チャーチルは 米国を対独日戦に引き込んだ。
■■ Japan On the Globe(517)■ 国際派日本人養成講座 ■■■■
地球史探訪: 日米戦を仕掛けた英国情報外交
チャーチルは第2次大戦に勝つために、
米国を対独日戦に引き込んだ。
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■1.チャーチルの世界戦略■
1940(昭和15)年5月に首相に就任したチャーチルにとって、
イギリスの命運は風前の灯火のように思われた。ドイツの電撃
戦によって同盟国フランスはすでに屈服し、ロンドンを始めと
するイギリスの各都市は連日ドイツ空軍の爆撃に曝されていた。
一方、頼りにしていたアメリカは、大統領選を控えており、
3選を狙うルーズベルト大統領は、欧州戦線に巻き込まれるこ
とを嫌う世論に迎合して、「あなたがた(米国国民)の子供た
ちは、海外のいかなる戦争に送り込まれることもない」[a]と
公約していた。
もう一つの厄介な問題はイギリスのアジアでの権益をいかに
日本から守るか、という事だった。フランスがドイツに占領さ
れて、その植民地・仏印(ベトナム、ラオス、カンボジア)は
無防備状態に陥っていた。
「フランスが崩壊した時(1940年6月)に、どうして日本が
(東南アジアに)打って出なかったのか、我々は不思議に思っ
た」とチャーチルは述べている。[1,p63]
英領の香港、マレーシア、シンガポールなども、英軍は手薄
で、増強する余裕もなかった。日本が進出してきたら、イギリ
スには単独では打つ手がなかった。この時点で、イギリスには
以下の4つのシナリオがあり得た。
(1) アメリカがドイツに宣戦布告し、日本は中立に留まる。
(2) 英米が協力して、日独と戦う。
(3) 日米がこのまま欧州戦争を傍観する。
(4) アメリカが中立を守ったまま、日英戦争が勃発する。
現状は(3)であった。これが(4)となったら大英帝国は崩壊す
る。(1)は理想であるが、日本が東南アジアに勢力を伸ばして
くるのは、時間の問題と思われた。したがって次善の(2)にい
かに持って行くか、をチャーチルは考えた。すなわちドイツと
の戦いに勝ち、日本から英領植民地を守るためには、いかにア
メリカを自陣営に引きずり込むかが課題となった。
■2.極東問題に冷淡なアメリカ■
6月19日、日本から、1)蒋介石支援の停止、2)香港国境の
閉鎖、3)上海からの英軍守備隊の撤退、の3つの要求が英国政
府につきつけられた。これは中国大陸からイギリス勢力を一掃
しようとするものであった。
この報に接して、ロシアン駐米英大使は、アメリカのハル国
務長官に窮状を訴えたが、ハルは「私にはどのようなアドバイ
スもする立場にない」と冷淡にコメントしただけであった。イ
ギリスは単独で、日本の要求に対応するしかなかった。
結局、数ヶ月の時間稼ぎをすることで、ドイツとの空戦、お
よび11月のアメリカ大統領選の帰趨を待つべきということで、
蒋介石支援の3ヶ月停止、上海駐留の英軍部隊の撤退を決めた。
イギリスは日本との対決を先延ばししつつ、アメリカが極東
問題に介入するよう働きかけなければならない、という困難な
状況に置かれていた。
■3.2月危機■
8月、日本は仏印経由の蒋介石支援ルートを遮断するために、
フランスに対して北部仏印への部隊駐留を要求した。現地には
日本軍に対抗できるだけの武力がなく、イギリスも手の打ちよ
うがないため、控えめな抗議をしただけだった。
年末に、タイと仏印の間で国境紛争が始まった。タイがフラ
ンスの弱体化につけこみ、過去フランスに奪われた領土を奪還
しようとしたのである。仏印をめぐって、日タイは急速に接近
しつつあった。
翌1941(昭和16)年1月、日本はタイと仏印の間の調停役を
申し入れたが、仏印のドクー総督が難色を示したため、南シナ
海やベトナムのカムラン湾で日本艦隊に威圧的な行動をとらせ
た。
英国は、これを本格的な日本軍の南進の兆候と誤解した。2
月8日、ハリファックス駐米大使がルーズベルト大統領に会っ
て、この危機的な状況を訴えたが、その回答は「たとえ英蘭領
(イギリス・オランダの植民地)が日本によって攻撃されても、
米領が直接攻撃を受けない限り日本との戦争は難しい」という
冷淡なものだった。アメリカが中立の立場を崩さないまま、日
本と戦わなければならない、というチャーチルの描いた最悪の
シナリオが実現しそうであった。
■4.諜報文室での英米協力■
この時期に英国のマスコミは一斉に「太平洋戦争の危機」を
煽る記事を載せ始めた。『タイムズ』紙は、英軍のマレー防衛
の堅固さと、極東での英米協力が働いていることを示唆した。
これらの反日キャンペーンは、英政府がマスコミを操って行っ
たものと見られている。
結局、この騒動は、重光駐英大使が松岡外相にあてた「我々
は英領に対する攻撃の意思のないことを明確に示す必要性があ
る」との暗号電信が傍受・解読されたことで収まった。英政府
の独り相撲であったのだが、結果的に米国の注意を極東問題に
惹きつける事になった。
実は、この時期に水面下で米英の諜報分野での協力体制が大
きく進んでいた。アメリカは前年9月に日本の外交暗号「紫」
の解読に成功し、一方、イギリスはドイツ軍のエニグマ暗号を
解読し始めていた。その技術を交換することで、合意が出来た。
上述の重光の電信解読は、この成果であった。
互いに極秘事項を共有するということは、お互いを敵とする
ことをほとんど不可能にしてしまう。これは米英のより高次の
戦略的提携の基盤となった。
■5.日米交渉の陰で暗躍するイギリス■
1941(昭和16)年3月から、ワシントンで日米交渉が始まっ
た。長引く日中戦争を解決し、日米戦争の勃発を回避すること
が目的であった。本来なら中国に最大の権益を持つイギリスが
対応すべき問題であったが、欧州戦線で手一杯であり、またア
メリカを極東問題に引きずりこむ契機になるという考えで、イ
ギリスはこの会談を歓迎した。
しかし、英米の思惑にはまだ大きなずれがあった。イギリス
としては「日本の英蘭領への南進を防ぐためにも日中戦争を継
続させるべきである」という老獪な戦略を持っていたが、アメ
リカの方は「中国問題解決のために日本は中国大陸から撤退す
べきである」という原則主義的な考えであった。
そこで、イギリスは日米交渉に参加こそしないものの、自国
に不利な妥協が成立しないよう、アメリカに対して陰で様々な
干渉を行った。
たとえば4月16日に日米間で作成された了解案では、日本
軍の中国大陸からの撤兵など、日本側が歩み寄りを見せていた
が、松岡外相がこれに怒り、より過激な対抗案をワシントンの
野村大使に送信した。これを傍受したイギリスは、アメリカ側
に伝え、対日警戒感を煽った。
イギリスとしては、なるべく日米交渉が長引いて時間稼ぎを
してくれれば、それだけ日本が追い詰められ、その間にイギリ
スの方はアジアでの軍備を増強できる、と考えていた。同時に、
その間に米国の極東政策を自国と一致させようとしていたので
ある。
■6.日本南進の情報■
6月22日、独ソ戦が勃発。松岡外相としては日独伊にソ連
を加えた四国同盟を考えていたのだが、その目論見はご破算と
なった。日本が北進してソ連と戦うのか、あるいは南進して、
石油資源を抱える英蘭のアジア植民地を狙うのか、混沌とした
情勢となった。
7月2日、日本政府は御前会議を開き、南進の方針を確認し
た。南部仏印進出によって、英米を刺激することは予想された
が、本格的な英米戦までは想定していなかった。
この決定を受けて、松岡外相は駐独大使、駐ソ大使にそれぞ
れ通信を送ったが、それらはイギリス側に筒抜けになっていた。
イギリスは、日本の南進決定の情報をアメリカに伝えたが、
ルーズベルト大統領は、蒋介石からの「日本が対ソ戦を決定し
た」との情報を信じて、積極的な対応を取らなかった。
イギリス政府は『デイリー・テレグラフ』紙に日本南進の情
報を漏らし、その記事をもとに駐日大使に警告させた。それに
よって、日本の南進が阻止されればそれで良いし、また、アメ
リカの注意を引く事を狙っていた。それでも肝心のアメリカは
動かなかった。
実は、ソ連からも並行して秘密工作が進んでいた。ルーズベ
ルト政権内でロークリン・カリー大統領補佐官やハリー・デク
スター・ホワイト財務次官などが、ソ連の意を受け、様々な工
作をしていた。英ソとも、アメリカと日本を戦わせることで、
自国を守ろうとしていたのである。[b]
■7.対日経済制裁に向けての米政府への働きかけ■
イギリスはさらに巧妙な外交戦術をとった。日本へのこれ以
上の警告は出さず、実際に日本に行動を起こさせておいてから、
アメリカが厳しい対日制裁を行わざるを得ない状況を狙ったの
である。そして、事前にその制裁内容を固めるべく米側に働き
かけた。
7月9日、ハリファックス駐米大使がウェルズ米国務次官と
対日経済制裁について話し合い、それを受けてウェルズはルー
ズベルト大統領に経済制裁を提案している。
7月13日、イギリスのイーデン外相はハリファックスに対
して、こう念を押した。
もし対日経済制裁を行うなら、それは強力な一撃でなけ
ればならず、もし実行すれば日本には二つの選択肢しか残
されないだろう。それは撤退か戦争かである。果たしてア
メリカにそのような覚悟があるのか。
翌14日、ハリファックス駐米大使はウェルズ米国務次官に
会い、その「覚悟」を問い質している。
この間もイギリスは日本の外交通信の傍受・解読を続けてい
た。そこでは東京からバンコクへの通信で、南部仏印への進駐
を「共同防衛という名の占領」と表現したり、米英が介入した
場合は武力衝突も辞さない姿勢を示していた。こういう情報を
イギリス側は逐一アメリカ側に伝え、強硬な対日制裁が必要と
いう雰囲気を醸成していった。
21日、ハリファックスは「恐らく対日制裁は大統領の許可
を得られたと考えられる」と送信しており、同日、英戦時内閣
において日本が南進した場合の対日経済発動を正式に決定した。
そして米政府に「イギリス側がいかに強固な態度に出る用意が
あるか」を伝えた。こうしてイギリス側は裏から働きかけなが
ら、米政府主導の形で対日経済制裁の合意を形成したのである。
■8.日米対立を決定的なものにした対日経済制裁■
7月26日、日本政府は仏印共同防衛に関する声明を発表し、
南部仏印への進駐計画を明らかにした。南部仏印進駐について
は『デイリー・テレグラフ』紙の憶測記事が流れていたにも関
わらず、アメリカは事前に何らの警告を発していなかったし、
イギリスの警告も2月危機の時に比べれば、おざなりなものだっ
た。日本側で、米英がそれほど強硬な手段をとらないだろう、
という観測があったのも、もっともな情勢であった。
しかし、米英の反応は、その予想をはるかに超えた厳しいも
のとなった。同日中にアメリカは対日資産凍結を発令し、翌日、
イギリスもこれに従った。日本政府は米英の素早い、かつ徹底
的な制裁に、大きな衝撃を受けた。
イギリス政府はマスコミを通じたプロパガンダについても怠
りなかった。28日の『タイムズ』紙は、アメリカが宥和策を
捨てたとして、「アメリカは必要ならば武力を行使する用意が
できている」と日本を牽制した。この経済制裁によって日米の
対立は決定的なものとなった。
■9.「さて、、、小人たちを追っ払うか」■
8月9日、チャーチル首相はルーズベルト大統領との「大西
洋会談」を行い、米英の協力体制を世界に誇示した。チャーチ
ルの要請に応えて、ルーズベルトは次のような約束を文書でし
ている。
南西、北西太平洋におけるこれ以上の日本の進出に対し
ては、たとえ日米間に戦争が勃発しようとも、合衆国政府
は対抗措置をとらざるをえない。
日本の豊田外相が英米との関係改善を望んでいるとの情報が、
駐日英大使・クレイギーからもたらされたが、イーデン外相は
次のように、英国としての断固たる意思を伝えている。
日本がためらっているのは明らかだ。今や英帝国、ソ連、
アメリカ、中国、蘭印はこの不当に高く評価された軍事力
との対決を迎えている。・・・もはや我々が日本に対して
行うことはなく、力を示す時が来た。数ヶ月以内に我々の
艦隊が極東に派遣されれば、日本はその影響力を実感する
ことになるであろう。[1,p208]
この言葉通り、英海軍の誇る2隻の戦艦「プリンス・オブ・
ウェールズ」と「レパルス」がシンガポールに派遣された。
アメリカとともに日本と戦う時が来た、という確信を英政府
はようやく得たのである。「英米」対「独日」というチャーチ
ルの第2のシナリオのお膳立ては完了した。
12月8日、真珠湾攻撃によって、大東亜戦争が始まった時
も、イギリスはその情報を数日前に掴んでいた。日本軍がマレ
ーに上陸したとの報を受けたシンガポールのパーシバル英陸軍
中将の第一声は「さて、、、小人たちを追っ払うか」であった
という。
イギリスは人種偏見から日本の軍事力を「不当に低く評価」
していた。そしてイギリスの誇る不沈艦が簡単に日本の航空攻
撃で撃沈されたことは、チャーチルにショックを与えた。[c]
それでもアメリカを矢面に立たせて日本を追い詰め、それに
よってアメリカを対日、対独戦に引きずりこんだ事は、偉大な
戦略的成功であった。チャーチルは勝利を確信していた。
(文責:伊勢雅臣)
■リンク■
a. JOG(096) ルーズベルトの愚行
対独参戦のために、米国を日本との戦争に巻き込んだ。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_2/jog096.html
b. JOG(116) 操られたルーズベルト
ソ連スパイが側近となって、対日戦争をそそのかした
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_2/jog116.html
c. JOG(270) もう一つの開戦 ~ マレー沖海戦での英国艦隊撃滅
大東亜戦争開戦劈頭、英国の不沈艦に日本海軍航空部隊が襲
いかかった。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h14/jog270.html
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1. 小谷賢『イギリスの情報外交』★★★、PHP新書、H16
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日本がパールハーバーを攻めたというニュースに
英国人は大喜びしたという。
「これで、アメリカが戦争に参加してくれる。
イギリスを助けてくれる。」
と、一般人が全員、分かっていたそうだ。by日本のお姉さん