インドネシアの華人 | 日本のお姉さん

インドネシアの華人

■インドネシアには多くの華人が存在する。ある指摘によるとインドネシアの華人は3つのタイプに分けられるという。1つは農民として働く華人で、インドネシア人コミュニティーにもっとも溶け込んだタイプである。2つ目はオランダの教育を受け、今は少なくなったがオランダ語を解す華人であり、最後は華人社会で育ち言語や中国大陸からの文化を保持し続けているタイプである。

私が出会ったジンさんはオランダ語を理解する50代の福建系華人女性。彼女の夫の祖父は日本人であり、第二次世界大戦前、茶のプランテーションで働く一方、定期的に日本に情報を送りスパイ活動をしていたという。その後華人と結婚し、戦争が終了した後も日本に戻らずインドネシアで生涯をすごしている。当時華人と結婚した日本人は少なくなかったという。またオランダ系との結婚もあったようで、彼女の母親の兄弟のうち3人はオランダに住む華人と結婚している。また、インドネシアのマルク地方の華人と結婚しオランダに移り住んだ親族もいる。

マルク地方にはオランダとの独立戦争の際、ジャワ人による支配を嫌ってオランダ側についたインドネシア人がいて、戦争の後オランダに渡った者が多くいたという。その親族もベルギー国境に近いイシーという町に住み、そこには現在でもマルク地方出身のインドネシア系のコミュニティーがあるという。

■米国のインドネシア人

米国のロサンゼルスやサンフランシスコといった西海岸部のアジア系移民が多く居住する地域では、日系人や華人などは多く存在するものの、インドネシア人コミュニティーのことをあまり聞かない。ただ、最近は裕福な華人系インドネシア人を中心に、子どもの教育を米国で受けさせることが多くなっているという。彼女の娘の1人は米国の大学を卒業し、ロサンゼルスで働いている。ところがロサンゼルスの生活にあまりなじめないため、永住権を将来取得すれば、もう一人の娘が住む豪州で働くことを希望しているという。彼女は今、ジャカルタの自宅で夫と暮らしつつも、米国と豪州を頻繁に行き来している。

もう一人の例を紹介しよう。ダナさんは60代後半の女性。バリ島出身で、米国のポートランドで暮らしている。彼女は異母兄弟を多く抱える貧困家庭で育った。彼女によると独立戦争後、オランダから多くの宣教師が送られてきたといい、その下で布教活動をしていたインドネシア人宣教師の支援で彼女は教育を受け、米国で博士号も取得している。

現在、男性だけではなく多くのバリ島の女性が日本やシンガポール、香港で就労している。この状況に対して、彼女はインドネシア人が貧困から抜け出すため、地位の低い「従属的」な労働に従事しなければならないと嘆いていた。バリ島はヒンズー教徒が多くを占める。女性はいずれ家を出て行くため、未婚女性が海外に出稼ぎに出ることに対する家族やコミュニティーの抵抗が少ないという。

彼女は残りの人生をバリ島で貧困撲滅のためのコミュニティー活動に充てたいという。ただ、キリスト教徒であること、女性であること、米国に居住していることもあって、反米感情が強く男性優位のイスラム国家ではコミュニティー活動の希望も前途は多難であるようにうかがえた。

(毎月第3水曜日掲載)

http://nna.asia.ne.jp/free/mujin/deka/deka41.html