おすすめ記事 | 日本のお姉さん

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ようちゃん、おすすめ記事。↓

▼武士道無残 (罵愚と話そう) ↓

http://bugswebblog.at.webry.info/200711/article_8.html
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▼巨大な政治課題がふたつあって、 (罵愚と話そう) ↓

http://bugswebblog.at.webry.info/200711/article_9.html
目の前に巨大な政治課題がふたつあって、ひとつは政官財癒着構造が生んだ一千兆円の借金だ。理念と倫理観を見失った国家・民族が、占領政策としての民主主義を強制された結果、民意の名のもとに選んだ政治体制がつくった借財の山を、どうするのかが、最初の難問だ。 ふたつめは、世界は20年前に冷戦体制から脱却して、先進国はすべて、自由主義、民主主義を国家理念として共有する政治体制を確立しているわけだが、どういうことか、この国だけは、いまだにその作業が滞っている。国民意識は、とうのむかしに保守二党に固まっているのだが、主役の民主党内に冷戦時代の全体主義者たちが居残って、粛清をまぬがれている。冷戦期の敵国が犯した国家犯罪としての拉致事件に手を貸した売国奴たちが、いまだに民主党の幹部として活躍している。民主党の社会党的体質は、清算されるどころか、むしろ進行している。国民の保守二党体制の希望にもかかわらず、保革対立の構造から抜け出せないのだ。
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ようちゃんの意見。↓
要は巨悪の左翼を抹殺が終わっていない。創価学会の公明党、民主党の中の旧社会党、社民党は拉致は無かったの首謀者だったねー。革命を起こしたい共産党。土地や財産を国民から取り上げて、全部の国民を均一な奴隷化を計ると公約通りの平等な状態が訪れる。革命指導者だけが特権階級として、国民を自由に操れる、共産党独裁国家の成立を理想とし実現をさせる目標で、あらゆる虚偽とデマと謀略で国民の脳味噌を麻痺させる。有効な言葉は誰も反対出来ない。戦争を無くそう、だから平和憲法9条です。無防備都市宣言をしましょう。国民は皆丸腰で反抗も抵抗もしないから 好き放題にやれるようになる。 日本は日本の権益を守る交渉が、武力に脅されて、泣き寝入りの状態です。これが世界の現実である。


左翼が、話し合えばと、「夢の平和」を、喧伝するが、日本は、韓国には、「竹島」占領されているし、中国では、石油やガスを盗まれている。 


国に、武力が無いと、無法なヤクザを相手にするのと同じなのだ


少しでも、世界や日本の歴史を読めば、誰にも判る事と思いますが、国民は考える力が無くなってる。自分の物が、脅しで取られるようでは、左翼・反日のこれからの日本には、将来が思いやられます。左翼報道に、乗り、この現状を無視したり、反論している暇は無いのです。真剣に怒り、どうすれば盗まれたり、脅されたりされなくなるか、考えると分るはずです。


周辺国の軍備に追い付くには、時間が掛かるのです。また、中国進出企業は、中国軍の増強に力を貸しているのと同じである。 また、反日・左翼の報道の受信料や、購読料を払うのも、中韓援助に繋がる。自分で出切る小さな事から始めることが大事です。
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●宗派抗争で30人死亡 パキスタン北西部 (11/17 23:33) (イザ)
AP通信によると、アフガニスタン国境に近いパキスタン北西部の部族地域パラチナルで、16日から17日にかけ、イスラム教スンニ派とシーア派の住民による武力衝突が起き、少なくとも30人が死亡、100人以上が負傷した。地元警察によると、何者かが16日にスンニ派のモスク(礼拝所)に発砲したことから衝突が発生、両派間で銃撃戦などに発展した。当局は夜間外出禁止令を出し、部族の長老に戦闘停止に向け協力を求めたが、衝突は17日も続いた。部族地域では、中央政府の権限が事実上及ばず、それぞれの部族が独自の慣習に従って生活し、武装する住民も多い。パラチナルでは今年4月にもスンニ派とシーア派による抗争が発生し、多数の死者が出た。(共同)
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▼風雲急を告げるインド洋!パート2 [素晴らしきかな!日本人 小早川俊…]
いよいよパキスタンの政情が不安定になってきましたね!アフガニスタン&イランと長ーい国境線を持つパキスタンを、タリバンやイランの熱心なイスラム原理主義者の流入を防ぐには、イスラエルみたいに、高い壁=万の長城を築かなければ到底防ぎきる事は出来ません(大笑い)今のパキスタンにはその財力も有りませんし。こじ付けで始まったアフガンの戦闘も長期戦を覚悟されたらソ連が手こずったのと同じ泥沼に入り込みます。イランやパキスタンの国境付近がタリバン残党の根拠地になっているのですから、イランに逃げ込まれたら今の所手も足も出せませン。一体どうするんでしょうね!ブッシュさん!止めたくても止められないブッシュの戦いももう1年しかないのに!来年、ブッシュさんの任期切れで米軍が撤退した後の”世界の何処で起きるか判らない本当の報復テロ”が怖いですね!
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▼太子党のよって立つ社会的基礎 

(マルコおいちゃんのシナにつける薬) ↓読みに行ってね!

http://marco-germany.at.webry.info/200711/article_7.html
(略)
共産党は、その存在をかけてその支配体制を安定させようとしてきたし、またそうし続けるであろう。そしてその支配体制は、その体制内部にいる者たちにとっては最大の「旨み」であること容易に想像がつくことである。その者たちは、なんとか子々孫々にわたるまでその旨みを世襲したいと考えるであろう。しかもなんといってもそこはシナ社会なのである。儒教イデオロギーによる党軍政三位一体の共産党支配体制の世襲、考えるだにおぞましいことであるが、それがシナの現実である。「共産主義」「共産党」などは臨時の看板にすぎない。事の経緯上かんたんに降ろすわけにはいかないだけなのだ。

またそれこそが、いわゆる「太子党」と言われるものたちの社会的基礎なのである。すなわち共産党の党軍政三位一体の支配体制を「頂替」しようとするわけだ。

それはシナ社会の前近代性の表現ではあるだろうが、シナ人たちの心底では納得のいく現象ではあるだろう。社会の上下階層の相違などはあるにせよ伝統的に多かれ少なかれ皆が実行していることだからからである。シナ社会のエートスにもとづくごくあたりまえの行動であるから誰も疑いをさしはさまない。そこに不満を持つものはただその「旨み」にあずかれない者たちであろう。
「旨み」から遠ざけられる者たちが多数になればその支配もおぼつかない。そこで経済発展により、その「旨み」をより広く社会に拡大し共産党支配体制の安定を謀ったものが、鄧小平のいわゆる「経済改革、開放政策」にほかならなっかった。敵ながらアッパレ、ともう一度言っておく。
「太子党」といわれる共産党支配体制内グループが、わが自民党に見られるような比較的しかっりした政策を共有する者たちの集団、つまり党内党あるいは派閥であるかどうかは疑問である。

ここでその定義を試みれば、それはすなわち「革命第一世代」つまり自らが「革命闘争」に従事し「革命」をなしとげた者たちの次の世代が、親たちの「革命」の果実を「頂替」しようとする、その「第二世代」の者たちの既得権益を守ろうとする共同政治行動、としておこう。これを、狭義の「太子党」としておく。劉少奇、朱徳、賀龍といった「革命第一世代」の息子たちがいまや軍の指導者となっている。その他の王侯の太子たちの政治経済軍事あらゆる方面への進出が著しい。しかしそれは「革命第一世代」子弟たちに限ったことではないのである。江沢民、李鵬という一連の、その親が「革命」の途上で「犠牲」となったいわゆる「革命烈士」子弟という、いわば準「太子党」とすべき者たちがいた。つまり、江沢民などは「上海閥」の首領と目されていたわけであるが、そのいわゆる「上海閥」でさえ、大きく見れば「太子党」に含まれていたわけだ。

現指導部を牛耳る、コキントー、温家宝といった者たちは「太子」ではないが、共産党支配体制下で育ちその教育を受けた世代である。「太子党」との基本的利害は一致している。


また彼らの子弟はそれぞれ親の権威を背景に社会的旨みを吸っているのであるから新しい「太子」たちともいえるわけだ


総括しよう。共産党の党軍政三位一体の支配体制を「頂替」しようとする者たち、これすなわち広義の「太子党」である。といえばほとんどの共産党内にあって共産党支配の継続を望むものすべてが「太子党」ということにもなる。

「中国共産党」は、いっそ「中国太子党」と改名したらいかがか?



最近、自民党の中川、麻生、平沼各氏が共同で政策研究会を立ち上げた。そしてそこへ安倍氏もいずれ加わることになろう。そのような日本政界内の動向は、彼らの目からすれば日本「太子党」と定義されうるのかもしれない。それはもちろん彼らのかってな誤解であるのだが、「太子党」というものの本質の一端を映し出す鏡ではあるかも知れない。

「上海閥」とか「共青団派」などと「集合理論」で権力闘争を戦うものたちを括るのはジャーナリズム的には面白かろうが、それはあくまで時間的な制約のある政治状況の表層である。それは権力闘争の局面の進捗に応じて離合集散するからである。「上海閥」の大番頭あるいは黒幕であったが、実は「太子党」を牛耳る曾慶紅が、「共青団派」に寝返って「上海閥」討伐に大いに功があった、などというのもそのよい例である。しかしそれらすべてが共産党の党軍政三位一体の支配体制を「頂替」しようとする者たち内部での有象無象であり、「頂替」の基本原則はいささかも揺るいではいないのである