「日韓併合」の実態は、あくまでも「対等合邦」なのです。 | 日本のお姉さん

「日韓併合」の実態は、あくまでも「対等合邦」なのです。

アジアの街角から:亜洲街巷信息
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┌──────────「Nanka さん」

ご回答ありがとうございます。ご丁寧な回答で勉強になりました。
http://chinachips.fc2web.com/repo/001067.html
OJIN さんの回答で、また若干疑問が残ったので質問させてください。

1)「朝鮮とは一度も戦争したことがない。会社で例えるなら合併と同じ」と
のことについてですが、

「日韓併合」で「朝鮮を日本領土にした」との(要約が間違っていたらごめん
なさい)回答でしたが「アジア諸国を欧州列強から開放する」という意味から
理解すると、どこの侵略からも開放していなくて、逆に侵略したのではと思い
ますがいかがでしょうか?

黒舟などから目が醒めて、自国を守る為、先制攻撃したといえば分かり易いと
思いますが「アジア諸国の開放の為」という大儀は付け難いかなと思います。

日本の立場から考えれば自国守衛の為、先制攻撃したことは自然な流れと思い
ますが、侵略された国の立場から考えたらたまったものではないと思います。
自分が日本を攻撃した訳ではないから!関係のない第三者ですからね。

2)「清国は中国に非ず」との論点はよくわかりませんので措いておきます。
どのような切口から上記の論点にいたるか分かりませんが「イスラエルは国な
らず」「北海道は日本ならず」との観点と同じような感じがします。単なる自
分の愚痴なので流しておいてください。

日中戦争になるまでの背景を詳しくご回答いただきありがとうございます。背
景の分析についてですが、全く同感です。但し、分析なのでしようがないので
すが90%は憶測の領域だったので割愛させていただきます。

当時の中国は、仰る通り列強に分割されていた時代でした。

そこで「アジア諸国を開放」の登場です。もし「アジア諸国を開放」との観点
から考えれば、ロシアだけではなく欧州列強とも戦ったはずだと思いますがど
うでしょうか?日本の既得利益を守る為、列強と小規模な戦いはあったと思い
ますが、中国を列強から開放する為に戦ったということは聞いた事がないので
すが、単なる私の勉強不足でしょうか?

だとしたら少なくとも中国では「アジア諸国の開放」という論点(大儀?)は成
り立たなくなると思います。逆に、欧州列強と一緒になって中国を植民地にし
たかったのが本音ではないでしょうか?

色々言って何が言いたいのか?と思われるかもしれません。要約しますと、

1)第二回世界戦争時の日本の目的――「アジアを列強から開放する」という
大儀は、日本の関わった全ての戦争に当てはまるものではない。少なくとも朝
鮮、中国ではそうではなかったと思います。

2)開放する為に行った人が、現地で8年も戦争しますか?戦争が終わってか
ら60年も言われ(恨まれ?)続けますか?

3)日本がその戦争に加わっていようがいなかろうが、中国が欧州に植民地に
された事実は変わらない。 OJIN さんの仰る通り、日本が加わることによって
欧州列強の植民地面積は拡張できなかったかもしれませんが、日本の占領した
植民地を考えれば、全体的な量は変わらないかもしれません。(あくまでも憶
測です)即ち中国側から見れば、中国を食い物にする列強がひとつ増えたに過
ぎないと思います。

余談:「犬と中国人進入禁止」----原文はどうだったか分かりませんが、確か
このような意味だったと思います----との警告が当時の上海に張られていたと
のことは OJIN さんもご存知だと思います。これが欧州列強の当時の中国人に
対する見方だったと思います。それに日本も加わったということになります。

当時の世界情勢から考えて、欧州列強がアジア諸国を植民地化していたのは事
実です。始めは日本も植民地化する対象であったと思います。それにいち早く
目覚めた日本は、富国強兵を図り、欧州列強は日本の植民地化を諦めた。
(中国の当時の様子が、日本にはよい薬になったのではないでしょうか)

そのとき日本が欧州列強の一員になり、植民地化(少なくとも朝鮮、中国で)を
進めたというのは当時の流れではなかったのでしょうか。「アジア諸国の開放
の為」というのは聞こえのよい口実にしか思えません。

大変長くなって申し訳ありません。ご指導お願いします。

└──────────

┌──────────「(^^) OJIN です(^^)」

ご指導なんておこがましいですけれどもーーー、

まず「1」の要約は間違えております。『「日韓併合」で「朝鮮を日本領土に
した」』ーーーということではなくて、両国共に望んで「合邦」したのです。
「朝鮮を日本領土にした」ともいえますが、逆の言い方をすれば「日本を朝鮮
領土にした」ということです。----少し言い方が足りませんでした。

ただ、合邦後の国名が大韓帝国ではなく、大日本帝国としたので誤解を招いて
いるのでしょうが、現在の会社の対等合併のように「三菱東京UFJ銀行」の
ようにすればよかったのかもしれませんが、合邦直前の両国の国力の差から、
現実は半ば吸収合併のような状態だったので大日本帝国になったのでしょう。

しかし実態はあくまでも「対等合邦」なのです。

「どこの侵略からも開放していなくて」についても、合邦に至るまでの流れを
みてみると、日清戦争以前の数千年間、朝鮮の宗主国は歴代中国王朝でした。
宗主国という意味はお分かりでしょうか?――――アジアやアフリカの植民地
の話にはよく「旧宗主国」という言葉が出てまいりますけれど、要するに同じ
ものです。
ただ、欧米列強と中国とでは支配の仕方が異なっていただけです。

日清戦争の勝利によって、日本は清朝に朝鮮の宗主権を放棄させた。即ち独立
させたわけです。
それ以後は、国名を大韓帝国と改め、君主は国王から皇帝と
称することができるようになりました。 ▼ 長くなり過ぎますので詳しくは。
http://chinachips.fc2web.com/repo1/015080.html

「自分が日本を攻撃した訳ではないから関係のない第三者」という暢気なこと
がいえるのは現在だから‥‥いや、現在だってそんな気持でいたら、植民地に
はともかくとして、必ず何等かの不利な状況に追い込まれると思います。まし
てや当時は、自国を守る力が弱ければ平気な顔で蹂躙され、たちまち植民地に
されたのです。

それから“アジア諸国を開放”ではございません。ーーー植民地にされていた
ということは、国になっていないわけですから“アジア諸地域を開放”です。

それと、「ロシアだけではなく欧州列強とも戦う」‥‥時間的な順番がござい
ますけれど、欧州列強‥欧米列強ですね‥とは戦ったではないですか?―――
大東亜戦争は、当時中国に触手を伸ばし関わっていた、フランス・イギリス・
アメリカ・ロシアのうち、

フランスは既にドイツに占領されて、交戦国の態を為していませんでしたから
除いて、ロシアは不可侵条約がありましたし、お互いの利害思惑からも当初は
交戦せず、残ったイギリスとアメリカ(東南アジアも含めるならオランダも)と
盛大にドンパチを繰り広げましたでしょう。

中国内での戦闘は蒋介石国民政府とでしたが(別に和平路線の汪兆銘国民政府
があったので区別)要するに中国権益を守ろうとするイギリスや、得ようとす
るアメリカが後援する代理戦争、
という性格を併せもつ、半ば以上は米英との
戦争だったのです。

「日本の関わった全ての戦争に当てはまるものではない」は、勿論そのとおり
です。結果として列強の植民地の独立に繋がったにせよ、大東亜共栄圏という
大儀を掲げたにせよ、どこの国であろうが、本当の目的は自国の国益です。

当然日本は日本の国益を優先課題として戦ったのであり、主たる目的が植民地
の解放にあったわけでないのは当然です。
ただ、国際連盟の規約作成時におい
ても、日本は、人種差別の解消を規約の中に盛り込もうと努力したりしたのは
事実
ですし、
大東亜戦争時においても、占領地を日本の植民地にするのではなく、欧米列強
の支配を覆して、日本が主導するブロック経済圏を創りあげることが主目的

あったと思います。

ーーーさてでは、中国(中華民国)に対してはどうだったのか。

満州国の独立は、満州地方は原来満族(=清朝)の故地であり、その成立に際し
て日本軍の深い関わりがあったにせよ、清朝の正当な後裔を立てて国を樹立さ
せたこと自体には非難される謂れはないはずです。

天津や北京、上海に日本の部隊が駐屯していたのは、それ以前の様々な条約に
よって清朝政府と取り決めした上でのことであって、
現在の日本に米軍が駐留
しているのと何等変わるものではありません。

ーーーでは、どうして戦争になってしまったのか?

中国国民・軍部の反日侮日気分の昂揚、日中両国を戦わせて漁夫の利を得んと
するコミンテルンの謀略、日本の力を削ごうと蒋介石政権を経済・軍事両面で
支援するアメリカ
、さらに他の要因なども絡み合った縺[よじ]れの果てに、

蒋介石軍が上海で軍事行動を起こし、応戦した日本軍は上海から南京、北では
天津から北京へとズルズルと拡大泥沼化に陥り、引くこともできず、仰るよう
に8年も戦わざるを得なくなっていったのです。

「戦争が終わってから60年も言われ(恨まれ?)続けますか?」については、

江沢民以後の中国政府の政治的な思惑、即ち、国内的には国内諸懸案の隠蔽、
対外的には駆け引き、と、捏造した偏向教育を自国民に教え、さらにODAな
ど日本の協力事実は一切教えない
、に由来するもので、歴史的な事実の結果と
は何の関係もありません。

では、もし重慶まで陥落させて日中戦争に勝利していたら、日本は中国権益を
独占できていたでしょうか?ーーーおそらくできなかったでしょう。

例え米英との直接交戦を巧みな外交交渉でノラリクラリと引き延ばし、その間
重慶を陥落させ蒋介石を外国に亡命..させたとしても、中国権益の日本独占
を列強各国が黙って見過ごしてくれる..筈もなく、日清戦争後の三国干渉より
遥かに強烈な恫喝で脅されて
、、さ~て、その後はどうなったでしょうか?

中国に対しては、植民地にするためにというのは論外としても、では「侵略」
だったのかという見方についても、そんな簡単に断定できるような単純な図式
ではなかったのは確かです。

└──────────

◎≪ WEB 熱線 ≫― アジアの街角から ―
http://blog.mag2.com/m/log/0000074019/


OJINさんの返答の仕方はいいと思う。

白人たちが、アジア人の住む地域を植民地にすることを

止めたのは、アジア人が日本を見て自信をつけて、

独立運動を始めたからだ。日本は、彼らが独立できるように

教育したり、武器を差し上げたり、援助をしている。

日本は、日本のために戦争を始めたのだろうけど、アジア全体が

欧米人に植民地にされているかぎり、日本人が安心して

生きることはできなかったから、日本のためにも、朝鮮や他のアジア人の

住む地域が独立するのは、必要なことだった。でも、大本営は、

現地の軍人よりも、アジア人を独立させたいという気持ちが希薄だったみたい。

独立させたら、資源がもらえないと疑ったのです。

もう少し、アジア人を信用したらよかった。

アジアを欧米の支配下から独立させたいと願う軍人たちは、戦争が

始まる前にテロで、殺されてしまって、残っている軍人が大本営にいたから、

アジアのことを本気で考えるトップは、少なかった。


それでも、現地に派遣された軍人たちは、各地で、アジア人を助けて、

独立できるように、一生懸命働いた。

そういう事実があるのに、無かったことにするのは、いけないな。


日本軍に対して、西洋と共に戦いを挑んだのは、

現地で経済活動を行って現地人を支配していた華僑たちの義勇軍だった。

特にシンガポールでは、華人(華僑)たちは、日本軍を苦しめ、

多大な犠牲を日本軍に払わせた。

日本軍が、一般人を待機させて、華人たちを襲って、始末したのは、

戦争中なら、当然のことだったと思う。そのことを、華僑たちは覚えていて、

日本人を見ると、「侵略した!!」と言うのだ。


だって、華人たちは、イギリス人と、うまくつるんで経済活動を任せられて

優雅な生活をして現地人を支配して満足していたのだから、

白人たちから独立する必要なんか無かった

華人たちにとっては、日本軍は、

自分たちの生活を脅かす憎い敵でしかなかった。


現地の人にすると、イギリス人が連れてきたシナ人(華人)やインド人は

外国人。イギリス人と一緒に、自分たちの国にどやどやと

入り込んできた人々だ。現地の人々は、ものすごく、独立したがっていた。

だから、日本軍の味方になって、日本軍と一緒にイギリス軍と戦った。


華人は、イギリスの味方だから、徹底的に日本軍を攻撃して、

逆に、日本軍に殺された。だから、現地人はよく、

結局、アジアでの戦いは、アジアで西洋と組んで利権を保持しようとする

シナと日本の戦いだった。」と言う。すごく考えさせられる言葉だ。


華人(華僑)は、常に日本を敵だと認識して、日本軍と戦って、

逆に日本軍に殺されたが、現地人は日本軍を大歓迎した。

この事実を忘れて、「アジアを侵略した。」と勝手に、

言わないように、してもらいたい。


日本軍が来る前に、

欧米がアジア地域を、勝手に分け合って侵略していたことを忘れないで

いてほしい。

その、人種差別からくる、白人の侵略の事実を忘れて、

日本軍の残虐性とか、無能な戦争の進め方だけ、強調するのも、

不公平だと思う。歴史を語るなら、全部、最初から

語るべきです。現地人は、日本軍の味方で、日本軍を攻撃しなかったから

日本軍は、現地人を殺していない

何度も書くが、華人(華僑)は、日本軍に勇敢に激しくはむかって、

大勢の日本兵を殺したのだから、

日本軍に殺されても、当然だった。

華人をそのままにしておくと、せっかく占領したシンガポールで、

市民を安全に守れないし、どこから日本軍が攻撃されるかも分からない。

危険すぎる。

しかも、華人は、一般人の服を着て、市民の中に紛れ込んでいたわけ

だから、彼らは国際法によれば、軍人ではなくて、ゲリラに当たる。

市民に紛れ込んだ華人も、悪い。アジアの華人にとっては、日本軍は

悪い侵略者だろうが、アジアの現地の人にとっては、残酷な支配者から

助けてくれそうなアジアの希望の星だった。その証拠に、

日本が戦争に負けても、アジアの人々は、頑張り続けて、

西洋諸国から独立を勝ち取った。

アジア人は、華人(華僑)と違って、自分の国が西洋人に支配されることを

嫌った。実際に独立できたのだから、日本軍は、悪いことばかりしたという

わけではないのだ。戦争には、いろんな側面がある。いろんな事実がある。

戦争国側からだけ、日本を見るのと、植民地にされていた側から、日本を

見るのとでは、味方が違ってくる。

日本人の戦争観は、アメリカに教えられた見方だ。ひたすら日本が

悪いということになっていて、欧米がアジアの地方を勝手に侵略していた

ことは、無かったことになっている。悪い日本は、一般人でも10万人

単位で焼き殺してもいいし、広島で14万人、長崎で9万人被爆させて

殺しても、戦争を早く終わらせたので、良かったということになっている。

だから、アメリカは、過去の日本に関しては、共産国チャイナや

朝鮮半島と同じ意見で、気が合うのだ。日本が悪の国でないと、

東京などの大都市で一般人を焼き殺したことや、大量破壊兵器である原爆を

落として、大勢の一般人を溶かして殺したことを、責められることになるからだ。


シンガポール人は、ほとんど華人(架橋)の国だ。日本軍のしたことは、

忘れないで、子供たちに詳しく戦争当時のことを教えている。

だが、日本を憎むようにとは、教えていない。小さい国でも人口を増やし、

優秀な人材を育成して、規律正しく、クリーンな国にしようと、頑張っている。

今でも、インドネシア人、マレーシア人、ミャンマー人、タイ人は、

日本のことを悪く言わない。日本を嫌い悪く言うのは、現地の華人

(華僑)である。彼らは、今では現地の政治をつかさどる立場に

あるものも多く、日本を悪く宣伝して、新しい若い世代の現地人に

影響を与える人もいる。シンガポールのリークアンユーのように、

日本のことを理解している華人(華僑)もいる。

過去よりも現在の方が大事だし、現在の努力は未来に繋がる。

日本も、リークアンユーのように、合理的に国を発展させていくべきだ。


日本は、嫌なことも、良かったことも、事実として素直に受け入れるべきで、

アメリカと同じ考え方で日本を見る必要は無いと思う。

日本は、天皇を神のように扱っていたし、朝鮮人やシナ人を二等、三等市民と

いう取り扱いをして威張っていたし、クリスチャンを迫害したりした。

悪い部分もあったが、アジア人が欧米から独立したいという願いをよく理解して

アジアの独立のために努力した。

戦争と言っても、戦争になった理由は結局、西洋人の人種差別から

来ている。戦争にも、いろんな側面があるので、一概に日本だけ悪だと言う

のは止めてほしいと思う。日本は自衛のために戦争をしたと、当時の首相は

言っている。彼は、アメリカにリンチのような東京裁判で絞首刑にされたが、

あの戦争は「自衛のための戦争だった。」と、最後の瞬間までその考えを

譲らなかった。当時の首相の考えと、戦勝国の言い分のどちらが、歴史に

忠実なのか、調べてみてほしい。

憎しみにも、自己卑下にも支配されず、合理的に日本の進むべき道を

見つけだすのが、今の日本人の勤めだろう。


日本という国の形と文化が継続され、どこの国の属国にもならず、ずっと

独立国であり続けることが、当時の日本の願いだったということを、

忘れてはならないと思う。どこの国にも支配されたくないという気概が

無い国は、自然に周りの国に、支配される国になるのだと思う。

by日本のお姉さん