反米で貫かれた広島の平和宣言 | 日本のお姉さん

反米で貫かれた広島の平和宣言

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文塾通信 <8月臨時-2(248号)

反米で貫かれた広島の平和宣言

                依存症の独り言
今日は米国が広島に原爆を投下し、15万人を殺害した日だ。
この米国の行為をどう捉えるかについては、既に何度も述べで、下のエントリを参照してほしい。
1. 人体実験だった広島・長崎の原爆 (2006/08/13)

2.残忍な人たち (2005/08/06)
2つとも、かなり反響を呼んだエントリだった。

きっと、参考になると確信している。ところで、今年の「平和記念式典」で私が強く疑問に思ったのは、「広島原爆忌 平和宣言」の中の次の一節だ。米国の時代遅れで誤った政策にははっきり「ノー」と言うべきです。

この一節は、朝日、毎日、産経の各紙でも記事中で紹介されている。それだけインパクトが強い言葉だったということだろう。

が、私は疑問に思う。

なぜ、ここで米国なのか?

なぜ、米国のみを糾弾するのか?

と…おそらくイラク戦争を念頭においてのことだろう。

大量破壊兵器の拡散を防ぐとして米国はイラクに戦争を仕掛けた。が、大量破壊兵器など、どこにもなかった。
この点で米国は非難されてしかるべきだ。

が、フセイン独裁下のイラクは間違いなく脅威であった。

この脅威を排除し、中東アラブ社会に民主的な親米国家を作り、米国の権益とイスラエルの安全を確保するという米国のやり方が「時代遅れで誤った政策」とは言い切れない。

これを、どう評価するかは政治的立場によって大きく異なる。
私は、米国の意図はわかるが、やり方があまりにも強引で、アラブ・イスラム社会を甘く見すぎていたと思う。

一言で言えば「傲慢」。

この戦争は失敗であり、米国にとって「第2のベトナム戦争」になるのは間違いない。ベトナム戦争もそうだったが、今回のイラク戦争も「米国の正義」にすぎない。これじゃあ勝てない。

しかし、だからと言って「平和記念式典」で「米国の時代遅れで誤った政策にははっきり『ノー』と言うべきです」と宣言するなんて、どうかしている。この宣言を口にした人、頭がおかしいんじゃないかと思う。

わが国にとって、直接的な核の脅威になっているのは「ならず者国家」である北朝鮮であり、軍事費が19年連続で2桁の伸びを示している中国だ。中国はSLBM(潜水艦発射弾道ミサイル)を搭載した原子力潜水艦の配備を着々と進めている。

米国を非難する前に、核開発を未だに放棄しない北朝鮮や核弾頭を積んだ原潜の配備を進める中国を非難し、糾弾するのが先だろう。
なぜ「ならず者国家」である北朝鮮や膨張主義の中国ではなく米国を非難するのか?
それは、この宣言を起草した広島市長が秋葉忠利氏だからだ。

秋葉氏は元社民党の衆院議員で政審会長。
「北朝鮮による日本人拉致はでっち上げ」と主張していた旧・社会党左派の政治家で、2003年6月16日には、何と北朝鮮の金正日総書記に、同年8月6日の「平和記念式典」への招待状を郵送した実績を持つ。こんな人物を3回連続して市長に選ぶ広島市の有権者。

私には理解できません。
参照;広島原爆忌 平和宣言
http://www.city.hiroshima.jp/www/contents/0000000000000/1110537278566/index.html
<追記:中村>

伊藤前市長が凶弾の犠牲になり、久間の「しょうがない発言」がおおきな波紋を呼んだ長崎でも、8月9日62回目の慰霊祭が行われました。
田上富久新市長が読み上げた「平和宣言」では、
(前略)

しかしながら、核軍縮は進まないばかりか、核不拡散体制そのものが崩壊の危機に直面しています。米国、ロシア、英国、フランス、中国の核保有5カ国に加え、インド、パキスタン、北朝鮮も自国を守ることを口実に、新たに核兵器を保有しました。中東では、事実上の核保有国と見なされているイスラエルや、イランの核開発疑惑も核不拡散体制をゆるがしています。   (中略)

すでに非核兵器地帯となっているカザフスタンなどの中央アジア諸国や、モンゴルに連なる「北東アジア非核兵器地帯構想」の実現を目指すとともに、北朝鮮の核廃棄に向けて、6カ国協議の場で粘り強い努力を続けてください。 (後略)
と、現実に目を向けた発言を行っている。

同長崎平和宣言の全文(サンケイウエッブより)
http://www.sankei.co.jp/shakai/wadai/070809/wdi070809003.htm
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≪WEB 熱線 第904号 ≫2007/08/17 

  ―― アジアの街角から:亜洲街巷信息 ――  
http://chinachips.fc2web.com/common/31mag.html
より62回目の (敗(終)戦記念に当たって、もう一度、「日の丸と君が代」について、もっと冷静に考える必要がある。世界のどこに自国の国旗・国旗」に敬意を払わぬ、しかも他国民ならいざ知らず、裁判沙汰にするような民族がいるだろうか。自国が愛せない人なら、遠慮なく好きな、国へ亡命すればよい。好きなことを行っても罰せられない国は日本くらいだろう。ゆえなく軍国主義のスケープゴートにされた可哀想な、国歌よ、そして国旗よ! 世界でもっとも平和で美しいものなのに…。(中村)

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日の丸と君が代
 by hideおじさん

私が学生だった頃は、卒業式には校旗と日の丸が掲げられ、君が代歌うのが普通で、これを取り立てて問題視していたような記憶はありません。小学生の時、担任の先生が「死の丸だ」と言ったのを聞いたPTAが注意した、というのを鮮明に記憶しています。

それが現在、あちこちで訴訟が起こっているように「日の丸」と「君が代」をボイコットするという話を聞きます。日の丸と君が代からしてみれば、いい迷惑ではないかというのが率直な気持ちです。一昔前はそんなに問題とされていなかったものが、何故今裁判になるぐらい問題とされるのでしょう、おじさんには良く理解できません。いったいいつから「日の丸」と「君が代」は悪者になったのでしょうか?
「日の丸」の赤を血の色、白を骨の色と歪曲して教える教師もいるというし、「君が代」は天皇の世の中が未来永劫続くように歌ったものだ、とする意見もある。しかし、果たしてそうなのでしょうか?

「日の丸」も「君が代」も、最初から戦争や天皇を意識して作られたものではありません。過去の日本を絶対悪と捉える人たちのコジツケに過ぎないのではないでしょうか。

「日の丸」と「君が代」の歴史を振り返ってみたいと思います。
「日の丸」の起源は「続日本紀」に見出せます。文武天皇が儀式の飾りとして使ったのが最初とされます。その後、扇の図案として日の丸が使われたというのが「愚管抄」や「平家物語」に記載があります。この日の丸は、その名前の通り「日」すなわち太陽を表しており、農耕民族である日本人にとって太陽が重要との見方から考えられたものという説もあります。どちらにしても「血」でも「骨」でもありません。

1854年、江戸幕府が外国船と日本船を区別するため、日の丸を「惣船印」と決めたことが、そのまま国旗とされたという説が有力です。「君が代」は古今和歌集にその原型が載っており、作者不詳となっています。この「君」が天皇のことを表しているのか、それとも「個人」を指しているのか議論が分かれているそうです。室町時代のお伽草子や江戸時代の浄瑠璃にも「君が代」が取り上げられていたそうですし、特別「天皇」をいっているのでもなさそうです。

大日本帝国憲法では主権は天皇にあった訳ですから「君」というのは「天皇」を指すというのは理解できますが、現在は国民主権ですから「君」というのは「国民」全般を指すと置き換えて理解してもいいのではないでしょうか?

この「君が代」が、何故国歌になったのか諸説あって、明確にはなっていませんが、有名なのは、当時薩摩藩の大山巌が「君が代」を見出し、イギリス公使の護衛歩兵隊軍楽隊長に作曲を依頼、後に日本人が手を加えたという説です。どの説にしても、外国人が最初に作曲したというのは間違いないようです。

明治政府になって、旧薩摩藩の「持ち歌」だった「君が代」が国歌とされたと考えるのが無理がないように思います。(この場合の君は多分天皇を指していると思われます)明治時代、フランスが君が代を当時の500万円で売ってくれという話もあったそうですが、明治政府はこれを断ったというのは有名な話です。

また、1903年にドイツで催された「世界国歌コンクール」で「君が代」は第一位を取っています。

自分の国の国旗と国歌の歴史も教えないような国は、他にはないのではないでしょうか?中国の国歌の内容をみると「軍歌」みたいだし、イギリスの国歌はずばり「女王」賛美の歌です。その点「君が代」は、ファジーで日本らしいものかもしれません。

戦前の一時期をとりあげて「日の丸」と「君が代」を軍国主義の象徴とするのは、包丁で人を殺したから「包丁」が悪い、と言っているようなものと同じではないでしょうか?

外国には「日の丸」と「君が代」を見聞きすると面白くないと考える人はいるかもしれませんが、だからといってこれらを否定するのはどうかと思います。何故よそ様の目の色を窺わなければならないのか理解出来ません。そんなことをいっていたら、アメリカなど何度国旗を変えなければならないでしょう?

平和」を叫び、「子供たちを再び戦地に送らない」と息巻く集団がいるようですが、それと「日の丸」「君が代」は関係ないでしょう。それより、どこの国に行っても正々堂々と渡り合えるような日本人を作る教育に専念してもらいたいものです。

来年の北京オリンピックで、またひと悶着あるかもしれませんが、日本選手は堂々と日の丸と君が代に向かってもらいたいと思います。
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以下「日本戦略の研究会」から転載させていただきました。
http://blog.mag2.com/m/log/000091303/
以前も指摘したように、エネルギーより早く枯渇し、世界的問題と懸念されているのが、「水問題」です。「水と安全はタダ」と思っている日本も、安全神話の崩壊と期を一つにして、水不足が目前といえるでしょう。

幸い「水田稲作」で培ってきた日本の水技術は、「省エネ技術」と併せ、世界最高水準にあります。温暖化はコメよりもコムギに大きなダメージを与えます。「水と食料」の問題に、世界で一歩先んじた取り組みこそが肝要でしょう   (中村)

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水の偏在は世界的な規模で起こる、水処理技術及び基礎食糧

米の確保を通じて、負けない日本を作れ



       担当: 菅 貞蔵 

IPCC(気候変動に関する政府間パネル、1988年に設立)の警告の有無に拘わらず、今後の地球は、水・雨の偏在が必至と予測しています。乾燥地域は益々乾燥して、雨が少なくなり砂漠化が進みます。多降水地域では、ドカ雨による河川の氾濫・洪水等の危険が高まります。

石油がなくとも、人間は生存可能ですが、「水」が無くては、農産物の生産ができず、人間自体も生きて行けません。多量に降った雨を保存する技法、海水を真水に変える技術を確立した国家は、極めて有利となります。日本の場合、降水の間隔はともかく、絶対量は必ず確保できます。

日本は世界に先駆けて、水処理技術の確立を目指し且つ、完成させて置くべきであります。「石油・天然ガス・稀少金属」と「良水」の交換が、現実化する可能性もあります。

水の偏在及び内陸地域の砂漠化は、農産物の世界総生産量を縮減す
ると推計できます。日本には、豊富な水と太陽光(日照)があり、官民一体となって工夫を重ねれば、食糧の自給は可能です。
農業の生産方針(手法)に関して、現状の個別農家方式と農業団体の跋扈を廃止し、米(麺類に勝る最良の栄養源)を中心とする「水耕且つ工場」方式に改変すれば、必ず基礎食糧の自給体制に近づきます。

畜産物の食品(食卓の欧米化・贅沢品・美味だが成人病の素)を減らして、本来の日本食を基盤とすべきであります。

国家民族が没落しない「決め手」は、武力(軍事力)の強化だけではありません。「水と食糧」が尽きないことが非常に肝要と申せます。
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<8月臨時-2編集後記>
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他の推奨メルマガ・ブログよりの、臨時転載号です。勝手ながら短いコメントをつけさせて貰いました。 先日「原爆とぼく」を語る機会があった際、「平和学習」の事に触れたのだが、最近では「平和学習」の中で、「南京大虐殺」を取り上げる教師がいて、きびしく異議を申し込んだという話を聞いて唖然とした次第。

塾友金子氏は南京生まれだが、ご母堂の当時のことを書いた手記には、その時点で南京市内では、平常となにも変わったことはなかったことが、窺われます。
安倍さんの「教育改革」、国歌・国旗の訴訟問題と併せ、縄文以来平和な思いを培ってきた日本の品格を、殊更に卑しめ、貶(おとし)めようとする輩(やから)の排除が、急務ではないでしょうか。  (中村)