おすすめ記事3 | 日本のお姉さん

おすすめ記事3

ようちゃん、おすすめ記事。↓

▼世間を騒がすヤメ検にも2種類ある (大島信三)
きのうの産経新聞で、またヤメ検の不祥事が報じられていた。脱税容疑で東京地検特捜部に逮捕されたこのヤメ検は、東大法学部出身で、「温厚で頭の回転が速く、仕事はまじめだった」(検察関係者)という。なるほど、自分が顧問弁護士をしている会社の脱税を指南していたのだから、たしかに仕事熱心ではあった。その手法は、まちがっていたけれど。

難関の司法試験にうかった法律の専門家が、どうしてこうもやすやすと法にひっかかるのか。不思議といえば、じつに不思議な現象といえるが、それにしても、いつからだろう、頭のいいはずの人物が、どんどん捕まるようになったのは。これは、親の責任といえなくもない。なぜなら自分の子どもを出世させようと、家庭教師や学習塾への投資は惜しまなかったが、肝心のしつけはさっぱりだったので、いまごろになってそのツケを払うハメになっているのだ。



「闇社会の守護神」とかいうヤメ検の田中森一氏と立花隆氏が、『文藝春秋』11月号と12月号で対談しているが、12月号のなかに、こんなやりとりがあった。



立花 『反転』(注・田中森一氏の著書)で、検事には3種類しかいないと田中さんは書いています。「エリート」と「閨閥」と「それ以外」。田中さんはどれにあたるんですか。

田中 もちろん「それ以外」ですよ。平戸の貧しい漁村の生まれで、大学は地方の国立大学。高校、大学と自分で稼いで進学したから、同期の検事よりか何年も余計に年をとっている。検察という組織では、僕のような人間は絶対に出世できない。

――略――

立花 いわゆるヤメ検ですね。ヤメ検は、検察時代のネットワークを使って、敵方である検察と法廷外で情報交換をして、話をつめられるから、刑事事件の有罪になりそうな被告人から依頼が多い。もっとも、田中角栄もヤメ検を並べたけど、何の役にも立たなかった。

田中 ただヤメ検にも大きく分けて2種類いるんですよ。1つは、達紘さんや熊崎さんのように検事時代に誇った名声で、弁護士になってからも仕事が殺到しているヤメ検。

もう一方は、検事総長を退官したようなヤメ検だけれど、彼らは法務官僚出身だから、検事としてはほとんど法廷に立ったことがない。企業の顧問になるにしても、数字に強いわけでもない。本当は弁護士としては役立たずなんです。では、なぜ沢山の企業から顧問の口が集まるかというと、不祥事を起こしたときに検察権力の介入からの抑止力になるからなんですよ。



事実なら、ひどい話である。もっとも、わたしが知っている検事出身の弁護士は、みな真面目で人間的にもすばらしい。だから、ヤメ検には2つのタイプがあると思っている。いいヤメ検と、わるいヤメ検だ。

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☆ヤメ検の地方出の下積みで出世を諦めても辞めれる検事という裁判で名前を知られた実力派は、弁護士になっても仕事が殺到するが 雲上の検事総長のようなエリートは法務官と言う立場で、現場を実践した経験がゼロだから、 企業顧問となって、古巣の検事達に企業の不祥事を隠蔽するための橋渡し能力をフル活動する悪徳ヤメ検になる。エリートで退職した企業顧問のヤメ検が諸悪の根源なのですね。了解しました。

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▼アジアという幻想と虚言 (マルコおいちゃんのシナにつける薬)

アジアを定義するものはない。せいぜいが気分的な地理的概念にとどまっている。ユーラシア大陸、このユーラシアという言葉自体があいまいな代物で、ただ「Euro」と「Asia」を組み合わせたものに過ぎない。ヨーロッパという文明的実態はあるが、アジアは広義にいって、ユーラシア大陸のヨーロッパ以外の部分というていどの意味でしかない。つまり「非ヨーロッパ」という否定形でしか語られないものである。アジアを定義するものがない、と述べたのはアジアを自称する主体がないということである。それはヨーロッパの対抗概念としてヨーロッパから対象物として捉えられたにすぎない。元来はアナトリアの西側一部をさして「アジア」と呼ばれたに過ぎないものが、「世界」の拡大とともに上記のような地域に拡大され、いまや大陸部以外の島嶼部にまでその地域が拡大してしまった。

このいわゆる「アジア」と他称される地域の国々で自国をアジアと自称する国があろうか?あるとすれば何か特殊な政治的意図が潜んでいる、と考えて良い。
あるいはシナのごとき自国のテリトリーとしてのアジアがあるのみである。シナ自体は、自国をアジアと述べた事はない。シナはあくまでシナであるからである。西から東まで、この「アジア」と他称される地域にいくつの文明があり、またあったかを考えてみればその理由がおのずと理解される。古代バビロン文明、ペルシア文明、インダス文明、黄河文明、「枢軸時代」といわれる古代文明だけでもこれだけあるのだ。これを一括りにできる文明的条件はもちろんない。ゆえに、いわゆる「アジア」は一つではない。

岡倉天心が「アジアは一つ」という叫び声をあげたのは、列強帝国主義の侵略に対する対抗概念として、「非ヨーロッパ」の意味で提起したのである。また、福沢諭吉の「脱亜入欧」は、この侵略の客体としての「非ヨーロッパ」を否定し列強に並び立つしか日本の針路はない、と述べたものである。アジアを語る者だけの数のアジアがある、といってもよかろう。それほど曖昧な概念であるというわけだ。ゆえにその曖昧さを悪用しようとするものがでる事は当然である。また善意からでたアジアへの幻想があり、それを歪曲して利用する者もいたし、今でもいる。その根本的な問題の起源は、やはり欧米列強の侵略と植民地化の客体であった、という歴史的経緯であろう。その意味では、日本のいわゆる「アジア主義」は有意義なものであった、と総括できよう。アジア主義の変容としての大東亜戦争の結果、おおくの「アジア」植民地が独立の願いをかなえることができたのであるから。以前にも述べたように、日本のアジア主義は明治維新の継続革命として「非ヨーロッパ」を「維新」することにより共同してヨーロッパへ対抗しようとしたものである。そのアジア主義の歴史的役割は終了した。

いま「アジア主義」の残影を親米外交路線への対抗概念としてもちだし、シナとの「東アジア安全保障共同体」などというものに擦り寄ろうとするものたちがいる。すなわち日米安保体制を解消してシナとの安保体制を結び米国と対抗しようという、日本にいささかの益なくシナだけが得をする外交路線である。歴史的な反米はもっともなことである。戦争中はいたしかたがない、それは戦争であったのだから。しかし日本敗戦後の占領支配はいずれ決算しなければならないからだ。「しかしそれが外交・軍事政策の基礎になってはならない。西尾幹二氏がいわれるように「歴史は反米、外交は親米」でなければならない。」聞くもおぞましき「東アジア安全保障共同体」などというものに、すでに消滅した「アジア主義」を掻き立てその古い幻想と心情を利用しようという悪意があきらかな虚言に騙されてはならない。以上は、『アジア主義を問いなおす』 (ちくま新書) 、井上 寿一 (著)を読んでの感想文である。このいかがわしい書については、機会をみてじっくりと反駁を加えたい。

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今言われてる「東アジア共同体」と言う虚構の構築は日本にとって大変危険なモノです。欧州共同体と違い、宗教はキリスト教の分派で、共通の宗教概念を持ち、

かつては統一ローマ帝国の共同体であった歴史があり、欧州の各国の王族は縁戚関係にあり、インテリの使うラテン語は共通語であり、文字も同じアツファベット表記で文法も近似してて習得が早く容易に出来得るし、文化も似てれば建築様式や音楽にも差異がなく古くから往来が盛んであった地域です。それと小国の集合で3億4千万人になったが、 一方の東アジアでは人口格差が大きい事。チュゴクは15億人の無宗教国で政治体系は共産主義で多民族国家です。日本は中国の十分の一にも満たないがそれでも世界では10番目の人口が多い国ですし、民主主義で信教の自由を保障して、基本的には仏教徒と神道とは:区別も無く生活習慣として地域風土に馴染み、文化とすらなってる。又均一的に国民が単一と言って良い民族構成を持ち世界最古の有史以来万世一系の天皇を頂く立憲君主制度上での民主主義国です。言語も違えば、漢字も日本は古来からの漢字も使えるが韓国は既に漢字を廃棄してハングル表記で、漢字では無い。中国の漢字はハンタイ漢字という略式漢字で、正しい漢字は読めなくなってるし文法が丸きり異なってる。韓国は日本の人口の丁度二分の一と言う普通の国家的規模で、今はキリスト教と儒教とで国民が信教の自由は保障されてるが、どうも少し、異なるキリスト教が過半数を占めてるようです。これは中国が多民族を飲み込み(併呑=へいどん)のための陰謀です。

自国が環境悪化して飲料水すら不自由になり、日本を狙って中国の支配下に置くと言う危険な策略に乗せられてはいけません。中国人が移り住むと、日本は壊滅します。中国本土と同じように

公害と環境汚染で人間が住めない島になります。
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韓国人のキリスト教は、どうも変ですよ。

異常なぐらい反日です。日本軍に天皇を拝めと言われて

拒否したら、火の燃える炭の上を歩かせられたり下からクギを

打った板の上を歩かせられたからね。イエス・キリストを伝えるよりも

日本軍の過去の過ちを伝えることの方に熱心です。

キリスト教会の協賛を得ているかのようなホームページを作って

いるから、良く読んでいると憲法九条反対とか、クリスチャンが

聖書から学ぶこと以外の方向に気持ちが行っている。

ようするに、どこかの反日団体が、いろんな教会やキリスト教団の

名を使って活動しているって感じがしまっした。

キリスト教会は、あんまり韓国系の反日団体に名前を

貸さないようにしてほしいです。

そんな韓国からは、統一教会系のセックスがらみの気持ち悪い

新興宗教が次から次へと創作されている。

本当に韓国人は、合同結婚とか女を食い物にするセックスが

お好きだねえ。そういう民族なんでしょう。

でも、アメリカの福音的な韓国人系のキリスト教会の中には

イエス・キリストをちゃんと聖書どおりに伝えている所もある。

韓国人は、何をするにも熱心なところが長所ですね。

日本の教会のクリスチャンは、クールでおとなしくて

戦争の時も、政府に協力しちゃったもんね。日本キリスト教会

なんかは。