最近考えていること
いつも、自信満々に生きているのだけど、たまに
バカみたいな失敗をすることがある。
そんな時は、自分に失望する。でも、人間って100%正しいことは
できないし、失敗は誰だってする。昨日は、会社に行ったら、
閉まっていたのでがっくりきた。昨日は会社が休みの土曜日だったのに、
しかも金曜日の夜に、ちゃんと会社の休日表を見て、確認したはずなのに、
なぜ間違えたのだろう。休みの土曜日に会社に行くなんて、ホントにバカ。
会社では、大きな失敗もしている。
ある仕事の最終チェックをする担当だったのに、
ミスをして印刷のし直しをすることになった。最終チャックをする担当で
ない人が、印刷会社にゴーサインを出してしまったのだが、本人は
ゴーサインを出したつもりはなくて、色のチェックをして「よし。」と
言っただけだったのだ。誰が悪いのかと言えば、わたしだ。
最終チェックの担当のわたしが印刷会社に、勝手にわたし以外の人の
ゴーサインを受け取るなと強く指示しなかったからだ。
それと、勝手に色を変更したり、色のチェックをしないでくれと彼には
言わなければならない。
2ヶ月前にも、似たようなミスをした。慣れた仕事だったから、気合いが
足りなかったのだろうか。長年仕事をしていても、単純ミスをしてしまって
がっかりしてしまった。でも、隣の女子社員も、普段新入社員の女子に
威張っているのに、たまにすごいミスをしている。
失敗しても笑いでごまかしている。新入社員も笑ってあげていて、
誰も、突っ込んで虐めたりはしない。いい会社だ。わたしのミスに比べたら
どうってことがないミスだ。
人間だから、誰にだってたまに失敗はある。ただ、失敗が少ない人と
多い人がいるだけ。わたしの女の上司は、失敗が少ない人で、他人の
失敗も直ぐ気が付いて指摘するので、会社の役に立っている。
それでも、本人は、年を取ってきたせいか失敗が増えたと言っている。
以前にしなかったようなミスが増えたのだそうだ。
わたしの失敗も、年のせいなのか?今年だけで3回は失敗している。
普段、すまして威張っている人が失敗すると、本当に恥ずかしい。
普段から、失敗している人は、「またか。」で済むけど、あんまり
失敗しない人がたまに失敗すると、目立つ。目立ちすぎる。
飛行場の管制官やパイロットは、失敗したら、人の命にかかわるので、
失敗はあってはならない。毎日ストレスがかかって大変な
仕事だなと思う。人の命がかかっていない仕事でも、失敗すると
がっかりするのだから、命にかかわる仕事についている人は、失敗すると
相当がっかりするのだと思う。
自分の失敗で、救えたかもしれない命を救えなかったり、
一生懸命やった仕事が間違っていたりして、人を危険にさらせたり
すると、かなり気分が滅入ると思う。
わたしのまわりでも、家族の死に目に会えなかったり、
家族の世話がちゃんとできない内に死なれたりして、後悔の気持ちが
ずっと心に残っている人たちがいる。
「あの時、ちゃんと病院を変わっていれば、、、。」とか、
「あの時、早く、具合が悪いと気がついて、いい病院に運んでいれば、、、、。」
とか、「もっと優しくしてあげたらよかった。」
「あの時、会社に行かずに側にいて欲しいと頼まれたのに、どうして
側にいてあげなかったんだろう。」とか、常に自分を責めている。
でも、失敗しなければ学べないことだってあるし、後悔している人は、
他人の目から見て、毎日病人の世話をきちんとしている人で、
別に本人に落ち度は無いのだ。
普段から一生懸命、家族の看病をしている人でも、家族に死なれると
自分を責めてしまうのだ。それが、人間なのだ。
愛が深いほど、死なれると後悔ばかりするものなんだと思う。
おまけに、自分を責めるばかりではなく、病院に対しても恨みの気持ちを
持ったり、治療方法を疑ったりしがちになるものなんだと思う。
病院側に明らかに落ち度があるなら文句を言ったり、訴えたりしたら
いいと思うけれど、病院にだって、どうすることもできない場合もある。
最近、産婦人科の医者が少なくなっているのは、お産の時に死ぬ人が
でると、病院が訴えられる場合が多くなったからだそうだ。
夜中でも出産が始まると医者は病院に出かけないといけないので、
辛くて割の合わない仕事だと思われているのだそうだ。
人間には失敗しても、自分だけを責めてはいけない場合もあるし、反省して
同じ失敗を犯さないように気を付けなければならない場合もある。
なるべく、犯した過ちの被害が広がらないように、なんとかしないと
いけない場合もある。
責任の重い仕事についたら、真剣にならないといけないが、
会社が抱える従業員や彼らの家族のことを考えて責任の重さに
夜も眠ることができない日もあって、寝不足でノイローゼになるのも困る。
重圧を感じすぎるのも、困るけど、楽観的になりすぎて、後先も考えず、
会社を拡大させることばかりを考えて動くのもNOVAのように
経営が破綻してしまうから、困る。
楽観的で大胆なトップと、側に慎重で現実的なタイプの部下が組んでいると
すごく、いいんだけどな。
会社だけではなく、家庭にも、楽観的な人と慎重な人が二人いると、
ちょうどお互いに補助しあって、いい感じの人生が送れそう。
後悔ばかりして悲しんでいる人には、「あなたのせいではない。」
「避けられないことだったんだ。」と、励ましたり慰めてくれる人が
必要だし、お金の計算ができなくて、無駄使いばかりしようとする人には、
貯金も必要だと心配する人が必要だ。
だから、不完全な人間には友達が必要なんだと思う。
失敗してがっくりしている時、悲しんでいて立ち上がれそうにないとき、
間違ったことをしている時、怒りで正しい判断が付かずにバカなことを
しでかそうとしている時、忠告してくれる友達が必要なんだと思う。
体の調子が悪い時、精神の病気で様子が変になっているとき、
病院に行くように強く進めてくれる友達がいる人は強いと思う。
不完全だから、みんなで補い合って、より完全であるよう、努力して
いかないとそれぞれが、自分の欠点をパワーアップしていきそうで恐い。
最近、誰かが精神の病のせいで自殺をくわだて、繁華街のパルコの
上から飛び降りて、たまたま下を通っていた人に当たり、
自分も死んだが、ぶつかった相手も死んでしまったと言う事件があったが、
みんながそれについて意見を言うことはいいことだと思う。
ネットで、みんながいろんな意見を出し合うことで、この事件が広く
世間に知れ渡り、たとえ、誰かが精神の病に冒されて自殺を企てるような
ことがあっても、下を通る人に迷惑がかからないようにしなければならない
という知識があれば、飛び降りを思いとどまるかもしれないし、
精神の病の治療中の人は、少し良くなると自殺をする可能性が高いので、
まわりの人が患者を一人で外を歩かせず、
付き添いを付けるなど、
対策を考えるようになるからだ。
一人の失敗は日本社会のみんなの失敗と考えて、対策を練らなければ、
同じ事が繰り返されるだけだ。
みんな、同じ失敗をするかもしれない人間なのだ。
だから、次に同じ失敗をしないようには、どうしたらいいんだろう。
そういう風に、考えないといけない。
誰かがどこかで失敗したら、その傷や穴を隠してしまわないで、みんなの
共通の経験として、意見を言い合い、対策を考え、自分にも起こりうる
ことだと思って自戒し、不運な人に同情し、一緒に悲しんで一緒に怒って、
この国を日本人が暮らしやすい国にしていかなくちゃ、、、、。
わたしの場合は、同じ失敗が続いたので、深く反省して
印刷会社にわたしが最終チェックをする担当だということを再認識させ、
年のせいでボケてきているから失敗が多いのなら、
犯しそうな過ちを事前にポストイットに大きく書いてパソコンに貼って、
自分を戒めようと思う。
私生活でも、同じ失敗を繰り返しているから、もう中毒になっているその
件を神さまにお祈りして助けていただくしかない。
聖書を読んで、神さまに「助けてください。」と願って、
真剣に生きていきたいと思う。