安保理の常任理事国のうち3カ国(米国、ロシア、中国)はICCの加盟国ではない。
■ 『オランダ・ハーグより』 第178回
「カルラのリスト」
□ 春 具 :ハーグ在住・化学兵器禁止機関(OPCW)勤務
■ 『オランダ・ハーグより』 春 具 第178回
「カルラのリスト」
「カルラのリスト La Liste de Carla 」というドキュメンタリー映画を
観ました。
マルセル・シュプバッハというスイス人の監督が2006年に制作
した映画です。
「リスト」とは、旧ユーゴ内戦時に戦争犯罪に関わったとされる者たち
の名簿。「カルラ」は、旧ユーゴ犯罪法廷 International Criminal
Tribunal for the FormerYugoslavia ICTYの検事長
カルラ・デルポンテ氏。そして、「カルラのリスト」はデルポンテ氏の
仕事を追った映画であります。
内容について話すのは規則違反かもしれませんが、いくつか考えた
ポイントがある。それで今日はこの映画について書いてみたいと
思います。
カルラ・デルポンテ氏は1999年にICTYの検事長に就任した
スイス人です。
ハーグに来る前はスイスの司法長官をしていたが、その時期に
マフィアの資金洗浄を摘発したことで、名を広く知られた法曹で
あります。国際刑事司法業界というのは、なぜだかわかりませんが、
ひとの移動がけっこう激しく、ICTYの裁判官も書記局職員
(国際機関の事務局に当たる)も知らない間に入れ替わっている。
ICTY検事長もデルポンテ氏で4代目であります。
国際裁判を追いかけるドキュメンタリーは珍しいのではないかな。
概して国際法廷もの、とくに戦争犯罪に関わる大規模な立件は
関係者がときとして命を狙われる作業でもあり、セキュリティの面から
も報道映画でさえお断りだという検察・裁判関係者が多いらしいのです。
ではなぜデルポンテ氏がドキュメンタリー作成を受け入れたのか、
それについては後で触れますが、彼女の仕事は重大犯罪の
容疑者を追跡し、ハーグのICTYまで連れてきて起訴する、と簡単に
言えばこういうことなのでありまして、この映画はその意味では
sleuth (探偵小説)を読むようなスリルがある。
探偵小説ではあるが、デルポンテ検事たちが、探偵や刑事たちの
ように容疑者を追いかけているわけではありません。
「カルラのリスト」には、旧ユーゴ紛争当時に彼の地で民族浄化運動を
展開して、イスラム系住民にジェノサイドを仕掛けたとされる
ラドワン・カラジッチ、ラッコ・ムラジッチ、ゴラン・ハディッチなどの
容疑者が載っていて、彼らの逮捕と起訴が彼女に課せられた仕事
なのですが、国際的な刑事法廷というのはもともと構造的な短所を
抱えているのであります。ICTYは独自の警察力を持っておらず、
みずから容疑者を逮捕することができないのです。逮捕は、
国際社会の協力(国連加盟国、国連軍、あるいはNATOのような
地域機関による実力行使、そしてNGO、市民からの情報)に
全面的におぶさっているのであります。そして国際社会では
主権国それぞれの「刑事犯罪」に対する関心の温度が異なります
から、協力してくれる国もあればしてくれない国もある。
「亡命」の名のもとに容疑者をかくまう国だってあるのであります。
そして、当事国も必ずしも協力的とは言えない。たとえば、
クロアチアでセルビア住民を虐殺した(スレブレニッツアと反対の例
である)とされるアンテ・ゴトヴィナという容疑者の例があります。
ゴトヴィナはユーゴ紛争でおおいに暴れ回って傭兵から将軍にまで
昇進し、紛争後には国民の英雄とみなされるまでになった。
戦後、クロアチア政府にとって、英雄であるゴトヴィナを国際法廷へ
差し出すことは民意を損ねるだけでなく、政情不安をもたらすほどの
インパクトのある決断だというのであります。
それで、政府は逮捕に消極的なだけでなく、居場所さえもわからない
と言い続けていた。
ICTYもほかの国際機関や弊機関と同様に、国際政治の波に流され、
国内政治の嵐に翻弄されるのであります。
ですが、そのことはけっしていつも否定的に作用するものではない。
国際政治の枠組みを戦略的・外交的に操作して実をあげるという方法
があるのであります。そこで、優れた行政官は政治的駆け引きを行う。
クロアチアは、国家再建の一環として欧州連合への加盟を希望し、
欧州委員会と交渉をはじめようとしておりました。デルポンテ検事長は
この加盟交渉を駆け引きの材料に使うのですね。
欧州委員会は、クロアチアがメンバーとしての資格を備えているかに
ついてあらゆる角度から検証を行い、ICTYにも国政についての
評価を依頼していたので、「わたしがブラッセル(欧州委員会のある地)
へいって、クロアチアはゴトヴィナ容疑者逮捕に全力を尽くしています
と言えば、欧州連合はクロアチアの加盟交渉を始めるでしょう。
反対に、のらりくらりとしていると言えば、加盟交渉は棚上げにされる」
デルポンテ氏のこの切り札は、クロアチアにとって大きな圧力と
なったようである。
駆け引きは彼女がルクセンブルグ(その年の欧州委員長は、
持ち回りでルクセンブルグがしていた)で報告をする直前まで続き、
クロアチアのサナデル首相をじきじきになだめ、すかし、脅したあと、
協力の言質をとりつける。彼女は欧州委員会の席で「クロアチアは
全面的な協力をしてくれています。わたしは満足です」とじつに好意
的な報告する。
この好意的な報告は、じつはデルポンテ氏の大きな賭けだった。
クロアチアもセルビアも容疑者逮捕については、やるやるといいながら
約束を守ってきたことはなかったからなのです。
前倒しの好意的な報告にも関わらず、じっさい、そのあとなにも
起こらず、メディアはカルラはクロアチアの圧力に負けたとまで
書きたてた。
だが、2ヶ月後、ゴトヴィナ氏はカナリア諸島に隠れているところを、
スペインの
当局に逮捕されるのであります。クロアチアは約束を守ったわけですね。
(このゴトヴィナ捕獲をめぐるクロアチアとの交渉の様子は、政治駆け
引きのおもしろさを十分に記録していて、この映画でいちばんスリルに
富んだエピソードでありました。
逮捕の吉報が届いたとき、デルポンテ氏は「カラジッチとムラジッチの
逮捕についても、セルビアがクロアチアのように協力的だったら
うれしいですね」とひと言、言っていた。
いうまでもなくセルビアに対するメッセージであります。)
デルポンテ氏は、歴代の検察官の中ではメディアへの露出度の
たいへんにたかい検事長であります。彼女はじつに頻繁に記者会見
をする。そのことを問われて、彼女は「わたしはまず、わたしたちの
仕事を一般の人たちに理解してもらいたい。さらに、
メディアへ出ることは政治家を動かすメッセージでもあるのです。
政治家はメディアの報道に敏感ですからね。
この映画を撮ってもらうことにしたのも、そのためですよ。
映画作成をお手伝いするは、わたしたちの戦略でもあるのですよ」と、
映画のなかで、言っておりました。
ところで。
この10月1日、我が国は国際刑事裁判所 International Criminal
Court ICCに加盟し、105番目のメンバー国となりました
(JMM「オランダハーグより:第172回:希望の贈りもの」)。
ICCは、1998年に締結された「ローマ規程Rome Statute 」
(イタリアのローマで締結されたから,「ローマ規程」とよぶ)に
よってできた、国際社会が初めて建設した恒常的な刑事裁判所で
あります。ICCはICTYの経験から何を学ぶだろうか。
何を学べばいいだろうか。
「カルラのリスト」のはじめのほうで、サラエボに住む年配の婦人が
「旧ユーゴ法廷の検察官が女性でよかった」とぽつりと言うシーンが
あります。「男は、丸太みたいに無感情ですからね」この婦人の
ひとことは、映画を通じて低く流れるベースノートとなるのですが、
わたくしはこの婦人のひとことを聞いて、この映画はいい視点を捉
えたなと思ったのであります。
この婦人はスレブレニッツア出身のモスリム人で、1995年にボスニア
のスレプレニッツア村でおこった虐殺犠牲者の遺族の一人である。
スレプレニッツア事件は、旧ユーゴ戦争における最大の悲劇であります。
その年の7月、村はボスニア・セルビア軍の攻撃を受け、村を保護して
いた国連軍(オランダの軍だった)はなす術もないまま、8000人
あまりの男性住民が連れ去られ、全員が無抵抗のまま、虐殺された
という事件であります。そして村には、夫、息子、兄弟を失った女性たち
だけが残された。
紛争がおきるとおおきく苦痛を受けるのは、いつでも女性と子供たち
であります。
スレプレニッツア事件はその例であるが、「ローマ規程」にはこの現実を
直視して、間接的な犠牲者だけでなく、法廷で証人となるレイプの
犠牲者や暴力からのトラウマの犠牲者たちを保護する規程が
はいっています(43条)。
これはこれまでの人道法のなかでも傑出した進歩であるのでありま
して、この条文は、国連憲章前文や8条のような抽象的な条文で
はなく、具体的な文言であります。そのためにICCには
「Division of Victim and Counsel」という部署がつくられていて、
トラウマ治療を専門にするカウンセラーが雇用されることになっている
そのカウンセラーも女性が望ましいとされています。
こういう部署は、人道的国際機関の中でも注目されるべき
部署でありましょう(中国などは「ローマ規程」が被害者の人権擁護を
強調していることから、これは刑事裁判条約でなく人権条約だとまで
言っている。そのことが非加盟の理由でもあるらしい)。
また、「平和が先か、正義が先」かという問題もありますね。
昨年でしたか、ICCの逮捕状がでているウガンダ反政府軍リーダーの
ジョゼフ・コニー氏が隠れていた森の中から姿をみせ、起訴状を
取り下げたら平和交渉に応じようという条件を出したことがある。
彼はさらに、和平を成立させたら恩赦をくれとまで要求した。
なるほどね、ジェノサイドや人道犯罪をやるほどの人物でも裁判にかか
るのは怖いというわけだ。コニー氏の提案は「正義」が先か「平和」が
先かという紛争解決の基本問題を提起しております。
コニー氏の条件を受けて和平交渉に応じることは、ウガンダ内紛の
政治的解決の一歩ではある。意味のあることであります。だが、
政治的に一歩譲ることは司法の中立・独立という点に抵触してしまう。
だが、内戦で疲労困憊している国民にとってどちらが必要なことなの
だろう。戦火のなかを逃げ惑い、避難民として放り出された人々が
「わたしたちは正義とかそんなことはどうでもいいのだ、わたしたちは
平和が欲しいのだ、平和に暮らしたいだけなのだ」と言うのを聞くと、
国際社会は正義と平和とどちらを先に希求すべきなのだろうかと
考えてしまう。
この問題は、いまのところ現実的に、「平和」のために「正義」を留保
するという暫定的な解決がなされております。
コニー氏の提案は国連へ持ち込まれ、安保理での議題となった。
そして、安保理の勧告により、ICCはウガンダ反政府指導者たちの
起訴を、平和交渉の成り行きをみながら、半年毎に検討していくという
条件で保留しております。
つまり平和交渉を続ける間は捕まえないということであります。
安全保障理事会は、国連憲章第7章(平和に対する脅威……)を
考慮することが役目ですから、コニー提案を安保理で議論したのは
まちがってはいない。ですがね、その安保理の常任理事国のうち
3カ国(米国、ロシア、中国)はICCの加盟国ではないのである。
加盟国でもない国々がICCの管轄事項に対して「ああせい、こうせい」
と、場合によっては拒否権を行使しながら、言うというわけだ。
これはどこかおかしいのではないかと思うのですが、
どんなものでしょうか。ほんとうはおかしくないの
かもしれませんけど……。
ICCは人道に対する犯罪とかジェノサイドとか戦争犯罪などの
重大犯罪を裁くことを目的としている。
それはまったくそのとおりなです。ですが、わたくしはこの組織の
役割をもっと広く、「Global Security 」あるいは「Global Governance」
の文脈で捉えております。
そもそもICCのクライアント(という言い方はおかしいか)は、いずれも
「失敗した国々」である。国が失敗するとき、すなわち統治システムが
機能不全に陥るとき、一番先に崩壊するのが「法秩序」であります。
ガバナンスが不満から生じる暴力を押さえきれなくなると、虐殺がおこり、
その復讐がおこなわれ、虐殺はエスカレートしていき、そして国は
崩壊していくのであります。
アフリカだけでなくイラクもそうだし、ミャンマーだってパキスタンだって、
国が暴力によってメルトダウンしていく様を見るようであります。
そのようにして崩壊してしまった国を再建するには、ですからまず
「法の支配」の復活から始めなくてはならない。
国家再建というのはICCの任務ではないですが、
ICCの仕事は失敗した国々の司法制度再構築におけるベンチマークに
なりましょう。
ICCは過去の犯罪を断罪して清算するが、それだけでなく、将来再建
される国家のガバナンスへむけて、「法の支配」のプロセスの整備を
手伝うこともできるのではないか。
法曹の育成ということをICCの「Outreach 広報啓蒙活動」(このことも
「ローマ規程」に書いてあります)の一環として行えることではないかと
思うのであります。
2005年の7月、スレブレニッツアの惨劇10周年の追悼式典に、
デルポンテ氏は欠席した。「わたしはまだするべき仕事を終えていない
のです。わたしにはカラジッチとムラジッチを野放しにしたまま、
式典に出る資格はない。出るわけにはいかないのです。
個人的にも感情的にも,その場に居たいのですけど……」と寂しそうに
言っておりました。
殺戮当時、若い妻のおなかにいた子供が、いま10歳になっている。
歴史の清算をしなければ、彼はセルビアを恨み続けるだろう。
そして、彼らに対して民族浄化を迫るかもしれない。
そのように歴史が繰り返さないように、刑事裁判は決着をつけてお
かなければならないのであります。
ICTYは設立された1994年からこれまでのあいだに、161のケース
を立件し、そのうちの105件が完了し、56件がいまでも係争中である。
この数字がICTYの10年の業績であるが、その数は多いのか少ない
のか、わたくしには判断がつきません。
ICTYはながいあいだ容疑者を捕まえることができず、なにをやってい
るのだ、まじめに仕事をしているのかと批判され続けてきていました。
ところが逮捕された容疑者がどっと送られてくるようになると、
こんどは裁判が追いつかない。未決のまま判決を待つケースが
山積して、なにをやっているのだ、まじめに仕事をしているのか、
ICTYは「カネ食い虫」だなと批判されておりました(なにをやっても
怒られるのは、国連機関の運命である)。
いつまでもぐずぐずと終わりの見えない裁判に業を煮やした安全
保障理事会は、ICTYの閉鎖を決議する。そして、残ったケースは
セルビア、クロアチアへ送り返される。そして現地の裁判所で
裁判されることになっております(もっとも、裁判の移管もそれなりに
問題があり、たとえばある被告がセルビアに戻されたが、収監された
牢獄はかつて彼が所長をしていた監獄だったという。当然,彼は
敷地のすべてに通じておりますわな。数日もしないうちに彼は
なんなく脱獄に成功し、いなくなってしまったという。
こういう茶番も起きうるのであります)。
コフィ・アナン元国連事務総長は、「ローマ規程」が締結されたとき、
「この条約は、国際社会にとって『希望の贈りもの』だ」と言ったことが
あります。わたくしはそのことをテーマにJMMの172回を書いたの
ですが、国際刑事裁判所は「失敗した国々」を再建する次の世代
にとって「贈りもの」たる組織だと、わたくしも思います。
だがその希望の贈り物が届いた反面、地球の別のところでジェノサイド
を行ったとされるカラジッチ氏とムラジッチ氏という容疑者たちは
行方の知れないまま、いまも野放し。デルポンテ氏は今年で任期を
終えてハーグを去り、ICTYは2010年に閉鎖される。
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春(はる)具(えれ)
1948年東京生まれ。国際基督教大学院、ニューヨーク大学
ロースクール出身。行政学修士、法学修士。78年より国際連合
事務局(ニューヨーク、ジュネーブ)勤務。
2000年1月より化学兵器禁止機関(OPCW)にて訓練人材開発
部長。現在オランダのハーグに在住。共訳書に『大統領のゴルフ』
(NHK出版)、編書に『ChemicalWeapons Convention:
implementation, challenges and opportunities』(国際連合大学)が
ある。
<http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/9280811231/jmm05-22
>
JMM[JapanMailMedia] No.452 Friday Edition
【発行】 有限会社 村上龍事務所
【編集】 村上龍
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日本のお姉さんの意見。↓
セルビア、クロアチアは、お互いにむごい戦闘を繰り返していて、
イスラム系住民にジェノサイドを仕掛けたセルビア軍だけが
悪いように世界に報道されているが、どっちもどっちなのだ。
どちらがよけいに世界に向けて悪く報道されたかの差
なのではないか。
わたしには、アメリカがカトリックが多いセルビアを助けず、
イスラムが多いクロアチアの味方をしたことを「変だな。」と感じる。
アメリカは公正に悪い方を裁いたつもりなののだろうが、
本当にセルビアがクロアチアよりもより悪かったのか?
先に暴動を起したのは、イスラム教徒の住民だったとも聞く。
でも、誰が先かより、目立つ方が、裁かれるのだろう。
それで、イスラムの人が、アメリカは公正だと思ってくれているかと
言えば、彼らは、セルビア、クロアチアのことはまったく
カウントに入れていない。アメリカがイスラムの方を助けたからと
言って、アメリカを好きになったりはしない。
どうでもいいことだったのだろう。
何が正義かは、報道の仕方にかかっていて、いくらでも世論を
コントロールできるということだ。
世界中がある民族を嫌えば、世界中の軍隊がその民族を裁きに
押し寄せて来るって、ある意味恐い話だ。
もし、日本が世界中から嫌われれば、世界中の軍隊が
押し寄せてくる。日本を悪く報道すれば、日本を攻撃することが
正義となる。中国人は、そういう情報操作が効果的だと知っているので、
アメリカの中で華僑の組織や、華僑の町の無名の中国系の人間の
名前を使って、アメリカの議員にどんどん献金をしている。
マイク・ホンダ議員は、中国が昔から献金を続けていた中国の息が
かかったロビイストみたいな存在で、日本軍にありもしない罪を
着せて、アメリカの下院で断罪させた。
日本は、どんどん中国の悪い部分を責める立て、世界の中で
中国のイメージを悪くするように誘導しなければならない。
中国が外国で日本のイメージを落とす攻撃をやめない限りは。
友好、友好と言いながら、他で日本の悪口を広めている国は、
信用してはいけない。学校でも会社でも、ご近所の人でも、
もらうものはもらい、お世辞を言って友好的であっても、他のところで
悪口を言っている人って、友達ではなくて敵だろう。