2050年には110億人で地球の許容量を超えるのです。 | 日本のお姉さん

2050年には110億人で地球の許容量を超えるのです。

ようちゃん、おすすめ記事。↓
▼「化石燃料が可能とした産業革命 」 SENKI
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世界の石油生産がピークをすぎる中で、アメリカなどでは、いろんな共同体が生まれているようです。資料『石油ピークは経済ピーク』というのは「ニュー・ソリューション」の2005年4月号です。この小冊子を発行している「ザ・コミュニティ・ソリューション」というのはアメリカ・オハイオ州にある一種のコミュニティらしい。これも翻訳してもらったのですが、彼らは、産業革命以来の現代文明が全部ついえる時代がやってくると主張しています。  

「ニュー・ソリューションの前号で、われわれはPeak Oilに加えて、化石燃料を代替する新たなテクノロジーは存在しない、同様にテクノロジーもまたピーク(Peak Technology)をむかえているのだと明らかにした。今号では世界経済の構造に対するPeak Oilの衝撃を検証する。世界経済は石油によるテクノロジーによって支えられ、過剰に拡張しつつある市場への信頼に基礎をおいている。われわれの分析は、もし真摯な行動が始められなければ、再び大恐慌に襲われるであろうことを示している。われわれは持続不可能なPeak Economyのがけっぷちで、さまよっているのである」  「2005年2月、石油および天然ガスのピーク研究協会(ASPO)のニューズレターは、石油と金融システムの深い関係性を解明している。『産業革命は18世紀に最初はイギリスで石炭の開発とともに始まり、石炭は急速に発展していくことになった産業、輸送、貿易のための燃料として供給された。石油の時代はその100年後に夜明けを迎え、最初は石油は照明のためのランプの油として使われたが、後には内燃機関の開発に伴って輸送のための燃料として用いられた。電気の時代は大きく発展し、最初は石炭によって、後には石油、ガス、そして原子力によって支えられてきた。この時代は驚くべきテクノロジーの発展とともに進んできた。そして多くの人に技術的解決がいつもあるに違いないという確信をもたせるようになった』」  

「『石油の時代の後期は今や夜明けを迎えている。それは石油、ガス、そしてこれら第1次エネルギーに依存しているすべてのエネルギー源の衰退によって特徴づけられる。実際の石油の衰退は年3%以下の速度で漸進的に進むであろう。2020年における石油の生産は1990年における生産量とほぼ同じにまで下落するであろう。……世界は第2の大恐慌に直面する……世界は明らかな石油枯渇に直面するというよりも、この惑星上で利用可能なものの約半分を消費し尽くしてしまった状況の開始に直面するというべきだろう』」  

 彼らのこうした見解は、先述したハバート―キャンベルのオイルピーク論に依拠しています。  「ASPOはPeak Oilに関して世界を啓蒙するという役割をもって設立されてから、5年たったヨーロッパの組織である。多くのASPOのメンバーはM・キング・ハバート博士(1903―1989)――有名な地質学者にしてPeak Oilの「発見者」である――の教えを受けたものたちである。ハバートは成長に関して論文を書き、1976年に彼の論文『人間の歴史におけるつかの間の現象としての幾何級数的成長』の中で次のような見解を述べた。  

『今日人類が直面している第1の問題のひとつは、現在の不安定な状態から、少なくともカタストロフィーの進行は伴うものの、それでも最善の未来への移行をいかに行うかということである。われわれにとっての現在の第1の障害は、エネルギーや物的資源の欠乏でも物理学的、生物学的知識の欠乏でもない。われわれにとっての第1の制約は文化的制約である。最近の2世紀の間、人類は幾何級数的な成長しか知らないできた。ゼロ成長は評価されないほど、深く幾何級数的成長の文化に継続的に依存してきたのである』」  

「12年後、1988年にハバート博士はインタビューに答えて次のように語っている。『われわれの可能性の窓は閉じられつつある。同時に不運のスパイラルに陥ることがつきつけられている。別の言葉で言えば、事態は改善される以前に悪化するしかない。最も重要なことはわれわれが今いる状況のクリアな見取り図を示すことであり、未来――石油とガスやその種のものの枯渇――への見通しを明らかにすることである。そしてわれわれが今いる状況とタイム・スケールの評価とが必要である。タイム・スケールは世紀単位ではなく10年単位である』  

ザ・コミュニティ・ソリューションの人たちはハバートとキャンベルのピークオイル論に基づき、石油の大量消費の上に成り立ってきた産業革命以来の現代文明は、石油の減耗によって重大な危機に直面していると警告しているわけです。そこから幾何級数的な経済成長はもはや無理であり、ゼロ成長社会への転換をハバートを引いて提言している。私が環境革命として言ってきたことと基本的に全く同じ内容を言っているんだけど、石油減耗がキイワードです。

「キューバか北朝鮮か 」

このまま人口が増え続けると2050年には世界人口は100億人を突破しますが、地球上には100億の人間を養いうるような資源エネルギーも食料も存在しない。要するに人類はふえすぎてしまった。その多すぎる人類がアメリカン・ウェイ・オブ・ライフを求めているというところに、根本的な無理があるのです。これから先は消費型ではなく、ライフ・サイクル・アセスメントですべて考えていくべき時代です。  

例えば日本だったら、江戸時代は石油文明ではなかった。江戸時代は鎖国しながら260年の間、持続可能な社会が成立していた。石川英輔さんとか、江戸時代を持続可能性という観点から評価している研究者がいます。江戸時代は外国貿易をほとんど行わず、この日本列島に3000万人の人間が260年の間暮らしていた。そこでの有機農法や循環型社会に学ぶべきだという主張です。江戸時代の日本は、一種の持続可能な社会だった。こういう社会に人類は舞い戻っていく以外ないようです。  

このさき地球はどうなるのか。どんな社会を連想すればいいのかでは、ニュー・ソリューションの人たちは、北朝鮮とキューバを例に挙げています。両国ともアメリカによる経済制裁によって石油をほとんど輸入できない。でも北朝鮮とキューバでは、実状はずいぶん違う。北朝鮮の道をとるか、キューバの道をとるか。僕は北朝鮮の道はとるべきじゃないと思います。  

北朝鮮というのは、要するにすごい科学主義・生産力主義の国です。欧米型の物質文明に憧れている。北朝鮮に行くと分かりますが、すべてを設計しようとしたんですね。その記念として巨大な銅像やモニュメントがいっぱい建っています。   経済封鎖されても北朝鮮は欧米流の物質文明に憧れ、近代的な農業に憧れて、あくまでもトラクターにこだわった。共産主義流の科学主義で考えているから、牛や馬で耕作しているのは遅れている、前近代的だと考えてしまった。牛や馬ではなくてトラクターで耕作するのが、文明の進歩だと考え続けた。  

ところが1990年代になってソ連が崩壊し、北朝鮮にオイルが入らなくなって、1993年ぐらいから北朝鮮は、もの凄い経済危機に陥ってしまった。石油が入らなくなったので、木を切ってみんな燃やしてしまった。燃やしただけではなくて、切った木を中国に輸出した。ソ連から石油が入らなくなって、唯一、中国の大慶からパイプラインで年50万トン位は入っているみたいなのですが、その代金を支払うために、中国に木材を輸出したというのです。   その結果、北朝鮮の山はみな禿げ山となり、国土は荒廃してしまった。


 一方キューバは、北朝鮮とは違うやり方をとりました。経済封鎖され石油が入ってこなくなる中で、キューバは有機農法を採用したわけです。経済封鎖されたことに対して、科学主義ではない発想に立った。もともとはサトウキビ、レモン、タバコ、コーヒーなどの換金作物をトラクターで作る、食糧自給率40%の国だったのが、ミミズを利用した堆肥づくり、アゾトバクターやリゾビウムなどを用いた微生物肥料、天敵の利用、カビなどのバイオ農薬、牛糞・人糞の活用などへと切り換えていった。その結果、キューバは今ではすっかり有機農法のメッカになった。今キューバに行くと、都市のど真ん中の民家の中にも牛がいたりしてびっくりしたとか、そういう話をいろいろ聞きます。  

石油がなくなったら、北朝鮮かキューバの道になるしかない。といっても、日本は北朝鮮型にはならないでしょう。キューバのようにテクノロジーを活用しつつ昔に戻るしかない。有機農法とか人力、牛馬での耕作、微生物農法の国に戻っていく以外ないと思います。  

日本は、ほぼ100%石油を輸入しているのに、なんとも脳天気です。全然石油がなくなるという危機感を持っていない。誰も生まれたときから石油がない。輸入に頼り切っている生活があたりまえと思っているからです。アメリカの支配下で、アメリカの属国として石油の供給を受けられるのが当然だと思っているんですね。   しかし世界的な石油減耗の時代に、アメリカに頼り切っている日本に未来はない。大量生産―大量消費に依拠した現代物質文明のあり方自体が、結局すべてついえていくということだけがあることです。

「資源浪費型は生き残れない 」

では、どういうふうに希望を持てばいいのか。例えばヨーロッパ、特にドイツでは、「ファクター4」という考え方が提唱されています。徹底的に浪費を押さえて資源消費を半分にするとか、エネルギー効率を徹底的に高めることを目指すということです。こうした「ファクター4」の考え方で生活するということが、ひとつあります。アメリカ型の大量生産・大量消費はもう無理、不可能だけど、効率によってそれに近い生活は送れるという考え方です。   家については日本でも、外断熱の家がいいとか、いや外断熱はあまりよくないとかいう議論が続いています。優秀な断熱材を使い、窓は必ず2重窓とか3重窓にするとか、そうした方法がファクター4で言われていることです。  

しかし結局「ニュー・ソリューション」では「アメリカ市民が、痛みを伴わずして変化することはありえない。1970年にアメリカが石油生産のピークに達して以来、アメリカ人は一貫して大きな家、大きな車を購入し、車にたくさん乗り、多くの排水を流し、より高エネルギーで高価な肉を食べて、際限なく消費してきた」と、痛みを伴う以外ないことを言います。   アメリカの場合、アメリカ型生活を変えるのではなく、世界の石油を独占することでアメリカ型生活を護持し続けようとしてきた。それがレーガン―ブッシュ親子流のアメリカ共和党保守派の考え方であり、湾岸戦争や現在のイラク戦争などの石油争奪戦争への突入だった。  

だから「持続可能性に対しては最小の投資がなされたにすぎない。最大の投資は、より化石燃料を使用する生産物や生産過程に対してなされたのだ。アメリカ合衆国は、低エネルギーのインフラストラクチャーや、それをつくる計画を持たない。故に世界規模のPeak Oilが発生した時、崩れ落ちる潮流は全てのボートを低い位置に移動させ(多くは沈む)。『流れ落ちる』は干上がり、比喩的な意味でのパイは小さくなる。セイフティ・ネットは完全にずたずたに裂かれ、甚大な被害と早死にをもたらすであろう」ということです。この人達はその先での定常状態の社会への転換を主張しています。「多くの人がPeak Oilによる変化に恐怖と不安をもって近づいていくだろう。アメリカ人は新古典主義経済学の4つの深刻な欠点を長い間無視してきた。巨大な不平等をもたらし、環境の悪化が進行し、資源戦争が避けられず、共同体は破壊される」と。  

要するに、マンデヴィルの「蜂の寓話」や、アダム・スミスのレッセフェール(自由放任)以来の、個人の利益追求によって共同体を発展させるという(古典派)経済学の考え方が、もう限界に達しているというのが言われていることです。それに対するオルタナティブとしては「地域性がこの新しい経済学の不可欠なある部分である。この地域性は地域のデザイン、地域の工業、地域の預金、地域の投資、そして地域の食糧生産を意味している。それは多国籍企業の衰退と、地域で所有され操業されるビジネスの再生を意味している。ペレルマンの著書『直接参加経済学』の最後の文は宣言する。『われわれは手遅れにならないうちにできるだけ早く、もっと民主的で、もっと平等主義で、もっと持続可能な社会に移行すべきである』」「Peak Oilは今やわれわれの問題であり、社会の変化は始まっている。古い経済学理論は葬り、過剰な化石燃料の燃焼を要求する生産物を捨て、石油を燃焼する機械への依存に劇的にカーテンを降ろし、食糧とサービスのための地域的な社会基盤を再生することがわれわれの第一歩である」となります。  

協同組合とかで農園をつくり、その農園で野菜を生産するとか、そういうある種アーミッシュの生活みたいな自給自足的な生活を実践したりする人たちが、アメリカやヨーロッパでは爆発的に増えている。ピークオイルに対処するための一つの選択肢です。  

『理戦』81号で石井さんも次のように書いています。  「今後冷静に考えたいが、大切なことは地域分散。大型、集中は自然エネルギー向きでない」。つまり一極集中型の大規模エネルギー・システムではなく、地域分散型のエネルギー・システムでやっていく以外ない。「社会のインフラは、急には変われない。早急な対策は必要だが、思いつきの拙速をしないこと、正確な問題認識が先ず必要。総合的な論理思考が望まれる、評価にはEPRなどネット・エネルギーを重視する」   ちなみにEPRで考えるとリサイクルというのは、あんまり意味がないんですね。牛乳パックのリサイクルなんていうのは、牛乳パックを再生するのに要するエネルギーをEPRで考えたら、無駄だということです。牛乳パックを溶かしてパルプ化して再生するエネルギーは、エネルギーの浪費という以外ありません。ビンを繰り返し使うとか、そういうリユースは意味がある。しかし一回整形したものをもう一回全部溶かして作り直すといったような形でのリサイクルは、EPRで考えたら全くエネルギー的な採算が合わない。  

「判断の基本は、『地球、自然は有限である』『限界に生きる知恵』の時代がくる、と思うべきである」。私なんかは環境倫理学から考えて、世代間倫理とか地球有限主義とか言ってきた。石井さんは石油、資源・エネルギー問題の研究から「地球は有限である」というおなじ結論に達したようです。そして同じように人類の現代文明は、オイルピークによる化石燃料時代の終わりとともに衰退の危機に瀕するだろうと警告している。   「著名な生態学者A・ロトカは、『エネルギーが豊富なとき、エネルギーを最も多く使う生物種が栄えるが、エネルギーが乏しいときエネルギー使用最小の種のみ生き残る』といっている」  

オイルピークの21世紀には、エネルギー使用が少ない生命体が生き残る。だから人間でも大食いの奴とか、ものすごい大酒のみ、そういうのは全部だめということになります(笑)。小さくてコンパクトで、あんまりごはんも食べないような人が栄えるということじゃないですか。基本はネズミとか昆虫が栄える時代になる。   いずれにしても資源浪費型の文明というのは、もうあと10年ももたないのははっきりしています。人類社会もこれからは、ローカルでコンパクトな方向に向かう以外ない。持続可能な社会がテーマになる以外ない。そうした方向で考えていくのは、資源エネルギー問題や環境問題を考えていく場合のほぼ共通した方向性です。  

地域性、ローカルなものを認め尊重する。地産地消みたいな形で、農業生産・食料生産を行っていく。自分で野菜を作るとか、そういう方向に向かっていく以外ないのです。  

アメリカが考えているようなグローバリズムでは、21世紀の世界はたちいかない。グローバリズムというのは、燃料、資源エネルギーの大量消費を前提にしている。世界は一つだといっても、それはジェット機や大型輸送船で世界中が結びついているのが前提になっている。石油の値段が高騰してジェット機に乗ること自体にもの凄くお金がかかる時代になるならば、グローバリズムなんて言っていられなくなる。   そうした時代の選択の中で石井さんは「物より心だ」と書いてます。結局人間てありきたりのことしか言えないんですね(笑)。  

ヨーロッパの人というのは、徹底的に経済的な観点を持っている人が多いような気がします。例えばパックの紅茶だとかも、最後まで徹底して絞って出す。日本人には、食べられもしないような料理をお皿にてんこ盛りに盛って、結局残しちゃう人とか多い。だけど自分の食べられるような量だけ取って、きれいに食べる、残さない、そういうふうに訓練されている。   トレーニングをして体を鍛えて、資源浪費型の人間にならないということですね。自転車に乗れるとか、山を歩く体力を維持するとか、そういう健康を維持するのが一番大事になります。   今まだ若い人、20代の人、将来ある人たちは、まず省エネ型の人間になる必要がある。肉をあんまり食べないとか、修行してご飯をあんまり食べないとか、そういうふうに転換していく以外ない。そういう人間が勝ち残る時代になる。その逆にエネルギーを多量に使うような人は自然に潰えていく。  

以上、石油減耗によって、人類的な危機が近づきつつあるのはわかったでしょう。だからこの時代のテーマは、持続可能な社会への転換ということになります。その中で、可能性の中の最善の選択をしていくしかない。   総選挙とかではまったく話題にもならないピークオイル。日本の政治家も学者も大半は無知蒙昧で、考えてることが大本で間違ってるのがわかったでしょう。

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ようちゃんの意見。↓
★現在の地球人口は65億人です。毎年世界で1億人ずつ人口が増加しています。42年で45億人増えます。2050年には110億人で地球の許容量を超えるのです。  オイルピークが石油の高騰の原因は間違いないでしょう。投資資金が石油や穀物(代替エネルギー源)にお金が向かってるから、価格が上がってると思わないほうが良いです。
既に国が 地方交付金を増やして、限定集落や過疎に歯止めをかけて 、
権限委譲して 地方分権制度へと舵を切り変え始めています。

各人も 生活の見直しとかいろいろと知恵を絞ってください。お正月を寝転んで暮らすと後の後悔が大きい気がします。