10年ぶりで会った人
10年ぶりに会った人に、
Cちゃんは、元気か、Nちゃんは元気か。Fさんは元気かと
聞かれたけれど、Cちゃんはある日を境に連絡が途絶えているし、
Nちゃんは、ボーイフレンドができてから連絡が無いし、
Fさんは、わざわざ絶好宣言してきて友達ではなくなったきり。
10年って、結構長い年月なんだ。13歳だったその人も、
今では23歳。すっかり美人になっちゃって、なんだか違う人みたい。
でも、わたしだって、すっかりおデブになって老けているんだろうし、
きっといっそうかわいげが無くなって違う人みたいに
なっているんだろう。恋人を連れてきて紹介してくれたけれど、
愛し合う二人って、一緒にいても違う星に住む人類のようで、
目の奥にともる光で合図をしあって会話している。
二人は、今、まさに人生の真っ盛り。
愛し合う二人にとっては、一緒にいる時間が力の源なのだ。
恋人が時間が来て帰っていくと、残されたその人は急に電気が
切れたおもちゃのようになってしまった。
わたしにも、そんな風に人に恋した時代があったのだけど、
なんだか思い出したくなくて、わざと記憶を封印している。
友達は、好きな人と結婚するのは楽しいことだから、
結婚は一度は敬虔しておくべきことだと言っていた。
世の中には、たくさんの幸せが存在していて、一生の間に
たくさん幸せになれる人や、そんなに幸せになれない人がいる。
今日は、わたしはたくさんの人にあって、みんなと楽しい会話をして、
おいしいものを食べて十分幸せだった。
わたしのことを好きでいてくれる人々に囲まれて、
10年ぶりで会った人と彼女の恋人の幸せそうな様子を見ることができた。
新聞には、ミャンマーのデモで銃撃されて倒れている日本人カメラマンの
写真が大きく載っていて、それを見るだけで不幸せになったけれど、
世の中の悲しい出来事や、不正が行われていることに目を背けては
いけないのだと思ってしっかり記事を読んだ。
少しでも、世の中にある不幸せな出来事が少なくなるように、
世界中のみんなが助けあわなければいけない。
愛する二人が同じ場所にいることは、ひとつの幸せだから、
愛する二人が離ればなれにならないように、
周りのみんなが助けてあげなければならない。
ミャンマーでは、2000人以上の僧侶や一般人がミャンマー政府に
拘束されているという。その2000人以上の人々には、それぞれ
彼らを愛している家族がいて、みんなが彼らのことを心配して不幸せでいる。
拘束された2000人は、ミャンマー政府に拷問されている可能性もある。
日本では、若い奥様と子供が、ご主人の留守中に悪い少年に殺されて、
奥様の体は死んだ後に少年に汚された。
それでも、何度目かの弁護の後で、
死刑執行に反対する弁護士が大勢ついた後で、
犯行当時少年だった男は急にドラえもんの話しを持ち出したり、若い奥様が
生き返る儀式のために死んだ後の体を犯したのだと言い出して
刑を軽くしようとしている。
人を食ったような言い訳のことばを、裁判所で聞かされたご主人は、
きっと辛かっただろう。奥様と子供を失った上に更なる苦しみを受けて
不幸になったことだろう。
人の心の中には愛があるから、愛の無い行いを見たときに、
人は悲しんだり同情したりする。
愛が無い国や愛が無い人の行いを見ると、憤慨する。
この地球の上の、どこの国にでも、愛が大切にされますように。
ひとりの人間の命が大切にされますように。
愛のある裁きがなされますように。愛のある政治が行われますように。
みんなが愛を忘れませんように。
愛の無い国や愛の無い人に、みんなが勇気を持って警告を与え、
愛のある行為を促すことができますように。
愛が大切なのだと、みんなが真面目に考えてくれますように。