かくも凄まじき、ロシア新皇帝プーチンの巻き返し
宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
平成19年(2007年) 10月28日(日曜日)
かくも凄まじき、ロシア新皇帝プーチンの巻き返し
グルジアは「薔薇革命」の民主化路線をいつまで維持できるか
********************************
▼ウクライナの西側民主化の教訓はどこへ消えるのか
ウクライナに親欧米派のユーシチェンコ大統領が登場したのは2005年、「カラー革命」の走りで欧米が賛美を送った。
ロシアKGB得意の戦術は政敵の暗殺。ユーシチェンコ大統領は毒をもられ、九死に一生をとりとめたが、美貌は吹き出物に歪んだ。
06年1月1日、ロシアはウクライナ制裁を目的に突如、ガスの供給を中断した。資源を干しあげようとしたのである。資源外交の政治武器化の嚆矢になった(詳しくは拙著『世界新資源戦争』(阪急コミュニケーションズ刊)を参照)。
いまウクライナの大地を揺さぶるのは東西分割に向かうかのようなささくれだった国民の感情対立であり、それは「内戦前夜」ほどの悲壮な対決ムードを醸し出している。ウクライナの東部における「親ロシア派」政治勢力の顕著な台頭である。
▼ 山国牧畜のキルギスもまた
親ロシア派のアカーエフ前政権を平和裡に倒した「チューリップ革命」を演じたのはCIS、中央アジアの小国キルギスだった。
民主政治家バキーエフ大統領の登場は期待と賛美で西側マスコミも書いた。
拙論「中国文明の胎動と周辺諸国」(『正論』11月号)で触れたように、そのご、「民主派」で「親欧米派」と目されてきたバキーエフ大統領は、踵をかえすように親ロシア路線に邁進し始めるのだ。
アカーエフ前大統領も民主派、非共産党だったが、権力を握るや側近の腐敗が蔓延った。かれはキルギス北部の出身で、南部とは対立していた。
いまも、同国は部族ならびに氏族の対立が社会の基層をなしている。
バキーエフは南部の政治家、ご都合主義的に憲法改正を策動、大統領権限をプーチン並みに高める一方で野党(北部部族が主軸)の政治活動を抑制し、ネポティズム丸出しの専制政治に陥った。
ロシア軍の駐留には文句を付けないで、マナス国際空港をかりうける米軍を追い出そうと動くのも、背後にロシアが動いているからだろう。
「民主化」は形骸化する懼れがでている。
▼ グルジアの運命、ふたたびの暗雲
さて、サアカシビリ大統領率いるグルジア。
グルジアの民主革命もまた、民主主義による平和的手段で、旧ロシア路線のKGB的な政権から独立色濃いサアカシビリが登場した。2004年だった。
ロシアの代理人的なシェワルナゼ政権は敗退した。ロシアの頸城からの独立という素朴な国民感情の表れだった。
06年12月、とうとうグルジアはロシアの駐留軍を撤退させた。グルジアはじつに二百年ぶりに真の独立を果たした。
しかし、あの帝国主義的強権体質に舞い戻ったプーチンのロシアがだまっている筈があろうか。
グルシア領内のオセチア、アブハジアの武装勢力を背後で煽り、サアカシビリ政権を揺さぶる策動をつづける一方で、ロシアはグルジアへの石油とガスの供給を止めた。オセチア、アブハジアはサアカシビリ政権の実効統治がおよんでいない。民族と宗教が異なるからだ。サアカシビリ大統領は窮地に陥った。しかし距離的に遠いEUも、ましてや米国も、たすける手だてがなかった。
グルジアは、西側の一員になりたい一心で、NATOのメンバーに加盟したい一心で、健気にもイラクとアフガニスタンに二千名の軍隊を送った。
派遣されたグルジアの軍人に犠牲もでた。
あの国力(人口は450万人)で二千名の平和部隊(同国人口の0.044%)とは、日本にあてはめれば五十万余もの自衛隊を戦場に派遣していることと同義である。
にもかかわらず「欧米は遠く、ロシアは隣り」。
グルジアの反対党(共産主義ではなく、ネオコン、ニューライト、民族主義過激派など)は、この時点に来て「サアカシビリ路線に反対」の狼煙をあげることになった。
11月2日に首都のトビリシではサアカシビリ路線に抗議する大規模なデモが行われる。
2003年の薔薇革命以来、最初の大々的抗議行動である。
だが、抗議のデモは十以上ものミニ団体が協議会形式のアドホックな政治デモを組織するもので、政党としては極少数の寄り合いである。国会に議席をもつ「ニューライト」「産業」というミニ政党が、この抗議行動に加わるが、議会はサアカシビリ与党が牛耳っている。
筆者にはこのグルジアの動きがどうしても台湾と二重写しになるのだ。
独立を言いたい。けれども欧米は否定的で日本はアテにならない。独立は理想だが、中国の圧力が目の前にあり、台湾は政治的に強く振る舞えない。しからば北京の御機嫌をとって、しばらくは「統一」と戯れ言でも言っていよう。
(北京を凶暴にさせて武力行動をとらせないためにも、独立をいう政治家より、統一をいう政治家をとりあえずは選択しておこうか)。
▼ グルジア政治に王政復古の動きも
さてグルジアの億万長者はバドリパタルカチシビリという。
かれは「サアカシビリ路線は、われわれが理想とする独立からますまる遠くなり、地域統合や民主政治の実現は遠くなった。経済の独立を強め、政治的独立をさらに強化するべきだ」と訴え、野党連合に資金をだす。
国民がもやもやと感じているのは「米国は友好的であっても、地理的に遠隔地。ロシアは侵略的だが、となりにいる。グルジアは資源をロシアに依拠している。EUへの仲間入りはグルジア国民の願望だが、サアカシビリ大統領では実現できまい」とバドリパタルカチシビリは言うのである。
しからば?
驚くべきでもないが、グルジアには王政復古の論調が目立つようになった。
国王制度を復活すれば、分裂志向のアブハジア、オセチアもグルジアに納まる。コンスタンチノーブル(ビザンツ帝国)の流れをくむグルジア正教は古く、言ってみれば、ロシア正教の先輩格であり、国王の復活はギリシア正教の流れをくむ正教会派が多いという地盤がある。
◎◎◎み◎◎◎や◎◎◎ざ◎◎◎き◎◎◎ま◎◎◎さ◎◎◎ひ◎◎◎ろ◎◎◎
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
(((( 今週の書棚 ))))
♪樋口恒晴『幻の防衛道路』(かや書房)
@@@@@@@@@@@@@@@@@
見落としがちな防衛のイロハの虚を突かれた本
♪小泉政権下で「道路公団民営化」の議論が高まったおり、名状しがたい違和感を覚えた。そのころ、井尻千男氏と飲む機会があり、道路民営化に議論が及んだとき、井尻さんが、「道路は国家のものであり、民間が経営する発想の基本が誤りだ」と印象的な言葉を口にされた。
災害がおきてのち、数時間も自衛隊出動を躊躇った首相、知事。自衛隊をようやくのことで出動させるにしても、道路使用許可を当該地域の知事が持っているというポンチ絵のように錯綜した現状が日本の防衛なのだ。
防衛不在のニッポンとは、まことに不思議な国である。
台湾や韓国では高速道路は、一旦緩急あれば「滑走路」に早変わりする。
ロシア、韓国、イギリスの地下鉄は核シェルターを兼ねる。どのくにでも幹線道路、港湾、橋梁はイザという時にそなえて戦車が通行できる仕組みが施されている。日本以外の「普通のくに」ならば、どこでも道路は防衛に直結するのである。
若い学究の徒である樋口恒晴(常盤大学国際学部准教授)は、この問題に絞り込んで、道路の視点から防衛を語るという画期的な書を世に問うた。
大正八年の「道路法」は、昭和24年に改正された
そこにはこう書かれていた。
「第十条 国道ノ路線ハ左ノ路線ニ就キ主務大臣之ヲ認定ス
一 東京市ヨリ神宮、府県庁所在地、師団司令部所在地、鎮守府所在地又ハ枢要ノ開港ニ達スル路線二 主トシテ軍事ノ目的ヲ有スル路線」
樋口氏は、こう書き出す。
「すべての路はローマに通ず。歴史上つとに道路は人や物資や知識を運び続けてきた華やかな舞台」だが、「道路とは単なる流通・通商や交流のみの場ではない。古代ローマ帝国が全土に張り巡らせた軍用道路を(先の言葉は)意味する。緊急の折りには帝国軍隊が緊急展開するためにこそ作られた石畳の舗装道路であった」ところが、「日本の場合、ビルひとつ、道路一本つくるのにも防衛という基本的な発想を踏まえていない」。
災害を議論の前面に押し出して立体交差、歩道橋議論を展開しても、そこに出てくるのは「費用対効果」の観点のみ。そして防衛論議も日本では大蔵省(現財務省)が予算を牛耳ることによって本来の議論をはるか遠くへ、想像を絶する漫画的世界へとねじ曲げた。いかにコスト削減をはかるかが大蔵官僚の業績となり、その省庁では片山さつきなる「エリート」に象徴されるように、算盤あたまが国の基本を決める議員に立候補すると当選してしまえるような、まことに「立派」な日本になった。
まさに「大蔵省に入省した東大法学部の卒業生は、予算査定を武器に異論を封じるという」(樋口)のが日本の防衛論議の構造なのだ。これでは防衛省に格上げになっても、防衛高官はくさってしまうだろう。ゴルフで憂さ晴らしも、嗚呼、むべなるかな。
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平成19年(2007年) 10月28日(日曜日)
かくも凄まじき、ロシア新皇帝プーチンの巻き返し
グルジアは「薔薇革命」の民主化路線をいつまで維持できるか
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▼ウクライナの西側民主化の教訓はどこへ消えるのか
ウクライナに親欧米派のユーシチェンコ大統領が登場したのは2005年、「カラー革命」の走りで欧米が賛美を送った。
ロシアKGB得意の戦術は政敵の暗殺。ユーシチェンコ大統領は毒をもられ、九死に一生をとりとめたが、美貌は吹き出物に歪んだ。
06年1月1日、ロシアはウクライナ制裁を目的に突如、ガスの供給を中断した。資源を干しあげようとしたのである。資源外交の政治武器化の嚆矢になった(詳しくは拙著『世界新資源戦争』(阪急コミュニケーションズ刊)を参照)。
いまウクライナの大地を揺さぶるのは東西分割に向かうかのようなささくれだった国民の感情対立であり、それは「内戦前夜」ほどの悲壮な対決ムードを醸し出している。ウクライナの東部における「親ロシア派」政治勢力の顕著な台頭である。
▼ 山国牧畜のキルギスもまた
親ロシア派のアカーエフ前政権を平和裡に倒した「チューリップ革命」を演じたのはCIS、中央アジアの小国キルギスだった。
民主政治家バキーエフ大統領の登場は期待と賛美で西側マスコミも書いた。
拙論「中国文明の胎動と周辺諸国」(『正論』11月号)で触れたように、そのご、「民主派」で「親欧米派」と目されてきたバキーエフ大統領は、踵をかえすように親ロシア路線に邁進し始めるのだ。
アカーエフ前大統領も民主派、非共産党だったが、権力を握るや側近の腐敗が蔓延った。かれはキルギス北部の出身で、南部とは対立していた。
いまも、同国は部族ならびに氏族の対立が社会の基層をなしている。
バキーエフは南部の政治家、ご都合主義的に憲法改正を策動、大統領権限をプーチン並みに高める一方で野党(北部部族が主軸)の政治活動を抑制し、ネポティズム丸出しの専制政治に陥った。
ロシア軍の駐留には文句を付けないで、マナス国際空港をかりうける米軍を追い出そうと動くのも、背後にロシアが動いているからだろう。
「民主化」は形骸化する懼れがでている。
▼ グルジアの運命、ふたたびの暗雲
さて、サアカシビリ大統領率いるグルジア。
グルジアの民主革命もまた、民主主義による平和的手段で、旧ロシア路線のKGB的な政権から独立色濃いサアカシビリが登場した。2004年だった。
ロシアの代理人的なシェワルナゼ政権は敗退した。ロシアの頸城からの独立という素朴な国民感情の表れだった。
06年12月、とうとうグルジアはロシアの駐留軍を撤退させた。グルジアはじつに二百年ぶりに真の独立を果たした。
しかし、あの帝国主義的強権体質に舞い戻ったプーチンのロシアがだまっている筈があろうか。
グルシア領内のオセチア、アブハジアの武装勢力を背後で煽り、サアカシビリ政権を揺さぶる策動をつづける一方で、ロシアはグルジアへの石油とガスの供給を止めた。オセチア、アブハジアはサアカシビリ政権の実効統治がおよんでいない。民族と宗教が異なるからだ。サアカシビリ大統領は窮地に陥った。しかし距離的に遠いEUも、ましてや米国も、たすける手だてがなかった。
グルジアは、西側の一員になりたい一心で、NATOのメンバーに加盟したい一心で、健気にもイラクとアフガニスタンに二千名の軍隊を送った。
派遣されたグルジアの軍人に犠牲もでた。
あの国力(人口は450万人)で二千名の平和部隊(同国人口の0.044%)とは、日本にあてはめれば五十万余もの自衛隊を戦場に派遣していることと同義である。
にもかかわらず「欧米は遠く、ロシアは隣り」。
グルジアの反対党(共産主義ではなく、ネオコン、ニューライト、民族主義過激派など)は、この時点に来て「サアカシビリ路線に反対」の狼煙をあげることになった。
11月2日に首都のトビリシではサアカシビリ路線に抗議する大規模なデモが行われる。
2003年の薔薇革命以来、最初の大々的抗議行動である。
だが、抗議のデモは十以上ものミニ団体が協議会形式のアドホックな政治デモを組織するもので、政党としては極少数の寄り合いである。国会に議席をもつ「ニューライト」「産業」というミニ政党が、この抗議行動に加わるが、議会はサアカシビリ与党が牛耳っている。
筆者にはこのグルジアの動きがどうしても台湾と二重写しになるのだ。
独立を言いたい。けれども欧米は否定的で日本はアテにならない。独立は理想だが、中国の圧力が目の前にあり、台湾は政治的に強く振る舞えない。しからば北京の御機嫌をとって、しばらくは「統一」と戯れ言でも言っていよう。
(北京を凶暴にさせて武力行動をとらせないためにも、独立をいう政治家より、統一をいう政治家をとりあえずは選択しておこうか)。
▼ グルジア政治に王政復古の動きも
さてグルジアの億万長者はバドリパタルカチシビリという。
かれは「サアカシビリ路線は、われわれが理想とする独立からますまる遠くなり、地域統合や民主政治の実現は遠くなった。経済の独立を強め、政治的独立をさらに強化するべきだ」と訴え、野党連合に資金をだす。
国民がもやもやと感じているのは「米国は友好的であっても、地理的に遠隔地。ロシアは侵略的だが、となりにいる。グルジアは資源をロシアに依拠している。EUへの仲間入りはグルジア国民の願望だが、サアカシビリ大統領では実現できまい」とバドリパタルカチシビリは言うのである。
しからば?
驚くべきでもないが、グルジアには王政復古の論調が目立つようになった。
国王制度を復活すれば、分裂志向のアブハジア、オセチアもグルジアに納まる。コンスタンチノーブル(ビザンツ帝国)の流れをくむグルジア正教は古く、言ってみれば、ロシア正教の先輩格であり、国王の復活はギリシア正教の流れをくむ正教会派が多いという地盤がある。
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♪樋口恒晴『幻の防衛道路』(かや書房)
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見落としがちな防衛のイロハの虚を突かれた本
♪小泉政権下で「道路公団民営化」の議論が高まったおり、名状しがたい違和感を覚えた。そのころ、井尻千男氏と飲む機会があり、道路民営化に議論が及んだとき、井尻さんが、「道路は国家のものであり、民間が経営する発想の基本が誤りだ」と印象的な言葉を口にされた。
災害がおきてのち、数時間も自衛隊出動を躊躇った首相、知事。自衛隊をようやくのことで出動させるにしても、道路使用許可を当該地域の知事が持っているというポンチ絵のように錯綜した現状が日本の防衛なのだ。
防衛不在のニッポンとは、まことに不思議な国である。
台湾や韓国では高速道路は、一旦緩急あれば「滑走路」に早変わりする。
ロシア、韓国、イギリスの地下鉄は核シェルターを兼ねる。どのくにでも幹線道路、港湾、橋梁はイザという時にそなえて戦車が通行できる仕組みが施されている。日本以外の「普通のくに」ならば、どこでも道路は防衛に直結するのである。
若い学究の徒である樋口恒晴(常盤大学国際学部准教授)は、この問題に絞り込んで、道路の視点から防衛を語るという画期的な書を世に問うた。
大正八年の「道路法」は、昭和24年に改正された
そこにはこう書かれていた。
「第十条 国道ノ路線ハ左ノ路線ニ就キ主務大臣之ヲ認定ス
一 東京市ヨリ神宮、府県庁所在地、師団司令部所在地、鎮守府所在地又ハ枢要ノ開港ニ達スル路線二 主トシテ軍事ノ目的ヲ有スル路線」
樋口氏は、こう書き出す。
「すべての路はローマに通ず。歴史上つとに道路は人や物資や知識を運び続けてきた華やかな舞台」だが、「道路とは単なる流通・通商や交流のみの場ではない。古代ローマ帝国が全土に張り巡らせた軍用道路を(先の言葉は)意味する。緊急の折りには帝国軍隊が緊急展開するためにこそ作られた石畳の舗装道路であった」ところが、「日本の場合、ビルひとつ、道路一本つくるのにも防衛という基本的な発想を踏まえていない」。
災害を議論の前面に押し出して立体交差、歩道橋議論を展開しても、そこに出てくるのは「費用対効果」の観点のみ。そして防衛論議も日本では大蔵省(現財務省)が予算を牛耳ることによって本来の議論をはるか遠くへ、想像を絶する漫画的世界へとねじ曲げた。いかにコスト削減をはかるかが大蔵官僚の業績となり、その省庁では片山さつきなる「エリート」に象徴されるように、算盤あたまが国の基本を決める議員に立候補すると当選してしまえるような、まことに「立派」な日本になった。
まさに「大蔵省に入省した東大法学部の卒業生は、予算査定を武器に異論を封じるという」(樋口)のが日本の防衛論議の構造なのだ。これでは防衛省に格上げになっても、防衛高官はくさってしまうだろう。ゴルフで憂さ晴らしも、嗚呼、むべなるかな。
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