おすすめ記事2 | 日本のお姉さん

おすすめ記事2

ようちゃん、おすすめ記事。↓(11月22日の記事)

▼【韓国】元BC級戦犯遺族が来日へ~謝罪と賠償を求める

(嫌韓のススメ) ↓

http://kenkan.iza.ne.jp/blog/entry/398304/
どこまで、図々しいのでしょうね。---引用開始---
●元BC級戦犯遺族が来日へ 韓国から、謝罪と補償要求
太平洋戦争後にBC級戦犯として処罰された朝鮮半島出身者の韓国人遺族らが、12月上旬に初めて来日し、都内で開かれるシンポジウムに参加することが分かった。在日韓国・朝鮮人の元BC級戦犯らでつくる「同進会」の李鶴来会長(82)らが21日、都内で記者会見し明らかにした。朝鮮半島出身の元BC級戦犯をめぐっては、韓国政府が昨年、戦争被害者として認定したため、遺族が公の場に出られるようになり、今年2月に遺族会が発足した。今後「同進会」と協力して、日本政府に謝罪と補償を求めていくという。
来日するのは、遺族会会長で父親が死刑になった姜道元さんら6人。12月6日から10日まで滞在し、8日に韓国YMCAアジア青少年センター(東京都千代田区)でシンポを開催する。(共同)
---引用終了---引用元: 中日新聞(2007/11/21)URL:
http://www.chunichi.co.jp/s/article/2007112101000596.html

載っているは、中日新聞ですが、どうやら共同通信の記事のようです。共同通信と聞くだけで、怪しさ満開ですね。この記事を見て不思議に思った方もいらっしゃるかと思いますが、「元BC級戦犯」と書いてます。
別に書き方が間違っているというわけではないんです。

でも、ちょっと思い出してみてください。

「A級戦犯」の時は、頭に「元」が付くことってないんですよね。

この差はどこから出てくるのでしょうか?

遺族が朝鮮人のときは随分と配慮をするのですね。

なんという差別でしょうか。

本来、「A級戦犯」も「元」をつけるのが正しいです。

とっくに、その罪を赦免されていますので

残念ながら、日本の新聞社の記事でそういう表現を見かけることは殆どありませんけどね。ところで、事後法で裁かれた元A級戦犯と違って、元BC級戦犯って、本来の戦争犯罪で裁かれた人達なんですよね。ご存知の方も多いと思いますが、一応書きますと、B級は「通例の戦争犯罪」でC級は「人道に対する罪」です。そして、このブログで何度でも書いていますが、A級とは罪の軽重を表したものではありません。単なるカテゴリ分けの記号です。まあ、連合国の一方的な裁判ばかりでしたので、冤罪で裁かれた人もいたとは思いますけどね。でも、それは日本のせいじゃないし。まあ、説明はこの辺にしておきましょうか。さて、そんな元BC級戦犯の遺族が来日して、日本政府に謝罪と賠償を求めるそうです。でました、朝鮮人の国技ですね。

あいかわらず、意味が分かりません。やはり、なんとかは死なないと治らないのでしょうか?日本政府に求める話で無いにも関わらず、日本政府に賠償を求めるのだそうですこの民族の乞食根性は、本当に腹が立ちますね。裁かれた事で文句言うなら、連合国に言えよ。欧米には、何も言えないくせに。戦争に関わることは全部、日本が悪いと思っているのでしょうね、コイツら。
仮に日本が悪かったとしても、日韓基本条約で「最終的かつ完全に解決」してますので、日本政府はビタ一文払う必要はありません。もちろん、謝罪も必要ありません。後ろ足で砂でもかけてやればいいんですけどね。そして、この件は日本の責任ではありませんし。このクレクレ乞食な人達は来月上旬に来日するそうですが、是非、指紋押捺時にテロリスト判定して強制送還して欲しいです。こんな連中はテロリスト扱いで問題ないでしょ。と、いうか日本に来んなよ。
あ~、書いていてだんだんムカついてきた!やはり、日韓の正常な関係は断交以外ないのでしょうかね。こういう記事を見るとつくづく思います。こいつらが来日した際には、10指の指紋とDNAを採取して、ブラックリストに載せて欲しいですね。(現実的に難しいでしょうが、マジでお願いしたいです)今の首相はこういうことに弱いので、注意しておきたいものです。
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最悪なアジアの団体客 マナー違反に頭を悩ます祇園住民

(麦先生が歩く・・)
京都新聞によると、国や京都市の外国人観光客の誘致キャンペーンにより、京都を訪れる外国人観光客が急増しているが、最近、マナーの悪いアジア圏からの団体観光客に、祇園地域の住民らは頭を悩ませているという。「お座敷に向かう芸舞妓さんを2、30人で待ち構えて写真を撮ったり、着物を 引っ張ったりする団体が増えている。走って追いかけて、体に触る悪質なケースもある」「文化的な理解不足で、芸舞妓さんを観光客向けのキャンペーンガールと勘違いしている 」マナー向上の為、地域住民が10月から自主パトロールを行い、強引な写真撮影などのマナー違反に対して、注意を呼びかけている そうです。京都新聞の記事では、具体的な国を挙げていませんが、マナーの悪いアジア系団体客といえば、筆頭は中国人だろう。
11月19日付けの Record Chinaの記事でも中国人の団体観光客が、ニューヨーク市のウォール街で、我先にと雄牛のブロンズ像の背に乗って記念写真を撮り、周囲のヒンシュクをかっていたという記事が掲載されていた。TPOをわきまえず、自分達の欲望のままに行動する中国人は、ある意味凄いと思う。市や住民がマナーやしきたりの啓蒙活動を行っても、彼らとは文化が違うから、何故、悪いのかが理解できない彼らに理解させるには、相当な時間と労力が必要だろう。

・芸舞妓「いけず 困ってます」 悪質な外国人観光客も (京都新聞)
http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2007112000095&genre=K1&area=K10
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▼食品偽装を助長する政府の責任 (これ見逃すな)
●大前 研一食品偽装を助長する政府の責任

消費者の偏見も偽装を助長する。問題は、安く仕入れて国産と呼び、高い値段でサヤを抜く消費者不在の姑息なやり方が問題であって、中国食品のような食べると有害・有毒物質が混入されてて、生命・健康に危険と言う食品では無い事。

農民の味方であるはずの農協にも要因はある。農民を手伝っているような顔をして、どんどん海外に行って調達しているのだから。昔は肥料を調達、いまは完成品を調達している。これでは、中国農民と日本の農民とを競い合わせっているのも同然だ。

・・・「農民を守る」という実態にそぐわないスローガンを降ろして、「国民の胃袋を守るため」と改めてほしいものだ。

“at your own risk”の国、米国では賞味期限という言い方はあまり見かけない。・・・・賞味期限切れなどニュースにはなり得ないのである。 最近はレストランで残った食べ物の「持ち帰り」ができなくなった。過保護で、かつ神経質な日本人は、このままいくと世界で最も食あたりに弱い人種となるだろう 。
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ようちゃんの意見。↓
☆食べ物の賞味期限は「自己責任」だった。お弁当も手作りで、惣菜や既成の冷凍食品や お土産と言う商品化されていない時代までは、 すっかり、そういう自分で作って食べる生活から遠くなると
表示してる数字に頼る。 我が家の祖母は、鼻が自慢で、食品などの「到来物=とうらいもの」と言う他人様からの頂き物を 何故か、鼻をつけて嗅ぐ習慣があった。見つかると、慌てて、口に人差し指を縦に置いて、片目をつむる、可愛い所があった。
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▼チッソ・・今の基準で裁くのは間違い (これ見逃すな)
●柳蔭書翰 がっかり2 

 http://blog.goo.ne.jp/merseybox/e/13c11009d52cda52dda2a82c9731ad96
水俣病の被告会社チッソが、未承認患者の国の救済案(金出せ、です)を蹴った・・あの事件は法律上終わったことです。あれだけの補償金出して、道義的にも済んだことです・・・・。いつもの 語り口で 簡明に 会社を 擁護論展開。武田氏の 厳密な議論と ともに 読まれたい 。

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▼チッソに責任なし (これ見逃すな)
戦後のあの時期にチッソが水銀をつかった工場を運転し、廃液を流したのは国民的合意だった ↓

●武田邦彦 水俣病考 1 ーチッソに責任なし
金属水銀が・・・脳の障害を起こすことは、「水俣病が発症するまで、日本人は誰も知らなかった」
チッソは新しい高性能の工場でアセトアルデヒドという重要原料を作り、戦争で敗れた日本に物資を供給しようとしていた・・・当時、金属触媒などを使用した新しい工業が次々と誕生してきた頃で、現在の知識から見ると危険と思われる物質が世界中で歓迎され、多く使用されていた。
従って、まず、ここで「チッソが水銀を使用した工業プロセスを選択したことは正しかった」と結論したい。チッソが世界でもっとも優れた技術者集団であり、チッソの経営陣が真に社会的な貢献をしようとしていたとしても、水銀のプロセスを選択しただろうからである人間の活動による廃棄物を大気、あるいは海などに放出した場合、それが環境を汚染したり、人体や生物に影響を及ぼすと考えられるようになったのは、いつ頃からであろうか?・・・「いらないものはそこら辺に捨てる」という原則は変わらなかった。レイチェル・カーソンが1962年に出版した「沈黙の春」が特筆すべきものである理由は、この出版から後、人間「いらないものを川に流してはいけない」ということを知ったのである。これが今から40年前の事だったと考えると隔世の感がある。

以上から判るように、チッソが工場ででる水銀を「垂れ流し」ていたのは当然である。当時、どの工場も廃棄物を垂れ流していたし、それを認めていたのは国民である。自分が認めていて認めたことをしている人を非難するのはフェアーではない。さらに、水銀が毒物と知って垂れ流していても、それでも非難できない。むしろ、当時は「毒物だから工場内で処理ができないから、廃液として垂れ流すのだ。」というケースが多かったからである。
・・・人間が使用する物質そのものの量が少なく、自然はそれを浄化する能力があった。従って、チッソが水銀を使ったこと、それを水俣湾に流したこと、そして「垂れ流した」こと、はいずれもチッソの責任ではない。

特に当時、戦争に負けて少しでも材料が欲しかった。チッソの工場で作られた原料を用いてプラスチックができ、それで医療用のカテーテルやパイプが作られていた。そのカテーテルで命が救われた人は多い。その時代、その時代にはある目的があって製品が製造される。すでにその恩恵を受け、さらに違うものが開発された後に、恩を忘れて論じるのは将来の改善にはならないご都合主義である。

・・「チッソには結果責任はない」ことを証明したい。というよりチッソに結果責任を認めさせても、社会的な改善にならない 。

チッソに関する裁判の判断は・・・あまりにばかげた判決だからだ。「少なくとも人間の生命・身体に危険のあることを知りうる」行為について経済性を度外視して行動している人は、この日本に数えるほどもいないだろう。それでも四日市公害で非難され弱り切った企業に対しては、病人にむち打つがごとき判決も許されるのである。酷い!

自動車ばかりではない。この社会で「危険のあり得ることを知り得て」行動したり、生産、消費をしているのが常態である。社会の常態を採用して罰せられるのは不条理である。裁判官は、「自分が使っているほとんどのものが、「危険と判っているもの」が「経済の範囲内で製造されていて」、そのお陰で生活をしている」という関係を理解出来ないらしい。裁判官は・・・恵まれていて自分が生きていくのに必要なものが空から降ってくると錯覚しているのだろう。人間はほぼ「知識がない」という状態にある。この水俣病もそうであって、「水銀だから危険だ」というのは今でも明確ではない
つまり、現在の学問はなにも判らない状態で利用できるという理由で使っている。水銀のプロセスを研究した人、工場を建設した人、廃棄物系を運転した人、認可した人、お金を貸した銀行・・・みんなチッソと一緒に無知で責任がある。つまり戦後のあの時期にチッソが水銀をつかった工場を運転し、廃液を流したのは国民的合意だったのである。水俣でなにも起らなかった操業20周年目の1951年に「危険と思われるから操業を停止すべきだ」という訴訟が起ったら、裁判所はどのように判断しただろうか?もちろん荒唐無稽な訴えとして「危険性もなく、被害もないから門前払い」という判断であることは明白である。事故が起らない前は門前払い、事故が起れば「判っていたじゃないか!」という理屈は時々、裁判では見られるが、罪のない人を罰して社会全体の安全に寄与するという思想である。

真の敵は「活動家自身」であり、「国民や市民、裁判官」そのものであり、そして「私」である。事件が起るまでチッソのプロセスを支持し、その製品で利得を得、欠点が判ると「私は何も関係ない」という態度は誠実ではない。だから、現在でも新製品に対してその利得は得ていても、真剣にはその欠点を調べようとしない社会体制になったのである。マスコミも事件が起るまでは「新鋭工場」「チッソで栄える水俣」を報道していたのである。

水俣病の原因がチッソの水銀であると判ってきた1959年に、不知火海沿岸の漁民が排水の停止を求めてチッソに乱入した。その時、市民の方が「チッソの工場の排水を停止するな!」と市長に迫った。町の繁栄、漁民に対する差別的感情などが入り交じってこのような行動を市民がとる。「市民」という言葉には「正義の味方」という響きがあるが、それが「エセ正義」であることは多い。政府を中心とした国民も、またチッソが作り出す製品を使って生活をしてきたのだ。「我々もまた、悪かった。知らないとはいえ、済まないことをした。許認可権を持っている人間としては、知らないでは済まないし、また失敗も認めなければならないだろう。被害を受けた住民の方には皆さんの同意を得て、税金で十分な補償をしたい。」