には、3つの特徴があります。
第1に、低金利の借款だということです。日本政府が貸し付けた利子は、平均1%未満で、大変な低利です。
第2に、条件付きの借款だということです。つまり、このお金で日本の製品を買ってほしいということなのです。アメリカや、ヨーロッパなどにも低金利融資で、貿易の決済をしているものがあります。それでも、日本のような低金利のものはありません。
第3に、長期の返済期間です。15年、20年、なかには50年、半世紀に及ぶものもあります。
司 会 期限が30年の場合、期限が10年の延長も可能です。
李 煒 そうです。延長も可能です。これは一般的な融資ではなく、円借款を利用したODA、政府開発援助プロジェクトなのです。このうちの80%が、低金利の円借款を利用し、残りの10%が無償資金協力、さらに残りの10%が無償技術協力です。この2つの無償協力は、円借款の打ち切り後も継続します。長い歴史の観点からみても、円借款には、大きな意義がありました。北京の地下鉄や、空港など、いくつものインフラ整備は、円借款なくして完成はありえませんでした。山西省の炭鉱で石炭を外へ運び出すことも可能にしました。
司 会 円借款がなければ、わたしたちには、その存在すらみえませんでした。
李 煒 ええ。知りませんでした。
譚志強 わたしは、知っていましたよ。当時のわたしは、台湾の大学で勉強していました。日本の中国に対する円借款は、台湾に大きな衝撃を与えました。関連資料を読むと、中日の間で、円借款にかんする密約があったようです。日本人にとって、円借款は、謝罪の意味もあったわけです。つまり、戦争の賠償の代わりに低金利の円借款を提供するというものです。しかし、時代は変わりました。円借款の調印式に臨んだ双方の当事者たちは、ほとんど亡くなりました。いずれにしても、30年前の中国は、外貨が不足していたため、多額の円借款を得たことで改革開放を大きくすすめることができたのです。その意味では、日本に感謝すべきだと思います。
司 会 ここで、視聴者の投票結果をみてみます。
<中国は、円借款に感謝すべきか>
感謝すべき……………31・37%
感謝しなくともいい……68・63%
メールを紹介します。
<円借款で中国は助かり、一方、日本も市場が獲得でき、中国への支援を日本の経済発展に利用することができた>
<助けてもらったときに、お礼をいうのは、当然である。しかし、日本の侵略の歴史や、歴史認識は受け入れられない>
<円借款と、中国が戦争賠償を放棄したこととの関連性を明確にすべきだ。関連がなければ、お礼をいってもいいが、関連があるならば、感謝する必要はない>
<日本の侵略は中国に大きなわざわいをもたらした。戦争賠償を求めるなら、天文学的な金額となる。これまでの円借款を賠償金に換算しても足りない。中国は戦争賠償を放棄したが、日本は中国に借りがある>
李 煒 改革開放政策は、来年で30年になります。その間、もっとも役に立った海外の低金利融資は、日本の円借款です。郭さんは、感謝にはいたらないとおっしゃいましたが、借款全体の半分近くを占めているのですよ。
譚志強 日本に対する中国の貿易赤字も大きいと思いますよ。
李 煒 改革開放の当初、中国がもっとも不足していたのは、資金と技術です。円借款は、その手助けとなったのです。1990年代の中国には、計画経済の時期があり、全国的なインフラ整備に円借款がつかわれていました。いまでこそ、その規模は縮小していますが、累計は300億ドル。中国は、大国ではあるますけれど、ポーンと、それだけの金を、どこかの国に貸したことはありますか。
郭一鳴 李さんの意見も一理ありますけれど、温家宝首相は、この春、訪日した際、「円借款が、中国の改革開放政策に役立ったことを、中国人民は忘れない」と、述べました。これこそ、大国としてふさわしい振る舞いだと、わたしは感じました。でも、一方で、さきほどもいったように、お金を恵んでやったのだから感謝すべきだ、などといわれると、感謝などしたくなくなります。
李 煒 わたしは、1980年に就職しました。そのとき、広州でひらかれた貿易見本市で取引された額は、たったの10億ドルですよ。中国は、貧しかったのです。
郭一鳴 たしかに、当時の中国は、貧しい国でした。でも、いまは、ちがいますよ。
李 煒 貧しいときには、助けを求め、お金ができたら、相手を見下すのは、最低です。あなたは、それでも中国人ですか。
譚志強 日本が8年間、中国を侵略し、占領しなければ、中国はもっと発展しました。中国が貧しくなった原因は、日本による中国侵略のせいです。
郭一鳴 ひとつ、まちがいなくいえるのは、中国政府もメディアも、これまで円借款についてPRが不足していました。ただ、日本でも、円借款への理解に変化がうまれています。それが原因で、互いにしこりができてしまい、それで感謝すべきかどうかという問題になったのだと思います。こういうときこそ、中国の代表が、オープンな場でしっかりと見解を述べるべきです。
李 煒 円借款をめぐって、中国人と日本人の間にズレがあります。
譚志強 恵んでやるという態度です。
李 煒 円借款はあくまでも借款です。お互いに念書があります。中日の貿易を促進し、両国民の友好を推しすすめるものです。
司 会 商売人は、商売の話をすればいいのです。
譚志強 円借款には、利息もついていますよ。
李 煒 経済問題は、経済問題として、政治と結びつけるべきではありません。政治問題を経済制裁で解決しようとするのも、よくありません。
譚志強 だから感謝する必要はないのです。
郭一鳴 円借款は、商業活動のためにおこなわれたものではありません。
李 煒 今日の中日友好は、2つのグループの人たちのおかげです。1つは、周恩来、毛沢東、田中角栄、大平正芳。もうひとつは、円借款による経済的な互恵関係を結んだ鄧小平と大平正芳だと思います。また、先般、温家宝首相と安倍(普三)前首相が、氷を溶かし、冷え切った中日関係を正常な軌道に戻しました。わたしたちも、中日関係に貢献すべきです。そうしないと、両国に利益はもたらされません。
譚志強 高く評価していますよ。
李 煒 あなたは、まったく心が狭い人ですね。
譚志強 高く評価するといったから、それで十分じゃないですか。
李 煒 なぜ、そんなに感謝のことばにこだわるのですか。わたしが、いいたいのは。
譚志強 日本料理の食べすぎで、ありがとうございました、の聞きすぎです。
李 煒 わたしたちは、日本の政治家を代えることはできません。しかし、かれらが、どのようなことを考えているかを知ることはできます。だから、感謝します、といえば、いいのですよ。これで、済むことではないですか。
譚志強 そんなことはありません。
郭一鳴 外交は慎重であるべきです。かんたんに感謝の「か」の字を付け加えるわけにはいきません。
予想はしていましたが、日本が懸念している問題点(軍拡への投入など)については、ふれられませんでした。日本の政治家などが、「恵んでやる」という発言をしたことはありません。これが、感謝しないことの、大きな理由になっていたのは、ちょっとショックでした。ただ、識者の円借款に対する認識は、予想以上だったのではないでしょうか。新聞編集長という立場にある郭一鳴氏が、中国政府のPR不足を指摘したのは、注目したいと思います。視聴者のアンケートで、「感謝しなくともいい」が68・63%になった最大の原因は、これまでの中国政府のPR不足にあるのは、いうまでもないでしょう。その点、日本の外務省の努力は、評価していいと思います。たとえば、北京空港に、日本の援助でつくられたというプレートを設置するまでには、日本の大使館員の地道な交渉があったのです(まだ、努力が足りない、という声もあるでしょうが)。