神道と靖国(5)
▼▽ 私見時事論談 ▽▼ by hideおじさん
☆ 神道と靖国(5) ―――――――――――――――――― 2007/10/12
ーーー次に、
戦犯は、アジアにおける侵略を指導した者たちである、という意見について考
えてみたいと思います。
中国からの靖国批判は目に余るものがありますが、中国から非難が沸き起こっ
たのは、中曽根首相が、胡陽邦国家主席の立場を考えて参拝を取り止めたこと
から発しています。ーーーそれまでは靖国には目もくれていなかったのが、急
に非難が始まりまいた。
日本のマスコミ(=朝日新聞のキャンペーン)が原因とも、中国の権力闘争の材
料とされた..等々、いろいろ意見はありますが、それらとは別な方角からみて
みたいと思います。
私は、東京裁判後の1949年に樹立された中華人民共和国は、本来A級戦犯
とは直接的な接点はないと考えています。――――戦時中「中国共産党軍」が
蒋介石国民党政府の指揮下にあったとはいえ、日本と戦闘行為を行っていたの
はあくまで国民党政府=「中華民国」です。
コジツケといわれるかもしれませんが、中国国民党+中国共産党と日本との戦
いであったとするなら、昭和29年、周恩来首相は何故、中国の戦犯は「すべ
て国民党が処理した」と表明したのでしょう。
国民党+共産党と日本の戦いであるとするなら、「戦犯」も国民党と共産党が
処理したということになるでしょう。――――これは、現中国に直接関係ある
戦犯は最早や存在しない、ということを意味しているのではないでしょうか。
現中国からすると、戦犯処理はしたけれども、戦犯そのものの罪を許した訳で
はないと主張するかもしれません。「死して尚許さず」ということでしょう。
では、現中国は「台湾は中国の絶対不可分である」「1つの中国を尊重しろ」
と主張しています。――――「台湾は中国だ」とするなら、国民党が認めたこ
とも現中国に責任があり、引継がなければならないということになるのではな
いでしょうか。
であれば、国民党が世界に先駆けて「A級戦犯の釈放を認めた」意味も受け継
いでもらわなければなりません。「以徳報怨」を持ち出すわけではありません
が、国民党が戦後「戦争を起こした主犯者は軍閥であるから、日本の国体問題
は日本国民自身で解決すべきである」といったことにも、現中国政権も責任を
持ってもらいたいものです。
まして日中友好平和条約において、「相互内政不干渉」を謳っているのですか
ら、日本の文化としての儀礼に対して口出しするべき謂[いわ]れはどこにある
のでしょうか。
「中国人民の気持ちを考えろ」というのはある程度分かるにしても、日本国の
トップが、中国人の気持よりも日本国民の気持を最優先させるのは当然ではな
いでしょうか。
260万柱もの英霊を祀っている場所は靖国の他にはありません。それを考え
ると、日本の首相が国民を代表して参拝するのは、至極当然のことであると思
います。――――間違ってはいけないのは、靖国神社はお寺ではありませんか
ら、遺骨も位牌も何もありません。霊璽簿というリストに、祀られている人々
の名前が記載されているだけです。
物理的なものを祀っているのではなく、日本古来の信仰からくる観念的なもの
として、霊魂が宿る処としているものです。批判を繰り返している中国と韓国
がこのことを理解しているとは考えられません。
日本の神社と、彼らの慰霊の方法というのは全く別ものです。彼らの観念から
すると、何か物理的なものがあって「神」としている、という認識なのかもし
れませんが、それは日本の全ての神社に当てはまらない概念です。
ある韓国人遺族が、靖国神社に位牌を返してくれと訴えたことがありました。
が、当然位牌などはありませんので断ったら、驚いていたという話があるぐら
いですから、中韓の靖国認識というのはその程度のもので、
今年8月16日付け朝鮮日報の社説には「A級戦犯の位牌もある靖国神社」と
書かれていました。結局はその程度の、そういう認識にしか過ぎないのです。
そんな誤解を招かないためにも、日本は(特に外務省は)、我々の文化について
事ある毎に説明しなければならないと思います。そうした説明を怠ってきたと
ころにも、現在の靖国問題を複雑にしている要因があるように感じます。
一番大きな問題は、戦後、日本国として戦没者・犠牲者に対して誠意ある対応
をとってきたのだろうか、という点です。戦争の、というか、具合の悪い部分
は全て靖国神社に押し付けて、、きたのではないでしょうか。
合祀される人の選定にも、靖国の意向など反映されておりませんでした。最近
になってやっと、新しく合祀される人はその遺族に対して了解を得てから祀る
ようになってきたといいますから、国も、靖国に対して無関心であり続け、ま
るで第三者のような態度をとってきたことが問題でしょう。
なるべく面倒なことは避けて先送りにし続けてきたことが、中国、韓国につけ
入られることに繋がり、問題が複雑になった大きな原因だと思います―――。
―― 以上のことから私が考える「靖国問題」を簡単に纏めると:
1.A級戦犯合祀は靖国神社が勝手に進めたことではない。世論の強力な支持
を背景に、日本政府が、戦犯とされた方々の刑死や獄死を公務死と認めたので
す。もし、政府として合祀を問題視するのなら、14人の公務死認定を取り消
し、
戦犯とされた方々の遺家族に支払った恩給などの返還を請求しなければならな
いでしょう。----この世論について説明するとまた難しくなるので、ここでは
説明しませんが、かの朝日新聞でさえ好意的に評していたことは注目すべき点
です。
2.前線で落命した一般戦没者と、戦争指導者とは区別すべきだという議論も
誤りです。――――国は一様に戦没者と認めたのであり、だからこそ合祀され
たのです。
徴兵されて戦陣に散った兵士以外は祀られるべきではない、というなら、外交
官や警察官、樺太・真岡の女性郵便局員、沖縄・ひめゆり部隊も合祀を取り下
げなければならなくなります。 しかしそれでは、
彼、彼女らを殉国者と認め祈りを捧げてきた日本の戦後の否定でしょう!
3.殉国者の慰霊・追悼は国家の責務であり、この62年間、国が靖国の慰霊
に主体的に関われなかった歪みこそ正されなければなりません。ーーーが、だ
からといって、百数十年の靖国の伝統を曲げる必要は、政教分離の原則からも
必要ありません。
厳格な政教分離主義の本家本元であるアメリカでは、ワシントン・ナショナル
・カテドラルという教会で国の慰霊行事が行われ、靖国批判に余念のない韓国
では、国立墓地で宗教者による慰霊式が催されています。
日本でも、東京都慰霊堂では、仏式による慰霊法要が営まれています。靖国神
社の歴史と伝統を否定してまで、新たな国立施設を建設する必要などまったく
ないと思います。
4.なぜ日本では戦没者を神として祀ってきたのか、靖国神社はなぜ神社とい
う形式がとられてきたのか、その本質を見極めるべきでしょう。――――イギ
リスでは、11月の戦没者追悼記念日に、記念碑セノタフで国の式典が催され
宗教儀式も行われますが、戦没者は Godではありません。
靖国神社が殉国者を神として祀るのは、近世の義人信仰を引き継ぐもので、こ
れ以上丁重に敬意を表する方法が考えられないからだと思います。
5.中国の靖国参拝非難が火を噴いたのは、約20年前、「戦後40年」の中
曽根首相の「正式参拝」後で、その背景には中国国内の権力闘争があり、親日
派の胡耀邦を追い落とそうとする保守派が、靖国問題を利用したことが明らか
になっています。
そして今も、胡錦涛の対日重視派と、江沢民の強硬派との間で熾烈な権力闘争
が展開されていることが分かってきました。政争の具に使われているのが靖国
神社であり、首相参拝です。韓国も同様、国内の不満のはけ口として「戦前」
が使われていることが多く、やはり政治に利用されているということです。
中国に求めたいのは、他国をも巻き込んだ不毛な政治闘争を清算し、国民重視
の民主政治を回復することでしょう。靖国参拝が偏狭なナショナリズムを刺激
するという批判もありますが、ならば人民英雄記念碑なら許されるのでしょう
か。
日・中の民族主義が激突した20世紀の悲劇の再来を、誰よりも望まないのは
ほかならぬ靖国の祭神かもしれません。A級戦犯容疑者の中には、中国革命の
父・孫文を敬愛し、民族主義を排して日・中の提帯を追求した人もいます。
靖国神社に祀られている方々の意を汲んでいくのが、我々日本人の努めである
と思います。
―― 最後に、
もっとも重要なこととして強調したいのは、慰霊は慰霊、歴史批判は歴史批判
だということです。多くの人命を失い、国土が焦土と化した惨劇を二度と繰り
返さないために、歴史を検証し反省すべきことは当然ですが、静謐な慰霊・追
悼の場に、喧[かまびす]しい歴史論争を持ち込むべきではありません。
靖国に祀られている方々は、だれも好んで戦争を引き起こしたわけでもなく、
自ら望んで犠牲になったわけでもありません。真の平和を望んでいるのは、他
ならぬ靖国神社の英霊であろうと思います。彼らの意思を真摯に受け止め、国
としても哀悼の意を捧げ続けていくことが、中国・韓国への礼儀でもあると思
います。
―― 蛇足になりますが、
最近私が心配しているのは、キリスト教団体から現在「神社」そのものが憲法
20条「政教分離」また、憲法89条「宗教団体への公有財産の供与禁止」の
精神に違反するとして、北海道や長野県で訴訟が行われているという点です。
何が問題になっているのかというと、北海道の場合、「市」の土地「市有地」
に神社の施設の一部があるということ、長野県では信州大学敷地内に神社があ
ることが問題とされていることです。両方とも多少判決は違うものの概ね「憲
法違反」とされています。
けれど、だいたい神社というものは昔からその土地・土地の「公共部分」に建
てられていることが多く、現在は神社の敷地となっているものでも、重箱の隅
をつつけば何かしらの問題は出てくるでしょうが、
こんなことは、憲法の名を借りた「神社」という宗教団体への弾圧ではないの
か?と思ってしまいます。ーーーそれこそ、憲法にある信仰の自由を侵すもの
ではないのでしょうか?
憲法は、あくまで人の為にあるのであって、憲法の為に人があるのではありま
せん。日本人が長年培[つちか]ってきた文化、信仰というものを、次の世代に
伝えていくことは、今の我々に課せられた責務ではないのでしょうか。
コメントボードに頂きました感想。
┌──────────「さぶろうさん」
これは難しい問題で、良く調べられていると感心します。絶対の正義がない如
く、この問題には絶対の真理もありますまい。戦前、戦中は靖国神話(死んだ
時は靖国で会える)も背景として特攻作戦まで可能になりました。
今はそのような状況にはありませんが、今後どうなるかは判りません。もちろ
ん、そうならないことを祈っておりますが。
└──────────
▼
┌──────────「hideおじさんから」
さぶろうさん コメントありがとうございました。
私の叔父は昭和20年5月11日、鹿屋航空基地から沖縄へと向かいました。
後3ヶ月我慢してくれれば生き残ってくれたかもしれないと思います。しかし
叔父の遺書を読むと、天皇陛下万歳よりも家族のこと、自分を育んでくれた故
郷のことが面々と書き綴られていました。
その心優しい叔父が祀られている神社を、まるで悪者扱いするようなことは許
せないのです。
確かに特攻などという作戦は、もう作戦ではありません。当時においても多く
の批判がありましたが、その作戦を立案した人にすべての責任を負わせるのは
どうかと思います。
A級戦犯も然り、私たちは彼らにすべての責任があるように捉えて、自分たち
の責任を回避してはいないでしょうか?私は、戦争責任というのであれば、そ
れは国民全体で背負わなければならないものと思います。
限られた情報、教育の問題等はあったのでしょうが、あの大戦を支持したのは
他ならぬ日本国民であったはずです。それを一部の戦犯や靖国神社に負わせる
ことはフェアではないと思います。
我々すべてが、多くの犠牲の上で今の生活を営めるということを忘れないため
にも、日本の文化である神社を忘れてはならないと思います。
└──────────
┌──────────「あ~さん」
hideおじさんに質問です。大戦で日本側の最高責任者とされた昭和天皇は靖国
参拝を止めましたが、宮内庁の中からも天皇の考えなどがリークされはじめま
した。このあたりはhideおじさんはどう考えますか?
正直言って私は、宮内庁関係者からのリークで頭の中が混乱しています。
└──────────
▼
┌──────────「hideおじさんから」
あ~さん いつもコメントありがとうございます。
きっと昨年8月に出された故宮内庁長官富田朝彦氏の「富田メモ」のことを仰
られていると思いますが、私はこのメモの真偽を判断する材料はありません。
現物を見たわけでもありませんので軽々しいことは言えませんが、富田氏がわ
ざわざ虚偽のメモを残すということは考えられませんし、昭和天皇がなんらか
の批判的意見を述べられたのは確かかもしれません。
しかし、あくまでメモですから、その前後の会話の流れを見てみないと、どの
ようにして批判的な意見を述べられたのかは分からないと思います。
もし、報道であったような単純に「A級戦犯が合祀されているから行かない」
と仰られたのであれば、昭和天皇はずいぶん無責任だなと思います。天皇も人
間ですから、好き嫌いはあるでしょう。
しかし、昭和天皇の一連の言動をみてみると、安易に個人名を出して批判的な
お言葉を述べられるとは思えません。やはり、なんらかの話の流れの中で批判
的な意見を述べられたというのが自然ではないかと私は考えます。
畏れ多いですが、昭和天皇にも戦争責任が全くないとはいえないでしょう。個
人的な意見はあったでしょうが、やはり帝国憲法下において陸海軍の統帥権を
持っておられた訳ですから、自分を差し置いて戦犯を云々言うことは天皇たる
発言とは思えません。また神道の大元でもある天皇が、神社に行く行かないを
個人の気持ちで決めることも不思議です。
終戦後すぐに昭和天皇は、自分が退位することで戦犯はなんとかできないかと
おっしゃられたことがありましたが、そのお気持は虚偽ではないと思います。
天皇は個人的な意見や気持ちで行動することはしないと言われています。宮内
庁がスケジュールを管理し、それに則って行動する訳ですから、靖国神社参拝
も「嫌いな人が合祀されているから行かない」と言ったとしても、宮内庁はそ
れを認めないでしょう。
とすれば、逆に宮内庁からなんらかのサジェスチョンがあって、昭和天皇が自
分自身を納得させるために発言されたものかもしれません。
個人的にいえば、靖国神社に天皇陛下が参拝されることは大歓迎ですが、お気
持がないのに無理に参拝されることは必要ないと思います。これは国民全体に
もいえることで、参拝したい人が行けばよいことであって、無理強いしても英
霊が喜ぶとは思えません。
ただ単純に「靖国神社」を戦争賛美の中心とか軍国主義の象徴というような決
め付けをせず、戦争で亡くなった方々、多くの犠牲の上で現在の日本の平和が
あることを静謐に思える場所、という考え方をしたいと思っています。
└──────────
└―――――――――――――――――――――――――――――――――┘
「私見時事論談」収載ページは ▼ こちら!
http://chinachips.fc2web.com/repo4/045hideoji.html
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日本のお姉さんの意見。↓
キリスト教団体が、現在「神社」そのものが憲法
20条「政教分離」また、憲法89条「宗教団体への公有財産の供与禁止」の
精神に違反するとして、北海道や長野県で訴訟が行われているという
ことですが、どこの団体なんだろう。
そんな攻撃的なことをする日本人のキリスト教団って、めずらしくないか?
クリスチャンは、そんなことに時間やエネルギーをかけるものじゃない
はずだけどな。左翼に乗っ取られている教団がやっているんでしょう。
クリスチャンには、お人よしで優しい人が多いから、
時々、ニセのクリスチャン団体に乗っ取られる教団もあるんだから
クリスチャンたちは気をつけないといけない。
韓国の教会と交わっている内に、左翼的な団体に
乗っ取られるということもありえる。
慈善団体の活動だからと言って、協賛団体として
キリスト教団の名前を貸すのもいけないと思う。
いつのまにか、左翼の仕事が、
キリスト教団の仕事のように
見せかけられているという場合もあると思う。
キリスト教団は、気をつけよう!
でも、個人的には、信州大学の敷地内に神社があるのは
変だと思う。大学が建てられた時期からあるなら納得できるが、
わざわざ、大学ができた後で、敷地内に神社を建てたなら
憲法違反だ。公共の大学ならばだ。
私立なら、敷地内に教会を建てようが、モスクを建てようが、
神社や寺を建てようが自由だ!
最近、友達が引越しできそうな公団住宅を調べてきていたが、
下見に行くと、なぜか公団住宅なのに、敷地内に地蔵などの
「偶像」が作ってあるのだ!
いろいろ聞いてみると、後から住民の中から地蔵を置きたいという意見が
出て、裁決を取って多数決で可決されたから
地蔵を置くことになったそうだ。
それから地蔵盆などの宗教行事を行うようになって、
参加しないとなんとなく、村八分になる恐れがあるとか。
もちろん、町内で祭りの費用を集めに来る。
クリスチャンだからと言って断れば、なんとなく村八分だ。
もし、わたしがそんな公団住宅に入ればクリスチャンだから、ゼッタイ
偶像の祭りの費用なんて断る!引っ越す前から住民たちとトラブルが
起こるのは目に見えている。田舎の公団住宅って、そんな風に
公共の住宅地でありながら、勝手に多数決で宗教的な施設を
作ってしまう連中がいるのだ。
団地でも、急に祭りがしたいからと言って、ダンジリやヤマや曳き車を
作る費用を集めだすところがある。
他の町では、祭りがあって、子供たちが楽しそうに曳き車を曳いている
のに、団地などでは新しい住宅地だから、祭りに参加できない、
だから、みんなで金を出し合って新しくダンジリやヤマや曳き車を
つくろうではないかということだ。
クリスチャン以外の人は、「そりゃあ、いい考えだ。子供たちが
かわいそうだ。」ということで、すぐ賛成してしまうのだけれど、
クリスチャンにしてみれば、せっかく宗教的しがらみの無い新しい団地に
越してきたのに、また戦いが始まるのかと思ってうんざり。
個別に曳きクルマの集金はしないかわりに、子ども会から金を出すと言う。
子ども会の費用は、どこの団地も、新聞紙やかん、ビンなどの再生できる
資源を集めて、それで運動会やハイキングなどの子ども会の費用に
あてている。あんまり活動は無いので、結構な費用がたまっている。
その使い道も考えてのことだろう。有志の人々が金を出しあって、新しい
曳きクルマが購入され、団地の子供たち専用の祭りが始まる。
公団住宅であっても、「有志」が何かを言い出せば、直ぐになんの
検討も入らず、団地の代表者の集会で物事が決まっていくのだ。
個別に集金に来ないのなら、直接的には関係ないので、クリスチャンも
黙っているが、今後、「曳き車が古くなったので、新しいてもっと立派な
ものに変えるカンパをお願いします。」と言ってきたら、クリスチャンも
文句を言わねばならない。
クリスチャンは、他人が何を信じようが自由なので、黙っているが、
そういう風に公団住宅でありながら全体で宗教行事をしようということに
金を出すわけにはいかない。
ちなみに、公団住宅の子供会のクリスマス会は、あんなもの
宗教行事でもなんでもないので、無視してもいいと思っている。
クリスチャンではないのに、クリスマス会をするのは、おかしいことなのだが、
イエス・キリストのことを記念するわけでもなく、ジングルベルを歌って
サンタが出てきて、プレゼント交換をしてケーキを食べて
ただ楽しんでいるのだから、そっとしておいてあげていいと思う。
でも、若者たちが、クリスマスだからと言って、ホテルで食事をして、
結婚もしていないのにその後、ホテルの部屋に入ってお泊りするのは、
反対だ。そんな習慣は気持ちが悪い。
以前読んだ対談形式の本では、日本に住んでいるイスラム教の人も、
そんな日本の習慣は「悪い。」と言っていた。
日本人にするとよけいなお世話なのかもしれないが、
ちゃんと神さまを信じている人々は、苦々しい気持ちで、クリスマスを
性的快楽のために勝手に使っている人々のことを見ているのだと
いうことを知っていてもらいたいものだ。
公共の場所に神社や寺や地蔵を建ててしまう日本人の行動は
間違っている。キリスト教団が左翼に乗っ取られていてヤケに攻撃的に
なているのかもしれないし、活動的な教会だと、文句を言うかもしれないが、
いろんな宗教や考え方の人が住んでいるのだから公共の場所を勝手に
役員たちだけで多数決をとって、新しい宗教施設や祭りを作ってしまうのは
間違っているのだから、文句を言う人や団体があるのも当然だと思う。
文句を言う人や団体に対して、
「空気読めよ。」とか、「みんなの意見に合わせろよ。」とか言わないで
ほしい。日本人の中にも、偶像を拝まない人がいるんだから公共の場所で
特定の宗教施設を作るのは、間違っているから
間違っていると言って何が悪いのだろう。
昔からその土地・土地の「公共部分」に建てられている宗教施設は、
ともかく、公共の施設の中に後から何かを作るのは
特定の宗教だけをヒイキする行為で、その宗教を受け入れられない
宗教者の気持ちを考えない行動です。
たとえば、大学の中にクリスチャンの有力者がいて、
いろんな行事のために、大学の金で大学の敷地内に教会を建てたら
どうなるんでしょう?やっぱり特定の宗教施設は勝手に建てては
ダメでしょう!
もし、その有力者に異議を申し立てる人が出たとしても、それは
憲法の名を借りた特定の宗教団体への弾圧ではないと思います。
by日本のお姉さん