≪ WEB 熱線 ≫≡アジアの街角から≡についたコメント
コメントボードに頂きました感想。
┌──────────「lonsome carboyさん」
1989年でしたか。わたしは、軍事クーデター直前のラングーン
(ビルマ)に居合わせました。
雨降る街角に、機関銃を持った兵士達が険しい表情で立って
いて、現地の人間からはホテルから外へ出るなと言われた、殺伐と
した雰囲気を思い出しました。
弊社に派遣で来ていた女性は一昨年「アジア歴訪の旅」に出掛け、
ミャンマーでは、日本統治時代を懐かしみ、日本を敬愛する現地の
人の話を聞き、彼女が習った歴史との齟齬に驚いていました。
時の政府や教育者がどんな事を吹き込もうと、生き証人の生身の
体験を覆す事は出来ないものです。
欧米や中国共産党の書いた、彼らにとって都合の良い近代史が、
自分の生きているうちに検証され是正される日がくるのであろうか。
└──────────
▼
┌──────────「日本のお姉さんから」
軍事クーデター直前のラングーンにいたなんて、すごい経験ですね。
派遣会社の社員の方が、ミャンマーで日本軍のことを知っている現地
の方に出会えて、
本当の歴史に触れることができてよかったですね!
わたしは本からしか戦争の時のことを知らないですが、会社の女子
社員に、おじいさんがビルマで戦った元日本兵だった人がいます。
その女子社員は子供の頃からおじいさんに、戦時中のチュウゴク軍に
追いかけられて撤退していった時の話を聞かせられたそうです。
日本軍はビルマ人と共に戦っていて、チュウゴク軍は重慶から来た
部隊らしく砲弾もたっぷり持っていて、ドカドカ撃ってくるので塹壕に
隠れているしかできなかったそうです。
ある日、塹壕の中に上官たちやビルマ人兵士と一緒にいた時、急に
危険な感じがして別の塹壕に移ったんだそうです。一緒にいた
ビルマ人兵士も随いてきたそうです。その直後、今までいた塹壕に
砲弾が打ち込まれ、おじいさんとビルマ人は助かったのですが、
上官と他の日本兵はバラバラになったそうです。
一緒に逃げたビルマ人兵士には「あなたは命の恩人だ!」と言われて、
泣きながら感謝されたそうです。
チュウゴク軍は、赤十字の部隊でも攻撃して全滅させたそうです。
赤十字のトラックが前線に負傷者を探しに行こうとしていたので、
「あっちは、チュウゴク軍がいるから行かないように」と、おじいさんたち
が言ったのに、「赤十字は攻撃されないんですよ」と、笑ってそのまま
行ってしまったそうです。
夜が明けてみると、丘の上に赤十字のトラックがずらりと並べられて
おり、その上に杭が並んでいて、そこに裸にされた看護婦さんたちの
死体が吊るされてブランブランゆれていたそうです。
国際法もクソも無いなと思ったそうです。
他の部隊の「証言」でも、チュウゴク軍だけではなくイギリス軍も、
赤十字のマークがついた病院を見たら必ず攻撃してきたので、
逆に赤十字のマークをつけないほうが安全だったそうです。
ビルマでは、日本軍の負けが決定的になったので、ビルマ軍の
アウンサンは、日本軍を裏切って日本軍を攻撃する側に変わりました
が、彼と同格のビルマ軍のリーダーの中には、日本軍を攻撃するのは
忍びないとして自害した人もいたそうです。
日本の占領時代に独立できたのだと当時のビルマ人は考えている
ので、日本人に対して今でもとても好意的なのだそうです。
日本人がビルマで「戦争では大変申し訳なかったです」と言えば、
「日本軍は武器も食料もなかったのに、イギリス軍と戦ったのだから
謝らないでくださいよ」と言ってくれるそうです。
日本軍が来る前は、ビルマは長年イギリスの植民地にされていたの
です。戦前にはアジア人は、各地で白人と白人が連れてきた華人に
支配されていた。そのことを日本人はちゃんと習っていないので、
日本は「アジアを侵略した」としか思っていない。
その前に、何百年もアジアを侵略・支配していたのは、白人と華人
だったわけです。
インド人もイギリスに連れてこられていましたが、独立したがっていた
ので、日本軍は各地でマレー人、ビルマ人、インドネシア人、インド人、
タイ人に助けられ、すばやくアジアを西洋列強の支配から開放でき、
その後、占領できたわけです。
華人・華僑だけは、一部を除き義勇軍を作って日本軍に激しく抵抗
したので、華人は日本軍に始末されました。
普通の服を着て一般人に紛れ込んでいたので彼らは軍人ではなく
ゲリラ扱いになりました。
その中で、ゲリラでない一般人も被害を受けた場合もあったと思います
が、それだけ華人、華僑は独立などしたがらず、西洋人と共に
アジアの経済を引き続き支配することを願ったということです。
ミャンマーの人も、「結局、アジアの戦争は、覇権を狙うチュウゴク人と
日本人の戦いだった」と言っている人もいます。
アジアの国々の現地の人は、日本軍は西洋の支配から独立させてくれ
た友人だと思ってくれているそうです。
シンガポールの指導者リークワンユーのような親日の理解者もいるの
で、華人華僑全員が植民地宗主国側だったとはいえません。
リークワンユーは、日本軍を実際に間近で見ているので、日本を
理解している貴重な華人です。
植民地時代、白人たちは相当厳しく現地人を搾取したそうです。
そういう話は日本人は習わない。日本が悪かった、戦争は嫌だ、
二度と戦争が起きないようににしないといけないなどと教え込まされて
いますが、日本が戦争に突入していった経緯は、
欧米がアジア人を差別して厳しく扱ったせいもあるのに、
それは無かったことになっているようですね。
欧米が何百年もアジアを支配していた時代に、多くのアジア人が
独立を願っただけで宗主国の欧米人に処刑されています。
そんな歴史は、日本人はあまり知りません。
だからアジアに行ったら、日本政府の者も一般人も謝ってばかりい
るのです。
日本軍の支配は2年か3年ちょっとだが、欧米の支配は250年も
340年も続いていたではないか。侵略していたのは欧米なのに、
日本ばかりが叩かれて本当に損な役回りでしたね。
まあ、アジアの国々が、白人や白人が使った華人の経済的な支配
から独立できて良かった。
アメリカの大統領が、昔の日本をアルカイダと同列において演説して
いる内容を読むと、アメリカ人の認識はまだそんなもんなのかと
がっかりします。
└──────────
「日本のお姉さんのアジア!」収載ページは ▼ こちら!
http://chinachips.fc2web.com/repo4/047obahan.html
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┌──────────「kz-87さん」
「日本はアジアを開放」についての OJIN さんとNanka とのヤリトリは、
何かちょっと食い違っているような… と思いましたーーー。
http://chinachips.fc2web.com/repo/001067.html
OJIN さんは「日本はアジアを列強から開放した」と言われていて、
Nanka さんは、「日本はアジアを列強から開放したのではない(むしろ
日本も侵略者側の一員になったのだ)」と言われていると思います。
まず OJIN さんの8/22、及び8/27の解説を読ませて頂いて私は
感動しています。よくぞこれだけにまとめることができたものだ、と
感動させられました。ありがとうございます。
OJIN さんは、
┌--------
大東亜戦争時においても、占領地を日本の植民地にするのでは無く、
欧米列強の支配を覆して、日本が主導するブロック経済圏を作り上げ
ることが主目的であったと思います。
└--------
だから解放したのだ、と主張されているんですよね?
Nannka さんは、
┌--------
中国をどの国から開放するために、朝鮮をどの国から開放するために
戦ったのでしょうか?
└--------
と問われていて、それに対して OJIN さんは、
┌--------
日本が何もせず放っておいたら、朝鮮はロシアに、中国は英仏に支配
されていただろう。
└--------
という回答ですよね?
8/27のNanka さんの主張は、「視点」を朝鮮、或いは中国におけば、
----目的がどうであれされた側の朝鮮、或いは中国にとっては、
日本の採ったやり方は「侵略」に当たるのではないか?ということでは
ないですか?
OJIN さんの仰る、「大東亜戦争時においても、占領地を日本の
植民地にするのでは無く、欧米列強の支配を覆して、日本が主導
するブロック経済圏を作り上げることが主目的であったと思います」
ーーーだから解放したのだと主張されているのは、「視点」が、日本に
ありますよね?
OJIN さんのほうを読むと、「戦争というのは(酷い事をしたりされたりで)
お互いさまじゃ!」という言葉が思い出されました。----体験者の方が
言われていました。
Nanka さんの文章は、戦争を知らない世代の「何が真実なの?」と
単純に割り切ろうとする(ごめんなさい!)傾向があるように思われ
ましたーーー。というより、私もNanka さんとピタリぐらい同じ大賛成!
なのです。Nanka さんが私のい言たい事を代弁してくださった、と
思っています。
└──────────
▼
┌──────────「(^^) OJIN です(^^)」
「よくぞこれだけにまとめることができたものだ」というご評価は有り難い
んですけれども、、「何かちょっと食い違っているような」ーーー食い
違っていませんよ!
あまりにも短く纏め過ぎて OJIN の言い方が足らなかったのかも
しれません。
「日本はアジアを列強から開放した」のは結果としてそういう流れ
には繋がっ
ていったけれども、それが決して日本の主たる目的ではなく、日本は
あくまでも日本の国益に沿って行動したんだということを言っているの
でございます。
そりゃ現在の民間会社で考えてみたって当たり前に理解できることで、
自社の隣のビルに、隣町のライバル会社から過酷に搾り取られてい
る子会社が幾つもあるからといって、――――自社と何の関わりも
なければ、そうした子会社を救ってやるために買収話を持ちかける?
ーーーただそれだけの理由でそんなことをしていたら、自分の会社まで
左前になってしまう結果になるでしょう。
そうした子会社群の中には、他では真似のできない特殊技術を持って
いるところとか、特別の販売ルートがあるとか、自社に益する何かが
あるし、さらに、その子会社をこちらに取り込むことができれば
ライバル会社の力を殺ぐこともできる、、、
普通はそんなふうに考えて行動を起こしますでしょう?
んなもの国だって同じでしょ、、と
言いたかったのでございますよ~~~♪♪
└──────────
┌──────────「kz-87さん」自己主張しないのは
悪いこと?
8/29(水)に、「外国人の場合は…“いかにして自分の主張を相手に
認めさせるか”という心構えが絶対に必要だと思います。
そして情緒的でなく、論理的に押しまくる」ーーーと書いておられます。
http://chinachips.fc2web.com/repo/001067.html
これを読んで私は---- OJIN さんてそういう気持ちでいるんだ!
----と、合点できました。
(遠慮することなくケンカすりゃいいんだ!)と思いました。
「自分の主張を相手に認めさせようという心構えが、絶対に必要」
これは、「絶対に」ということはないでしょう?大澄さんの話し方が
淡々とされているのは、過酷な体験をされた故ではないかと思いまし
た。----と、今頃やっと分かったのでアリマス。
「日本人は討論しない。マアマアで決める。(それは悪い)」と言われ
ていますが、戦争中はもちろんものを言うことはできなかった。
戦後も、日本はずっとアメリカにがんじがらめにされていたのです。
日本人が自分の言い分を表現し自己決定権を持つと…
いや、何でもいいや----
とにかく、日本を強くさせまいとアメリカは必死だった。
そのために7年もかけて(太平洋戦争は3年8ヶ月)日本人をガッシリと
洗脳し、その後も支配し続けたのです。今だに自己表現できてない
人をどうして責めることができるのですか?
----この頃そう思うようになりました。
自己表現できないでいる人が、自己表現できるようになるのは、
もの凄く大変なことなんです。
(自己表現してもいいんだ)と、自然に思えるようになるまで
に何年もかかります。ここが大変なんです。(私がドバカだったのか?)
パンドラの箱をあけ、傷付いている箇所を一つずつ
癒していくことは=「傷」と向き合うことは、ものすごく大変なこと
なのです!
OJIN さんは、指導される側であった時に「辛い」と感じたことは
ありませんか?自分も傷つけられたんだ、と思い当たることはあり
ませんか?
「中国では、答えに詰まったら(何も言わなかったら)、過去の悪行を
陳謝させられる」というのは、文革時代の名残ですかね? ならば、
中国人は中国人でまだ洗脳されている、ということですよね?
└──────────
▼
┌──────────「(^^) OJIN です(^^)」
いや、別に責めているわけでもないですし、「自己主張しないのは
悪いこと」といってるわけでもありませんけれど、
日本国内でならそれでもたいした実害はないでしょうからほとんど
問題はないでしょう。
でも外国でもそんな態度では、海外のあちこちの国の企業を相手に
ビジネスしてきた経験が豊富なhideおじさんも書かれているように
「そんな調子で仕事をしたら赤字だらけになってしまいます」ですよ。
たしかに、日本国内だけで暮らしていると、自己主張しなければ
ならない機会は少ないですから、気付いてもそういうふうに実行
するのは大変だと思いますけれど、日本以外ではそうなんです
から、海外へ出るときはそういう心構えでいたほうがいいですよ、
ーーーと警鐘を鳴らしたかったのです。
それから、最後の「文革時代の名残ですかね?」は見当違いです。
文革なんか関係ないです。
何千年間ずーーっとそういうことなんでございますよ~~。
└──────────
―― 以下のお便りの流れが分からない方は ▼ こちらをご覧下さい。
http://chinachips.fc2web.com/repo4/049047.html
┌──────────「十八子松戸さん」
こんにちは、十八子松戸です。回答いたします。
1.大澄国一さんへ。
ご説明、ありがとうございました。私の理解では、人生の発祥地では
なく人生観の発祥地ですね。
つまり、共産党による思想改造後の人生観というものですね。ただし、
幸いに早い時期にご帰国なさいました。
見たのは、政権をとろうとする、政権を取ったばかりの共産党の言動
だけでしたね。
それでも、所謂「三反五反」の政治運動中、どのぐらいの数の人間が殺
されたか、前政権関係者だけではなく、身内のも。これはただ共産党の
本性暴露の序の口に過ぎません。
その時でも大澄国一さんは共産党を擁護していたでしょうか?幸いに
ご自身はその対象になっていなかったでしょうか?
ご帰国後、隣国での反右派運動、大躍進、四清運動、、階級闘争論、
文化大革命などなどは、共産党というものが赤裸々に現れたわけ
ですが、もしこれらの体験をなさいましたら多分ご文章の
内容も少し違うかもしれません。
ただし、戦前日本で形成した人生観、20年ほど、戦中・後共産党に
洗脳された人生観、数年のみ。
また、帰国後復興、高度成長、バブル崩壊、景気回復といった
50年もの激動時代に、新しい人生観は生まれていなかったですか?
大変申し訳ありませんが、このような質問の目的は大澄国一さんを
押し詰めるではなく、歴史真実を知りたい中国人の若い方がいるから。
2.bayikou(朴)さん」へ。
┌--------
私と大澄さんの接点については、中国共産党の宣伝効果と決め付け
ておりますが、事実はそうではないと思います。
└--------
bayikou(朴)さんも大澄さんも十八子松戸も、皆中国共産党の教育を
受けていました。これは事実です。否定しないでください。
┌--------
「本当の歴史を知りたい、そしていつ中国に帰るか知りませんが、
その歴史を伝えたい若者と、本当の歴史を語りたい経験者、
との接点、ではないでしょうか?」
└--------
貴方は中国で本当の歴史を教えてもらわなかったですか。
大澄国一さんの文章は、貴方が中国で受けた教育とは違うところが
ありましたか?
┌--------
60年代の中国=文化大革命の時代でしたらまた「宣伝効果」に
ついてある程度理解できますが、今はその時代ではないと思います。
現在の社会は「思想・教育」が個人の行動を支配するのではなく
個人個人の判断になると思います。
└--------
これは、貴方がまだ60年代の中国=文化大革命の時代を経験した
ことがないから、現在のと比較するようがありません。
20世紀60年代も21世紀の現在も、同じの共産党の政策から離れて
個人個人の判断できるのですか。
20年も中国不在でしたから、こんなに根本的な変化もしたのが
知りませんでした。
「没有共産党就没有新中国」共産党領導一切ではなくなりましたか?
共産党が「これ」といったら bayikou(朴)さんさんは「あれ」という
勇気がありますか?
私は「心有余悸」です。個人主義はしません。
とてもとてもすべて共産党に捧げます。
「共産党指向那里、我就奔向那里」
┌--------
当時の共産党(八路軍)について、大澄さんは高く評価しております
が、その時代の共産党=八路軍は、確かに国の為に国民の為に
血を流し汗を流した人ばかりだったと思います。
大澄さんが八路軍を評価しているのは、個人個人の人間性を評価して
いると思います。
└--------
これは勝利者の八路軍・共産党及び追随者が言っていることでしょう。
所謂評価というものが、
┌--------
当然ながら、共産党の中にもいろんな人がいるわけですから、
いい悪いは言い切れないと思います。
└--------
このような道理は小学生二年生の、家の孫も知っています。
┌--------
私がここに来ているのは、大澄さんの生々しい歴史に興味を持った
からです。
中国では、師範大学の歴史学部で、それこそ「思想教育・政治色の
歴史」を一杯勉強しましたが、やはり歴史というのは真実が何よりも
重要だと思います。
└--------
なぁに?中国の大学では「思想教育・政治色の歴史」ばかり、
歴史真実は教えないでしたか?
また、「思想教育・政治色の歴史」とは「中国共産党領導下的
中国抗日戦争取得偉大的勝利」という奴でしたか?
これはこれは、中国のことを知らない方々、驚かないでね。
これは世の中には存在している現実です。
これは中国の二十代大学生が経験したことです。
間違いありません。
└──────────
┌──────────「大澄国一さん」
八月二十五日のお便りについて、、当時私が直面していた時代背景、
状況と、その時の日本人の意識は当事者でないと分かりにくいと
思います。まして恨み辛みのある相手の八路にいた者との話は一致
するとことはないと思いますが、
只こういう変わった私の記録、乃至は人生について、それぞれの見方
を話し合うことは出来ます。
私も、嘗ては国民党空軍から起義したり、投降して、その後に私たち
の航校にきた者と一起工作をしていました。
お互い仲良く熱心にやっていました。彼らも私と同じように軍人であり、
生きるか死ぬかの戦闘から、生きるほうを選んだのでしょう。
共産軍に軍事協力したという見方からすれば、私も彼らも同罪です。
一体、どこの誰がそういうことを言うのか?冷戦時代ならともかくも・・・・
貴重な意見を聞かして下さい。京都の老ジャホの戯言かも知れませんが、
聞いて下さい。
└──────────
┃ ┌─────┐
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~~~~~~~
日本のお姉さんの意見。
チュウゴク人もたまに、コメントを書いている。
チュウゴク人は、チュウゴク共産党が起した
反右派運動、大躍進、四清運動、、階級闘争論、
文化大革命の恐ろしさを経験していない日本人が、
チュウゴク共産党を簡単に褒めることを
おかしいと思っているようだ。
大澄国一さんは、戦後、共産党軍に頼まれて
チュウゴクに残って戦闘機の乗り方を教えていた日本人だ。
日本人が教えた飛行機の技術は相当なものだったらしく、
朝鮮戦争の時には、アメリカ軍は、チュウゴクの空軍に
苦しめられたそうだ。
大澄国一さんは、初期の共産党しかしらず、
人生のいい経験というか、
いい思い出のように、チュウゴク時代をとらえておられるが、
チュウゴク人は、「初期の共産党しかしらないくせに、
共産党全てが分かっているのか?」と聞いているようだ。
チュウゴク人にとっては、共産党が全てで、
共産党が一言いえば、人民はそれに全面的に従うように
なっているということが、言いたかったようだ。
十八子松戸さんという人は、お年寄りのチュウゴク人で、
日本には長く住んでおられる人らしい。本人は共産党一筋のようだ。
どうやら、20歳の日本在住のbayikou(朴)というチュウゴク人が、
甘いことをコメントしたので、怒っておられるようだ。
by日本のお姉さん
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