「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
林彪はたいした軍人だったらしいけど、
毛沢東に嫌われて、多分、殺されちゃった人。
まるで、存在しなかった人みたいな扱いを受けていたが、
最近、名誉回復されたらしいが、それだけだったらしい。
チュウゴクでは、歴史は、事実を教えるものではなく、
権力者の都合で「作られるもの」なのだ。↓
「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 (先週の記事です。)
平成19年(2007年) 12月6日(木曜日) 貳
通巻第2021号
林彪は「中国共産党十代元帥」に名誉回復されたが
生誕百周年行事はすべて中止され、軍事博物館の展示室も
記念日には閉鎖された
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林彪が生まれたのは100年前、1907年12月5日、湖北省黄岡県回龍山林家大湾である。
毛沢東につぐ地位にまで上り詰め、憲法に後継者とまで謳われたが、毛沢東の嫉妬と猜疑心によって謀殺されたのは1971年だった。
表向きの発表では逃亡をはかった飛行機がモンゴル上空で故障し、墜落したとされた(誰も見た者がいないので、墜落事故だったか、どうかさえ謎である)。
この“墜落死”事件は数ヶ月間伏せられ、朝日新聞は「林彪氏、いまも健在」と一面トップで報道して赤恥を満天下に曝した。
ことし7月、北京にある軍事博物館で林彪の展示が復活した。
「十代元帥」のコーナーに飾られ、名誉回復がなった。しかし、5日の生誕百周年には、この展示は閉鎖され、故郷でも祝賀行事は一切、禁止された。
人民日報にも新華社のいかなる報道にも誕生日の報道はなかった。
また夏のリゾート、「北戴河にあった林彪の別荘は、そのまま朽ち果て
廃墟のままだ」(ヘラルド・トリビューン、 ♪
(読者の声1) 『諸君!』一月号のグラビア「輝ける文士たち」の中に柳原白蓮(びゃくれん)の写真があります。
彼女は大正天皇の従妹で佐佐木信綱に師事した歌人でした。十六歳でさる宮家に嫁ぎますが離婚し、二十五歳年上の北九州の炭鉱王と再婚します。二度目もうまくゆかず、革命家で国士の宮崎滔天の息子龍介(灯台新人会所属の左翼)と駈け落ちする大スキャンダルを起こします。
その裏話が『枢密院議長の日記』に詳しく書かれています。当時の若い色恋いに突っ走った白蓮とダンディ龍介のツー・ショット写真が載っていて、『諸君!』の美貌かそけく漂う晩年の白蓮と見比べるのも一興です。
『枢密院議長の日記』は、元々司法官僚で、帝室会計審査局長官、宗秩寮総裁などを歴任する宮内官僚に転じ、大正十五年から昭和九年まで枢密院議長を務めた倉富勇三郎の日記を佐野真一氏が読み解いたものです。
七十歳手前から九十六歳で亡くなるまでのことごとを、三百冊の大学ノートに膨大な日々の出来事を蝿の頭のような書体で書き残しているのです。この中には興味をそそられるエピソードが数多あります。
世が世ならば徳川幕府の第十六代将軍になっていた徳川家達(いえさと)、品行厳正と評判の人物で日本赤十字社社長のこの人物が華族会館の給仕をたびたび“鶏姦”していて、ついにその給仕に事を荒立てられ壱万円で落着したスキャンダルにはビックリします。
終戦直後に組閣した東久邇宮稔彦(なるひこ)が、戦前遊学したパリで奔放不羈の贅沢三昧ぶりで、無理矢理帰国させられてからの国内でも派手な女性関係で倉富たち宮内官僚を悩ませます。
倉富日記の白眉は大正十年から翌年にかけての「宮中某重大事件」です。これは、当時皇太子だった昭和天皇の妃に内定した久邇宮良子(ながこ)の家系に色盲の遺伝があるといって、久邇宮家が婚約辞退を迫られた事件です。
婚約辞退を迫った中心にいたのは、元老で枢密院議長の長州閥のボス山県有朋でした。
良子の母親は島津家の娘で、薩摩閥と長州閥の対立の様相を呈しました。最終的に婚約は維持され山県は失意し、まもなく死にます。
興味深いのは婚約を破棄させないために久邇宮家の当主邦彦(くによし)がかなりえげつない行動に出ていたことです。そして山県一派を攻撃する怪文書を撒いたゴロツキと久邇宮家が繋がっていて、ゴロツキからカネをゆすられていたことです。この事件が表沙汰になれば大変なスキャンダルです。
倉富日記にはその裏話と経過が細々と蝿の頭のような文字で綴られています。
このゆすり事件を警視総監と内務大臣はカネをゴロツキに渡して内々に収めようとします。倉富や宮内大臣の牧野伸顕はこれを受け入れ、久邇宮家から五千円(現在の千五百万円ほど)を出させて一件落着とします。何ともドロドロした経緯です。
もしこれが表沙汰になっていたら皇室と久邇宮家の婚約は破談し、昭和天皇の妃は香淳皇后ではなく、今上陛下、現皇太子もいなかったのです。
昭和天皇の弟秩父宮についての西園寺八郎の言葉がかの日記に書き残されています。
〈殿下はよほど難物なり。殿下は何事も一通りできるがよほどご高慢にて人を侮らるる風あり〉
周囲から秩父宮は、実に辛辣な批判を受けています。一方西園寺八郎は、秩父宮と兄昭和天皇を比べて、天皇はスポーツ万能で国民に人気のあった弟秩父宮を内心穏やかならず思っていたと触れています。機微に触れる興味深い話です。
大正天皇の病状に如何に対応するかも倉富の大きな課題でした。世間へどう公表しながら、近世になって前例のない摂政問題をこなしてゆくか、難問だったことが読み取れます。
大正十一年にアインシュタインが日本に四十三日間も滞在したこと、その期間中昭和天皇が相対性原理の講話を灯台教授から受けて、〈聴講者中にては殿下最もよく御理解遊ばされたる様なりし〉というエピソードには微笑してしまいます。
〈日本って、実にいい国していますねえ〉というのが、同書を手にした感慨です。
(NH生、品川)
(宮崎正弘のコメント) 参考になりました。
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(読者の声2) 貴誌昨日版の(読者の声2)に「中国政府が「南京大虐殺」で殺された人の名前を公開したとBBCが報道しました。
http://news.bbc.co.uk/1/hi/world/asia-pacific/7126455.stm
http://pr.mail.yahoo.co.jp/newdesign/
(ST生、神奈川)」とあり、「(宮崎正弘氏のコメント)日本政府は、まさしく、これら一人一人の遺族、関係者に面接し、全ての戸籍を調べ、具体的に追求して、その嘘をまとめた報告を出すべきなのです」。
貴見の通りです。それを調査するまでODAや戦後処理の一環になっている遺棄爆弾作業なども一時停止するのがスジですが、チャイナ・スクールに牛耳られている外務省や官邸にそれだけの度胸ありや。
(SJ生)
(宮崎正弘のコメント) わが外務省が自主判断が出来ないで、外国に操られている。足利将軍時代の勘合貿易と同じですか。遣隋使を廃止した菅原道真のような愛国者は、いまの日本から出ないのですかね。そういえば菅原道真を祭る神社も、最近は受験祈願だけのようですし。。。。。
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((( サイト情報 )))米国国家情報会議は12月3日、「イラン:核兵器開発の意図と可能性(仮訳)」と題した報告書を発表した。この報告書は2005年5月に発表されたイラン核開発問題報告書を再評価しただけではなく、今後10年間のイランの核開発の展望についても分析している。
(1)国家情報評価報告書 「イラン:核兵器開発の意図と可能性(仮訳)」
http://www.dni.gov/press_releases/20071203_release.pdf
(PDF 9 p., 136KB)
(2)ドナルド・M・ケール国家情報主席副長官の声明文
http://www.dni.gov/press_releases/20071203_statement.pdf
(3)ブッシュ大統領の記者会見
http://www.whitehouse.gov/news/releases/2007/12/20071204-4.html
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((( 宮崎正弘の最新刊 )))
『中国は猛毒を撒きちらして自滅する』(徳間書店、1680円)
『2008年 世界大動乱』(改訂最新版、1680円。並木書房)
『世界“新”資源戦争』(阪急コミュニケーションズ刊)。
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/%8B%7B%8D%E8%90%B3%8DO/list.html
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『中国から日本企業は撤退せよ!』(阪急コミュニケーションズ刊)
『出身地でわかる中国人』(PHP新書)
『三島由紀夫の現場』(並木書房)
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