憎悪が理性をねじ伏せる時 | 日本のお姉さん

憎悪が理性をねじ伏せる時

ようちゃん、おすすめ記事。↓

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政治は映像だけでは語れない
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         渡部亮次郎

TVマンは今知らず知らずのうちに日本の国民を飛んでもない方向に誤っ
て誘導してしまっていて、しかもその誤りに気付いていない。

テレビを見れば見るほど政治不信に陥ると言う人の増えていることに気
付いてない。

政治は欲望、思惑、懸け引き、寝技などから成立しているが、これらは
いずれも舞台裏で展開されるものだから映像にはならない。それなのに
テレビは映像だけで伝えようとするから、初めから無理があるのだ。し
かも事実のオーバーな部分だけを繋ごうとする。

なるほど記者会見という絵はある。しかし嘗てNHK最高の政治記者島 桂
次(のちにNHK会長・故人)が喝破したように「記者会見こそは天下の嘘吐
き大会」である。政治家が不特定多数を前に本心を語るわけがない。

本心を語っているように見せてただ大衆を煽っているのは演説であって
本心ではない。それなのに記者会見や演説の映像を繋いで、これが真実
と言われて信じる方がどうかしている。

安倍退陣、福田・麻生の戦いになったとき、このことを一番感じた。私は
いうなれば日本におけるテレビ政治記者1期生であり、映像だけを繋いで
事象を伝えようとすれば、結論は真実とかけ離れたところに落ち着く事
をよく知っていたからである。

テレビ政治記者1期生たちはテレビで政局を伝えるべく様々な試みをした
が、さっぱり上手くゆかなかった。特に初期の頃はカメラの光感度が悪
かったものだから強烈なライトが不可欠だった。

火傷するぐらいの強烈なライトを当てられて政治家は冷静に対応できる
ものではない。単独会見に成功したとしてもフィルムはなんだか興奮状
態にある政治家の姿を伝えるだけだった。

ライトが弱くなっても政治家がレンズに向かっては嘘を言う事は変わら
ない。そこで考え出された手法が反対の立場にある政治家による追及で
ある。相手は逃げにくいから嘘は言いにくいだろうと考えたが、簡単に
は行かなかった。時間の制約である。

そうやって40年近く。テロップでしか語れなかった政治が漸く映像化さ
れたのかと思って覗いてみたら、何の事は無い、冒頭の結論である。

まず、参院選挙に当って各社が抉ってきた「格差社会」「地方と都会の
格差」の問題について言えば、映像として掬いやすいのは田舎の人たち
のややオーバーな「恨み節」でしかない。

それをこれでもか、これでもかと放送されると、なんだか都会に住んで
いることが罪悪のように思わされた。心ある人たちは「マスコミ誘導の
民主党勝利だ」と騒いだ。

しかし、マスコミにその意識は全く無い。己のやった事の意味を考えず、
ただ映像化に成功しただけと納得しているだけだ。

次の安倍、福田の交代劇。安倍の弱体化に感づいた森喜朗、野中広務、
青木幹雄、古賀誠らで福田後継を決定して電光石火の多数派工作。この
陰謀めいた工作は映像にならないどころか、記者たちも嗅ぎ付けられな
かった。

したがって福田が出馬声明をした時点で勝負は決していた。特にテレビ
は政局に後れを取ったのである。だから以後は麻生の動きを無視した。
勝負のついてしまったレースをいくら追ってもスポンサーはつかないか
である。

ところが多くの自民党員はメディアのそうした態度を福田の思い上がり
と勘違いして判官贔屓さながらに密かに麻生支持に傾いていったのであ
る。これを裏付ける映像を探す事はできないから開票結果に誰もが驚く
始末、というわけだった。

事件、事故は現場の状況を伝えればそれだけで映像は完結する。だが残
念ながら政治だけは欲望、思惑、懸け引き、寝技、裏取引で成り立って
いるものだから映像化はきわめて難しい。隠し撮りという禁じ手が無い
わけではないが一般的ではない。

政局は今後、衆院解散に向けて様々な様相を見せるであろう。しかしこ
れを伝えるテレビ各社の手法は従来と同様、記者会見と演説を繋ぐだけ
であるはずだ。それが事実とは異なった印象を視聴者に与え、結局、当
惑させたり、虚脱感を与えても知らぬ顔の半兵衛。

ミャンマーの動きにしろ、今後は民衆弾圧に対する国際的反対論の高ま
りからいろいろな動きの展開が期待されるが、映像面では決定的なもの
が無いだろう。そうするとテレビは事態から遠ざかってゆく可能性があ
る。

このように考えてくるとテレビとは必ずしも事実とか真実とかを伝える
手段としては実に頼り甲斐のないものであることに気付く。テレビは性
質上、何でもオーバーに伝える。割り引いてみる習慣が必要なのである。

本質的なことを言えば、テレビは政治を報ずるメディアとしては不適切
である
。改善策としていうなら、映像と映像を繋ぐカメンテーターとし
て、情報に通じ、推理力に優れ、分析力のある優れた政治記者が不可欠
だ。しかしそんな記者、昨今、日本には存在しない。
(文中敬称略)2007・10・06
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ミャンマーの「真相」
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     渡部亮次郎

1995年から3年間、日本のミャンマー大使を務めた、知り合いの山口洋一
氏が 2007年10月11日号の「週刊新潮」に特別手記を寄せている。「スー
チー女史が希望の星というミャンマー報道は間違っている」というもの。

山口氏は本籍佐賀県70歳。私が外務大臣秘書官の頃は本省の海外広報課
長から昭和天皇の御用係に出向していた。その後、インドネシア大使館
の参事官などを経てミャンマー大使を務めた。

週刊新潮の手記は4ページに及んでいるが、「勲章ジャラジャラの軍服
を着た為政者と、民主化を目指す軟禁中の女性・・・。誰が見ても悪役は前
者である。デモの取材中、日本人ジャーナリストが射殺された事件は、
ますますミャンマー政府の悪逆非道を印象付けた。

が、元ミャンマー大使の山口洋一氏は、新聞、テレビの偏向した報道を
指摘する。もはや、スーチー女史は希望の星ではないのだと」

以下<  >で括って内容を紹介する。

<欧米の殆どすべてのメディアと日本の新聞、テレビはミャンマーで起
きた僧侶中心のデモを、軍事政権の圧政に対し民主化を求める民衆が蜂
起したという構図で報じてきた。あまりに単純すぎる>

<今回のデモの規模10万とは誇大な数字だ。メディアは反政府運動の規
模を5~6倍、酷い時には10倍にする。在任中アウンサンスーチー女史の自
宅前の集会が連日3―4000人と報道されていたが、部下に数えさせたら5
―600人しかいなかった>

<今回のデモでもスーチー女史の率いる政党NLDが市民にカネを払って参
加させている事実、デモ隊が投石し、武器を奪おうとしたので治安部隊
が止む無く発砲した事実を殆ど伝えていない>

<ある地方では治安部隊を僧侶が僧院に押し込め、その車に火を放つと
いったおよそ「平和的な抗議活動」とは思えない振る舞いを見せたそう
だが、日本では報道されていない>

<かつて日本人記者は「本社が期待しているのは、ミャンマーの首都が、
反政府運動の闘士たちの血の海になっているような記事です」言ってい
た>

<日本のマスコミは、「軍政は政治犯を釈放すべきだ」と主張するがミ
ャンマーに純粋な意味での政治犯は1人もいない。「道路や公園など公共
の場所で5人以上の政治目的の集まりは禁止」「屋内における50名を超え
る政治集会は許可制」といった古くからの法律に違反したものばかり。
法治国家として当然のことを怪しからんというのは(どうか)>

<スーチー女史は自宅に広い庭があるのにわざわざ演説集会を自宅前の
道路で開き、野次馬を集めて政府を挑発。取り締まろうとすると「民主
化を妨害している!」>

<ビルマ人のスーチー女史を見る目は大きく変わった。それはアメリカ
から資金的、物的な援助を受け、政治的な指示も仰いでいる事が広く国
民に知られてしまったから。英国の植民地時代の苦い経験から、ビルマ
人ほど外国勢力との結託に嫌悪感を抱く国民は無い>

<翳りのもう1つはスーチー女史は軍事政府に反対しているだけで具体的
な国家ビジョンが1度も聞かれないこと。それで国民は失望しスーチー離
れや反スーチー感情が生じている>

<96年、ヤンゴン市内でスーチー女史の乗った自動車が暴漢に囲まれて
立ち往生。警官隊が排除という事件があったのもその証拠。怯えた彼女
は政府に保護を要請。自宅軟禁には警官による保護の面もあるのに、彼
女に不利な事実は一切報じられていない>

<88年、18の少数民族が内乱を起こしたが、軍政はこれを鎮圧。血で血を
洗う内戦を全面的に終結させた事は軍政の最大の功績となった>

<今回、デモの発端となった燃料費の大幅値上げなどの失政はあるもの
の、経済成長は毎年ほぼ5%を維持しており、国民の信頼を得る原因の1つ
となっている>

<これらの事から現在のミャンマー国民の大半は軍事政権を容認し、命
を賭けてまで反政府運動を行おうとする者など殆どいない。憲法の基本
原則を審議する国民会議は8月にすべての作業を終えた>

<ミャンマーの一般国民は現状をベストとは思っていないものの、民主
化への中間段階として仕方がないものと捉え、容認しているのだ>

<植民地や独裁という複雑な歴史を背負ったこの国では、今日、明日に
完全な民主主義が定着する事はまず不可能。準備が整っていないところ
に形だけの民主主義を持って来ても、政治家は利権漁りに狂奔し、有権
者は買収され、早晩、破綻するのは目に見えている>

<だから軍政は、まず民主主義の準備期間、一定限度の軍による政治へ
の関与を残した「踊り場民主主義」を作り、ワンステップ置いた後に、
最終段階へ進もうと考えており国民はそれを理解している>

<実情を正しく見極め、まずスーチー女史が善玉で政府が悪玉という時
代劇のような構図でミャンマーを報じるのを止めることが国際社会とし
て心得るべき第1歩ではないか>2007・10・06



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憎悪が理性をねじ伏せる時
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             平井 修一

ふと、思うところあって昭和20(1945)年8月14日の「終戦の詔書」を見
る。

<敵ハ新ニ殘虐ナル爆彈ヲ使用シテ頻ニ無辜ヲ殺傷シ慘害ノ及フ所眞ニ
測ルヘカラサルニ至ル 而モ尚交戰ヲ繼續セムカ 終ニ我カ民族ノ滅亡
ヲ招來スルノミナラス延テ人類ノ文明ヲモ破却スヘシ>

核爆弾などの無差別爆撃でこのまま戦を続ければ日本民族は滅亡してし
まうと危機感を述べている。

同年7月26日付の「ポツダム宣言」には、「日本軍のみならず日本国土の
完全な破壊をするぞ」というアメリカの強烈な意思が書かれている。

<現在日本国ニ対シ集結シツツアル力ハ抵抗スル「ナチス」ニ対シ適用
セラレタル場合ニ於テ全「ドイツ」国人民ノ土地、産業及生活様式ヲ必
然的ニ荒廃ニ帰セシメタル力ニ比シ測リ知レサル程更ニ強大ナルモノナ
リ 吾等ノ決意ニ支持セラルル吾等ノ軍事力ノ最高度ノ使用ハ日本国軍
隊ノ不可避且完全ナル壊滅ヲ意味スヘク又同様必然的ニ日本国本土ノ完
全ナル破壊ヲ意味スヘシ>

対ナチスよりも強力な軍事力でつぶすぞと恫喝している。

<右(降伏)以外ノ日本国ノ選択ハ迅速且完全ナル壊滅アルノミトス
これは明らかにジェノサイド(民族浄化)、ホロコースト(大虐殺)で、
むき出しの憎悪である。日本がいくら「鬼畜米英」と言ったからとて、
そこまで憎まれる謂われはないのに、なぜだろう、不思議に思っていた
ら、日本人への憎悪は繰り返し繰り返し戦争プロパガンダとして米国民
へ刷り込まれていたのだ。

東海大学の鳥飼行博研究室のサイト「戦争プロパガンダと反日感情: 第
2次世界大戦の米国ポスター
」(画像が多いのでかなり重い)には、
「ここまでやるか!?」と呆れ返るほどの日本人への憎しみが溢れてい
る。
http://www.geocities.jp/torikai007/pic-Ajapan.html

日本人は人間ではないから毒蛇、蛇蝎のように踏み潰して構わない、そ
うすべきだ、というわけだ。

60年を経ても米国人の心の奥には日本への憎悪と不信がある、同様に日
本人の心の奥には米国への憎悪と不信がある。日米同盟なんて表向きは
言っているが、仮面夫婦みたいなもので、ちょっとしたことで弾けそう
だ。弾ければ日本は独り立ちするか、中共の覇権を受け入れるかのどち
らかだろう。

弾けなければずーっと米国を頼りに51番目の州、属国であり続けるばか
りかもしれないが、外交は整合性に欠けるのが常であることを歴史が語っ
ているから、どうなるかは分からない。分かっているのは誰もが歴史に
翻弄されることだけなのかもしれない。

GHQ職員として日本占領政策にあたったヘレン・ミアーズは1948年、
著書「アメリカの鏡・日本」のなかでこう語っている。

<今日私たちが言っているように、ソ連が「世界の脅威」であるとすれ
ば、ソ連を抑止し、「混乱した」地域に秩序をもたらし、中国における
「共産主義の脅威」と戦う行動拠点を確保するために満州を緩衝国家に
しようとした日本を支援しなかった1931年以降の米英両国の政策担当者
は、犯罪的に無能だったことになる。

そして対日関係をパールハーバーとシンガポールまで悪化させ、その結
果、私たちの生命と財産ばかりでなく、(日本という)極東の同盟国ま
で失ってしまった政策担当者の無能ぶりは、犯罪をはるかに超えたもの
であるというほかない>

無能による過ちはこれまでも、これからも、永遠に繰り返されるのだろ
うか。
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アウンサンスチーが希望の星かそうでないかよりも、

ミャンマー政府の性格が今回見えたとおりのものだと

いうことが重用だと思う。

ミャンマー政府軍は、最初から日本人ジャーナリストを

殺すつもりでいて、至近距離から銃で撃ち、

死体を路地までひきずっていって、

手にしていたビデオカメラは募集し、お腹に巻いていた青い袋と

肩にかけていたカバンだけトラックに収納している。

わたしには、狙って殺したとしか思えない。

そういうことをする政府だということだ。

国民は、びくびくしてミャンマー政府を恐れている。

軍の家族が通る道を見ることすら、危ないと言って

恐れている。日本人ジャーナリストの残した証拠で

ミャンマーがどんな国なのか、よくわかった。

ミャンマーには、恐ろしい政府が国民を弾圧しているのだ

ということが分かれば、アウンサンスーチーがたとえ

ビジョンの無い、政治にしろうとのイギリスかぶれの

ただの女性だったとしても、

デモの人数がたいした数でないとしても、

「ひどい事をさらっとやってのける政府」だと、

日本人は分かったのだから、ミャンマーの民衆のことを

同情するべきであって、ミャンマー政府のやり方を

全て無条件で歓迎するべきではない。

日本は、ミャンマーに文句を言うべき立場にある。

カメラマンを殺されたのだから、甘く見られているんだから、

よけい、怒るべきだ。by日本のお姉さん