握手と写真撮影で骨抜きされた民主党(台湾春秋)
ようちゃん、おすすめ記事。↓
▼握手と写真撮影で骨抜きされた民主党(台湾春秋)
大訪中団を引き連れた民主党小沢一郎代表が、国内ではめったに見られない笑顔を、北京で振りまいていた同じ時期に、東京の九段会館では、南京攻略戦に参戦した元兵士たちの証言を聞く集会が開かれていた。12日の産経・花岡信昭編集委員の「政論探求」から。
「この集会では民主党の松原仁氏が最後に舞台に立ち、“90歳を超えた皆さんのナマの声を聞いて、虐殺などなかったことを改めて確信した”と総括した。かねていわれていた民主党のバラバラ感を象徴するシーンに見えた。
それにしても、この時期の小沢訪中団は、政権を目指すという民主党にとってプラスになったのだろうか。胡錦濤国家主席は、400人の訪中団全員との記念写真に応じ、四十数人の民主党議員と一人一人握手するサービスぶりだった。
30年ほど前、当時の古井喜美法相を団長とする日本法曹界代表団とともに訪中したことがある。われわれは随員のような顔をして列に並び、ときの最高実力者・鄧小平とも握手した。正直に白状すれば、特別扱いを受けてなんとも気分がよかった。
おそらく、今回の民主党議員団も同様の思いだろう。胡錦濤との会談では、南京も東シナ海のガス田も慰安婦も靖国も出なかった。中国側から巨額な対中支援に対する謝意も示されなかった。ひたすら、互いに歯の浮くような表現で、“日中友好”を確認したのである。
このアジアの核超大国と、どうわたりあっていくのか、日本外交の重要なポイントである。だがそれは、日米同盟を踏まえたものでなくてはならない。インド洋での海上自衛隊の補給支援を中断させ、日米関係にきしみを生じさせた張本人は民主党だ。その一方で、涙ぐましいまでの親中姿勢を見せてしまった。よかったのだろうか。(いいはずがない)
南京大虐殺や慰安婦強制連行などは、中国当局の謀略プロパガンダであることが、最近の研究で一段と明確になっている。それがいまだに反日の材料として使われているのだから、日本としては不快感を示し続けなければいけない。それがまともな主権国家の姿だ。
首相の訪中も予定されている。小沢氏と一味違ったものとなるかどうか。汚染された大気が日本上空に及んでいるぐらいのことを、チクリとやったらどうだろう。(その程度か)」
昨日(13日)の朝日新聞夕刊は、南京事件70周年に合せ、中国で上映を目指して企画された映画9本のほとんどが、年内封切りが間に合いそうもないと伝えている。中国当局が撮影や上映を遅らせ、反日感情の盛り上がりを、懸命に防いでいるらしい。「反日無罪」をきっかけに、大暴動でも発生したら抑えきれないからだろう。
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ようちゃんの意見。↓
★「反日無罪」と又あの人民のお祭り騒ぎが盛り上がった方が良いでしょう。それまで国会をさぼってまで中国入りして大歓迎されて共同声明文も勝手に削除され、相手国に都合の良い文章に」改竄されても、遺憾と高村氏が言った程度しか日本のマスコミの不感症、 民主党贔屓の小沢氏への甘い態度は 良い炊き付けの火種になるかもしれません。日本の女々しいいいなり態度が中国人を付け上がらせて、無謀な行動に追い風にならないと巧妙な変装した共産党中国の招待が見抜けない、多くの日本人の覚醒になると、じっと猿山の観察でしょう。
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▼中国が大人気!インドネシアで反漢人暴動。(チナオチ)
もう終息した事件ではあるのですが、インドネシアで「排華騒乱」が起きたと香港の新聞が報じております。 華人排斥暴動という意味でしょうか。ていうか「華人」っていい方が気に入らないので当ブログの専門用語として例によって、「漢人」という言葉を使わせてもらいます。「中国本土系の漢族」という意味です。別に中国限定ではなくて、イデオロギーとか中国共産党とか国民党とかに関係なく、「中国本土系」のメンタリティを持った連中は香港にも台湾にもいますよね。そういうのをまとめて「漢人」ということで。
インドネシアに渡って土着している漢人はどのくらいいるのでしょう。350年くらいオランダの植民地になっていて、その間、漢人は白人の手先のような役割を演じてきたようですから、地元の人に漢人に対する抜き差しならぬ感情があっても不思議ではありません。350年ですからね。インドネシアは太平洋戦争の初期に日本軍によって占領され、終戦まで軍政が敷かれました。オランダ人などは大方逃げてしまったでしょう。困ったのはある意味保護者を失った漢人どもです。植民地だったからこそ白人の走狗となってインドネシアの地元民から搾取してうまい汁を吸っていた訳で。 ――――
終戦後、インドネシアには進駐してきた英蘭軍との間に独立戦争が起こります。日本兵が帰国せずにとどまり、インドネシア人の側に立って独立戦争を戦ったのは有名な話です。2000名くらいいたそうで、独立戦争で戦死した日本人は、インドネシアの戦没者たちと一緒に、カリバタ国立英雄墓地に手厚く葬られています(確か安倍・前首相がインドネシアを訪問した際に立ち寄って献花した筈)。そのあたりの消息は「ムルデカ 17805」という映画でわかります。これはオススメです。「ムルデカ」とは独立という意味のインドネシア語です。ではどうして「17805」かといえば、独立宣言文にそう記載されていることによります。
要するに独立宣言日なのですが、それが「皇紀2605年8月17日」だからです。「皇紀」が日本のものであることは皆さん御存知でしょう。皇紀2605年は昭和20年(1945年)。
言わずもがなではありますが、日本への反感があれば、いや日本への感謝の気持ちがなければ、こういうことはまず起こらない筈です。寡聞にして漢人が独立戦争で地元民とともに戦ったという話は聞きません。インドネシアに代々住んできた筈なのに、これはまことに不思議なことです。そういう漢人がいたかも知れませんが、日本人のように2000名もの規模ではなかったでしょう。インドネシアの独立記念日には国旗掲揚の際に、旧日本陸軍の軍服姿の人が掲揚作業に必ず加わります。
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さて今回の暴動、インドネシアはボルネオ島の西カリマンタン州・ポンティアナという街で発生しました。古くから漢人が住んでいる場所とのことで、報道によるとポンティアナにおける総人口の2~3割が漢人だそうです。香港紙『星島日報』(2007/12/09)によると、漢人は総人口の約3割ながら、市内に限定すると地元民たるマライ族の割合は26%。
「インドネシアで中国文化が最も色濃く残っている都市で、市内ではインドネシア語を使わなくても言葉が通じる」とのこと。通じる言葉というのは広東語だったり福建語だったり北京語だったりするのでしょうが、ともかく漢人は市内居住者が多く、市内限定だとむしろ半数から多数派を形成しているのかも知れません。
ああ暴動の話でしたね。香港紙の報道を総合すると、事件が起きたのは12月6日の午後から翌7日の昼間にかけてで、そもそもの発端は6日に交通事故で起きたいさかいです。一方が漢人(30)で一方がマライ族(52)。どちらが悪いのかわかりませんが、両者は口論から喧嘩に発展してしまいました。すると若くて腕っぷしが強かった漢人がマライ族をポカリと殴打。
ポカリだかボコボコだかはわかりませんが、この出来事に怒ったマライ族数百名が当の漢人の自宅を襲撃し、焼き打ちにしました。怒りの収まらぬマライ族たちは続々と加勢の民衆が加わって市内の「南斗廟」という華人のお寺になだれ込んで手当り次第に破壊して回り、たまたま停車していた自動車3台を焼却処分。さらに周囲の漢人住宅めがけて投石などを行いました。夜になると暴動参加者は数千名にふくれあがり、さらに大がかりな行動に出ようとしたところで警官隊が出動しました。マライ族リーダーへの説得が奏功して、民衆は7日の明け方に解散。その後、警察の調停によって、マライ族と漢人の住民代表の話し合いが行われ、平和的に事件を収拾することで合意したそうです。双方に死者などは出ていない模様。
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『人民日報』系の『環球時報』には及ばないものの、中国の国営通信社・新華社旗下の国際紙で電波系反日報道で定評のある……愛国主義・民族主義色が濃厚すぎる『国際先駆導報』電子版(2007/12/14)は、「事件の背景には州長選挙があり、このほど漢人が初当選して政界進出の第一歩を記したことをマライ族ら地元民がやっかんでいたのだ」 としています。
要するに漢人の地位向上がマライ族らの不安をかき立てたのであって、その証拠に「南斗廟」の責任者は後援会のメンバーだった、と『国際先駆導報』は報じているのですが、インドネシア経済を掌握している漢人が政治の世界にも踏み込んできたことへの妬み、と単純に言い切っていいのかどうか、このあたりは微妙なところです。何せ発端は交通事故ですし、香港紙も「排華騒乱」つまり漢人排斥暴動だとしています。ポンティアナ全体で約3割という少数派の漢人なれど、多数派であるマライ族は市内居住人口ではわずか26%という辺りに対立の根を私は感じます。
政界進出絡み云々は別として、少数派ながら経済面で主導権を握っている漢人に対するマライ族の妬み・やっかみはあったでしょうし、1998年にインドネシア各地で大規模な漢人排斥暴動が起きてもいます。学校では種族対立を煽らぬよう、逆に融和するような教育が行われているものと想像しますけど、植民地の歴史に根ざした漢人への悪感情はまだ相当あるのではないかと。『国際先駆導報』はその1998年の反漢人暴動を引き合いに出して、「今回はあれとは性質が違う。それほど深刻なものでもないし」という地元漢人のコメントを伝えていますけど、その記事の最後の段落は、今回の騒乱については、華人も自らを顧みなくてはならない。華字紙『インドネシア商報』は12月10日、ポンティアナ事件に関する社説を発表している。社説は当局が種族の別なく法を犯した者を適切に処理するよう政府に呼びかける一方、華人に対しても自らを顧みてよくよく反省し、自らを律して、ふだんはなるべく目立たつことがないよう、『政府に面倒をもたらさない』ようにするよう呼びかけている。
という形で締められています。漢人たちによる目に余る行為が日常的に存在し、それがマライ族など地元民の反感を買っていたということを暗示しているように読めます。そうして蓄積された地元民の怒りが交通事故での殴打を発端に暴動という形で爆発した、と言わんばかりです。
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私の感想を言えば、「何だ中国の都市暴動と同じじゃないか」というものです。中国の場合は、特権を握る党幹部やそれと癒着している金持ちが社会的弱者に対し理不尽な行為を行い、それが衆人環視の下であったために野次馬たちが義憤し、日頃の恨みを込めて政府庁舎に殺到して破壊や放火を行い警官隊と衝突する、といったパターンですが、「特権を握る党幹部やそれと癒着している金持ち」を「漢人」に置き換えたのがポンティアナ事件ではないかと。唯一異なるのは、怒りの矛先が「党」なり「官」なりを象徴する政府庁舎ではなく、漢人たちが信仰するお寺だったというだけで、象徴的存在が壊され焼かれたという点は全く同じです。
インドネシアにおける漢人はずいぶん人気者のようで(笑)。そういえばミャンマーでも最近似たようなことがありましたよね。ベトナムでは「反中デモ」が発生したばかりですし。……と書くと、「日本人も中国で大人気じゃないか。実際暴動も起きているし」と混ぜ返す向きがいるかも知れませんが、あの2005年春の「反日騒動」において、「反日」が純粋な動機だった参加者が果たしてどれほどいたのでしょう。教育現場で反日風味満点の愛国主義教育が行われていることもインドネシアとは異なる事情かと思われます。
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新中国成立以来の数々の自国民に対する残虐無比な振る舞いを隠すために、「中華人民共和国」の歴史が恥ずかしくて情けなくて振り返りたくないことの繰り返しであるために、中共政権はわざわざ60年以上前の出来事を掘り返してきては日本の非を鳴らすのです。ええ、日本が恫喝や虚喝に従順であることを、いいことにして(黙っていた日本にも責任がありますね)。
しかし無定見で歪んだ構造による経済成長によって超格差社会が出現し、環境汚染も生存を脅かすほどに深刻化している現在の中国では、もはや「反日」で国民を躍らせることはできなくなっています。2005年の「反日騒動」の余りの盛り上がりに驚いた中共当局が慌てて鎮火を急いだのは、「中共人」たちが万一を考え、身の危険を感じたからに他なりません。
いざ本番となったときに、中国人たちの「中共人」への怒りが「反日」などとは到底比べられないほど強く根深いことを私たちは知ることができるでしょう。「中共人」たちはそれをわかっているからこそ、1989年の天安門事件から何年かして高々と「反日」を掲げるようになったのです。しかし「反日騒動」が証明してくれたように、それも現在では「中共人」吊るし上げの起爆剤になりかねません。全国各地で連日火花を散らしている都市暴動や農村暴動は、散発的ではあるものの、一種の先触れのようなものなのかも知れないのです。そうでなければ、「和諧社会」(調和のとれた社会)の構築を目指そう!……などという悪い冗談、あるいは断末魔の叫びのようなものが当局によって、折にふれ繰り返し呼号されたりはしないでしょう。
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ようちゃんの意見。↓
★中国」政府の反日教育や侮日的態度を放置する日本政府の行為が招くもの
中国が日本に謝罪を求めさせ続ける行為は決して ODA支援をしようと感謝されることも無く 相変わらずの」江沢民時代から始まった反日教育も止めることは無い。しかし、以前なら放置して置けば相手も不利なら止めるだろうと思われた、 これらの偽証歴史の南京虐殺や慰安婦問題は 勝手に世界を歩き始め、それが歴史の事実と思われるまで宣伝し利用し、欧米から日本が」切り離される日が来るまで 止まることは無い。そして欧米から離れた日本を 中国が手中に収めるべく 乗り出すでしょう。もう中国大陸では 飲料水の汚染が酷くて、水道氏も濁り 飲用は出来ない状態になってる。中国の金持ちの特権階級の別荘地として 移住先候補として狙い定めてる。既に先発隊として頭脳の良い」留学生は日本に留まり、決して帰国はしません。結婚適齢期の男女の差も大きくて
結婚難が起きてるし、環境も悪化し、大学卒業生の就職は窓口が狭くなってる。地球一、人口過剰な繁殖力旺盛な中国人民の移住には研修生や留学生と言えども安易な受入れは、 国内に
社会不安を引き起こし、犯罪を増加させ、日本の社会保障の基盤も、安全保障も破壊させることになる重大な危機として捕らえて欲しいです。
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日本のお姉さんの意見。
平成18年に、日本企業に就職したチュウゴク人のうち、
留学生ビザと就学ビザを就労ビザに変えたチュウゴク人は
6000人いるんです。(外国人全体では9000人が就職した。)
そして、日本に留学生ビザで入ってきたチュウゴク人は9000人
いる。就学生ビザで日本に入ってきたチュウゴク人も
9000人いた。
だから、ざっと考えるとチュウゴク人の学生の
3分の1は、チュウゴクに帰らずに日本で就職しているんですね~。
この調子で毎年、来る学生の半分から3分の1が、日本に残ったら
どうなるか、分かりませんか?
しまいには、チュウゴク人だらけになるってことですよ。
チュウゴク人が増えたら、
日本もチュウゴク化してしまう。
チュウゴクも彼らを利用して、日本の政治に関わってくる。
少子化だから、いいだろなんて言っていたら、
気が付けば、日本はチュウゴクになっていたなんてホラーみたいな
話が現実になる日が来るかもしれない。
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最近、各地で在日韓国・朝鮮人団体の一部や中国の組織が
後押しして日本政府に要求している「外国人参政権」「移民受け入れ」
「人権擁護法案」「裁判員制度」などや、外国人犯罪組織による
「偽装結婚」などの動き、不法滞在者を助けるインフラが整備され
つつある動きなどの背後には、ーーー外国人に都合
良く日本を変えていこうとする組織や、外国の組織の働きが
関わっている。
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平成7年以降、留学・修学から日本企業に就職している外国人は
4万5992人。平成15年は3778人だったが、平成16年から
19年の間に5264人→5878人→8272人→9034人と鰻登りに
増えている。
その内中国人は、平成13年から18年までの間の総人員
1万9986人。伸び率は72.5%。この調子で伸び続けると、
少なくみて毎年1万人だとしても、10年後には
10万人以上の中国人が日本で就職していることになる。
平成19年の、国籍別在留資格別外国人の「新規」入国者数を見ると、
中国人は、留学9154人、修学9543人、研修6万1965人、
日本人の配偶者5399人、
永住者の配偶者615人、定住者3437人、短期滞在で47万
6534人、=総計58万9066人が「新規」で日本に入国している。
平成18年には、中国人留学生・就学生6000人が日本企業に就職している
ので、卒業した中国人のかなりの部分が日本に残っていることになる。
外国人入国者数は810万7963人。(65万7860人増加) 再入国者を
除く新規の外国人入国者数は673万3585人。(61万2876人増加)
平成19年2月の統計では、外国人登録人員は208万5000人。日本の人
口の1.63%を占める数字である。
法務省民事局の資料では、平成9年から平成18年まで、日本に帰化した外国
人は毎年約1万5000人いる。韓国・朝鮮人は毎年4000人以上、多い年
は5000人以上が帰化していて、平成9年から18年までの10年間で4万
6383人が日本人になった。
中国人は毎年700人帰化していて、10年間で8695人。平成15年から
は、毎年1000人以上が帰化している。