桑原隲蔵・『支那人間に於ける食人肉の風習』V
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▼桑原隲蔵・『支那人間に於ける食人肉の風習』V
(マルコおいちゃんのシナにつける薬)↓
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5)医療の目的での食人について。
台湾正名運動の指導者で現役の医師でおられる林建良先生の著書・『日本よ、こんな中国とつきあえるか?』(並木書房)の開巻に、「医食同源」とはどういうものか述べられていますので読まれた方も多いと思います。簡単にいえば、肝臓が悪い人は肝臓を食べる、というものです。すこし(人ではなく)道草を食って、そのほんの一部を紹介しましょう。
「中国の漢方医学のなかでももっとも権威のある書物は、明時代の一五七八年に李時珍が執筆した『本草綱目』である。本草とは基本的に薬用になる植物を指すが、薬物として役に立つ動植物や鉱物の総称でもある。(中略)なんとその最後の部が「人部」、つまり人間が入っていて、人体を薬剤として扱っているのである。」
そして林先生は、さらに論を進めますが、しかし我々は桑原先生へ戻りましょう。さて、桑原先生は、その淵源を考証して
「唐以前に医療の目的で人肉を食用した事実は、ほとんど見当たらぬ。」とされています。とするとそれは比較的「新しい」文化のようです。せいぜいが千二百年の歴史しかないことになります。宋代に記された『新唐書』の孝友伝に、「始めて父母の疾病を医療すべく,自己の肉を割いた孝子三人を載せてある。いずれも唐の中世以後のものと認められる。」そうです。「父母のため、もしくは舅姑のため、自己の股肉を割いて供した所謂孝子孝女は、唐宋以後の正史野乗を始め、各地方の通志、府県志等に疊見しておって、一々列挙するに堪えぬ。しばらくその一端を示すために、四五の事実のみを次に紹介する。」
として幾つかの例をあげられるのですが、ほとんど同内容なので一つだけを、「『元史』巻二百,列女伝、秦氏の二女(むすめ)、河南宜陽の人、その名を逸す。父かって危険な病あり。医師は改まる(回復する)は不可なりと言う。(その)姉は、戸を閉めて黙して祷る。己の脳(あたま)を穿鑿し、薬と合わせて飲むを進める。(原文は「鑿己脳和薬進飲」とありますが、自分で自分の脳を削ることは出来ないので、頭の肉でも削ったのでしょうか?「鑿着脳袋干」(没頭してする)という慣用句はありますが、もっと具体的な行為と考えます。)
遂に治癒する。父その後また病す。(今度は)妹が股肉(内腿の肉)を粥の中に置き(炊き込んで、薦めると)父は少し啜っただけでたちまち甦った。」このように父母舅姑のために、自己の肉を割いて薬として捧げることは、最高の孝養として社会も官憲もおおいに称揚したので色々弊害も起きてきて、しかも大した効果もあるはずもなく、ついには制限するようになったということです。魯迅にもこの風習についてふれた文章がありますので後述することにしましょう。
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▼桑原隲蔵・『支那人間に於ける食人肉の風習』IV(マルコおいちゃんのシナにつける薬)
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4)憎悪の極み、怨敵の肉を喰らう場合
「支那人はその怨敵に対する時、よく欲噬(噛むこと)其肉とか、食之不厭とか、将魚肉之とかいう文字を使用するが、こは決して誇張せる形容ではなく、率直なる事実である。」「彼等は生きたる怨敵の肉を喰らうは勿論、死んだ怨敵の肉すら喰らうことが稀ではない。「漢室を簒奪した王莽が、後に敗死した時の有様を『漢書』に、軍人は王莽の身を裂いて分かち、手足肉体をばらし、肉の塊となす。相争いて殺すもの数十人、・・・・」 と一時の皇帝権力者もはかなく肉と成り果て喰われてしまいました。このように失脚した権力者、あるいは権力闘争にいどんで失敗した者もみな食われる運命にあるようです。
「梁の賊臣侯景、およびその参謀の王偉が、後に失敗して殺戮された時、市民百姓等は競うてその肉を噉食した。」(『南史』)(「噉」は、喰らう)
「唐の則天武后時代の酷吏に来俊臣がある。酷吏の代表として後世にまで聞こえているが、この来俊臣が棄市(処刑され市場に遺棄される)せられた時、民衆は争うてその肉を割食した。(『資治通監』)」
などなど枚挙にいとまがありません。「要するに支那人の間に、罪人の肉を喰らうことは、一種の私刑として公認の姿となっておる。」「怨まれたる、もしくは悪まれたる罪人は、所定の公罰を受くるのみでなく、同時に民衆又は仇家に噬食されるという私刑を受けねばならぬ。」この公罰以外にリンチを加えるやり方は、「被害者」の恨みを晴らす上で是非とも必要な処置のようです。以前、「カササギ」について述べた際、辛亥革命時にある革命家が処刑されて喰われた話をしましたが、あとでもう一度詳述することにします。
またこれとはことなる一つの「モラル」として、「支那人は父兄の讐に対して、不倶戴天の強い反感をもつ。」「儒教は復讐主義を是認し、また奨励している。故に支那人は父兄の讐をもっとも悪むべき怨敵と認め、その復讐の場合には、単にその生命を絶つのみをもって満足せず、往々その骨肉心肝を食い尽くしてしまう。」
として種種の例を挙げていますが略すことにします。だいたいご想像のとおりです。なぜ心臓と肝臓なのかというと、「その仇敵の心肝を食い尽くすことは、彼の生命に対して、最後の、同時に最大の打撃を与え、その復活を不可能ならしむる所以に外ならぬ。」 また憎悪に近いものとして、威嚇をあげてもおられます。たとえば、「支那人が台湾を占領した時代には、近く日清戦役の頃まで、台湾在住の支那人間に、島中の蕃人の肉を食用する風習が行われ、蕃人の肉が豚肉同様に市場に公売されたことも稀有ではなかったと、1896年1月発行の『Hongkong Daily Press』に見えている。」そうです。この辺になると、いわゆる「人食い人種」といわれる「未開人」の蛮習に似ているような気もしますが、礼節を尊ぶ儒教の経典にもそれが奨励されているのがシナの特徴かもしれません。いわば蛮習をイデオロギー化しているわけですね。ですからこの風習は、後にも紹介しますが、近くは「文化大革命」の際にも再現されたわけです。今現在にもこの文化を否定する有力な思想はないはずなので、機あればまた簡単に再現されることが予想されます。
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