おすすめ記事3 | 日本のお姉さん

おすすめ記事3

ようちゃん、おすすめ記事。↓

▼ソマリア沖の海賊船を米海軍がミサイルで撃沈

(米流時評) ↓北朝鮮の海賊船もインド洋で

仕事をしていたので、アメリカ海軍に捕まったそうです。

日本のタンカーもソマリアの海賊船から

助けられたそうです。↓

http://beiryu2.exblog.jp/6516027



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▼【やばいぞ日本】第4部 忘れてしまったもの1)一片のパン「幼いマリコに」(イザ)
81歳、進駐軍兵士だった元ハワイ州知事、ジョージ・アリヨシ氏から手紙(英文)が、記者の手元に届いたのは今年10月中旬だった。親殺し、子殺し、数々の不正や偽装が伝えられる中、元知事の訴えは、「義理、恩、おかげさま、国のために」に、日本人がもう一度思いをはせてほしいというものだった。終戦直後に出会った少年がみせた日本人の心が今も、アリヨシ氏の胸に刻まれているからだ。手紙によると、陸軍に入隊したばかりのアリヨシ氏は1945年秋、初めて東京の土を踏んだ。丸の内の旧郵船ビルを兵舎にしていた彼が最初に出会った日本人は、靴を磨いてくれた7歳の少年だった。言葉を交わすうち、少年が両親を失い、妹と2人で過酷な時代を生きていかねばならないことを知った。東京は焼け野原だった。その年は大凶作で、1000万人の日本人が餓死するといわれていた。少年は背筋を伸ばし、しっかりと受け答えしていたが、空腹の様子は隠しようもなかった。
彼は兵舎に戻り、食事に出されたパンにバターとジャムを塗るとナプキンで包んだ。持ち出しは禁じられていた。だが、彼はすぐさま少年のところにとって返し、包みを渡した。少年は「ありがとうございます」と言い、包みを箱に入れた。彼は少年に、なぜ箱にしまったのか、おなかはすいていないのかと尋ねた。少年は「おなかはすいています」といい、「3歳のマリコが家で待っています。一緒に食べたいんです」といった。アリヨシ氏は手紙にこのときのことをつづった。「この7歳のおなかをすかせた少年が、3歳の妹のマリコとわずか一片のパンを分かち合おうとしたことに深く感動した」と。
彼はこのあとも、ハワイ出身の仲間とともに少年を手助けした。しかし、日本には2カ月しかいなかった。再入隊せず、本国で法律を学ぶことを選んだからだ。そして、1974年、日系人として初めてハワイ州知事に就任した。のち、アリヨシ氏は日本に旅行するたび、この少年のその後の人生を心配した。メディアとともに消息を探したが、見つからなかった。妹の名前がマリコであることは覚えていたが、靴磨きの少年の名前は知らなかった。私は彼に会いたかった」記者がハワイ在住のアリヨシ氏に手紙を書いたのは先月、大阪防衛協会が発行した機関紙「まもり」のコラムを見たからだ。筆者は少年と同年齢の蛯原康治同協会事務局長(70)。五百旗頭(いおきべ)真(まこと)防衛大学校長が4月の講演で、元知事と少年の交流を紹介した。それを聞いた蛯原氏は「毅然(きぜん)とした日本人の存在を知ってもらいたかったため」と語った。記者は経緯を確認したかった。アリヨシ氏の手紙は「荒廃した国家を経済大国に変えた日本を考えるたびに、あの少年の気概と心情を思いだす。それは『国のために』という日本国民の精神と犠牲を象徴するものだ」と記されていた。今を生きる日本人へのメッセージが最後にしたためられていた。
「幾星霜が過ぎ、日本は変わった。今日の日本人は生きるための戦いをしなくてよい。ほとんどの人びとは、両親や祖父母が新しい日本を作るために払った努力と犠牲のことを知らない。すべてのことは容易に手に入る。そうした人たちは今こそ、7歳の靴磨きの少年の家族や国を思う気概と苦闘をもう一度考えるべきである。義理、責任、恩、おかげさまで、という言葉が思い浮かぶ」
凛(りん)とした日本人たれ。父母が福岡県豊前市出身だった有吉氏の“祖国”への思いが凝縮されていた。
 ■厳しい時代に苦闘と気概の物語
終戦直後、米海軍カメラマンのジョー・オダネル氏(今年8月、85歳で死去)の心を揺さぶったのも、靴磨きの少年と似た年回りの「焼き場の少年」であった。原爆が投下された長崎市の浦上川周辺の焼き場で、少年は亡くなった弟を背負い、直立不動で火葬の順番を待っている。素足が痛々しい。オダネル氏はその姿を1995年刊行の写真集「トランクの中の日本」(小学館発行)でこう回想している。「焼き場に10歳くらいの少年がやってきた。小さな体はやせ細り、ぼろぼろの服を着てはだしだった。少年の背中には2歳にもならない幼い男の子がくくりつけられていた。(略)少年は焼き場のふちまで進むとそこで立ち止まる。わき上がる熱風にも動じない。係員は背中の幼児を下ろし、足下の燃えさかる火の上に乗せた。(略)私は彼から目をそらすことができなかった。少年は気を付けの姿勢で、じっと前を見つづけた。私はカメラのファインダーを通して涙も出ないほどの悲しみに打ちひしがれた顔を見守った。私は彼の肩を抱いてやりたかった。しかし声をかけることもできないまま、ただもう一度シャッターを切った」この写真は、今も見た人の心をとらえて離さない。フジテレビ系列の「写真物語」が先月放映した「焼き場の少年」に対し、1週間で200件近くのメールが届いたことにもうかがえる。フジテレビによると、その内容はこうだった。「軽い気持ちでチャンネルを合わせたのですが、冒頭から心が締め付けられ号泣してしまいました」(30代主婦)、「精いっぱい生きるという一番大切なことを改めて教えてもらったような気がします」(20代男性)。1枚の写真からそれぞれがなにかを学び取っているようだ。オダネル氏は前記の写真集で、もう一つの日本人の物語を語っている。
激しい雨の真夜中、事務所で当直についていたオダネル氏の前に、若い女性が入ってきた。「ほっそりとした体はびしょぬれで、黒髪もべったりと頭にはりついていた。おじぎを繰り返しながら、私たちになにかしきりに訴えていた。どうやら、どこかへ連れていこうとしているらしい」それは踏切事故で10人の海兵隊員が死亡した凄惨(せいさん)な現場を教えるための命がけともいえる行動だった。オダネル氏は「あの夜、私を事故現場まで連れていった日本女性はそのまま姿を消した。彼女の名前も住所も知らない。一言のお礼さえ伝えられなかった」と述べている。苦難にたじろがない、乏しさを分かつ、思いやり、無私、隣人愛…。
こうして日本人は、敗戦に飢餓という未曾有の危機を乗り切ることができた。それは自らの努力と気概、そして米軍放出やラ(LARA、国際NGO)救援物資などのためだった。
当時、米国民の中には、今日はランチを食べたことにして、その費用を日本への募金にする人が少なくなかった。日本がララ物資の援助に感謝して、誰一人物資を横流しすることがないという外国特派員の報道が、援助の機運をさらに盛り上げたのだった。
こうした苦しい時代の物語を、親から子、子から孫へともう一度語り継ぐことが、今の社会に広がる病巣を少しでも食い止めることになる。(中静敬一郎)
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●日本人 [カッキーの今日、思ったこと。]
校長殴った教諭を逮捕 おいおい、とうとう学校の先生が人殺しになる一歩手前かい。本当に本当に世も末ですわな。 さて、今日の産経新聞朝刊の連載「 やばいぞ日本第4部 」には心震わされた。 進駐軍の兵士から与えられた一片のパンを幼い妹に分けるため箱にしまう少年の話。そして、「焼き場の少年」を写した一枚の写真。残念ながらwebでは写真を見ることはできないが、幼い弟を背負い直立し、その弟の〝順番〟を待つ姿を見て、「日本人」とは何なのかを考えさせられた。 戦争というのは確かに我が国にとって不幸な時代ではあった。しかし、あの時代には「日本人」がいたのだ。〝市井の少年〟にまで日本人として、にんげんとしての振舞いが沁みこまれていたあの時代。翻って、今この時代はどうだろうか。言わずもがなであろう。
■校長殴った中学教諭逮捕 「殺すつもりだった」(イザ)
金づちで校長を殴ったとして、和歌山県警橋本署は6日、傷害容疑で和歌山県橋本市立学文路中学の男性教諭(34)=大阪府河内長野市=を逮捕した。調べでは、教諭は1日午前10時ごろ、中学の校長室で金づちで校長(58)を殴り、手にけがをさせた疑い。ほかの職員が取り押さえ、2日に出頭した。教諭は平成17年12月から休職中。「今日、寄らせてもらう」と電話し、校長室へ来て、校長が後ろを向いたすきに殴りかかったという。「殺すつもりだった」と供述。金づちと包丁2本を持ち込んでおり、同署は殺人未遂容疑などでも調べている。
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●ふと、自分の手を見る [七瀬のたわごと-iZa分室]
産経本紙で連載されている、「やばいぞ、日本」を読むと、朝からドーンと気分が沈んでしまい、うまく説明できない焦燥感に襲われてしまいます。でも、現実を直視することは大切ですから、とても意義ある連載だと思っているんですけどね。さて、今朝の内容は、元ハワイ州知事、ジョージ・アリヨシ氏が、終戦直後の東京で出会った、靴磨きの少年の話。差し出されたパンを食べず、大切に箱にしまい、「三歳になる妹のマリコと一緒に食べたいんです」と言った話に、思わず涙があふれてしまいました。
自分のことを振り返ってみるとどうだったろう。靴磨きの少年と同じ境遇に、もし私が置かれたとしたら、同じ事を言えるだろうか。自分の手を見つめながら、ふと考え込んでしまうのであります。
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●日本人は 変わっていない そう 思いたいが・… [これ 見逃すな]
苦難にたじろがない、乏しさを分かつ、思いやり、無私、隣人愛・・・・当時、 米国民の中には、今日はランチを食べたことにして、その費用を日本への募金にする人が少なくなかった。 日本がララ物資の援助に感謝しして、誰一人物資を横流しすることがない という外国特派員の報道が、援助の機運をさらに盛り上げたのだった。読んでいると 目頭が・・・
たった?60年前のこと日本人は 変わっていない そう 思いたいが・・・…