イスラエルからのニュース
2007年9月30日(日)仮庵祭4日目
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*オルマート首相がアッバス議長を仮庵に招き、今週半ばに会談へ。和
平合意案作成に当たる交渉チームも顔合わせをする。(H,P)
*アッバス議長が西岸地区とガザ全体について一歩も譲歩しない考えを
表明。11月の和平会議を前に、交渉難航が懸念される。(P,H,Y)
*11月の中東和平会議までは、大規模なガザ侵攻作戦を行うのは得策
ではないとの見方を国防関係者が表明。(H)
*英国の大学職員組合が、5月に決めたイスラエルの大学に対するボイ
コットは違法だとの理由で中止。ボイコットを発表して以来、各国の
学者や知識人らが相次いで非難声明を出していた。(H,P,Y)
*国連安保理でのイラン制裁決議は、国際原子力機関の調査結果がわか
る11月まで延期か。中国とロシアは制裁に消極的。(H,P)
*国防軍のガザ侵攻が話題になる中、ハマスが「5万人の兵士で迎え撃
つ」と反撃を宣言。200人の女性自爆者もいるという。(P)
*エイラットでは下水管が壊れて海に下水が流出。海水浴場が汚染され、
遊泳禁止となったため、仮庵祭の休暇を利用してエイラットを訪れて
いた観光客は遊泳できず、がっかり。(H,Y)
*エイラットの北にあるティムナ遺跡で髪を切る奇妙な儀式の跡。大量
に残された遺留品から、メキシコ付近から来たキリスト教団体の仕業
と見られており、公園管理事務所は清掃料金を要求する構え。(Y)
*1歳2ヶ月の子供が建物の3階から転落したが、下にちょうど仮庵が
あったため命拾い。頭にかすり傷を負っただけだった。(Y)
2007年10月1日(月)仮庵祭5日目
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*イスラエル軍の攻撃対象だったと報じられたシリアの施設が被害を否
定。シリアの国連大使は「シリアは爆撃を受けておらず、被害は何も
ない。米国は嘘を宣伝している」と語っている。(P,H,Y)
*大贖罪日に車をユダヤ人地区に乗り入れ、少女を轢き殺したアラブ人
の青年を殺人罪で捜査へ。目撃者の証言などから、民族主義的動機に
よる計画的犯行だとの見方が強まっているため。(H,P,Y)
*西岸地区の5箇所に違法入植拠点を設置しようと右派活動家数千人が
集結。しかし、治安部隊の説得に応じて大半は帰宅した。(H,P,Y)
*ハマスがまた休戦を提案。しかし、時間稼ぎをしているだけだとして、
イスラエル政府は直ちに交渉を拒否した。(H,P,Y)
*ハマスがアルカイダのメンバーをエジプトに引渡し。エジプトはシナ
イ半島に取り残されていたハマスのメンバー数十人をガザに帰還させ
た。交換のためラファ検問所が一時的に使用された。(P,Y)
*年間150万ドルの予算で運用されている国防軍内での改宗プログラ
ムは、年々、改宗者が減少傾向で成果は今ひとつ。関係者は、ラビた
ちがあまりに厳しい律法遵守を要求するためだと語っている。(P)
*ハイファで鍵十字の落書きがされる事件が頻発。新たなネオナチ集団
による犯行の可能性もあり、警察が捜査を行っている。(H,P)
*ファタハが反ハマスの情報戦を激化。ハマスが家名を守るために少女
を惨殺したとの「証拠ビデオ」はイラク撮影のもの。また、先週にベ
ツレヘムで発見された「カッサム砲」も捏造だと判明した。(P)
2007年10月2日(火)仮庵祭6日目
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*昨日57人のパレスチナ人が釈放され西岸地区へ。今日は30人が釈
放されガザに帰還する。ハマスのメンバーは含まれない。(H,Y,P)
*「ゴラン高原が議題にならないなら中東和平会議には行かない」とシ
リアのアサド大統領がBBCのインタビューで発言。また、先月のイ
スラエルの攻撃に対して反撃の権利はあると語った。(H,Y)
*2000年のガザで少年が射殺される場面の映像は捏造だったとの見
方を政府機関が表明。調査の結果、捏造と見られていたが、事を荒立
てない方が有利と見て政府は今まで見解を示して来なかった。(H,Y)
*「イランは国連加盟国である私の国を地図から消すと公言している」
とリブニ外相が国連本会議で演説。(H,Y)
*ヘブロンのアラブ人地区の商店を占拠している入植者は直ちに退去さ
せるべきだとの意見を検察庁が最高裁に表明。家の所有権問題が決着
するまでとの条件で、入居者の強制退去は延期されて来た。(H)
*ナチスの収容所で働いていたドイツ人が85歳で米国に生存している
ことが判明。米国は国外追放するかどうか対応を検討中。(H)
*自治政府のエレカット氏が、詳細な合意成立が中東和平会議参加の条
件だとの立場を確認。米国の支援で合意は可能だと語った。(P)
*イスラエルの大学が、潜水艦を使い水中から発進できる2人乗りの超
小型折りたたみ式ヘリコプターを設計。米国で賞を受賞した。(P)
*世界教会会議がイランの核問題を交渉で決着し、米軍のイラクからの
即時撤退を要求する声明を発表。(P)
[情報源略号表]
P=エルサレム・ポスト http://www.jpost.co.il/
H=ハアレツ http://www.haaretz.com/
7=アルツ7 http://www.israelnationalnews.com/
I=イスラエル・トゥデイ http://www.harvesttime.tv/israel_today/
Y=イディオット・アハロノット http://www.ynetnews.com/
( )内の記号が情報源。メディアにより掲載日が異なる場合もあり。
[転載・引用・再配布について]
教会活動等の非営利目的ならばOKです。ユダヤ人および
各宗教教派に批判的な文脈での引用はしないで下さい。
発行:「シオンとの架け橋」 http://www.zion-jpn.or.jp/
編集:石井田直二 naoji@zion-jpn.or.jp
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仮庵(かりいお)の祭りとは、、、、
神さまがイスラエル人に、エジプトから脱出できたことを
思い出して祝うために、行うように命令された祭りのことで、
きちんと祭りを行うようにとイスラエル人は
神さまに命令されている。
- 「あなたがたは七日の間、仮庵に住み、イスラエルで生れた者は
- みな仮庵に住まなければならない。
- これはわたしがイスラエルの人々をエジプトの国から導き出したとき、
- 彼らを仮庵に住まわせた事を、あなたがたの代々の子孫に知らせるため
- である。わたしはあなたがたの神、主である。
- レビ記23章42節~43節 」
エジプトは、長年イスラエル人を奴隷として
苦役に使っていた。
イスラエル人の先祖は、エジプトの王様に大変重宝されて
宰相にまでなり、エジプトを飢饉や災害から守って
国を繁栄させた。しかし、その宰相ヨセフのことを知らないエジプト人が
増え、イスラエル人を嫌うようになってきた。
イスラエル人の仕事は羊飼いだったのだが、エジプト人は
羊飼いの仕事を忌み嫌っていたらしい。
イスラエル人の数はどんどん増えてエジプト人を脅かし始めた。
そのため、エジプトの王様はイスラエル人を減らすため、
男の赤ん坊を殺したり、奴隷のような身分に落として
苦役を課して繁殖を抑えようとしたが、逆にイスラエル人は
増え続けたのだった。モーセは、エジプトの王様の娘の
特別な加護を受けて、殺されずに生き残り、エジプト人として
成人した。
モーセは、自分こそイスラエルをエジプトから助け出す人物だとの
自負があったが、ピラミッド建設の現場でイスラエル人を
ムチで叩いている現場監督のエジプト人を殴ったところ、
エジプト人が死んでしまったので、死体をこっそり埋めた。
次の日、何食わぬ顔で見回りに出たところ、イスラエル人が
ケンカをしていたので、「同胞どおしで、ケンカをしないように。」と
いさめると、何と、その男は
「あんたは、昨日エジプト人を殺したように
俺も殺して埋める気か!?」と言ったので、
モーセは、エジプトの王様の娘の養子という身分であるのに、
全てを捨てて山に逃げた。
モーセは、その後、羊飼いとなって80歳を過ぎるまで
世間から隠れて過ごしていたが、ある日、神さまはモーセを
呼んでイスラエルの民をエジプトから救い出してカナンの地に
導くように命令された。
モーセは、恐れて拒否していたが、神さまの約束を信じて
エジプトのパロ王の元に出向いて、イスラエル人の解放を願う。
エジプトのパロ王は、なかなか承諾してくれず、
オカルト使いなどをモーセの前に連れて来て脅したりしたが、
モーセには神さまからの力が託されていた。
モーセは、エジプトに数々の災害が起こること預言して、
そのとおりの災害が次々と起きた。
それでも、イスラエル人を解放しないパロ王に、モーセは
最後の警告を与えた。
誰でも、羊かハトを殺してその血を門のかもいに塗らないなら、
その家に住む最初に生まれた子供や動物は殺される。
その言葉を信じて実行したエジプト人もいたはず。
全てのイスラエル人はその言葉にしたがった。
イスラエル人は、出発の用意をして、
モーセに言われたとおりに、かもいに血を塗った。
その晩、主の使いがエジプト全土を回り、かもいに血が
塗っていない家の最初に生まれた子供と動物を打った。
その様子は、目に見えたのか見えなかったのかは
聖書には書いていないが、エジプト人の家からは
泣き叫ぶ声が途絶えず、エジプトは大変な混乱に陥ったと
聖書には書いてある。
エジプト人は、災いをもたらすイスラエル人を解放しないパロ王に
怒りを覚えたようで、パロ王も今回はイスラエル人を
開放するしかなかった。イスラエル人は、すでに出発の用意を
していたので、直ぐに出かけることになった。
エジプト人はきまえよく、イスラエル人に宝石などの宝を
持たせてくれたそうだ。
イスラエル人はモーセに導かれて紅海に向かうが、
パロ王は、急に気が変わり、軍隊を率いて
イスラエル人を捕獲しに紅海に向かった。
イスラエル人は、迫りくるエジプト軍を見てパニックに陥るが、
モーセは、神さまに祈った。
神さまは、モーセに杖を紅海に向けるように言われたので、
そのとおりにすると、紅海に強い風が吹き、
海の水が別れて道ができ、水は両側に壁のようにそそり立ったので、
イスラエル人は、その道を渡って向こう岸にたどり着いた。
エジプトのパロ王と軍隊は、紅海の乾いた道をそのまま進んで
イスラエル人を追いかけたが、道がぬかるんでいたので
戦車がなかなか進めず、もたついていた。
モーセはイスラエル人が全員、道を渡りきったのを見て、
杖を降ろした。紅海の水は勢いよく元に戻り、
パロ王と軍隊はそのまま紅海の水の中に沈んだ。
この聖書の記録を読んで、おとぎばなしだとか、
たまたま西風が吹いた自然現象で、モーセがそのことを
知っていて利用しただとか、いろいろ説明をつける教会もあるらしいが、
聖書は、そのまま信じるべきで、そのまま信じていない教会は
ニセの教会だと言える。神さまにとっては、自然を動かしてイスラエル人を
約束の地であるカナンに導くのは簡単なことだ。
人間にとっては、奇跡だし、自然現象のひとつに見えるのかもしれないが
聖書は、そのまま受け止めるべきだ。
紅海が真っ二つに別れる現象が信じられない人は、イスラエル人が
砂漠で何を食べていたか、何を飲んでいたかを考えて欲しい。
イスラエル人は毎朝、マナを食べていたのだ。
マナとは、「何?」と言う意味で、毎朝、イスラエル人のために
神さまが天から降らせた完全な健康食品で、味はコエンドロの実のようで、
ふんわりとしていて神さまに言われて、杖で岩を叩いて出していた。
毎朝、食べる分だけ露のように落ちているマナを集めて調理して
食べていたそうだ。
仮庵(かりいお)の祭りは、砂漠でイスラエル人がテント生活を
していたことを思い出して感謝する祭りで、
太陽暦の10月頃に行われる。
木の枝を組んで庭や家の前で草木で家を作って
みんなで7日間、キャンプをするという祭りで、
その間は、みんな外でご飯を食べる。
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仮庵の祭りに関して
まとめてある場所があったので紹介します。↓
http://wpedia.search.goo.ne.jp/search/%B2%BE%B0%C3%A4%CE%BA%D7%A4%EA/detail.html?LINK=1&kind=epedia
(引用開始)
(レビ記には、祭りは7日間であり 8日目に集会を開いて犠牲を捧げる、とある。
初日と8日目は安息日にあたり、仕事をすることは禁じられる。
秋の収穫祭の側面ももつ。
パレスチナ地方では秋は果物の収穫期であり、レビ記23章39節では
ティシュリ月15日は「農作物を収穫するとき」といわれる。
レビ記によれば、「初日に、……木の実(trog)、
ナツメヤシ(Dattelbaum, Teytlboym)の葉(ulav)、茂った木の枝、
カワヤナギ(Weidenbaum)の枝を採ってきて、……喜び祝う」。と
書いてある。
初日から7日間、みな仮庵に住む。
また毎日「焼き尽くす捧げ物」が献じられる。
神殿破壊以後は犠牲は行われていない。
捕囚期後、イエスの時代には、祭りの期間中、毎日エルサレム神殿へ
市内のシロアムの池から黄金の器で水を汲んで運び、
朝晩二回行われる犠牲の際、供え物とともに祭壇に水を注ぐ行事が
行われた。『ヨハネによる福音書』7章37節から38節で言及される
「私を信じる者のうちから、生きた水が……流れ出る」は、
この行事を背景とした記述である。
http://wpedia.search.goo.ne.jp/search/%B2%BE%B0%C3%A4%CE%BA%D7%A4%EA/detail.html?LINK=1&kind=epedia
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どこかの教会のサイトにも少し書いてありました。↓
興味のある方は読んでください。
(引用開始)
仮庵の祭りには、詩篇118編の
「ホシャナ(ホザナ)詩篇」が読まれます。
「ああ、主よ。どうぞ救って下さい。ああ、主よ。どうぞ栄えさせて下さい。」とあり、
「どうぞ救って下さい」のヘブライ語は「ホシャ・ナ」です。
つまり、キリスト教でいう「ホサナ」に当たります。
「「主の御名によって来る人に、祝福があるように。」とあり、
このヘブライ語は「バルーフ・ハバー・バ・シェム・アドナイ」です。
このみことばは、マタイ21:9に、主イエスがエルサレム入城する際、
群衆がこう叫んでいます。
「ダビデの子にホサナ。祝福あれ。主の御名によって来られる方に。
ホサナ、いと高き所に。」
さらに、ルカ13:35に、主イエスがエルサレムを目の前にして嘆かれて、
言われた言葉にもあります。
「見なさい。あなたがたの家は荒れ果てたまま残される。わたしはあなたに
言います。『祝福あれ。主の御名によって来られる方に。』と
あなたがたの言うときが来るまで、あなたがたは決してわたしを見ることは
できません。」
さらに、詩篇118:27に「主は神であられ、私たちに光を与えられた。
枝を持って、祭りの行列を組め。祭壇の角のところまで。」とあります
かつて、エルサレムに神殿があった頃、仮庵の祭りの時に、神殿は煌々と
明かりを灯し、遠くからでもその美しさを見ることができたと言われています。
主は「世の光」として来られました。
「あなたがたは、世界の光です。山の上にある町は隠れる事が出来ません。」
(マタイ5:14)と主は仰せになりました。
「枝を持って、祭りの行列を組め」というところは、シュロの枝を持って、
行列が組まれて群衆が歩いたと言われています。
こうして、新約聖書には、仮庵の祭りの情景が描かれ、主イエスも
祝っていたことが分かります。
また、イザヤ12:3に「あなたがたは喜びながら、救いの泉から水を汲む。」と
書かれており、かの有名な「マイム・マイム」の歌詞であります。
ヘブライ語では、「ウヴシャアヴテン・マイム・ベ・サソン・ミ・アネイ・ハ・
イエシュア」と言います。それはヨハネ7:2に「さて、仮庵の祭りという
ユダヤ人の祝いが近づいていた。」という箇所から先に行くと、
最初は主イエスは祭りには参加しませんでしたが、内密に神殿に上がり、
祭りの中盤から神殿で教え始められました。
そして、37-38節に「さて、祭りの終わりの大いなる日
(ホシャナ・ラバー:大いなるホシャナ)に、イエスは立って、大声で言われた。
『だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。
わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、
生ける水の川が流れ出るようになる。』」と、主は言われました。
祭りの終わりの大いなる日は、仮庵の祭りの最後の8日目です。
その時主は「私の元に来て飲みなさい。」と言いました。
私とはイエス(イエシュア)の事であり、まさしく主はヘブライ語で
「ミ・アネイ・ハ・イエシュア」(ミ:~から、~の元。アネイ・ハ・
イエシュア:救いの泉、イエシュアの泉)と、おっしゃったのです。
日本の中学生は何も知らずに皆「私の元へ来て飲みなさい。」という
イエシュアの言葉を歌い、踊っているのですね。
シュロの日曜日・エルサレム入城は仮庵の祭りである
マタイ21:7から、主はろばの子に乗って、エルサレム入城されます。
そして、群衆は木の枝(これはシュロの枝です)を切って道に敷いたり、
それを振って叫びました。
「ダビデの子にホサナ。祝福あれ。主の御名によって来られる方に。ホサナ、
いと高き所に。」これは、当時のエルサレムの人々、司祭達、律法学者には、
何を意味するのか分かっていました。
これは、詩篇118を主イエスがデモンストレーション、
つまり、群衆はイエスをメシアであるとして迎え入れている事を表します。
詩篇118:26-27はこう書かれています。
「主の御名によって来る人に、祝福があるように。私たちは主の家から、
あなたがたを祝福した。主は神であられ、私たちに光を与えられた。
枝をもって、祭りの行列を組め。祭壇の角のところまで。」
この、仮庵の祭りの情景を、主イエスは、過越しの祭りの1週間前に
行なったのです。これを見た人々は大騒ぎします。
「こうして、イエスがエルサレムにはいられると、都中がこぞって騒ぎ立ち、
『この方は、どういう方なのか。』と言った。」(マタイ21:10)
私たちクリスチャンは、なぜここまでエルサレムの人々が騒ぎ立つのか
分かりませんでしたが、エルサレムの人々は、この入城の仕方は、
メシアその人がエルサレムに入られる方法であると、皆が知っているから
こそ「この方は、どういう方なのか!」と騒ぐのです。
主イエスは、初臨の時に、再臨のメシアなるイエスを、ここで
デモンストレーションされたのです。
(引用終わり)
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イエスさまは、仮庵の祭りの日にロバに乗って
エルサレムに入城されましたが、
ロバに乗って入城するのは、イスラエルでは
王様のしるしなのだそうです。
当時のイスラエル人は、イエスさまを
メシヤだと受け入れていたので、宗教家たちは
怒り狂ったのです、死人を生きかえらせ、盲人の目を開き、
足の不自由な人の足を治し、内臓の病で苦しむ女性を治し、
悪霊にとり付かれた人を治し、願って来る者の遠くにいる親族の
病を治し、多くの奇跡を行っていたので、
イエスさまは、イスラエルの次の王様だとイスラエル人に思われて
いたのでした。宗教家たちにとっては、神さまのひとり子が
人間の姿をとって地上に来るなどということは
信じられないことであったし、民衆の受けがよくて、
妬ましかったので、イエスさまを抹殺するしかないという
結論にいたったようです。そうして聖書の預言どおりに事が
動いていったのでした。
聖書の預言では、救い主は罪も無いのに
木にかけられて殺されるが、その苦しみを見て、神さまは
人間の罪に対する裁きを身代わりに受けたとみなして
「満足する」と書いてあります。
罪のある人間が天国に行くためには、
罪の無い神さまのひとり子が、人間の姿をとって、この世に
現れ、罪の罰を大勢の目の前で受けなければならない。
罪の無い神さまのひとり子が裁かれて、苦しみを受けるのは、
人間の罪を身代わりに背負うためだったと、
みんなが認識できるように、神さまが昔から
イスラエル人の預言者あtちに書かせていたことだったのです。
イエスさまが十字架にかかったのは、
自分の罪を身代わりに背負って神さまから罰を受けるためだったと
信じるなら、あなたの罪も許されて天国に行けるようになると
聖書にはっきりと書いてあります。
聖書が言いたいことは明確です。
神さまは、人間を愛していて、死後に天国に迎え入れたいと願って
おられるということです。
イエスさまを信じる者は裁かれません。罪の裁きの場所である地獄に
いかなくてもいいのです。永遠のいのちを神さまからもらうことが
できるのです。地獄からの救いは、信じるだけでタダでもらえるのです。
人間は苦労しないで、信じるだけで天国にいけますが、
神さまのひとり子は、聖書の預言どおりにことを行うために、
大変な苦労を受けられたのです。
「信じるだけで救われるのです。」とは、聖書の言葉です。
イエスさまが預言どおり三日目によみがえってから、大勢の人が
直接イエスさまに出会うことになり、その後、聖書の内容を理解した
パウロたちによって、外国人(異邦人)にも、
イエスさまの福音が伝えられました。
ローマがユダヤ人を迫害すればするほど、イエスさまの約束は
世界中に広まったのです。
それも、聖書の預言どおりでした。
ローマは世界を支配していたので、時期的にもイエスさまの福音が
世界に広まるには最適でした。道も、言葉も整備されていました。
ローマからは世界に道が開けており、ギリシャ語は、どこにいっても
通じたのです。
日曜日には、クリスチャン(キリスト者)は仕事に行く前に集まって
神さまを礼拝していました。
それが、その後、日曜日が休みになった理由です。
日本人は、西洋人のマネをして、日曜日に休みますが、
遊ぶための日ではなくて、実は、クリスチャンが教会に集まって
神さまを礼拝するための日なのです。
昔は、日本人には休みなどなかったのです。
日本人でも、十字架といえばイエス・キリストがかかったと
知識では知っています。
知識では救われなくて、それが自分の罪のためであたと
信じるなら救われるのです。東の果ての小さな島の異邦人でも、
関係なく、罪が赦されて天国に行ける身分になれるのです。
それが、神さまが聖書をイスラエル人に書かせた理由です。
神さまは、信じる者の罪を赦して天国に迎え入れたいと願って
おられるのです。