クリスマスをひとりで楽しく過ごす方法
クリスマスは、イエス・キリストの降誕(こうたん)を祝う日であって、
恋人たちがデートを楽しむ日ではない。
クリスマスは、家族が集まって、一緒に食事して過ごす日であって、
大勢で集まって酒を飲んでバカ騒ぎをする日でもない。でも、
タモリが毎年、どこかのテレビ番組で「俺はクリスマスが大っ嫌いだ!!」と
言うので、わたしはタモリが大っ嫌い。勝手に日本人が外国の
イベントを形だけマネて楽しんでいるだけなのに、「大っ嫌いだ!!」なんて
公共の電波を使って言うなんて、なんて嫌なヤツなんだろう。
タモリが大っ嫌いだったけど、この間、たまたまテレビを観ていたら、
タモリがコンドルが地上に降りたところとか、イグアナが走るマネをしていた
のが面白かったので、ちょっと嫌いな度合いが薄まった。
芸人として、面白い部分がちょっとはあるじゃないか。テレビの歌番組の司会
では、歌手にくだらない質問をして、くだらない会話を引き出して本当に
つまんない司会者だと思っているのだが、
そういう司会を褒める人もいる。人生、いろいろ、人間の種類もいろいろ。
タモリが嫌いな人も、好きな人もいろいろ。お互いに、認め合わないと
いけない。タモリだって、クリスマスを勝手にイベント化して楽しんでいる
人のことを受け入れて、「大っ嫌い!!」などと、テレビで言うべきではない
と思う。
わたしは、クリスチャンなので、クリスマスを恋人たちのイベントにして
しまう日本式クリスマスが、嫌いだ。でも、お父さんが子供のために
クリスマスケーキを買ったり、プレゼントを枕元に置く習慣は、
子供にいい思い出を与えるかわいらしいイベントだと思うから、日本人が
クリスチャンでも無いのにクリスマスを祝っていてもいいではないかと思う。
でも、恋人たちが結婚もしていないのにホテルに泊まるというイベントは
許せない。それでも、恋人たちが仲良くクリスマスに、どこかのテーマ
パークに出かけて、きれいな電飾ツリーをみたり、クリスマスの町の様子を
楽しんだり、プレゼント交換をしたりするのは、かまわないと思っている。
クリスマスがきっかっけで、結婚してくれて、日本の子供を産んで育ててくれる
なら、いいことじゃないか。
ただ、クリスマスにひとりで、過ごすからといって、寂しくなる日本人が出て
くるのは、納得がいかない。
だから、日本人には、クリスマスは、イエス・キリストの降誕(こうたん)を
教会や家族で祝う日であって、にぎやかに過ごせばいいわけではないと
頭にたたきこんでおいてほしいと思う。寂しくなるなんて、クリスマス精神と、
真逆な現象であって、世の中の現象に流され過ぎている。反省するべきだ。
クリスマスは、教会に行くべきだし、家で静かに神さまのことを考えて、
神さまが、人間の罪を救うために、ご自分のひとり子をこの世に送って
くださったことを思い出すべきなのだ。
神さまが、人間を罪の裁きである地獄に落とさないですむために、
罪の無い神さまのひとり子が、聖書の預言の日に、
預言どおりの家系に生まれ、
預言どおりの場所で育ち、預言どおりに、十字架の上で死なれて、
墓にほおむられ、預言どおりに三日目によみがえられた。
そのことを、思い出して、神さまに愛されていることを確認して感謝する日
なのに、寂しくなるとは、どういうことなのか。
タモリは、クリスマスを西洋の真似事をしているから嫌いだと言っているの
だろうけど、真似事なんかじゃない。日本人は別の習慣を作っているのだ。
その習慣に自らが毒されているだけなのだ。
寂しくなる人は、自分が神さまに愛されていることを知らない人だ。
神さまは、一人一人を愛しておられ、地獄ではなくて、「天国」に迎えたいと
願っておられる。しかし、人間は罪びとで、心に罪があるので、悪い考えを
起すし、悪いことも言ってしまうし、たまに悪いこともしてしまう。
自制心がある人は、心の中の悪い思いを制御できるが、できないタイプの人
は、犯罪者になる。神さまの目には、人間としていい人も犯罪者も同じ
罪びとで、天国に入れることはできないのだと聖書に書いてある。
ただ、神さまの遣わされたイエス・キリストが十字架の上で死んだのは、
自分の身代わりだったのだと信じるだけで、神さまは、人を救われるのだ。
イエス・キリストを信じた者は、罪と、罪の裁きである地獄から救われる。
「信じるだけで救われるのです。」とは、聖書のことばで、むかし、日本に来た
宣教師が、路傍(ろぼう)で叫んでいたので、有名になった言葉だ。
今では、日本人は、ふざけて本のタイトルなどに使っているが、元々は
聖書の言葉なのだ。クリスマスは、神さまの愛が示された記念の日であり、
人間が罪から救われるようになった記念の日なのだ。
クリスマスは、ひとりでも、寂しくなる必要は無い。神さまが愛と希望を与えて
くれた日を記念する日なのだから、ひとりで、ケーキを買って家で食べても
別に変でもない。できれば、神さまに、「イエス・キリストが十字架にかかって
くれたのは、わたしのためだと信じます。」と言って、救われてほしいと思う。
イエス・キリストは、神さまの側におられる神さまと同格のもうひとりの神、
つまり、神さまを父にたとえるとひとり子であるのに、
わざわざ、父である神さまの気持ちに従って、聖書の預言どおりに、
ダビデの子孫を通して人間として生まれてくださった。
それは、ひとり子を信じるあなたが、ゼッタイに罪の裁きを地獄で受けないで
地獄から救われて天国に行けるためです。
心の中で、十字架で苦しみを受けたイエス・キリストの顔に、あなたの顔を
貼り付けてみてください。神さまの目からは、あなたが受けるべき罰は、
終わっているのです。だから、「信じるだけで救われる」のです。
良いクリスマスを!
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クリスマスをひとりで楽しく過ごす方法。
●クリスマスは、聖書を使ってメッセージをする教会に行く。
●家で聖書を読む。
●家をきれいに掃除をする。
●神さまに感謝をする。
●ちょっといつもより、おいしいものを食べる。心が寂しくなるのは、単純に
栄養や休息が足りていないという場合もある。肉ばかり食べていないで、
野菜やカルシウムを摂って早く寝る習慣をつける。
●家族で一緒に過ごせない理由があるなら、電話ぐらいかけてみる。
●日ごろ、お世話になっている人にカードとプレゼントを贈る。
寂しい人は、他人の愛を待っているからよけい寂しくなるのだ。
家族や他人に愛を与える側にならないといけないね。
期待通りに感謝されなくても、かまわないのだ。愛は、元々、
無償のものなのだ。
●善意の貸し借りがある人には、借りを返す。
●どこかのボランティアに参加してみる。愛を与える側にまわる。
(変な宗教団体や政治に関係があるボランティアには、入らない。)
●日本のために役に立つ団体に献金をする。
●家の周りを掃除する。(落ち葉は、土に埋めると肥料になるので、焼いたり
捨てずに埋めてください。)
●うらみがある人のことを、心の中で赦す。
●自分にもなにか、プレゼントをする。
●コンサートや、ちょっとした旅行など、
イベントを入れて、忙しくなるようにしてみる。普段、忙しくしていると、
それに慣れてしまって、ヒマだと無性に寂しくなる人もいるのです。
●この時期の雰囲気を味わいに、公園や山などに散歩に出かける。
自然を楽しむ。
●普段、作らない料理に挑戦してみる。
●外国に行って外国人のクリスマスを見学する。
友達が言うには、ドイツのクリスマスは伝統があって、カナダやアメリカより
ずっとステキだそうです。または、NYに行って、クリスマスの飾りをみたり、
大晦日のカウントダウンの群集に紛れていれば、みんなの嬉しい気持ちに
影響されてひとりでも嬉しくなるかも。必死で英語を使ってホテルや町で
暮らせば、寂しさよりも、不安と恐れがいっぱいで、それどころではなくなる。
知らないところに行けば、脳が活性化されるし、気分も新たになる。
犯罪者の餌食にされないように気をつけないといけないから、寂しさなんか
に浸っていられない。
または、南の島に行って、クリスマスの雰囲気を忘れる。
●普段から、ひとりで楽しく暮らせるタイプなら、クリスマスの時期も同じように
楽しく暮らせるはず。普段から、自分を鍛えよう。他人と同じように
行動しないと寂しくなるなんて、間違っている。本当は、クリスマスケーキも
食べる必要は無いし、クリスマスディナーも特に食べる必要が無いのだ。
本当は、毎日が大切な特別な日であるべきだ。
クリスチャンとして意見を言わせてもらえば、神さまには毎日感謝をする
べきなので、毎日がクリスマスであるべき。
●どうしても、寂しい人は、自分の親や親戚の家に行ったり、友達を大勢
誘って一緒に食事をしたり、友達の家庭にもぐりこんでごちそうになるしか
ない。 または、早く結婚して自分の家庭を持つしかない。