成功しなかったらこのカップは割ってください
どちらかと言えばアラブ諸国に同情的な方が書いている
メルマガ「今日のカミカゼ、明日のアラブ」の記事です。↓
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モロッコのモハンメド6世国王は土曜日、パレスチナの
モハムド・アッバス議長との会見の際、モロッコはパレスチナ人の
独立国家建設を支持すると再び述べた。
金曜日からモロッコを訪れているモハムド・アッバス議長との会見で、
モハンメド6世国王は、「パレスチナ人の主張と権利を支持する」とあ
らためて表明した。「イスラエルとの和平が少しずつ進展している状況で、
アル・クドスを首都とする独立国家の建設は見込みがある」
アル・クドス・コミュニティー代表のモハメド6世は、イスラエルが撤退し、
他の国に占領されているアラブの土地が返還されて、中東に和平が
もたらせようとしていると述べた。
この会見は、アナポリスの中東和平会議に先駆けて行われた。
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ブッシュ大統領は、ホワイトハウスでイスラエルの首相と会談し、
アナポリス会議が成功すると楽観視していますが、ガザ地区では、
ハマス等が、アナポリスに反対する会議を開催していました。
またガザのおみやげ屋では、アナポリス和平会議記念マグカップを
売っていました。
カップには、平和のシンボル、鳩とオリーブが描かれていますが、
”成功しなかったらこのカップは割ってください”と書かれているそうです。
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日本のお姉さんの意見。↓
イスラエル人は、元々、自分たちのお金で土地を買ってパレスチナに
住んでいた。そのイスラエル人に対してイギリスが、
イギリスに強力してくれたら、戦後、イスラエルの国を作れるようにすると
約束したのだ。イスラエルは、約2000年も土地をなくして放浪していた。
戦争の時は、ナチスに酷い目に合わされたので、国を持つことは
全イスラエル人の悲願だった。戦争が終わって、イスラエルの建国が
認められた。ナチスに苦しめられたイスラエル人は、全世界から
自分たちの国に集まった。
イスラエルは、アラブ人の土地を奪ったのではなく、元の国に戻っただけ
なのだが、アラブ人にすると、勝手に外国の国々の代表たちの取り決めで、
イスラエルの建国が認められて、不満が一杯なんだろうと思う。
イスラエル人は、聖書に書かれた場所が神さまに与えられた国だと
信じている。実は、コーランにも、イスラエルは、神から与えられた土地を
与えられるのだと書かれているが、最近、サウジアラビアのコーラン編集の
学者たちは、その部分をコーランから外した。
イザヤ書53章のイエス・キリストに関する預言も昔のコーランには
載っているが、その箇所はエス・キリストが救い主だとはっきり書いている
預言なので、コーランから外したそうだ。
結局、イスラムは、イエス・キリストが神さまが遣わした救い主だと言う
箇所を全部外してしまっている。そして、イエス・キリストのことを
「イサ」というタダの預言者のひとりだということにしてしまっている。
十字架にかかりそうになったが、降りてきたということになっているらしい。
そして、アブラハムの息子のイサクのことは、いなかったことにして、
アブラハムの妻の女奴隷のハガルの息子、イシマエルが
アブラハムのただ一人の息子だとことにしている。
そして、本当は神さまが、アブラハムの信仰を試すために、イサクを
ささげなさいと言われたのだが、実は山の上に神さまがご自分で
ささげ物の羊を用意されていたという聖書の記事を、
イシマエルとすりかえてしまっている。
アラブ人は、自分たちの祖先がイシマエルだと知っているのだ。
だから、コーランから、アブラハムとサラの息子のイサクの存在を
消してしまうのだ。
山の上に犠牲の羊か用意されているということは、
神さまが、犠牲の羊をご自分で用意するのだという預言でもある。
イスラエル人は、罪を犯すと、犠牲の羊を神殿に持っていき、
自分の身代わりとして殺して祭壇で焼いて罪のための贖罪の儀式をした。
神さまは、イスラエル人にその儀式をさせることで、
神さまが決められた時期に、救い主を送って、人類の罪の身代わりに
完璧な傷の無い者を十字架につけて裁くのだということを、理解させようと
した。だから、クリスチャンは、罪のための身代わりの犠牲の羊を
ささげる儀式はしない。イエス・キリストが、その儀式を完了させたからだ。
アラブ人は、罪のための贖罪の意味の羊をささげないし、そんな儀式を
するように、神さまに預言の書ももらっていない。
コーランも、都合が悪い箇所があると、どんどん記事を消していっている。
聖書は、ずっと変わらない。「めしい」「足なえ」という単語を、障害者に
配慮して、少し変えただけだ。予備の欄には、アラム語では、ちゃんと、
そういう表現がされているという記録が残してある。