アジアの華僑・華人
日本人にとっては、華僑といえば海外に住んでいるチュウゴク系の人のことだ
が、中華人民共和国の概念では「華僑」とはチャイナ国籍のまま海外に出て働
いているチュウゴク人で、「華人」とは海外で現地の国籍をとったチュウゴク
系の人のことなのだそうだ。「華裔」というのは、華僑でも華人の子供で2世
・3世といった人を表現した言葉だ。
全世界の華僑人口の概数は、3500万とも4000万ともいわれている。
1998年の統計には、華人も含むと華僑の人口は、推定5500万だとする
ものもある。1999年の台湾の行政院僑務委員会の統計によると、約387
3万4000人であるとされている。
華人の3分の1は、客家[ハッカ]と呼ばれる、中国の南部に住む漢民族のエス
ニック集団から海外に移住した人々の子孫。華僑や華人は、海外では福建や広
東などの出身地ごとに集まって助け合っている。
華僑が世界に拡散していったのは、19世紀中期後半から20世紀初頭で、彼
らは主に、アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、オランダの植民地である
東南アジア、アフリカ、中南米(カリブ地域)に向かった労働者=華工)であっ
た。
実際に華工が何人移動したのかは正確な統計は残されていない。推計によると
毎年75万人が海外に出て行った。チュウゴク人の学者の計算では1848年
から1888年の40年間に、華工は235万人いたそうだ。欧米の学者の計
算では、1815年から1914年までの100年間に1200万人がシナを
後にしたということだ。
華工の向かった先は、アメリカが最も多かった。彼らは鉄道建設や金鉱採掘に
従事した。インドネシアのスマトラではオランダ人の下で開墾を行った。南ア
フリカ東北部では金鉱採掘に従事した。――――第二次世界大戦後になると、
華僑の海外移住の目的は、生活のためではなくビジネスのためとなった。
また、1960年代から1970年代は、欧米に留学した台湾人やチュウゴク
人が、アメリカ、イギリス、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドにそ
のまま職を得て移住しだした。1980年代から今日にかけては、幹部の子弟
である留学生や不法滞在者たちにより、海外移民者が1000万人を超えた。
華僑には「華人」「華裔」などの様々な意味が内包されており、現在その正確
な数値を表すのは困難であるが、現在の日本のテレビのニュースでは、世界の
華僑人口の概数は約4000万人と報道されている。
華僑の分布は世界五大州130余ヶ国に及ぶ。
東南アジア 2800万人 (80%)
アメリカ大陸 520万人 (15%)
欧州 100万2000人 ( 2.87%)
大洋州 55万1000人 ( 1.58%)
アフリカ 12万1000人 ( 0.35%)
国別では、
インドネシア 740万人
タイ 645万人
マレーシア 560万人
ミャンマー 300万人
米国 283万人
シンガポール 278万人
フィリピン 106万人
ベトナム 100万人
ロシア 100万人
カナダ 96万人
日本 33万人6000人
東南アジアには華僑の80%が集中しているが、東南アジアの億万長者のうち
86%が華僑である。アジアの経済は華僑が握っているといっても過言ではな
い。
植民地時代には、華僑は宗主国の庇護の下で商売を営んでいた。大東亜戦争の
時には、アジアの開放を助ける軍として日本軍を歓迎した現地人とは違い、ほ
とんどの華僑は宋主国側に立ち、抗日ゲリラとして日本軍と戦った。
インドネシアではスカルノ時代に、華僑・華人が加盟するインドネシア共産党
のクーデターを中国共産党が支持した。――――1965年9月30日には、
中国共産党を支持し、インドネシア共産党に加盟していた華僑党員とそのシン
パ30~40万人の華人が虐殺され、多くの華人が海外へ亡命した。
インドネシアに華人が多いのは、西暦924年から移民が始まっていたからで
943年にはスマトラのパレンバン地区に多くの華人が定住していた。明代末
インドネシアはオランダの植民地となり、明からの労働者や清の統治に反対す
る人々が続々とインドネシアに移住した。
現代、華僑と華人はインドネシア総人口の3.5%前後を占め、最大の少数民
族となっている。インドネシア華人は、インドネシアの財産と経済活動の70
~90%をコントロールしているが、経済活動の50%を握っているのはイン
ドネシア国営企業。日本企業が現地人の企業は無視して華僑・華人の企業と仕
事をしたがるので、現地人は不満に思っているそうだ。
近年、中華人民共和国の経済は毎年平均ほぼ7%の成長ペースを維持している
が、この経済発展をもたらしたのは外資である。最初にチュウゴクに資本投下
を始めたのは、香港、台湾及び東南アジアの華人たち、特に太平洋の島々に住
む華僑・華人が積極的だった。
2005年8月の対中国投資(実行額)上位10ケ国・地域は、1-香港 2-
バージン諸島 3-日本 4-韓国 5-アメリカ 6-台湾。ーーーバージ
ン諸島やケイマン諸島、西サモアからの投資は、その70%は台湾や東南アジ
アの華人資本である。
1990年代には、移民2世の各地の華人たちが経済力をつけ、香港、台湾、
シンガポールの華人が中国沿岸部、東南アジアへ大規模な投資を行い、巨大な
華人経済圏を形成した。
1991年には、シンガポールのリークアンユー首相(当時)が提唱して第一回
世界華商大会が開かれ、30ヶ国から750人が参加した。以後、二年ごとに
グローバルな経済ネットワークの樹立と華僑・華人の活性化を目標に、世界各
国で活躍する華僑、華商が集まることになった。――――中華人民共和国の国
営企業も、海外においては華僑・華人と組んで、アドバイスを受けながら活動
を進めることが多くなった。
2007年9月15日から17日には、神戸で第7回世界華商大会が開かれ、
約3600人が参加した。第8回はソウルで行われたが、人民網ネットによる
と、大会期間中韓国に対する華商からの投資額は8億3千万ドル、輸出の合意
額は5.8億ドルで、そのうち4.5億ドルは輸出の契約額であり、輸出意向
契約は1.3億ドル。華商大会期間中の観光関連収入は70億ウオン≒673
万ドル)に上った。
日本に住む33万人6000人の華僑・華人には、日本・アジアの平和が続く
ように中華人民共和国を指導してくれるよう個人的に期待している。特に、共
産党軍部の暴走が起こらないように注意していてほしいと思う。
日本に過度のチュウゴク人移民、難民が流れてこないように、中華人民共和国
の環境汚染問題や人権問題について、中華人民共和国を指導してくれるとあり
がたい。またチュウゴク人の犯罪が増えないように、日本に不法流入してくる
チュウゴク人やチュウゴクマフィア(黒社会)を摘発する手伝いをしてほしい。
戦前から日本に住む華僑・華人は、戦争中は迫害にあいながらも事業を発展さ
せてきた人が多いと聞く。最近の不法滞在のチュウゴク人が、日本でチュウゴ
ク人のイメージを著しく落としているのは残念なことだ。ーーー日本に住む華
僑・華人は日本と運命を共にしていると思うので、日本の存続のために日本の
国益も考えて行動してほしい。
華僑・華人は、移住した国の政策によって、いつ迫害されて国を出る事態にな
るか、財産を没収されるようになるか、将来が不安定なため、財産をスイスな
どの外国に保管し、子供を欧米に留学させて、卒業後にその地の華僑・華人の
ネットワークを通じて事業を起して定住させるなど、熱心に富の蓄積と拡大を
行っている。
日本人も、華僑・華人の助け合い精神などの良いところはマネをして、日本人
のネットワークを世界に拡大させ、各地で慈善事業を通じて日本のイメージを
向上させるなど心がけてみてほしいと思う。
海外出張中や旅行中の日本人も、「日本」を背負っていることを意識し、悪い
評判で日本の評価を貶めたり「日本人を騙すのは簡単だ」と外国人に思われた
りしないように気を配ってほしいと思う。
~~~~
参考資料1:華商ネットワークの新たな変化
http://www.cnc.takushoku-u.ac.jp/~kakyonet/kaiji/2005-11.htm
参考資料2:ウィキペディアより
客家[きゃっか、ハッカ、北京語:Keji? /客家語:Hakka]は、中国の南部に住
む漢民族のエスニック集団である。唐から元の頃に華北から移住してきた人々
の子孫であると伝承されている。
主な居住地域は、広東省・福建省・江西省・湖南省・四川省などの山間部であ
る。在外華僑・華人として、マレーシア、シンガポール、タイなどの東南アジ
ア諸国に暮らす者も多く、華人の3分の1は客家人である。台湾では北中部の
桃園・新竹・苗栗などを中心に居住し、福[イ+老](?南)人に次ぐ大きなエス
ニック・グループを構成している。
そのため公共の交通機関などでは、国語(北京語)、台湾語(福[イ+老]語)に次
いで客家語の放送が行われることが普通である。また台湾では世界で唯一の客
家語専門チャンネル「客家電視台」があり、ケーブルテレビ網を通してニュー
スや文化的な番組をはじめ、ドラマなど娯楽番組などの放送を行っている。
客家の人々は、華南の諸方言と比べてより北方の方言に近い客家語を話すなど
周辺に住む他の漢族集団とは異なった独特の言語・文化を持ち、一般に外来者
として離れた場所に居住している。そのために歴史的に他の集団と軋轢を起こ
すことも多い。
しかし、少数派であるがゆえに劣勢であるため、中央政権や王朝と良好な関係
を保とうとする傾向がある。このような背景から、漢民族としての意識が比較
的強いともいわれる。
移民の通例として土地の所有が困難であったために、流通や商業に従事するこ
とが多く、師弟の教育にも熱心なことで知られる。商業のほかには教育の高さ
から教職につくことが多い。これらの特色から「中国のユダヤ人」などと呼ば
れることもある。――――客家の多い地域に中国共産党が非常に強い影響力を
持った為、客家には共産党勢に加わったものが多かった。
また、伝統的な中国人の発想として卑しめられることが多かった軍人となった
者や、反乱や革命に参加する者も近代以前から多い。そのため、太平天国の乱
の指導者である洪秀全や、中国国民党の孫文、中国共産党のトウ小平などを輩
出した。
福建省の山間部では、外部からの襲撃を防ぐために「土楼」(円形のものは円
楼、正方形など四角形のものは方楼)と呼ばれる独特の集合住宅を築いて一族
がまとまって居住している。また広東省や香港では「[囗の中に韋]」と呼ばれ
る城壁のような壁の中に村を築く方法もとられていた。このことから客家の間
には、他の漢民族と比べ規律を重視する気風が生まれた。
= この稿おわり =
┌─┬───────────────────────────────┘
│★│「フィリピンの独立とマッカーサー」のアンケート結果。
└─┘
◇ そうだこのとおり!(^○^) ---------------------------- 23人 (64%)
◇ そうではないと思う..(゜.゜) ------------------------- 1人 ( 3%)
◇ そうだったのか..知らなかった..(-_-) ----------------- 11人 (33%)
└―――――――――――――――――――――――――――――――――┘
「日本のお姉さんのアジア!」収載ページは ▼ こちら!
http://chinachips.fc2web.com/repo4/047obahan.html
┌──────────「プータローさん」
―― 9月19日(水)号の、HIDEおじさんからいただいたコメントへ。
http://chinachips.fc2web.com/repo4/047107.html
博識なHIDEおじさんや日本のお姉さんには、いろいろ教えていただいて感謝!
最近東南アジアを旅することが多いのですが、この地域の発展ぶりはめざまし
く、日本のマスコミは全然追いついていませんね!
――「シンガポール」は日本の技術や観光客には興味を持っているでしょうが
他の面ではもう完全に日本を凌駕しています。りー・クアンユーの息子のリー
・シェンロン首相をはじめ、欧米に留学した若い官僚たちが、社会インフラ面
を充実させ、世界の最先端をいっています。
20年以上前はルック・イーストで日本に好意的だったかも知れませんが、今
は街の中心地に日本軍の虐殺記念碑などがあって、日本人は居心地が悪い
思いをする!
なんといっても華人の国だけに、中国やアメリカ、EUのほうを向いて、もう
日本は目じゃないみたい!(そして安ホテルがなくてホテル代が高い。ここの
高島屋デパート地下2階の食料品とイートインは、東南アジアでも際立ってい
ますが・・・・・・・・)
でも、まだ庶民クラスの民度(マナー)はもう一つで、政府は口うるさく指導し
ています。そにせいか、移民してオーストラリアなどへ出て行く連中も少なく
ない。あまり管理社会になるのもどうかという例ですね。
――「マレーシア」は、クアラ・ルンプールなどは今は東京よりも道路インフ
ラがいいと現地日本人の評判です。
そして、最近安倍首相が240人の経済人を引き連れて訪問したように、イス
ラム金融のメッカで中東からの観光客やオイル・マネーで潤っています。今ま
で地味な印象でしたが、脚光を浴び始めています。
ーーー東南アジアにロングステイしようと、マレーシアとタイの手続きを調べ
てみたのですが雲泥の差でした。
マレーシアは、ロングステイの日本人でもマンションを2部屋買えますし、車
社会なので、日本から車を持ち込んでも無税にしてくれています。いろんな面
でおっとりしていて、ロングステイし易いように親切に便宜をはかってくれて
います。----これと、実際にビザをくれるかどうかは別ですが。
ところがタイときたら!
家やマンションを日本人は買えませんし、手続き一般が細かいところまで小う
るさいのなんのって!――――これはタイ式のやりかたではないと思うので、
日本人がやっていることへの仕返しでしょうか?
まるで日本人が仕事でタイ人をいじめている敵を討っているみたいです。ビザ
なしでの滞在も、以前は3ヶ月だったのに今は1ヶ月です。――――タイはも
う日本人に対して必ずしも友好的ではありません。出入国の空港でも
不愉快な経験を2~3回しましたね。一般のタイ人にもこういう認識は
広まっているとみています。
日本は、国際政治や外交は音痴といっていいほどダメだが、コンピューター
関係も大きな視点に立った戦略的な面はダメだが“精密な技術”には強い。
「木を見て森を見ず」もう少し現地の人の感情に配慮しつつ、親善に努めて
はいかがでしょうか?能率ばかりに気をとられていると、もっと大切なもの
を見落とすのではないでしょうか?
はからずもタイで、日本人の特性が良くも悪くもでてしまったようです。
東南アジアの人々はおおらかです。そしてそれぞれ自分達流のやりかたがあり
ます。日本人のくそまじめで、仕事には奴隷かロボットのように働く面、悪く
いえばゆとりがないところはなかなか理解されにくいでしょう。
東南アジアが発展するに従い、日本のプレズンスは薄れています。日本もあら
ゆる面でガラガラポンする時期に来ているのですね。そして勇敢に世界に出て
行く人達(このメルマガに書き込みをしているような)がたくさん出てくるとい
いですね。
└──────────
┌──────────「大澄国一さん」
http://chinachips.fc2web.com/repo4/049047.html
← kz-87さんへ
「帰国してからのことや思いを聞かせてほしい」 とのことですが、私個人と
しては書くことがないと申しましたが、他の帰国者のことについてでも良けれ
ば書いてみることにします。ただし、これは他の人から聞いた事ですので、部
分的な不正確さは否めませんことを了承して下さい。
その一:
八路軍にいるとき、職場は違ったけれど同じ地所に居て時々顔を合わす男女が
結婚し、皆から祝福され、子供までもうけた二人が帰国して夫の実家に帰った
ら、家族から「既に婚約者を決めてあるからこの女の人とは別れなさい」と言
われ、
承知できないと何回も親や親族に抗議したが叶わず、ついには二人は離婚する
羽目になった。(子供はどうなったかは分からない) 女性のほうははその後十
何年してから他界した。
その二:
敗戦前まで、妻と二児の家族持ちであったが、敗戦直前に家族を日本に帰し、
戦後八路軍に入って病気し、その時看護してくれた女性と結婚、二児をもうけ
て十三年後に帰国、夫の親族と妻の親族が紛糾して、その間に挟まれた夫は生
活よりそのことに四苦八苦させられ身も心も休まらなかったとか。――――結
局は八路軍で結婚した今の奥さんと暮らす事になった。
その三:
同じように、八路軍の中で結婚した夫婦が帰国して夫の実家に帰ったら、自分
は長男で家業を継ぐ立場であったが、長く消息不明のため、両親は妹の長女に
婿養子を迎え家業を継がせていた。やむなく自分は姓を変え妻の婿養子となっ
て妻の実家に移った。
その四:
敗戦前夫婦であった女性が、戦中に夫が招集され、行方不明のまま敗戦となり
八路軍に入った。その後、知人友人から再婚を勧められたが応じず、八年経っ
て帰国したら夫が先に帰って自分を待っていてくれたという事。
その五:
男性で、婚約者があったが結婚前に軍に招集され、敗戦後八路軍に入った。そ
して八年間、結婚話もたびたびあったが婚約者の事を想い独身を通し、四十代
前に帰国したら、婚約者の彼女が出迎えてくれて涙に暮れたとか。
以上は、戦争による人生の悲喜こもごもですが、こんな事例は他にいくつもあ
ると聞いています。最近では、残留孤児とか残留婦人とかが身内捜しに帰国し
ても、その身内の人は名乗りにも出ないと聞きました。――――日本人の家族
愛とか絆はどうなってしまったのでしよう。
違った社会制度を渡ってきた私は50年経った今でも頭が混沌としています。
└──────────
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